深海救難艇

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深海救難艇(しんかいきゅうなんてい、:Deep Submergence Rescue Vehicle、DSRV)は、海中で遭難・沈没した潜水艦の乗員を救助する専用の潜水艇である。
ファイル:Mystic (DSRV-1)aboard USS La Jolla (SSN-701).jpg
ロサンゼルス級原子力潜水艦ラ・ホーヤSSN-701に搭載された深海救難艇ミスティックDSRV-1。パシフィック・リーチ2002に参加した2002年4月25日に佐世保港で撮影。
ファイル:Avalon Drawing.jpg
DSRVの内部構造の模式図
ファイル:DSRV 2 Avalon 1.jpg
C-5で輸送されるアヴァロンDSRV-2
ファイル:Japanese DSRV aboard Chihaya.jpg
ちよだに収容されるDSRV
ファイル:DSRV 2 Avalon on support ship.JPG
母艦から発艦するアヴァロンDSRV-2
ファイル:LR5 rescue vehicle is lowered into the water.JPEG
LR5 救助機がフィンランド砕氷船 MSV FENNICAからクレーンで降ろされる様子

概要

深海救難艇は救難に特化した小型潜水艇であり、そのために必要な装備を持っている。潜水艦救難艦への搭載や、空輸の後に潜水艦や船舶へ搭載する事で事故海域へ移動する。

潜水艦に対する救難手段を持つ事は潜水艦乗員の士気を保つために重要である。米海軍では原子力潜水艦スレッシャーの事故にあたって深海の沈没潜水艦に対する救難手段の不足を痛感し、その整備に着手している。従来主流であったレスキュー・チェンバーによる救助では海底につりおろす救助チェンバーから作業員が飽和潜水によって海中に出て、人力で救助活動を行っていたが、この方法では沈没艦の正確な位置捕捉が不可欠であること、また飽和潜水には深度限界があり、人員の加圧・減圧に時間がかかるため事故に対する迅速な対応が不可能であった。このため救難装備を備えた潜水艇を開発し海中での自由行動を可能とすることで、おおよその位置に潜航して海底を捜索する事が可能となったほか、艇内が常圧であるため加圧の必要がないなど、迅速な救助活動が可能となった。

米国日本の深海救難艇は相互に接続された三つの耐圧球からなり、これに外殻を張った複殻構造を持つ潜水艇である。前部耐圧球は乗員と操船設備からなり、中部耐圧球は下部に接続ハッチを持つスカートを備えた救難区画、後部耐圧球は機械室となっている。外部監視装置としてソナー、投光機、テレビカメラ、窓を備える他、必要に応じて障害物を除去出来る様にマニピュレーターを備えることもある。推進用のプロペラに加えハッチに正確に接近・接合するために前後左右にスラスターを持ち微妙な位置調整が可能となっている。機関は蓄電池により電動モーターで駆動する。このため移動は低速で、広範囲の捜索にはむかない。

深海救難艇は海中で遭難艦を捜索し、発見すると艇体下部のスカートと遭難艦の専用ハッチを接合(メイティング)し、スカート内部を減圧・排水した後に深海救難艇と遭難艦のハッチを開いて通路を形成し、遭難艦の人員を深海救難艇に移乗させる。負傷者は担架に載せられたまま移乗させるがその作業には深海救難艇の救難作業員と遭難艦の健康な乗員が行う。一度に全員を収容できない場合は、深海救難艇が支援艦と遭難艦の間を往復して遭難艦の乗員を救助する。深海救難艇は各国で整備されているが、その接合方法は共通とされている。これは任務の性質上、必ずしも自国艦との接舷のみを行うとは限らないためである。このため潜水艦の上部甲板には救難ハッチの位置を明示する塗装がなされている。これは隠密行動を主とする潜水艦における塗装の例外となっている。

DSRVは小型であるが故に単体での活動時間は短く、広域捜査を行なうには母艦との連携が不可欠となる。また自艦の活動時間や安全潜航深度の限界、遭難艦の傾き具合によっては接合そのものが不可能になるなど制約も多い。そのため米国や英国では活動に融通がきく無人潜航艇との組み合わせによる救難態勢を整備している。

国際救難

大西洋では、NATO諸国が北大西洋条約機構潜水艦救助システムという、救難艇を共同利用する体制を構築している。

2000年から太平洋周辺の潜水艦を運用する国家の合同救難演習「西太平洋潜水艦救難訓練(Exercise Pacific Reach、パシフィック・リーチ演習)」が不定期で行われている。2000年の第一回はシンガポール、2002年の第二回の「パシフィック・リーチ2002」は日本がホスト国で東シナ海(カンファレーションなどは佐世保)で行われた。第三回の「パシフィック・リーチ2004」は韓国済州島沖で開催され、日本、米国、韓国、オーストラリアシンガポールの5ヶ国が参加した。ただし、DSRVを運用している国は前三カ国のみでオーストラリアは潜水艦のみ、シンガポールは艦艇を派遣する予定だったが、最終的に人員のみの参加となった。オブザーバー派遣国はカナダチリ中国フランスインドインドネシアマレーシアタイイギリスベトナムの十ヶ国に達した。第四回はオーストラリアのフリーマントル沖合いで2007年に開催された。

海上自衛隊は第一回から第四回まで、全ての演習にDSRV搭載の潜水艦救難艦他の自衛艦を派遣している。第一回では米国海軍の救難装置が海上自衛隊の潜水艦「あきしお」SS-579から乗員を収容している。第二回では「ぶんご」を第2掃海隊群から借り受け総指揮艦とし各国の連絡士官も同乗、潜水艦救難艦「ちはや」、潜水艦「あきしお」、あめ型護衛艦2隻(海域警戒)、掃海艇2隻(沈底潜水艦の機雷用ソナーでの捜索訓練)、SH-60J2機(艦載機。艦艇間の人員輸送。)、MH-53E1機(陸上との人員輸送)を参加させた。本訓練中は、東シナ海が非常に時化た為、艦尾のAフレームクレーンでDSRVを出す方式の韓国海軍は全ミッションを実施できない中、方式は違う物の水中発着式の海上自衛隊と米海軍のDSRVは全ミッションを成功させた(ハッチを開けないソフトメイトの指示にもかかわらず、ハッチを開けるハードメイトまでおこなった回もあった)。第三回では潜水艦救難母艦「ちよだ」と潜水艦「ふゆしお」SS-588が参加し、「ちよだ」搭載のDSRVが韓国海軍の209型潜水艦「チョイ・ムーソン」SS-063(崔茂宣)に接合し、乗員3名の救出を実演している。パシフィック・リーチ演習では遭難艦へ接合できず救難に失敗する国も出る中、海上自衛隊は優秀な成績を示し、その救難能力は世界でトップレベルと評価されている。

また大西洋ではNATO主催で潜水艦救難演習Bold Monarchが開催されており、2008年にはロシア海軍を加えて14ヶ国(米、英、、仏、イスラエルウクライナギリシャノルウェーポーランド)が参加した。2008年演習は5月26日から6月6日にかけて北海で開催され、ロシア海軍の救難艦「チトフ」(RFS Titov)搭載のDSRV AS-34がオランダ海軍の潜水艦「ドルフィン」(HNLMS Dolfijn S-808)とノルウェー海軍の潜水艦「ウートハウグ」(HNoMS Uthaug S-304)から乗員救難を実演している。

アメリカ合衆国

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フランスのブレスト空港に到着し、C-5A輸送機からカードトラックによって運び出される深海救難艇アヴァロンDSRV-2。1999年7月撮影

アメリカ海軍では4隻の深海救難艇(DSRV)と4隻の支援母艦による救難態勢を計画したが、予算の関係で2隻態勢となり太平洋大西洋沿岸の基地にDSRVとピジョン級支援母艦のペアを一隻ずつ配備した。ピジョン級支援母艦は双胴で船体間に渡された幅広の甲板を作業甲板としてDSRVを運用した。その後ピジョン級支援母艦は廃され、事故現場近くまでアメリカ空軍C-5輸送機によりDSRVを空輸し、攻撃型原子力潜水艦セイル後方の救難ハッチ上方に設置したラックに背負い式(ピギーバック)にDSRVを搭載し事故現場に向かう方法に改められた。

2000年10月、アメリカ海軍はMystic DSRVを基にした有人深海救難艇と支援船を加圧式救難モジュールと呼ばれる有索式無人潜水機を基にした潜水艦救難潜水再加圧システム(SRDRS)への転換を始めた。

DSRVは遭難艦と救難潜水艦との間を往復して乗員を救助する。救難母艦は可能であれば遭難艦の至近にまで接近し往復の時間を節約する。米国のDSRVは下部のスカート以外に突起物のない細長い魚雷形をしており、最後部にはシュラウドに囲まれた推進プロペラが取りつけられている。船体は塗装されておらず素材の色に由来する暗い灰色をしている。スカートとプロペラシュラウドは白く塗装されている。

DSRVは潜水艦事故に迅速に対応するために設計されており、航空機、船、または特別に設定された攻撃型原子力潜水艦によって輸送できる。現場ではDSRVは母艦と共に救助にあたり、潜航してソナーによる捜索後、沈没した潜水艦のハッチに接舷する。最大24人の遭難艦乗員を移送できる。またDSRVは遭難艦の救出ハッチ付近を清掃するためのアームとそれに結合されたグリッパー、およびケーブルカッターも備えている。グリッパーは1,000ポンド(450kg)の重量を持ち上げることができる。

米国のDSRVは1963年に起きた原子力潜水艦スレッシャーの沈没事故を契機に開発された。スレッシャーはレスキューチェンバーの限界深度を越える深度で沈没したため全ての救助手段は失われ、乗員は全員死亡している。DSRVプロジェクトはロッキードミサイル&スペース社による深海救難潜水艇の一番艇を1970年までに開発する契約であった。[1]

  • 配備艇
    • ミスティック(Mystic) DSRV-1 (稼働状態)
    • アヴァロン(Avalon) DSRV-2 (非稼働状態)
  • 支援母艦
    • ピジョン(Pigeon) ASR-21 (退役)
    • オルトラン(Ortolan) ASR-22 (退役)
  • 仕様
    • 建造: Lockheed Missiles and Space, Co., Sunnyvale, California, USA
    • 主機関: 電動モーター、銀・亜鉛蓄電池、一軸推進、15軸馬力(11kW)、各7.5馬力(6kW)のスラスター四基
    • 全長: 49フィート(15m)
    • 舷長: 8フィート(2.4m)
    • 排水量: 38トン(38.61メートル・トン)
    • 速度: 4ノット(7km/h)
    • 最大深度: 5,000フィート(1,524m)
    • ソナー: 捜索用、及び航行用
    • 乗員: 操縦員二名、救難員二名、24人までの乗員

旧ソ連/ロシア

旧ソ連ではインディア級として知られる940型救難用潜水艦を1978年に2隻建造、それぞれに潜航深度2,000mの1837型、または1837K型DSRVを2隻搭載している。1837型の外観は極太の円筒形船体の中ほどに置かれた小さなセイルが特徴である。940型救難潜水艦は海軍の予算不足から既に退役している。

また1980年代後半にはエルブラス級潜水艦救難艦2隻が就役した。エルブラス級はレスキュー・チェンバーの他、潜航深度2,000mの1832型DSRVを搭載する大型の救難艦だが、一番艦はすでに退役し現在は二番艦アラゲズのみが運用されている。1832型はインディア級に搭載されていたDSRVとは外形が大きく異なり水上高速型潜水艦を思わせる艦首と艇体後方に配置された大きめのセイルが特徴である。

旧ソ連/ロシアのDSRVは赤白の縦縞模様に塗装されている。

プリズ級深海救難艇

プリズ級(1855型)深海救難艇は1986年から1991年にかけて4機が建造された。 2005年8月に発生した訓練中の浮上不能事故については下記参照のこと。

乗員は4人で最大20人まで収容できる。全長13.5mで全高5.7mである。排水量は55 m³で潜水時は110 m³である。最大深度は1000mである。チタン製の耐圧殻を持つ。最高速度は3.7 knots (6.9 km / h)である。最大120時間分の空気の供給量が搭載される。軍用船舶のBesterと似ている。

AS-26、AS-28、AS-30、AS-34の四隻が、05360型、または05361型救難艦に二隻ずつ搭載されて運用されている。1855型は1837型や1832型とは異なる外観を持っており船体中ほどに配置された大きめのセイルが特徴である。

2004年に4機に対する近代化が計画された。最初の改修は2億4000万ロシア・ルーブルで次の機体は2億ルーブルかかる。[2]

AS-28は事故の後、2005年~2008年にかけてen:Krasnoye Sormovo Factory No. 112でテレビカメラやマニピュレータや10mm径の金属製のロープを切断出来る切断装置や水中溶接機、等を搭載する近代化改修を行った。[3][4]

日本

ファイル:JMSDF AS 405 Chiyoda.JPG
潜水艦救難母艦 AS-405「ちよだ」
ファイル:潜水艦救難艦「ちはや」 ASR-403.jpg
潜水艦救難艦 ASR-403「ちはや」

海上自衛隊では早くから潜水艦救難艦の整備に着手、最初の潜水艦「くろしお」SS-501が米国から貸与された昭和30年から五年後の昭和35年にはレスキュー・チェンバー方式の「ちはや」(初代)ASR-401が建造され、昭和45年には「ふしみ」ASR-402を配備している。その後の深海救難艇の整備にあたってまず救難実験艇「ちひろ」を昭和50年に建造、各種の実験を行った後、潜水艦救難母艦「ちよだ」AS-405が昭和60年に、潜水艦救難艦「ちはや」(二代)ASR-403が平成12年に竣工した。いずれも母艦と同名のDSRV一隻を搭載しており、救難艦を三井造船玉野造船所が、DSRVを川崎重工神戸造船所が建造している。

「ちよだ」は潜水艦救難機能のほか、潜水艦を支援する母艦機能を持ち補給機能、及び潜水艦一隻の乗員に相当する80人分の休養設備を持つ。このため新しく潜水艦救難母艦という艦種が造られ艦番号がAS-405となった。つづく「ちはや」(二代)では母艦機能が縮小されたため艦名から「母艦」が無くなり純粋な潜水艦救難艦となった。このため艦番号は「ふしみ」ASR-402につづくASR-403となっている。なお「ちはや」は阪神・淡路大震災の教訓から医療設備の充実が図られている。また両艦とも再圧室、減圧室を持ち、飽和潜水や大気圧潜水服によるダイバーの大深度潜水作業にも対応できる。搭載するDSRVは個艦名を持たず母艦と同じ艦名で呼ばれている。ただし建造順に一号艇、二号艇と呼称することもあるようだ。ただし、母艦の収納方法が異なる(前後が逆になる)などのため、母艦を入れ替えての運用は不可能であり、この点で「おおすみ」型輸送艦とLCACとの関係と違うので、あくまで「母艦の艦載艇」扱いである。両艇とも基本設計は同じだが建造時期に15年の開きがあるため細部の改訂が行われている。DSRVは白く塗装されているが上面のみは赤白の横縞模様に塗られている。日本のDSRV特有の装備として、潜水艦とのメイティングハッチ周囲に電磁石を持ち、この電磁石で仮止めを行って引きつけるという工夫がある。

「ちよだ」、「ちはや」(二代)とも船体中央に位置する大型構造物内にDSRVの揚収設備を持ち、DSRVは船体下部の開口部(センター・ウェル)から直接海中に吊り降ろされて発進し、救助に向かう。救難母艦は海上での位置保持のために艦首と艦尾にサイドスラスターを備え、DPS(Direct Positioning System)により艦位を一定位置に保持可能となっている。DPSの副次的な効果として、船体の揺動が著しく小さくなると言う物がある。センターウェルからの揚収が不可能な場合、舷側からDSRVを揚収する機能を母艦は持っている。また、「ちはや」では、センターウェル下部に「蓋」を装備し、速度の向上を実現している。

潜水艦救難艦は高度な海中作業機能と飽和潜水支援機能を持つため、本来の救難活動の他に海中作業を伴う多くの任務に当てられている。なかでも「ちよだ」は平成2年に沈没したカツオ漁船第八優元丸の潜水調査を行い、平成4年には三沢沖に米軍が緊急投棄した航空爆弾を捜索、平成14年には「ちはや」がハワイ沖で米原潜「グリーンヴィル」に衝突され沈没した漁業実習船「えひめ丸事故」の引き上げを支援している。えひめ丸引き上げ支援では、実際に引き上げを行った米国海軍への支援や海中での遺品捜索のために「ちはや」搭載艇は百数十回の潜航を行っている。

  • 潜水艦救難母艦「ちよだ」AS-405
    • 基準排水量:3,650t
    • 全長:113m
    • 全幅:17.6m
    • 機関:ディーゼルエンジン2基、2軸推進、11,500馬力
    • 速力:17kt
  • 潜水艦救難艦「ちはや」ASR-403
    • 全長:128m
    • 全幅:20m
    • 機関:ディーゼルエンジン2基、2軸推進、19,500馬力
    • 速力:21kt

韓国

韓国ではチャン・ポゴ級潜水艦(張保皐)の整備に伴ってチョンヘ・ジン(青海鎮)級潜水艦救難艦を整備した。同級はLR5K型DSRV一隻を搭載している。同級は英国LR5型DSRVの設計を元にしていると言われている。また、英国から新たに新型のDSRVを購入する計画がある、と伝えられている。

中国

中国では大江級潜水艦救難艦を三隻整備している。同級は二隻のDSRVを搭載している。このほか大東級、大浪級、上海級の潜水艦救難艦が就役している。大江級は「長興島」(北救121)、「崇明島」(東救302)、「永興島」(南救506)からなるが2003年に艦番号が改められ北救121は861、東救302は862、南救506は863となった。

イギリス

イギリスは独自にLR3、LR5を運用していたが、現在は新たにNATO構成国と共同で北大西洋条約機構潜水艦救助システムを運用している。

NATO

以前は潜水艦保有国が独自に救難艦を運用していたが現在では共同で北大西洋条約機構潜水艦救助システムを運用している。イギリスのスコットランドのクライド海軍基地を拠点とする。

AS-28浮上不能事故

ファイル:Mini-submarine AS-28 Priz after surfacing in the Bering Sea.jpg
事故から生還したロシア海軍の深海救難艇AS-28。2005年8月7日撮影。
ファイル:AS-28 Priz.png
浮上したAS-28
ファイル:Super Scorpio C-5 Loading.jpg
AS-28救出のためC-5に搭載される米海軍のスーパースコーピオ

ロシア海軍太平洋艦隊に所属するプリズ級(1855型)深海救難艇である、AS-28は2005年8月4日、カムチャッカ沿岸のBeresowaja湾の南東70kmで乗員7人で深度180mで潜行時に古い魚網に絡まり身動きが取れなくなった。プリズ級の詳細については上記参照のこと。

クルスクの事故の時とは異なりロシア海軍は他国へ救援を求めた。 イギリス、アメリカが無人探査機を空輸し、日本は救難艦を含む4隻の艦船を現場へ向かわせた。 8月7日早朝、最初に到着したイギリス海軍の無人探査機、スコーピオが鋼線を切断することによって障害物を取り除いた。5:26 (CET)AS-28は自力で浮上し、乗員は全員無事だった。

AS-28は2008年1月14日修復と近代化がKrasnoye Sormovoの工場で施された。[5]

日本は、事故発生の翌日8月5日にロシア海軍から救出を依頼され、海上自衛隊は国際緊急援助隊派遣法に基づき直ちに自衛艦の派遣を決定、命令から一時間後の12:00には横須賀基地から「ちよだ」が現地に向けて出動した。最終的には掃海母艦「うらが」、掃海艇「ゆげしま」、掃海艇「うわじま」を含む四隻の艦隊が事故現場であるペトロパブロフスク・カムチャツキーの沖合いに派遣されている。

この事故では自衛艦隊が現地に到着する前に空輸により先に現地に到着したイギリスの無人探査機の作業によって自力浮上に成功し全員が生還したため、自衛艦隊は8月7日15:00をもって救難活動を終了して帰港した。この事例は海上自衛隊における初の国際救難任務となった。

一方で専守防衛の憲法のもと、海上自衛隊の潜水艦は四海峡封鎖を始めとする日本近海を行動範囲としており、その潜水艦を救難するための潜水艦救難艦もまた近海を行動範囲として設計・建造されている。そのため航行速度は決して早くなく、遠洋の遭難事故に対応するために迅速に進出することができない。このことは時間の制約が大きく迅速な展開が求められる潜水艦事故への対応に課題を残す結果となった。

なお、浮上不能に陥ったAS-28と、救難に向った「ちよだ」の搭載艇は、潜水艦と接合し乗員を移乗することができる深海救難艇(DSRV)であるが、この事故でイギリスとアメリカが投入したスコーピオは遠隔操作式で、人が乗り込めない遠隔操作無人探査機(ROV)である。

深海救難艇の登場する作品

脚注

  1. 「Blind Man's Bluff:The Untold Story of American Submarine Espionage」という書籍の著者による、公表されたDSRVプロジェクトの目標は非現実的であり、真の目的は海中でのスパイ活動(海底ケーブルの盗聴など)についての研究であるとの主張のうち、少なくとも前半は、実際にいくつもの救難任務を遂行しているDSRVの実績により否定されている。
  2. Модернизация спасательного подводного аппарата АС-28 обойдётся федбюджету в 240 млн рублей — гендиректор ЦКБ «Лазурит» Кваша, nta-nn.ru, 06.10.2005
  3. Батискаф «АС-28» после модернизации отправлен на Камчатку, rian.ru, 25.04.2008
  4. Модернизированный аппарат «АС-28» вернулся на Тихоокеанский флот, cnews.ru, 25.04.08
  5. Красное Сормово: испытания глубоководного аппарата АС28 «Приз» начались, prime-tass.ru, 14.01.2008


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