白眞勲
テンプレート:雑多な内容の箇条書き テンプレート:日本の国会議員
白 眞勲(はく しんくん、백진훈、ベック・ヂンフン[1]、Baek Jinhoon[2]、1958年12月8日 ‐ )は、日本の政治家。参議院議員(2期)。元朝鮮日報日本支社長。
目次
経歴
- 東京都新宿区出身。日本人の母と韓国人の父の間に生まれる。元は韓国国籍。名刺には「母の国・ニッポン 父の国・韓国」と書いている。[3]
- 1971年(昭和46年) - 東京都豊島区立大成小学校卒業
- 1974年(昭和49年) - 東京都豊島区立第十中学校卒業。
- 1977年(昭和52年) - 東京都立北園高等学校卒業。
- 1983年(昭和58年) - 日本大学生産工学部建築工学科卒業。
- 1985年(昭和60年) - 3月、日本大学大学院生産工学研究科博士前期課程建築工学専攻修了、4月、朝鮮日報入社。
- 1994年(平成 6年) - 朝鮮日報日本支社支社長就任。
- 2003年(平成15年) - 1月、日本国籍取得。
- 2004年(平成16年) - 朝鮮日報退社。菅直人に抜擢され[4]、第20回参議院議員通常選挙比例区に民主党公認候補として立候補。立正佼成会の応援も得て[5]初当選する。
- 2010年(平成22年) - 第22回参議院議員通常選挙で比例区において再選。
- 2012年(平成24年) - 野田内閣 (第3次改造)で内閣府副大臣に就任。
活動
議会デビュー
国会議員としてのデビューは平成16年(2004年)であり、参議院外交防衛委員会に所属。初めての委員会質疑は8月5日で[6]小泉政権下での日朝平壌宣言における日本語原文と朝鮮語(ハングル)原文との記述の差異(「お詫び」「謝罪」)について指摘した。
内閣府副大臣としての活動
永住外国人地方参政権付与
- 2004年7月12日、初当選直後に民団中央本部に挨拶に訪れ、「これからがスタート。在日に勇気と希望、元気を与えたい。在日も韓国系日本人も結集し、みんなの力で地方参政権を獲得しよう」と述べると、民団の呂健二副団長は「ねじを巻き直して在日の参政権運動にともに邁進しよう」と応じた。
- 2005年2月25日、参議院憲法調査会で「日本で生活して20年以上になる定住外国人には参政権を認めるべき」と見解を示した[7]。ただし、日本で生活して10年以上になる外国人は永住ビザが与えられる[8]ため、日本に帰化をすることで参政権を行使することが可能である。
- 2006年10月に、民団中央本部および「定住外国人の地方参政権を実現させる日・韓・在日ネットワーク」が国会議員に実施したアンケートにおいて、外国人地方参政権について「日本で実現しない理由は何だと思いますか?」との質問に対し「日本の一部にある偏狭なナショナリズムも一因であると思います。『定住』という言葉と『地方』という言葉が抜けて、日本にいる外国人なら誰でも国政まで参加できるという誤解があることも要因として考えられると思います」と回答。
- 2007年9月、韓国の聯合ニュースのインタビューで「次の世代の在日同胞の韓国に対する帰属意識が弱まっているだけに、永住外国人としての地方参政権問題に同胞社会が関心を持っている」と見解を述べた[9]。
- 2007年12月、在日本大韓民国青年会の主催する集会にツルネン・マルテイと一緒に参加し、「日本の内なる国際化のためには定住外国人に地方参政権を与えるべきだ」との認識をあらためて表明した[10]。
- 2008年2月27日、韓国ソウルで行われた李明博大統領の就任式祝賀会に川上義博と共に参加。李大統領の「地方参政権実現へ強い熱意がある。皆さんの長年の思いに応えることはもちろん、韓日関係の成熟化と相互発展のために、ぜひ実現にこぎつけたい」との発言した[11]。
- 2008年4月16日、在日本韓国青年会や労働組合などでつくる市民団体が開催した住外国人の地方参政権を求める緊急集会に参加し、「少子高齢化社会が到来するいま、永住外国人の皆さんと力を合わせて頑張りたい」と呼び掛けた[12]。
- 2008年5月30日、民団栃木県本部で末松義規と共に講演し、「皆さんの参政権獲得の思いを、これまで以上に政治家の出身選挙区でぶつけることが獲得への近道だ」と呼びかけている。また「帰化推進」策については、「参政権と同列に扱う問題ではない」とした上で、「帰化しない者に対する新たな差別が起きる。帰化するかしないかを踏み絵にすべきではない」と一蹴した[13]。
- 2009年5月31日、円より子・魚住裕一郎・塩川鉄也・有田芳生と共に「永住外国人に地方参政権を!5・31集会」に参加し、外国人参政権付与を訴えた[14]。
- 2009年9月17日、在日本大韓民国民団の大阪本部が主催する当選祝賀懇親会に川上義博と共に参加。「2010年の通常国会で外国人参政権を実現させる」と約束した[15]。
- 2009年10月29日、在日本大韓民国婦人会中央本部創立60周年記念式典に参加し、「なんとしてでも早期に実現するよう努力することを約束する。」と発言した[16]。
- 2009年11月26日、衆議院第1議員会館で、在日本大韓民国青年会や在日本大韓民国民団が主催する「永住外国人の地方参政権法案の早期立法化を求める11・26緊急院内集会」に、末松義規・小川敏夫・渡辺浩一郎・手塚仁雄・初鹿明博・近藤正道・魚住裕一郎・鰐淵洋子・笠井亮と共に参加し、在日外国人の参政権法案を早期に成立させる決意表明をした[17]。
- 2009年11月28日、在日韓国青年会OB全国連絡会の講演で地方参政権の今後の動向について「一番の問題点は、外国人に対する地方参政権付与が国益に反するか否かだ。日本社会には60人に1人の割合で外国人が居住しており、地域住民として受け入れていかなければ、日本の未来はない」と発言した。また、「在日韓国人が韓国の国政参政権と日本の地方参政権を有しても矛盾することはない。海外に居住する日本人で同じケースがある」と指摘した[18]。
- 2010年1月30日、新宿で開催された東京慶尚北道道民会に出席し「地方参政権法案が実現するよう全力を尽くす」と韓国語であいさつした[19]。
- 2011年8月15日、民団東京本部が開催した第66回光復節慶祝中央記念式典に参加し、「日韓両国は本当に近い関係であり、今後もさらに絆を深めていく関係だ。東日本大震災での民団の救援活動には大変感謝している。民団の活動は隣人を少しでも救いたいという心があったからだ。共に生きていく住民としての権利、地方参政権を必ず実現させるべきだ」と訴えた[20]。
韓国・朝鮮人遺骨調査返還事業
- 2010年10月7日、衆議院第2議員会館で開催された「韓国・朝鮮の遺族とともに遺骨問題の解決へ全国連絡会(代表:上杉聰)」に藤谷光信・今野東・相原久美子・石毛鍈子・服部良一と共に参加し、「(日本国は朝鮮半島に対する植民地支配の)責任を認め、(問題解決の)早期実現に全力でとりくむ」ことを求める決議を採択する[21]。
北朝鮮
- 2005年6月8日 超党派の「日本人妻等自由往来促進議員連盟」に参加
- 2005年8月1日 日本・韓国・モンゴル・アメリカ・ミャンマー等の国会議員、NGOによる「北朝鮮難民と人権に関する国際議員連盟(IPCNKR)」第二回総会に事務局長として参加。国益・党派・イデオロギーの違いを乗り越え、北朝鮮国民および脱北難民の生命を守り、人権を保障するためあらゆる国際的な努力を行うことを宣言
選択的夫婦別姓制度
選択的夫婦別姓制度について2010年の毎日新聞でのアンケートでは「反対」[22]、読売新聞のアンケートでは「やや反対」[23]、と答えている。
東京地方裁判所への提訴
2010年6月21日、東京地方裁判所に対して「インターネット上における悪質な虚偽ないし誹謗中傷による名誉毀損」を受けたとして、発信者情報の開示と蒙った精神的損害の請求を求める提訴を行った。同時に、警察への告発を含めた刑事責任の追求を進めていることも明らかにした[24]。
これまでの提出法案
2004年に当選以降、これまで共同による法案提出が4回ある。いずれも野党時代のものであり審議未了ないし本会議否決となっている。</br>
- 原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律の一部を改正する法律案
- イラクにおける自衛隊の部隊等による対応措置を直ちに終了させるためのイラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法を廃止する法律案(イラク復興支援特別措置法廃止法案)
- 原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律の一部を改正する法律案[25][26]
- 国際的なテロリズムの防止及び根絶のためのアフガニスタン復興支援等に関する特別措置法案(アフガニスタン復興支援特別措置法案)
第22回参議院議員通常選挙
第22回参議院議員通常選挙が公示された2010年6月24日、新宿駅小田急百貨店前に於けるたちあがれ日本の街頭演説開始数分後、白眞勲陣営の宣伝カーが100メートルも離れていない京王百貨店前位置に止まり、演説を始めたため演説を終えた与謝野馨から「公党間の約束で決めた場所に勝手に入ってくるな」と抗議を受けた[27]。白陣営の民主党・末松義規衆院議員は「公道でやって何が悪い。(聴衆の)動員をかけているのに、どけと言うのか」といい拒否。末松義規はこれに抗議した与謝野の胸ぐらを掴むなどし激しい口論に発展した[28]。また、白陣営は同席していた石原慎太郎都知事が地方参政権付与に反対の演説をすると大声で抗議をおこない、石原は「うるせえな、お前ら。どこの何人だ。日本人ならルールを守れ」と激怒した[29][30]。たちあがれ日本比例代表の中畑清は「アスリートとして、モラルのない行動は許せない。腹が立ちました!」と批判した[31]。
これに対して、白眞勲陣営の選挙対策本部長を務める末松義規は、「(たちあがれ日本の)代表の演説が終わるまでは待ったが、我々も支持者を待たせていたので、仕方なく演説を始めた。私も長年選挙戦を戦っているが、最初と最後は乱立する。演説をやっているところであとから始めるのは何度もあった」と反論している[32](実際には日本共産党・たちあがれ日本・公明党の順で街頭演説をすることになっていた[28])。
議員連盟
- 在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟(幹事・呼びかけ人)
- 日本の歴史リスクを乗り越える研究会(呼びかけ人)
- リベラルの会
- 民主党日韓議員交流委員会(幹事)
- 民主党拉致問題対策本部
家族
- 韓国人である父方の祖父は、父と日本人の母との結婚を最後まで反対していたため、白が祖父に初めて会ったのは祖父がこの世を去る3時間前だったという[33]。
- 娘は準ミスソフィアでタレント活動をしている宮崎麗香。
出演番組
- サンデージャポン(コメンテーターとして随時出演)
- 情報プレゼンター とくダネ!(朝鮮日報支社長時代に出演)
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:職種- ↑ |||白しんくんHP imode版 -コラム- |||。一般的な慣習では「ペク・チンフン」もしくは連音化して「ペク・チヌン」となるところである。
- ↑ |||白しんくんホームページ -Wiki-|||
- ↑ 日本国籍取得し政治家になった白眞勲議員 聯合ニュース(2007/09/19)
- ↑ サーチナ 『参院選・韓国系の白眞勲氏の再選が話題に』2010/07/13 [1]
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 第160回参議院北朝鮮による拉致問題等等に関しての対策樹立に関する調査(平成16年08月05日)
- ↑ 参議院憲法調査会議事録(関係部分抜粋)
- ↑ 法務省:永住許可に関するガイドライン
- ↑ 日本国籍取得し政治家になった白眞勲議員 YONHAP NEWS
- ↑ 地方参政権法案提出へ 民主党議員公開講座 民団新聞
- ↑ 逆境克服へ共に尽力 民団、就任祝賀宴で誓う 民団新聞
- ↑ 永住外国人に地方選挙権を 600人参加し東京で集会 (共同ニュース) [2]
- ↑ 民主党2議員招き講演会 栃木民団と韓商 民団新聞
- ↑ 永住外国人に地方参政権求め集会 在日本大韓民国民団東京本部
- ↑ <参政権>推進議員固め着実に 新人中心に念押し 民団新聞
- ↑ <婦人会60周年式典>賢母の精神 さらに高く 民団新聞
- ↑ フォーラム平和・人権・環境 『永住外国人の地方参政権法案の早期立法化を求める緊急院内集会』[3]
- ↑ 白眞勲議員招く 青年会OB連が講演会 民団新聞
- ↑ 統一日報 : 各地道民会、多彩な新年会
- ↑ <第66回光復節>「在外選挙」に積極対応…各地民団決議 民団新聞 2011.8.31
- ↑ 「韓国・朝鮮の遺族とともに」全国連絡会遺族招へい行動・第3回証言集会|集会等の報告|フォーラム平和・人権・環境 [4]
- ↑ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。
- ↑ 「2010年参院選 各党候補者アンケート」 読売新聞
- ↑ 白しんくんホームページ [5]
- ↑ 「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律の一部を改正する法律案要綱」[6]
- ↑ 「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律の規定は在外被爆者等に適用があることを明らかにし、国外からの被爆者健康手帳の申請、原爆症の認定の申請、医療費及び一般疾病医療費の申請、各種手当の申請等並びに死亡した在外被爆者に係る葬祭料の申請を行うことができるようにするとともに、あわせて、在外被爆者に対する健康診断の実施、在外被爆者の保健、医療及び福祉に関する事業の実施等について定めようとするもの」[7]
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 28.0 28.1 テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite video
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 参院選・韓国系の白眞勲氏の再選が話題に-韓国メディア 2010/07/13(火) 12:01:33 [サーチナ] [8]