憲仁親王妃久子
テンプレート:基礎情報 皇族・貴族 テンプレート:日本の皇室 憲仁親王妃久子(のりひとしんのうひ ひさこ、1953年(昭和28年)7月10日 - )は、日本の皇族で、高円宮憲仁親王の妃。旧名は、鳥取久子(とっとり ひさこ)。身位は親王妃。皇室典範における敬称は殿下。お印は扇(おうぎ)。勲等は勲一等[1]。学位は博士 (芸術文化学)。称号(名誉学位)として名誉法学博士(アルバータ大学、プリンスエドワードアイランド大学)[2]。憲仁親王薨去後は、高円宮家の当主を務めている。
略歴
1953年(昭和28年)7月10日、実業家である鳥取滋治郎・二三子夫妻の長女として誕生。鳥取家は香川県三豊郡出身の旧家の家柄であった。聖心女子学院初等科・中等科を卒業後、三井物産に務める父のイギリス転勤のため渡英。ケンブリッジ大学ガートン・カレッジで人類学・考古学を学び、1975年(昭和50年)に卒業した後、日本に帰国し翻訳会社に勤める。一時帰国の後、法律を学ぶために再び渡英し、1982年(昭和57年)に帰国した。
三笠宮崇仁親王が総裁を務めた第31回国際アジア・北アフリカ人文科学会議で、三笠宮の通訳・助手を務めた。結婚前、旧姓の「鳥取」と「久子」のバランスが悪いため、仕事の際は「恒久子」という名前の名刺を使っていた。
1984年(昭和59年)4月23日、カナダ大使館のレセプションパーティーにて1歳年少の憲仁親王と出会う。5月上旬には、憲仁親王の父・三笠宮から好意の有無を確認される。5月20日に英語で「Will you marry me?」とのプロポーズに「Yes.」と答え承諾。同年9月17日に納采の儀、12月6日に結婚の礼を行い[3]、憲仁親王と結婚。婚儀と同日に、高円宮家が創設された[4]。承子女王[5]、典子女王[6]、絢子女王[7]の3人の女子をもうけたが、女王のみで男子はいない。
日本サッカー協会・名誉総裁である憲仁親王とともに、彼女もサッカー関係の行事に出席する際にはサッカー関連のアクセサリーを身につける等、振興に協力した。2002年(平成14年)には、サッカー・ワールドカップ日韓大会が開催された。5月末に夫妻で韓国を公式訪問し、開会式にも出席した。ちなみに日本サッカー協会総裁としてではあるが皇族の公式な韓国訪問は、高円宮夫妻が第二次世界大戦後初である。
2002年(平成14年)に憲仁親王が薨去し[8]、高円宮家の当主となった。その後は日本サッカー協会、全日本軟式野球連盟、日本水難救済会をはじめ憲仁親王が務めていた諸々の総裁・名誉総裁職を引き継ぎ、精力的に活動している。
2012年(平成24年)に、根付に関する研究で大阪芸術大学より博士 (芸術文化学) の学位を授与された[9]。
2013年(平成25年)9月、日本サッカー協会(JFA)・アルゼンチンサッカー協会の友好記念行事に日本サッカー協会名誉総裁として出席するためにアルゼンチンを訪問し、記念式典ではJFAを代表して挨拶を行った後にアルゼンチンナショナルサッカートレーニングセンターを視察した[10]。また、両国サッカー協会の記念行事と同時期にブエノスアイレスで2020年夏季オリンピックの開催地選考を行っていたIOC総会が開催されることから、日本の皇族として初めて出席することになった。だが、東京オリンピック招致に結び付けたい首相官邸と皇室の政治利用を懸念する宮内庁との駆け引きの末、出席してスピーチはするもののオリンピック招致を直接呼びかけず招致委員会メンバーのユニホームを着ないことになった[11]。東京のプレゼンテーションにおいて冒頭のスピーチでIOCやスポーツ団体の東日本大震災救援に対する感謝のスピーチを流暢なフランス語と英語で行った[12]。スピーチではオリンピック招致を直接呼びかけることはなかったが、スピーチの最後で「チームジャパンがこれからプレゼンテーションを始めます。説得力のあるものとして聞いていただけると思います」とオリンピック招致について間接的に触れた[13]。
この第125次IOC総会で2020年夏季オリンピックの誘致活動を行った東京は、マドリードとイスタンブールを破り、2020年東京オリンピック開催が確定した。開催地が東京に決定したのは、このスピーチが大きな影響を与えたとの分析がある[14]。このスピーチについては、オリンピック誘致に政治的な側面があることから宮内庁は慎重であったが、内閣と東京都が押し切って実現した。なお、ライバルのマドリードは、フェリペ王太子(のちの国王フェリペ6世)など王室メンバーが積極的に関わっていた[15]。
子女
外遊歴
- 2000年(平成12年)5月〜6月
- 2002年(平成14年)5月〜6月
- テンプレート:Flagicon 韓国
- サッカー・ワールドカップ日韓大会開会式出席のため。高円宮に同伴。
- 2003年(平成15年)6月〜7月
- 2004年(平成16年)6月
- テンプレート:Flagicon カナダ
- 日本とカナダの外交関係樹立75周年にあたり、親善訪問。
- 2004年(平成16年)11月
- テンプレート:Flagicon タイ
- 世界自然保護会議等に出席のため。
- 2005年(平成17年)6月
- テンプレート:GER、テンプレート:Flagicon ヨルダン
- FIFAコンフェデレーションズカップ視察、ヨルダンのバディーア王女の結婚式に参列のため。
- 2005年(平成17年)11月
- テンプレート:Flagicon イギリス
- バードライフ世界理事会に出席のため。
- 2006年(平成18年)1月
- テンプレート:Flagicon カナダ
- 「高円宮殿下日本ギャラリー」開会式典に出席のため。
- 2006年(平成18年)6月
- テンプレート:GER
- サッカー・ワールドカップドイツ大会、日本選手激励のため。
- テンプレート:Flagicon ウルグアイ、テンプレート:Flagicon ブラジル、テンプレート:Flagicon アルゼンチン、テンプレート:Flagicon パラグアイ
- バードライフ・インターナショナル世界大会出席などのため。
- 2010年(平成22年)6月
- テンプレート:RSA
- サッカーワールドカップ南アフリカ大会視察のため。
- 2013年(平成25年)9月
- テンプレート:Flagicon アルゼンチン
- アルゼンチンサッカー協会・日本サッカー協会友好記念行事[10]並びにIOC総会出席のため。
家系
東邦物産専務・三井物産関連会社役員等を務めた鳥取滋治郎の長女。鳥取家は香川県の旧家である。
母方の曾祖母の晃子は、貞明皇后と従姉妹にあたる。その後、晃子は鷹司煕通公爵の養女となり、曾我祐邦子爵に嫁いだ。したがって、久子は高円宮と遠縁にあたる。
九条尚忠┬松園尚嘉—曽我晃子—友田盛子—鳥取二三子—久子 | └九条道孝—貞明皇后—三笠宮—高円宮
エピソード
サッカーワールドカップ南アフリカ大会終了後、日本サッカー協会名誉総裁である久子は出場した日本代表の岡田武史監督や一部選手、同じく大会に参加した西村雄一審判員の表敬訪問を受けた。その際、日本代表監督の辞任を表明したものの、その後の予定が決まっていない岡田に対し「いつまでも浮草のようにフラフラしてないで、もう夏休みは終わりですよ」と声をかけたという。
著作
- 『夢の国のちびっこバク』ブライアン・ワイルドスミス画(学習研究社、1996年) ISBN 4052008235
- 『氷山ルリの大航海』飛鳥童画(講談社、1998年) ISBN 4062092344 - 2007年6月、大阪芸術大学の学生により舞台化された
- 『宮さまとの思い出』(扶桑社、2003年) ISBN 4594042481
- 『根付 高円宮コレクションII』(思文閣出版、2006年) ISBN 4784212736
- 『旅する根付 高円宮妃現代根付コレクション』(講談社、2008年) ISBN 4062150018
- 『龍の子ケンとリン』(小峰書店、2009年) ISBN 4338180366
- 『寄り鳥見鳥』(産経新聞出版、2010年) ISBN 4863060718
備考
政府による正式表記(内閣告示や宮内庁告示など)では皇族に宮号が冠されることはない(「皇太子」を除く)ため、それらの告示が掲載される官報での表記は「憲仁親王妃久子」とされ、「高円宮」が冠されることはない。ただし、同じ政府による表記であってもホームページなど「国民一般へのわかりやすさ」が重視される場面では「高円宮妃」の表記も用いられる。
脚注
参照文献
- 『読売新聞』2012年5月18日東京朝刊