西安市
テンプレート:Redirect テンプレート:基礎情報 中国の都市 テンプレート:中国地名変遷 西安市(せいあんし/シーアンし、中国語:西安市、英語:Xi'an)は中華人民共和国陝西省の省都であり、古くは中国古代の諸王朝の都となった長安である。国家歴史文化名城に指定され、世界各国からの観光客も多い。経済的重要性から大幅な自主権をもつ副省級市にも指定されている。
目次
地名の由来
西安(西京)とは「西の首都」の意味であるが、一般的に東アジアの伝統では、首都の名前をこのようにつけることが多かった。例えば、日本の東京やベトナムのトンキン(東京)は、「東の首都」を意味する。日本の東京は、首都を意味する京都からの方角をもとにしており、「北京」、「南京」、「西京(長安、西安)」は、中国の内陸部にある洛陽からの方角をもとにしている。
西北の突厥を防ぐために建てられた都市である。
地理
中国関中平原の中部に位置し、北に渭水が東西に流れ、南は秦嶺山脈が東西に走っている。
歴史
テンプレート:See also 西安の古称は長安であり、かつては西都、西京、大興、京兆、奉元等とも称された。古代より政治の中心地として西周から秦、漢から隋、唐の都城と十数の王朝の都として千年の歴史を有す古都である。
1369年(洪武2年)、明朝は元朝の奉元路を廃止し西安府を設置、これが西安の名称の初見である・明末の李自成の反乱に際しては、西安に入城した李自成は一時長安と改称したが、清朝により再び西安と改称され中華民国まで沿襲された。1928年、西安に初めて市制が施行され省轄市としての西安市が成立した。1948年には国民政府行政院轄市に改編、中華人民共和国成立後は陝甘寧辺区轄市、西北行政区轄市、中央直轄市、計画単列市と改編が続き、1954年に陝西省都、副省級市となり現在に至っている。
1898年の義和団の乱では西太后ら皇族が戦火の北京を逃れ西安に避難している。また1936年には国共合作による日本政府への対抗を目指す張学良が蒋介石を軟禁した西安事件の舞台となった都市でもある。
2004年、西北大学が日本人遣唐留学生井真成の墓誌を市内から発見して話題となったこともある。
行政区画
下部に9市轄区、4県を管轄する。
年表
陝西省西安市(第1次)
西安市
- 1954年6月19日 - 陝西省に編入され、陝西省西安市となる。
陝西省西安市(第2次)
- 1954年6月19日 - 西安市が陝西省に編入され、陝西省西安市となる。(9区)
- 1955年7月 - 渭南専区藍田県・臨潼県の各一部が灞橋区に編入。(9区)
- 1956年7月2日 - 渭南専区藍田県の一部が灞橋区に編入。(9区)
- 1957年4月22日 (7区)
- 未央区が新城区・蓮湖区に分割編入。
- 長楽区が灞橋区に編入。
- 草灘区が未央区に改称。
- 1957年7月 - 臨潼県の一部が灞橋区に編入。(7区)
- 1958年9月 - 長安県の一部が灞橋区に編入。(7区)
- 1958年11月4日 - 長安県・鄠県・臨潼県・藍田県を編入。(7区4県)
- 1958年11月 - 咸陽県の一部が未央区に編入。(7区4県)
- 1958年11月21日 - 長安県、高陵県の各一部が灞橋区に編入。(7区4県)
- 1959年3月 - 長安県の一部が阿房区に編入。(7区4県)
- 1960年5月20日 (4区4県)
- 新城区が未央区・灞橋区に分割編入。
- 蓮湖区が阿房区・雁塔区に分割編入。
- 碑林区が雁塔区に編入。
- 1961年8月22日 (4区1県)
- 鄠県が咸陽専区に編入。
- 臨潼県・藍田県が渭南専区に編入。
- 1961年9月 - 咸陽専区咸陽市の一部が未央区に編入。(4区1県)
- 1962年4月7日 (7区1県)
- 1963年6月 - 灞橋区の一部が咸陽専区高陵県に編入。(7区1県)
- 1965年9月20日 - 未央区・雁塔区・阿房区・灞橋区が合併し、郊区が発足。(4区1県)
- 1966年6月24日 (5区1市1県)
- 1966年11月26日 (5区1市1県)
- 1971年10月5日 - 咸陽市が咸陽地区に編入。(5区1県)
- 1972年4月14日 (5区1県)
- 1979年11月16日 - 渭南地区臨潼県を編入。(5区2県)
- 1980年2月2日 - 郊区が分割され、未央区・雁塔区・灞橋区が発足。(7区2県)
- 1980年5月12日 - 臨潼県が渭南地区に編入。(7区1県)
- 1983年9月9日 - 渭南地区臨潼県・藍田県、咸陽地区戸県・周至県・高陵県を編入。(7区6県)
- 1997年6月25日 - 臨潼県が区制施行し、臨潼区となる。(8区5県)
- 2002年6月2日 - 長安県が区制施行し、長安区となる。(9区4県)
経済
西安市は1992年7月に開放都市に指定されて以来、ユーラシア大陸の連絡路として中国西部最大の都市となっている。
改革開放以前も西安は中国経済で重要な地位を占めてきたが、近年はその経済発展に翳りが見える。その原因としては西安の工業に占める重工業の割合が非常に高く、国防産業などの特殊工業に依拠しており、軽工業や技術開発力を軽視した工業政策の結果であり、近年は高新技術産業開発区、経済技術開発区、曲江新区、滻灞生態区、閻良国家航空高技術産業基地の「四区一基地」を設置し、先端技術の開発と産業転化を推進する経済政策が採用されている。
交通
西安は中国西部と中部経済圏の接点にあたり、北西部から沿岸地域に向かう玄関口となっている。この為西安は各種交通機関の中国西部地区おける要衝となっている。
航空
市街地から40kmの距離に民航総局が規定した七大ハブ空港の一つである西安咸陽国際空港が位置し、70の都市へ129路線(国際線は18都市25路線)が運行され中国国内において北京、広州、上海と共に四大空港に数えられている。現在第二期工事が開始されており、95億9200万人民元を投資し、長さ3,800m、幅60mの第二滑走路と17万平米の新ターミナルビルが建設され、完成後は年間利用者数2,600万人、ピーク時は1時間あたり9,616人、年間発着便数は24万9千便、ピーク時は1時間あたり72便、航空貨物は年間36万tの処理能力を計画している。
道路
西安市街を中心に「米」字形に放射状に整備されているが、環状方向への建設が計画され利便性を向上させている。その内三環路は総延長89.7km、本線区間は74.8kmである。なかでも新設の東西三環路は本線32.5kmが内廻り、外廻りあわせて8車線(一部6車線)、最高速度80km/hで、2008年末に完成予定である。
鉄道
2005年に西安駅が初めて年間乗降客数上位5位以内に入った。現在西安駅は約200本の列車が発着し、その中には「和諧号」高速列車も含まれ、北西地区で唯一高速列車が発着する都市となっている。また現在34億人民元を投資し西安北駅の改修工事が行なわれ、西安駅の3倍以上の規模となる予定である。完成後は中国の高速鉄道網における主要駅の一つとなるとされている。
また2020年までに地下鉄6路線の建設が計画されており、総延長は251.8kにおよぶ。北の西安北駅から南の韋曲に至る2号線が2007年8月10日に建設を開始、2011年9月28日に1期区間が開業した。北西地区では初の地下鉄路線である。
- 鉄道路線
在来線
高速線
- 1号線(工事中)
- 2号線
- 3号線(工事中)
バス
現在250路線余りが開設され、終夜運転路線4路線が含まれている。大部分の路線で非接触型ICカードが導入され、ICカード利用客は割引料金での乗車が可能となっている。
気候
温帯大陸性気候で、年平均温度は13度である。
歴史遺跡
市内
東郊
西郊
南郊
- 楼観台(道教)
- 風峪口
- 秦嶺 太白山
- 終南山
- 翠華山
北郊
- 西漢 長安斗城遺跡
- 未央宮遺跡
- 大明宮遺跡
- 未央湖
大明宮遺跡
教育施設
- 西安交通大学(所在地:陝西省西安市碑林区咸宁西路28号[1])
- 第四軍医大学
- 西北工業大学
- 西安電子科技大学
- 陝西師範大学
- 西安建築科技大学
- 西北大学(所在地:陝西省西安市太白北路229号[2])
- 西安外国語大学
- 西安音楽学院
- 西安美術学院
- 長安大学
スポーツ
- 中国サッカー・スーパーリーグのプロチーム「西安国際(Inter Xian)」の本拠地。西安国際のホームスタジアムは、陕西省コカコーラ体育場。
姉妹都市・友好都市
- 姉妹都市
- テンプレート:Flagicon ドルトムント(ドイツ)
- テンプレート:Flagicon エディンバラ(スコットランド)
- テンプレート:Flagicon エスファハーン(イラン)
- テンプレート:Flagicon ヨハネスブルグ(南アフリカ)
- テンプレート:Flagicon カンザスシティ(アメリカ)
- テンプレート:Flagicon カトマンズ(ネパール)
- テンプレート:Flagicon ラホール(パキスタン)
- テンプレート:Flagicon ポー(フランス)
- テンプレート:Flagicon ケベックシティ(カナダ)
- テンプレート:Flagicon イスタンブル(トルコ)
- テンプレート:Flagicon ジッダ(サウジアラビア)
- 友好都市
- テンプレート:Flagicon 福岡県飯塚市(日本)
- テンプレート:Flagicon 千葉県船橋市(日本)
- テンプレート:Flagicon 京都府京都市(日本)
- テンプレート:Flagicon 奈良県奈良市(日本)
- テンプレート:Flagicon 福井県小浜市(日本)