高波文一
テンプレート:Infobox baseball player 高波 文一(たかなみ ふみかず、1975年11月3日 - )は、熊本県牛深市(現:天草市)出身の元プロ野球選手(外野手)。
妻はモデル、ダンサーであった中野早杜子。
目次
経歴
プロ入り前
小学3年の時に野球(ソフトボール)を始め、中学から本格的に軟式野球を始める。九州の強豪校である熊本県立熊本工業高等学校に進学し、それまでは遊撃手だったが、足が速く肩が強かったため2年時から外野手へコンバート。2年から4番を任され、テンプレート:Byに夏の甲子園に出場。1回戦で創価に勝利したが、2回戦で県立岐阜商業に敗れた。高校通算打率.513、29本塁打の記録を残した。
彼も含め3人いる兄弟全てが熊本工業高校で甲子園本大会出場を経験している(高波は長男。二男はマネージャーとしてベンチ入り。三男の大はその後国士舘大学を経てJR九州に所属した)。
プロ入り後
入団1年目からウエスタン・リーグの一番打者として92試合に出場し、レギュラーを獲得。入団2年目のテンプレート:By5月20日の対広島戦(甲子園)で9回に登場しプロ初出場を果たすと、8月にはプロ初安打・初本塁打・初打点を記録した。俊足選手の少ない阪神で代走の切り札に定着していった。テンプレート:By、背番号を4に変更。阪神タイガース時代で一番多い85試合に出場した。同年9月11日の対広島戦で9回表に横山竜士から中押しのソロ本塁打をライトスタンドに放ったが、これが一軍で記録した最後の本塁打となった。しかし翌年のテンプレート:Byは一軍出場がゼロに終わった。
テンプレート:Byに就任した野村克也監督により、田中秀太内野手とともに一軍に抜擢され、70試合に出場したものの、打率1割台と打撃に難があったため、代走・守備要員に落ち着いた。同年8月13日の対ヤクルト戦では、12回裏に投手の福原忍が安打を放ち、その代走で出場した高波が盗塁を試みるも失敗、という珍しいケースもあった。テンプレート:Byに野村は積極的に俊足選手を補強し、高波ら7名でF1セブンを結成した。しかし、結果的に同タイプの選手が多く集まったため、盗塁失敗などが多く打撃成績の悪い高波はファームに甘んじることが多くなった。この年、背番号を入団当時の65に戻した。テンプレート:Byは中村豊外野手の加入などで出場機会を失い、2000年に阪神の守備走塁コーチをしていた伊原春樹(2002年から西武監督)に請われて、5月8日に金銭トレードで西武ライオンズに移籍した。
2003年、テンプレート:Byには準レギュラー級外野手として活躍。2003年6月15日の対ロッテ戦(千葉)では初のお立ち台に上がった。卓越した運動能力を持っていたが、打撃力の弱さは相変わらずで、テンプレート:Byには広島から移籍した福地寿樹に押しのけられる形となり、レギュラーシーズン終了後に戦力外通告を受けた。
12球団合同トライアウトを受けるも声はかからず、野球を諦めてサラリーマンになろうとしていたが、テンプレート:By1月下旬に楽天から「3日間テストをする。受けてみないか?」と打診があり、久米島での春季キャンプにテスト生として参加。野村監督からの強い要望もあり、東北楽天ゴールデンイーグルスに入団が決定した。2007年5月29日に一軍登録され、主に代走・守備固めとして起用された。その活躍は野村監督から「代走のスペシャリストだ」と言われた程で、閉幕まで一軍登録されチームの4位浮上に大きく貢献した。8月5日の対ソフトバンク戦(フルスタ宮城)で礒部公一と鉄平がケガのためにスタメンを外れたため、9番・センターとして移籍後初スタメンで出場した際に楽天での初安打を打っている。
テンプレート:By4月17日の対ロッテ戦に途中出場した際に、小宮山悟からタイムリー二塁打を放ち、3年ぶりの打点を挙げる。5月18日に、プロ入り15年目で初のFA権を取得した。野手で1シーズンに100試合以上に出場した経験が無いままFA権を取得した例としては、万永貴司や上田浩明などがある。しかし、シーズン後半は聖澤諒や中村真人の台頭により出場機会が激減し、10月1日に球団から自身2度目の戦力外通告を受けた。12球団合同トライアウトには参加しなかったが、オリックス・バファローズが獲得を表明し、12月8日、日本ハムを戦力外になっていた金澤健人投手と共に獲得したと球団から正式に発表され、12月15日に正式契約した
テンプレート:Byは、主に代走・守備固めで12試合の出場に留まり、10月3日に2年連続となる戦力外通告を受け、現役引退。
引退後
2009年11月4日、福岡ソフトバンクホークスを戦力外になった西山道隆と共に福岡ソフトバンクホークスのファームスタッフに就任すると発表された[1]。
テンプレート:By10月7日に福岡ソフトバンクホークス2・3軍外野守備走塁コーチに就任[2]。2013年からは二軍外野守備走塁コーチを務める[3]。同年、10月7日に球団から来季の契約を結ばない事が発表された[4]。
エピソード
2000年頃には俊足を生かすため両打ちにもチャレンジしていた。(実際、2000年の阪神タイガースのカレンダーには、左打席でバントの練習をする高波の写真が使われていた。)一軍でその両打ちを披露することはほとんどなかったが、左打席でもヒットを放ったことがある。
詳細情報
年度別打撃成績
テンプレート:By2 | 阪神 | 52 | 31 | 30 | 10 | 3 | 1 | 0 | 1 | 7 | 1 | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 12 | 0 | .100 | .100 | .233 | .333 |
テンプレート:By2 | 72 | 59 | 49 | 17 | 9 | 1 | 1 | 0 | 12 | 3 | 7 | 1 | 2 | 2 | 6 | 0 | 0 | 15 | 2 | .184 | .263 | .245 | .508 | |
テンプレート:By2 | 85 | 48 | 47 | 19 | 6 | 0 | 0 | 1 | 9 | 2 | 6 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 12 | 0 | .128 | .146 | .191 | .337 | |
テンプレート:By2 | 70 | 23 | 20 | 19 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 7 | 8 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 5 | 0 | .100 | .217 | .100 | .317 | |
テンプレート:By2 | 28 | 9 | 9 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .111 | .111 | .111 | .222 | |
テンプレート:By2 | 9 | 8 | 8 | 1 | 2 | 1 | 0 | 0 | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .250 | .250 | .375 | .625 | |
テンプレート:By2 | 46 | 21 | 21 | 7 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | .143 | .143 | .143 | .286 | |
テンプレート:By2 | 西武 | 81 | 86 | 76 | 13 | 15 | 4 | 1 | 0 | 21 | 9 | 8 | 5 | 4 | 2 | 3 | 0 | 1 | 11 | 2 | .197 | .232 | .276 | .508 |
テンプレート:By2 | 8 | 3 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
テンプレート:By2 | 64 | 132 | 114 | 15 | 23 | 3 | 0 | 0 | 26 | 5 | 10 | 1 | 5 | 0 | 13 | 0 | 0 | 13 | 1 | .202 | .283 | .228 | .512 | |
テンプレート:By2 | 楽天 | 50 | 9 | 9 | 13 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 5 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | .111 | .111 | .111 | .222 |
テンプレート:By2 | 51 | 20 | 19 | 10 | 4 | 2 | 0 | 0 | 6 | 4 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | .211 | .250 | .316 | .566 | |
テンプレート:By2 | オリックス | 12 | 3 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
通算:13年 | 628 | 452 | 408 | 132 | 69 | 12 | 2 | 2 | 91 | 26 | 59 | 24 | 12 | 4 | 27 | 0 | 1 | 82 | 7 | .169 | .220 | .223 | .443 |
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年度別守備成績
年度 | 外野 | |||||
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試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
1995 | 37 | 22 | 2 | 1 | 1 | .960 |
1996 | 50 | 36 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
1997 | 61 | 26 | 1 | 0 | 0 | 1.000 |
1999 | 53 | 22 | 0 | 1 | 0 | .957 |
2000 | 19 | 13 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
2001 | 8 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
2002 | 40 | 19 | 3 | 1 | 1 | .957 |
2003 | 74 | 56 | 1 | 0 | 1 | 1.000 |
2004 | 4 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
2005 | 58 | 83 | 3 | 0 | 0 | 1.000 |
2007 | 39 | 15 | 2 | 0 | 0 | 1.000 |
2008 | 45 | 28 | 2 | 0 | 1 | 1.000 |
2009 | 10 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
通算 | 498 | 329 | 14 | 3 | 4 | .991 |
記録
- 初出場:1995年5月20日、対広島東洋カープ8回戦(阪神甲子園球場)、9回表に石嶺和彦に代わって左翼手として出場
- 初盗塁:1995年5月27日、対横浜ベイスターズ6回戦(阪神甲子園球場)、8回裏に二盗(投手:小桧山雅仁、捕手:秋元宏作)
- 初打席:1995年6月13日、対読売ジャイアンツ9回戦(阪神甲子園球場)、7回裏に阿波野秀幸の前に三振
- 初先発出場:1995年7月30日、対横浜ベイスターズ13回戦(阪神甲子園球場)、7番・中堅手として先発出場
- 初安打:1995年8月16日、対ヤクルトスワローズ23回戦(明治神宮野球場)、11回表に高津臣吾から
- 初本塁打・初打点:1995年8月19日、対横浜ベイスターズ16回戦(横浜スタジアム)、7回表に島田直也からソロ
背番号
- 65 (1994年 - 1996年、2001年 - 2003年途中)
- 4 (1997年 - 2000年)
- 0 (2003年途中 - 2006年)
- 62 (2007年 - 2008年)
- 60 (2009年)
- 79 (2012年 - 2013年)
脚注
関連項目
テンプレート:阪神タイガース1993年ドラフト指名選手- ↑ 日刊スポーツ記事
- ↑ 2・3軍外野守備走塁コーチ就任のお知らせ 福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルサイト
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 来季契約について福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルサイト2013年10月7日配信