神戸電鉄粟生線
|} 粟生線(あおせん)は、兵庫県神戸市北区の鈴蘭台駅から兵庫県小野市の粟生駅までを結ぶ神戸電鉄の鉄道路線。
鈴蘭台駅 - 木津駅間の急峻な50‰の勾配を越え、神戸市西区から三木市を中心に広がる住宅地と神戸市の中心部を結ぶ通勤・通学路線となっている。
路線データ
- 路線距離(営業キロ):29.2km
- 軌間:1067mm
- 駅数:20駅(起終点駅含む)
- 複線区間:西鈴蘭台駅 - 藍那駅間、川池信号所 - 押部谷駅間
- 電化区間:全線電化(直流1500V)
- 閉塞方式:自動閉塞式
- 編成両数:最長4両(時間帯により3両)
運行形態
ほぼ全列車が有馬線と直通運転を行う。昼間時は急行と普通列車(新開地行きは準急)が交互に運転され、1時間あたりの運転本数は鈴蘭台駅 - 志染駅間が4本、志染駅 - 小野駅間が1 - 3本、小野駅 - 粟生駅間は1 - 2本である。朝・夕には急行・準急のほか快速が運転される。
全営業列車でワンマン運転を実施している。
以前は終電が早かったが、2001年6月23日の改正で新開地発最終が23時台から0時台に繰下げられた[1]。
歴史
1936年12月28日に三木電気鉄道の手で鈴蘭台駅 - 広野ゴルフ場前駅間が開業した。当初から電気鉄道として建設されるも、電化工事の遅れから気動車(ガソリンカー)で営業を開始した。ガソリン動力併用認可は開業同日である。芸備鉄道(現在のJR芸備線)からガソリンカー2両を借り入れたが、急勾配での運行は不調が多かったらしく、無認可で借り入れた蒸気機関車に牽引されている写真も残っている。当時の地方鉄道補助法による補助金を受けるには、1936年のうちに開業しておかねばならなかったことが、未電化での無理な開業の理由である。
翌1937年に電化が完成して電車の運転を開始し、1938年には三木福有橋駅(現在の三木駅)まで開通した。
1947年には三木電気鉄道が有馬線・三田線を営業していた神戸有馬電気鉄道に合併して神有三木電気鉄道の路線となり、1949年には神戸電気鉄道と社名が改められた(1988年に現社名の神戸電鉄となる)。そして1951年に電鉄小野駅(現在の小野駅)まで、翌1952年に粟生駅までが開業して鈴蘭台駅 - 粟生駅間の全線が開通した。
2001年6月23日までは、志染駅以北は地上設備の都合上入線できる最長の編成が3両編成までだったため、昼間時の運転系統は新開地駅 - 志染駅間と、志染駅 - 粟生駅間に分かれていた。そのため、志染駅では双方間の列車同士で乗客のみならず乗務員も乗り換えを余儀なくされていたり、双方間の列車がおおむね3分未満で折り返して発車していくという慌しい光景が日常的に見られた。ラッシュ時には新開地駅 - 粟生駅間を直通運転するが、志染駅で2両編成を増解結し、新開地駅 - 志染駅間を4両編成以上として輸送力を確保していた。また、昼間時の運転間隔は、1991年改正以前では西鈴蘭台駅までは15分間隔、それ以西は30分間隔が基本だったが、その後、三木駅までが15分間隔になり、さらに2003年には小野駅までが15分間隔に短縮され、利便性が向上した。
2001年6月23日始発から、恵比須駅 - 粟生駅間の改良工事が完成し粟生駅まで4両編成が入れるようになり、全列車が新開地駅 - 粟生駅間を直通運転されるようになった。この頃のダイヤは、粟生・小野方面行きは急行・準急といった優等列車が主体で昼間時間帯は準急だけの運転であった。また、新開地行きは優等列車が朝夕中心に運転されていた。このため、それまで志染駅以北では見られなかった2000系の4両編成や、3000系・5000系が見られるようになった。
以前の急行は栄駅・木幡駅の両駅を通過していたが、通勤利用の利便を図るため停車させ、従前の急行停車駅での列車を「快速」と称して運転していた時期もあった。2009年3月20日のダイヤ改正から、以前の急行停車駅に停車する列車を再び「快速」として運転することとなった[2]。
2005年3月26日のダイヤ改正から、昼間時の新開地発はすべて準急とし、粟生方面発は普通列車で運転しつつ鈴蘭台駅で三田方面からの準急と接続を取るダイヤとして所要時間を短縮した。この改正は後述の神姫バスに対抗するためのものであった。
所要時間短縮に努めたものの、山岳路線であり速度が遅いこととほとんどの列車が鈴蘭台以西は各駅に停車すること(準急と普通の停車駅の差はわずか2駅であった)が原因で効果は薄かったため、2007年3月31日のダイヤ改正より昼間時の準急の運転を取りやめた。しかし2012年5月19日のダイヤ改正で昼間の新開地方面のみ準急が復活している。
年表
- 1928年(昭和3年)7月4日:神戸有馬電気鉄道に対し鉄道免許状下付(武庫郡山田村-美嚢郡三木町間)[3]。
- 1936年(昭和11年)6月29日:三木電気鉄道株式会社設立(神戸有馬電気鉄道会長[4]の山脇延吉が会長兼務)[5][6]。
- 1936年(昭和11年)11月14日:三木電気鉄道へ鉄道敷設権譲渡[7]。
- 1936年(昭和11年)12月28日:三木電気鉄道により鈴蘭台駅 - 広野ゴルフ場前駅間が開業[8]。気動車(ガソリンカー)で営業開始。
- 1937年(昭和12年):鈴蘭ダンスホール前駅開業。
- 1937年(昭和12年)4月15日:全線電化完成。同日より電車運転開始。
- 1937年(昭和12年)4月27日:木津駅開業。
- 1937年(昭和12年)6月15日:木幡駅・栄駅開業。
- 1937年(昭和12年)12月28日:広野ゴルフ場前駅 - 三木東口駅(現在の三木上の丸駅)間が開業[9]。
- 1938年(昭和13年)1月28日:三木東口駅 - 三木福有橋駅(現在の三木駅)間が開業[10]。
- 1939年(昭和14年)4月1日:久留美駅を恵比須駅に、三木東口駅を上の丸駅に改称。
- 1942年(昭和17年)12月22日:鈴蘭ダンスホール前駅を小部西口駅に、広野ゴルフ場前駅を広野新開駅に改称。
- 1947年(昭和22年)1月9日:神戸有馬電気鉄道に合併し、神有三木電気鉄道に社名変更。
- 1948年(昭和23年)10月1日:上の丸駅を三木上の丸駅に改称。
- 1949年(昭和24年)4月30日:神戸電気鉄道に社名変更。
- 1950年(昭和25年)3月8日:広野野球場前駅開業。
- 1951年(昭和26年)4月1日:広野新開駅を広野ゴルフ場前駅に改称。
- 1951年(昭和26年)12月28日:三木福有橋駅 - 電鉄小野駅(現在の小野駅)間が開業。
- 1952年(昭和27年)4月10日:電鉄小野駅 - 粟生駅間が開業し全通。
- 1952年(昭和27年)10月1日:木津駅・木幡駅・栄駅・大村駅をそれぞれ電鉄木津駅・電鉄木幡駅・電鉄栄駅・電鉄大村駅に改称。
- 1954年(昭和29年)1月1日:三木福有橋駅を電鉄三木駅に改称。
- 1958年(昭和33年)6月15日:広野野球場前駅を緑が丘駅に改称。
- 1962年(昭和37年)9月1日:小部西口駅を鈴蘭台西口駅に改称。
- 1970年(昭和45年)6月5日:西鈴蘭台駅開業。
- 1975年(昭和50年)10月16日:藍那駅 - 電鉄木津駅間に川池信号所開設。
- 1979年(昭和54年)11月16日:電鉄木津駅 - 電鉄木幡駅間に見津信号所開設。見津信号所 - 押部谷駅間複線化。
- 1982年(昭和57年)10月31日:西鈴蘭台駅 - 藍那駅間複線化。
- 1988年(昭和63年)4月1日:電鉄木津駅・電鉄木幡駅・電鉄栄駅・電鉄三木駅・電鉄大村駅・電鉄市場駅・電鉄小野駅をそれぞれ木津駅・木幡駅・栄駅・三木駅・大村駅・市場駅・小野駅に改称。
- 1989年(平成元年)3月26日:川池信号所 - 木津駅 - 見津信号所間複線化。
- 2001年(平成13年)6月23日:恵比須駅 - 粟生駅間設備改良工事完成。よって全線にわたって4両編成列車の乗り入れが可能となった。
- 2003年(平成15年)11月30日:鈴蘭台駅 - 粟生駅間でワンマン運転開始。
- 2011年(平成23年)3月1日:駅構内の喫煙コーナーを廃止し、駅構内を全面禁煙化。
存続問題
粟生線は以前と比較して増発や編成増強などでサービスアップに努めてはいるものの、慢性な赤字を抱えたままとなっており、現状では路線の存続は危機的な状況が続いている[11]。各種企画乗車券の発売や沿線ハイキングの実施等による観光需要の開拓にも取り組んでいるが、沿線はもともと集客力のある観光スポットに乏しいため、長期的な需要の創出には至らず、神戸電鉄の経営努力のみで路線を維持することは極めて困難になっている。
粟生線の年間輸送人員は1992年度の1420万人がピーク、その後は数年横ばい状態であったが、1996年度以降は輸送人員減に転じた。毎年1〜1.5%程度という通勤・通学に相当する年齢の沿線人口の減少などの影響を受け、2007年度にはピーク時の約半分の743万人に、2008年度には729万人にまで減少している。加えて、2009年度上半期(4月 - 9月)の輸送人員は対前年同期比4.5%(約17万人)マイナスとなっている[12][13]。2009年3月、阪神なんば線開業にあわせたダイヤ改正を行い、乗り換え駅での他社線との接続を改善したが目立った効果はなく、また同年4月には幅広い観点から鉄道事業の経営改善と将来計画を検討する社内組織を新設したものの、抜本的な乗客減への対策は打ち出せなかった。
1998年度の時点で既に年間6.8億円の赤字が出ており、2001年度からは毎年年間10億円以上の赤字を計上している状況である。特に2006年度と2007年度はともに過去最悪の年間12.7億円の赤字を計上しており、1998年度から2007年度の10年間だけでも約102億円もの累積赤字を抱えている[14]。2008年度も、年間収入約21億円に対し支出は約34億円であり、12.7億円の赤字を計上している[12]。加えて2004年度からは神戸電鉄が出した再生計画により国や兵庫県、神戸市・三木市・小野市から赤字補填のための補助金を受け、辛うじて路線を維持したが[15]が、当該計画による補助は2009年度で終了した。
沿線では以前から神姫バスが競合路線である西脇急行線を開設していたが、1999年に経路変更が行われ、その後2001年に恵比須快速線を開設してからは、目に見えて多くの乗客を取られるようになっている。神姫バス(特に恵比須快速線)は、新開地駅での乗り換えがなく三ノ宮駅(三宮駅)に直通する[16]こと、三木市のニュータウンエリア内を通り抜けるため自宅そばにバス停があること、運賃が神鉄・神戸高速経由で三宮駅に出るより割安[16][17]であること、高速道路を経由するため座席定員制で全員着席であること、などで特に志染 - 木幡間ではかなりの利用者が転移した[18][19]。現在では開設当初[20]と比較して大幅に本数が増加[21]している。また三木市のコミュニティバスであるみっきぃバスが緑が丘地区と三木地区を結んでおり、それも要因の一つと考えられる。さらに山陽自動車道の全通・整備により、神戸市以東や姫路市以西へは電車よりも早く行けるようになるなど[22]、沿線地域内ではクルマ社会が定着して自動車での移動が主流になりなっていることや、また加古川線の粟生以北や北条鉄道北条線から神戸市内や大阪市内へは西日本旅客鉄道(JR西日本)の新快速の充実や加古川線の電化もあって、加古川駅または谷川駅経由でJRを利用した方が却って早くなっていることも利用者減少の一因といえる。
神鉄は2009年から粟生線の路線維持・活性化のための広報活動を本格的に展開、パンフレットや自社ウェブサイトなどを通じて沿線住民に対し粟生線利用を呼びかけるようになった[13]。また同年、兵庫県、神戸市・三木市・小野市との協議機関として粟生線活性化協議会を発足させた。その第1回会議が2009年12月11日に開かれ、その後も継続して開催されている[23]。2010年、粟生線活性化協議会ではシンボルマークやキャラクターを募集するなど粟生線への関心を呼び起こす活動を開始した。神鉄としては「利用客を維持しサービス水準も守れるようにしたい」という考えではあるものの、朝夕時間帯以外の減便や運賃値上げも検討せざるを得ないとの考えも示している。また、最悪のシナリオとして路線廃止まで視野に入れており、バス転換した際のコストのシミュレーションまで行っている[12]。
そのような中、神鉄は粟生線の存廃について2011年度中に判断する方針を固めた。赤字額が10年連続で10億円を超える見込みとなった上、利用促進策への国の補助も2011年度で打ち切られることや、2009年度の経常赤字は12億7千万円であり、2010年度も赤字が10億円を超える見込みのため、結論を急ぐことになった[24][25]。2011年6月、神鉄は沿線三市に対し粟生線の上下分離方式による存続案を示し、押部谷‐粟生間の18キロの鉄道用地と駅などの施設の買い取りを要請した[26]。神鉄側が示した資産買い取り総額は計68億円、うち鉄道用地が約13億円、駅などの施設約55億円、また市別では三木市40億円、小野市26億円、神戸市2億円であり、買い取り後三市には神鉄に対し鉄道用地と駅などの施設の無償貸与することと、施設修繕費などの負担も求めるというものであった。ただ神鉄の提案通りに上下分離方式を導入したとしても、2012年度は約7億5千万円の赤字、2021年度には9億3千万円の赤字になるという試算も提示、粟生線が極めて逼迫した状況にあることが改めて明らかにされた。これに対し三市とも上下分離方式は受け入れ困難であると回答した。三市は、既に多年にわたり粟生線の赤字補填を行っており、乗客数や旅客運賃収入が低迷している以上更に赤字補填を継続することになる可能性があるが、それに加えて資産も買い取るとなると三市の財政負担が非常に大きくなることや、神鉄の試算に示された通り上下分離方式を導入したとしても抜本的な赤字体質からの脱却は実現しないことなどを指摘。仮に神鉄側が資産買い取り価格を下げたとしても受け入れられないとの意向を表明。沿線三市による支援策は行き詰まることになった。
これを受けて2011年12月28日、神戸電鉄本社で神鉄と関係自治体による会合が行われ、兵庫県の主導で新たな支援の枠組みを協議し、2012年1月末までに存続の結論を出すことになった[27]。2012年2月7日に井戸敏三兵庫県知事は定例の記者会見で、兵庫県・沿線三市が神鉄と協定を締結し、2012年度から5年間無利子で40億円を貸し付け、その間に神鉄にコスト削減などの経営努力も求めながら2016年度までに全線の黒字化を促すと発表[28]、2012年度の廃止は免れることとなった。5年間のうち2012年度・2013年度・2014年度の3年間については旅客運輸収入の目標値を定め、中間の年である2014年度にその達成状況を検証した上で、2015年度・2016年度の目標値の設定や助成期間・方法等の再検討を行うことになった。
パブリックコメントで提出された意見として、割引企画乗車券の発売や神姫バス程度まで運賃値下げを求める意見[29]があり、2012年2月25日から平日昼間と土休日に使用可能な「粟生線〜三宮 平日昼間&土休日お得きっぷ」が発売された[30][31]。一方で神姫バスも平日昼間と土休日に使用可能な、チャージ金額が1.3倍(プレミア+30%[32])となる徳用NicoPaを設定している。
2012年5月19日、昼間時の一部区間を大幅に減便するダイヤ改正を行った。平日・土休日とも日中毎時4本のうち、3本を志染発着(急行1、準急2)、志染-粟生間を毎時1本(急行)とした。急行通過駅(藍那・木津)のための普通などの増発は設定せず、急行通過駅も便数削減となった。さらに通勤時間帯も数本減便したほか、新開地発粟生行きの終電(普通)を30分、新開地発小野行きの終電(準急)を15分繰り上げた。神鉄は「路線そのものの維持・存続のための「収支改善計画」の一環」と説明した。
2013年には粟生線活性化協議会において「地域公共交通総合連携計画」が策定され、兵庫県と沿線三市による粟生線活性化策の方針が示された。同年7月、同協議会にて公表された2012年度の輸送人員は667万人であった。利用促進活動開始以降輸送人員の減少幅は縮小し、2011年度の輸送人員は前年度より増加したものの、2012年度は一転して前年度比マイナス15万人の大幅減となり、2012年度の目標輸送人員730万人を大きく下回る結果となった。また運輸収入は18億7千万円に留まり、2012年の協定で定めた旅客運輸収入の目標値には届かず、前年度比4千万円の減収であった。一方2012年度の赤字額は9億7600万円となり、12年ぶりに10億円を切った。県と沿線三市による40億円の無利子貸し付け等の支援や昼間時減便などの経費削減効果により赤字額は前年度より2億2千万円改善した[33]。
2013年度も乗客減が続いており、電気料金値上げや消費税増税対応の影響により赤字が増大するなど状況は2012年度より悪化している。2014年3月、三木市役所にて開催された粟生線活性化協議会の会合では、2013年度の粟生線の赤字が2月末の時点で再び10億円を超えており、年度末までに10億9700万円に達する見込みであることが明らかにされた。また輸送人員は2月末現在で年間662万人と想定され、目標の700万人を大きく下回り、旅客運輸収入も更に減少している状態であることが公表された。2012年度に始まった県と沿線三市による支援計画では、運輸収入の減少幅を毎年0.7%と想定しており、その数値を維持するためには年間700万人台の輸送人員が必要であるが、2012年度・2013年度と2年連続でこの数字に届かず、減少に歯止めがかかっていない。特に同協議会が2013年度に打ち出した通勤定期の補助制度[34]については、利用目標300人に対しわずか35人の申し込みに留まるなどほとんど効果がなかった。このため神戸電鉄側は2013年に同協議会が策定したばかりの「地域公共交通総合連携計画」の再策定を求め、「鉄道を拠点とした公共交通体系の再構築を連携計画に明記する」「神戸市・三木市・小野市の都市計画で駅中心のまちづくりの推進を定める」など五つの見直しを提案した。神戸電鉄担当者は「自助努力だけでは存続は不可能。住民の協力と自治体のサポートが不可欠」と強調している[35]。
このような状況を受け、2014年6月28日に再びダイヤ改正を行った。平日朝6時台の上り急行2本を快速に、また朝夕の普通のうち新開地行き11本、粟生方面行き7本、計18本を準急に変更。土休日についても計13本を普通から準急に変更した。所要時間を短縮しラッシュ時の速達性の向上を図る一方、粟生線内の快速通過駅(栄・木幡)のための普通などの設定・増発はせず、減便となった。また志染駅 - 粟生駅間において平日・土休日ダイヤともさらに昼間・夜間の減便時間帯を拡大。昼間時間帯は9時台から30分間隔、10時台から14時台まで1時間間隔、夜間時間帯は21時台半ばから30分間隔の運行となり、粟生線全体の運行本数は削減された。普通から準急への変更に伴い停車本数の減る有馬線内の準急通過駅(丸山・鵯越)については普通の増発はしなかったものの、有馬線(および神戸高速線)・三田線・公園都市線についてはいずれも全体としては増便となった。神戸電鉄は「輸送実態に合わせた見直し」と説明している[36]。
2012年度・2013年度の状況を踏まえ、2014年度には兵庫県・沿線三市と神鉄の協定に基づき、新たな数値目標の設定や助成期間・方法の見直しを行う。
駅一覧
- 駅番号は2014年4月1日に導入[37]。
- 全駅兵庫県に所在。
- ●:停車、|:通過。
- 普通は全駅に停車(表中省略)。
- 線路 … ∥:複線区間、◇・|:単線区間(◇は列車交換可能)、∨:ここより下は単線、∧:ここより下は複線
駅番号 | 駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 準急 | 急行 | 快速 | 1日平均 乗降人数 2008年度 |
接続路線 | 線路 | 所在地 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
KB06 | 鈴蘭台駅 | - | 0.0 | ● | ● | ● | (22,686) | 神戸電鉄:有馬線(新開地方面直通運転) | ∨ | 神戸市北区 |
KB41 | 鈴蘭台西口駅 | 0.8 | 0.8 | ● | ● | ● | 1,366 | | | ||
KB42 | 西鈴蘭台駅 | 0.5 | 1.3 | ● | ● | ● | 10,909 | ∧ | ||
KB43 | 藍那駅 | 1.7 | 3.0 | ● | | | | | 151 | ∨ | ||
- | 川池信号所 | - | (5.3) | | | | | | | - | ∧ | ||
KB44 | 木津駅 | 3.4 | 6.4 | ● | | | | | 707 | ∥ | 神戸市西区 | |
- | 見津信号所 | - | (7.2) | | | | | | | - | ∥ | ||
KB45 | 木幡駅 | 1.7 | 8.1 | ● | ● | | | 1,374 | ∥ | ||
KB46 | 栄駅 | 1.5 | 9.6 | ● | ● | | | 2,032 | ∥ | ||
KB47 | 押部谷駅 | 1.6 | 11.2 | ● | ● | ● | 2,220 | ∨ | ||
KB48 | 緑が丘駅 | 1.6 | 12.8 | ● | ● | ● | 4,202 | | | 三木市 | |
KB49 | 広野ゴルフ場前駅 | 0.7 | 13.5 | ● | ● | ● | 1,218 | ◇ | ||
KB50 | 志染駅 | 2.1 | 15.6 | ● | ● | ● | 4,317 | ◇ | ||
KB51 | 恵比須駅 | 2.0 | 17.6 | ● | ● | ● | 1,550 | | | ||
KB52 | 三木上の丸駅 (三木城址前) |
1.0 | 18.6 | ● | ● | ● | 436 | | | ||
KB53 | 三木駅 | 0.7 | 19.3 | ● | ● | ● | 2,196 | ◇ | ||
KB54 | 大村駅 | 1.5 | 20.8 | ● | ● | ● | 926 | | | ||
KB55 | 樫山駅 | 2.4 | 23.2 | ● | ● | ● | 451 | ◇ | 小野市 | |
KB56 | 市場駅 | 0.7 | 23.9 | ● | ● | ● | 184 | | | ||
KB57 | 小野駅 | 2.3 | 26.2 | ● | ● | ● | 3,439 | ◇ | ||
KB58 | 葉多駅 | 1.5 | 27.7 | ● | ● | ● | 180 | | | ||
KB59 | 粟生駅 | 1.5 | 29.2 | ● | ● | ● | 1,702 | 西日本旅客鉄道:加古川線 北条鉄道:北条線 |
| |
神戸電鉄粟生線を舞台とした文芸作品
- もっともっと幼児に恋してください(収蔵『神戸電鉄恋愛』)中島省吾著 日本文学館、2008年