琴ノ若晴將

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琴ノ若 晴將(ことのわか てるまさ、本名:鎌谷 満也(かまたに みつや、旧姓今野)、1968年5月15日 - )は、山形県尾花沢市出身で佐渡ヶ嶽部屋所属の元大相撲力士。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。最高位は西関脇1999年1月場所、3月場所)。身長191cm、体重181kg。引退後部屋を継承し、現在は13代年寄佐渡ヶ嶽満宗。愛称はワカ、趣味はテレビゲーム、書道。美男子であり、女性ファンが多かった、血液型はB型。

来歴

中学生時代に元横綱琴櫻の佐渡ヶ嶽に勧誘され、最初は周囲が反対し本人も断ろうとしたが、熱心な勧誘に折れて入門した。1984年3月場所の新弟子検査を同じ佐渡ヶ嶽部屋の琴錦などとともに受検したが、緊張のあまり血圧が急上昇し不合格とされ初土俵が1場所遅れた。5月場所初土俵の同期生には小結浪乃花がおり、非常に仲が良いことで知られている。

若い頃は大事な取組に弱く出世も遅れがちだったが琴錦の稽古台にされたことが幸いして力をつけ、1990年7月場所に新十両、2場所で通過し同年11月場所には新入幕を果たした。7勝8敗と負け越して跳ね返されたが(この翌場所の番付編成は非常に不可解で、新入幕時には幕内最下位でなかった琴の若(当時)は幕内残留が濃厚と見られていたにも関わらず十両陥落となった)1991年3月場所再入幕、今度は9勝6敗と勝ち越して以後幕内に定着した。

1993年9月場所には新小結で8勝7敗、その後小結と平幕の往復が続く中1996年7月場所には貴乃花の両横綱を撫で斬りにして9勝6敗、三賞(殊勲賞)を獲得した。1998年11月場所に小結で10勝5敗と勝ち越してやっと関脇に昇進。過去にも小結での勝ち越しはあったが番付運に恵まれず、2桁勝ってようやく同期生の琴錦に最高位で追いついた。

新関脇となる1999年1月場所も8勝7敗と勝ち越したが左膝の負傷で三役を明け渡し低迷。その後は三役に戻る事はなかった。それでも時折実力のあるところを示し横綱や大関を幾度か倒すなど地力のある所を見せ、その甘いマスクと伴って人気は衰えなかった。左膝の故障にはその後も何度も苦しまされ、晩年は4本ある膝の靱帯のうち3本が切れて1本しかなくなり、医者が「この膝でどうやって相撲を取るの?」と言うほどだった。半月板の故障も甚だしく、引退後の2012年3月ごろに病院に駆け込んだ際に発覚した事実について「ヒザの水を注射針で抜いているうちに半月板の欠片がどんどん流出し、ついには自然消滅した。医者には『親方、半月板無いですね。手術したんですか?』と問われた。」と語るほど悪い状態にあった。現在でも急な段差を下りると膝が外れるという。[1]それでも得意の上手を取れば全盛期同様豪快な上手投げも見せた。

末は横綱と思わせるほどの堂々とした体躯で素質は十分。大関昇進を期待されたが故障が多く実現できなかった。しかし本人は「もう1回三役に」を目標に取り続けた。攻めが遅く「ミスター1分」のあだ名を持っていた。この特徴は速攻相撲には弱点になるが、一旦相手の速攻を止め水入りに近い大相撲になると「攻められ強く、しぶとい」という長所にもなる。実際水入りも4度経験した。しかし、この攻めの遅さが災いした。

1996年4月に師匠の長女と婿入りの形で結婚。この時点で佐渡ヶ嶽部屋を継承することが決まった。

2004年に佐渡ヶ嶽が体調を崩し入院すると、部屋付き親方が5名いる中で師匠代理を務めた。その後、佐渡ヶ嶽が65歳の停年(定年)を迎えた2005年11月場所13日目(11月25日)を最後に琴ノ若は現役を引退し、年寄・13代佐渡ヶ嶽を襲名した。なお、この日の取組は駿傑に敗れて5勝8敗と負け越し、翌日の稀勢の里戦は不戦敗となった。

全盛期より衰えたとはいえ幕内の地位を維持できる実力はまだ十分にあったが、日本相撲協会の年寄は65歳の停年を迎えると部屋の師匠を続けることができず、それによって部屋の師匠が不在になればその部屋に所属している力士は本場所に出場できなくなるという事情があったため、琴ノ若は停年を迎えた師匠の跡を継ぐためにやむを得ず現役を引退する形となったものであり、彼自身は現役最後の場所を千秋楽まで務められなかったことを残念がっていた。二枚鑑札による現役続行を望む声も上がっていたが、実現には至らなかった。

2006年5月27日両国国技館引退相撲を行った。引退相撲は長男と行い、入門後には「琴ノ若」の四股名を継承させることを約束した。

引退時は、蔵前国技館の土俵に立った経験のある唯一の現役関取・かつ幕内力士だった。力士としての息の長さと、長時間にわたる取組の多さから、「最も長い時間本場所で相撲を取った力士」、「相撲が好きな力士」と呼ばれた。

2010年3月場所より審判部の所属となり土俵下にその姿を見ることができたが、2010年7月場所直前に弟子の琴光喜大相撲野球賭博問題により解雇処分となり、責任をとる形で同場所を謹慎処分となり、さらに9月場所前にこの問題の責任をとる形で委員から平年寄へと2階級降格処分となり、同時に審判部から巡業部へ異動となったため、審判委員を務めた時期は実質2場所のみである。さらに2011年4月には弟子の琴春日大相撲八百長問題により引退勧告処分となり、責任を取る形で昇格停止3年の処分を受けた。年寄据置処分が明けた2014年4月に発表された新たな職務分掌では委員に再昇格した。

つき手か、かばい手か

2004年7月場所中日の結びの一番は、歴史に残る一番となった。全勝の横綱朝青龍が、それまで1勝しかしていなかった幕内最年長琴ノ若の上手投げで裏返しにされた。このとき朝青龍はブリッジの体勢でこらえながら、琴ノ若の廻しを最後まで放さなかった。

一方、「すでに朝青龍は死に体」と判断した琴ノ若は、横綱の上に倒れては危ないので手を着いた。その手が、朝青龍が落ちるより一瞬早く土俵に着いた。「かばい手」と見た木村庄之助の軍配は琴ノ若に上がったがすぐに物言いが付いた。3分15秒にわたる審判団の協議の結果、朝青龍の体が落ちるのと、琴ノ若の左手が「つき手」と見なされ、それが同時と見て取り直しとなってしまった。

取り直しの一番では、朝青龍が豪快な切り返しで8連勝を飾った。しかしこの一番で死に体の解釈をめぐり、審判団の解釈は紛糾した。琴ノ若の手は明らかに早く着いてはいたが、「生き体」ならば朝青龍、「死に体」ならば琴ノ若の勝ちになる。結局、審判団の意見が分かれ「取り直しにするしかなかった」という同体判定にされてしまう。さらに取組後のインタビューで琴ノ若は「あれは『つき手』でなく『かばい手』だった。はっきり勝負が着いていたから手をついたまで。あのまま横綱の上に倒れこんでいっても良かったのだ。取り直しになるのなら『死に体』なんて制度は無くした方が良い」と憤慨しつつ語った程であった。中継後、NHKには数十件以上の電話があり、殆どが「朝青龍は既に死に体で、琴ノ若が勝っていた」との抗議だったという。

それから3日後の11日目、琴ノ若は玉乃島と対戦。琴ノ若に左上手を取られた玉乃島は、浴びせ倒しで敗れた。なおその一番で玉乃島が崩れていく時、琴ノ若は朝青龍戦と同じように手を着いて玉乃島の体をかばっていた。玉乃島は取組後「琴ノ若関が手を着いてくれなかったら自分は大ケガをしていただろう」と、その琴ノ若の気づかいに感謝していたという。

改名歴

  • 今野 満也(こんの みつや)1984年5月場所
  • 琴今野 満也(ことこんの -)1984年7月場所-1988年1月場所
  • 琴の若 實哉(ことのわか -)1988年3月場所~1998年7月場所
  • 琴乃若 將勝(- まさかつ)1998年9月場所
  • 琴乃 將勝(ことのわか -)1998年11月場所-1999年5月場所
  • 琴ノ 晴將(- てるまさ)1999年7月場所-2005年11月場所

はくさかんむりが「十十」のように離れた旧字体

年寄変遷

  • 佐渡ヶ嶽 満宗(さどがたけ みつむね)2005年11月-

主な成績

  • 通算成績:785勝764敗100休 勝率.507
  • 幕内成績:608勝657敗84休 勝率.481
  • 現役在位:130場所
  • 幕内在位:90場所 (歴代5位)
  • 三役在位:9場所 (関脇2場所、小結7場所)
  • 幕内通算出場:1260回(歴代5位)
  • 三賞:7回
    • 殊勲賞:2回 (1996年7月場所,1998年9月場所)
    • 敢闘賞:5回 (1995年7月場所,1996年3月場所,1998年7月場所,2004年3月場所,2004年9月場所)
  • 金星8個(1個,貴乃花3個,若乃花2個,朝青龍2個)
  • 各段優勝:三段目優勝2回(1987年5月場所,1989年9月場所)

場所別成績

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琴ノ若の「現役最後の~」

  • 現役最後の対戦相手 - 2005年11月場所13日目 西前頭13枚目・駿傑
  • 現役最後の勝ち越し - 2005年9月場所(成績は8勝7敗 勝ち越しを決めた相手は2005年9月場所13日目の西前頭17枚目・霜鳥戦)
  • 現役最後の白星 - 2005年11月場所10日目 西前頭16枚目・春日王

エピソード

  • 生まれる前、両親は女の子を希望し女物を揃えていた。
  • 地元の尾花沢市では、地元企業でもあり後援会のスーパー「おーばん」が、琴ノ若が白星を挙げると花火を揚げ、全市民に勝利を報告していた。
  • 2006年7月31日には地元山形で、、琴欧州(現 琴欧洲)などと少年相撲教室を開催した。
  • 琴欧洲が大関に就任したときに、親方はまだ断髪前だったのでまげを結ったままだった。
  • 公傷制度が適用された最後の力士である。
  • 親方となってからは、場所中度々花道の奥に現れて、土俵上の弟子の取組を心配そうに見つめている様子が、大相撲中継でも映されている。

脚注

  1. 『相撲』2013年11月号81頁

関連項目

外部リンク

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