海軍大臣
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テンプレート:政治の役職 海軍大臣(かいぐんだいじん)は、海軍を担当した日本の閣僚。
概要
海軍大臣は海軍省の長であり、天皇によって海軍大将または海軍中将から親補された。軍令部総長(海軍軍令部長)が軍令を担当したのに対し、海軍大臣は軍政を担当した。海軍大臣は「軍人は政治に関与してはならない」という伝統があった海軍内では唯一政治に関わることが許された役職である。
歴代大臣
代 | 氏名 | 内閣 | 就任日 | 退任日 | 兼務 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 西郷従道 80px |
第1次伊藤内閣 | 1885年12月22日 | 1888年4月30日 | |
2 | 黒田内閣 | 1888年4月30日 | 1889年12月24日 | ||
3 | 第1次山縣内閣 | 1889年12月24日 | 1890年5月17日 | ||
4 | 樺山資紀 80px |
1890年5月17日 | 1891年5月6日 | ||
5 | 第1次松方内閣 | 1891年5月6日 | 1892年8月8日 | ||
6 | 仁礼景範 80px |
第2次伊藤内閣 | 1892年8月8日 | 1893年3月11日 | |
7 | 西郷従道 80px |
1893年3月11日 | 1896年9月18日 | ||
8 | 第2次松方内閣 | 1896年9月18日 | 1898年1月12日 | ||
9 | 第3次伊藤内閣 | 1898年1月12日 | 1898年6月30日 | ||
10 | 第1次大隈内閣 | 1898年6月30日 | 1898年11月8日 | ||
11 | 山本権兵衛 80px |
第2次山縣内閣 | 1898年11月8日 | 1900年10月19日 | |
12 | 第4次伊藤内閣 | 1900年10月19日 | 1901年6月2日 | ||
13 | 第1次桂内閣 | 1901年6月2日 | 1906年1月7日 | ||
14 | 斎藤実 80px |
第1次西園寺内閣 | 1906年1月7日 | 1908年7月14日 | |
15 | 第2次桂内閣 | 1908年7月14日 | 1911年8月30日 | ||
16 | 第2次西園寺内閣 | 1911年8月30日 | 1912年12月21日 | ||
17 | 第3次桂内閣 | 1912年12月21日 | 1913年2月20日 | ||
18 | 第1次山本内閣 | 1913年2月20日 | 1914年4月16日 | ||
19 | 八代六郎 80px |
第2次大隈内閣 | 1914年4月16日 | 1915年8月10日 | |
20 | 加藤友三郎 80px |
1915年8月10日 | 1916年10月9日 | ||
21 | 寺内内閣 | 1916年10月9日 | 1918年9月29日 | ||
22 | 原内閣 | 1918年9月29日 | 1921年11月13日 | ||
23 | 高橋内閣 | 1921年11月13日 | 1922年6月12日 | ||
24 | 加藤友三郎内閣 | 1922年6月12日 | 1923年5月15日 | 内閣総理大臣 | |
25 | 財部彪 80px |
1923年5月15日 | 1923年9月2日 | ||
26 | 第2次山本内閣 | 1923年9月2日 | 1924年1月7日 | ||
27 | 村上格一 80px |
清浦内閣 | 1924年1月7日 | 1924年6月11日 | |
28 | 財部彪 80px |
加藤高明内閣 | 1924年6月11日 | 1926年1月30日 | |
29 | 第1次若槻内閣 | 1926年1月30日 | 1927年4月20日 | ||
30 | 岡田啓介 80px |
田中義一内閣 | 1927年4月20日 | 1929年7月2日 | |
31 | 財部彪 80px |
濱口内閣 | 1929年7月2日 | 1930年10月3日 | |
32 | 安保清種 80px |
1930年10月3日 | 1931年4月14日 | ||
33 | 第2次若槻内閣 | 1931年4月14日 | 1931年12月13日 | ||
34 | 大角岑生 80px |
犬養内閣 | 1931年12月13日 | 1932年5月26日 | |
35 | 岡田啓介 80px |
齋藤内閣 | 1932年5月26日 | 1933年1月9日 | |
36 | 大角岑生 80px |
1933年1月9日 | 1934年7月8日 | ||
37 | 岡田内閣 | 1934年7月8日 | 1936年3月9日 | ||
38 | 永野修身 80px |
廣田内閣 | 1936年3月9日 | 1937年2月2日 | |
39 | 米内光政 80px |
林内閣 | 1937年2月2日 | 1937年6月4日 | |
40 | 第1次近衛内閣 | 1937年6月4日 | 1939年1月5日 | ||
41 | 平沼内閣 | 1939年1月5日 | 1939年8月30日 | ||
42 | 吉田善吾 80px |
阿部内閣 | 1939年8月30日 | 1940年1月16日 | |
43 | 米内内閣 | 1940年1月16日 | 1940年7月22日 | ||
44 | 第2次近衛内閣 | 1940年7月22日 | 1940年9月5日 | ||
45 | 及川古志郎 80px |
1940年9月5日 | 1941年7月18日 | ||
46 | 第3次近衛内閣 | 1941年7月18日 | 1941年10月18日 | ||
47 | 嶋田繁太郎 80px |
東條内閣 | 1941年10月18日 | 1944年7月17日 | |
48 | 野村直邦 80px |
1944年7月17日 | 1944年7月22日 | ||
49 | 米内光政 80px |
小磯内閣 | 1944年7月22日 | 1945年4月7日 | |
50 | 鈴木貫太郎内閣 | 1945年4月7日 | 1945年8月17日 | ||
51 | 東久邇宮内閣 | 1945年8月17日 | 1945年10月9日 | ||
52 | 幣原内閣 | 1945年10月9日 | 1945年12月1日 |
記録
- 最長在任記録(通算) 西郷従道 10年1ヶ月
- 最短在任記録 野村直邦 5日間
- 最多就任記録(内閣数) 米内光政 7回
- 首相になった海軍大臣経験者は山本権兵衛・加藤友三郎・斎藤実・岡田啓介・米内光政の五人。逆に、海軍大臣の経験なしに首相になった海軍軍人として鈴木貫太郎がいる。
- 元帥になった海軍大臣経験者は西郷従道・加藤友三郎・永野修身の三人(加藤は没後追贈)。