林内閣
概要
前の広田内閣が瓦解した後、大命が降下したのは予備役陸軍大将の宇垣一成だった。しかし陸相時代に大規模な軍縮を断行(宇垣軍縮)した宇垣を煙たがる風潮がこの頃の陸軍では大勢を占めたため、陸軍は軍部大臣現役武官制を盾に現役将官から陸軍大臣を推薦せず、結局宇垣は組閣に失敗して大命を拝辞するに至った(宇垣流産内閣)。このため、あらたに予備役陸軍大将の林銑十郎に大命が降下し、組閣したのが林内閣である。
林内閣は財界と軍部の調整を図って大蔵大臣に財界出身の結城豊太郎・日本商工会議所会頭を充て、その財政は「軍財抱合」と評された。また少数の閣僚による実力内閣を標榜した林は多くの国務大臣を閣僚の兼任としたため「二人三脚内閣」と呼ばれ、また短命で特に大きな実績も残せなかったことから「史上最も無意味な内閣」と評され、後には林銑十郎の名をもじって「何もせんじゅうろう内閣」とまで皮肉られるに至った。
閣僚
以下表中、「貴」は貴族院、「衆」は衆議院、「官」は官僚、「財」は財界、「軍」は軍部、「予」は予備役をそれぞれ示す。なお混乱を避けるため字体は新字体で統一した。
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国務大臣 | 閣僚 | 爵位 | 階級 | 出身母体 | 就任日 | 退任の背景 |
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内閣総理大臣 | 林 銑十郎 | 予-陸軍大将 | 軍-陸軍 満州組 | テンプレート:Smaller | ||
外務大臣 | テンプレート:Smaller | テンプレート:Smaller | ||||
佐藤 尚武 | 官-外務省 | テンプレート:Smaller | ||||
内務大臣 | 河原田 稼吉 | 官-内務省 | テンプレート:Smaller | |||
大蔵大臣 | 結城 豊太郎 | 財-日本興業銀行総裁、安田財閥系 | テンプレート:Smaller | |||
陸軍大臣 | 中村 孝太郎 | 陸軍中将 | 軍-陸軍 統制派 | テンプレート:Smaller | 病気による辞任[1] | |
杉山 元 | 陸軍大将 | 軍-陸軍 宇垣閥 | テンプレート:Smaller | |||
海軍大臣 | 米内 光政 | 海軍中将 | 軍-海軍 条約派 | テンプレート:Smaller | ||
司法大臣 | 塩野 季彦 | 官-司法省 | テンプレート:Smaller | |||
文部大臣 | テンプレート:Smaller | テンプレート:Smaller | ||||
農林大臣 | 山崎 達之輔 | 衆-昭和会 | テンプレート:Smaller | |||
商工大臣 | 伍堂 卓雄 | 予-海軍造兵中将 | 官-商工省、貴-研究会 | テンプレート:Smaller | ||
逓信大臣 | テンプレート:Smaller | テンプレート:Smaller | ||||
児玉 秀雄 | 伯爵 | 貴-研究会 | テンプレート:Smaller | |||
鉄道大臣 | テンプレート:Smaller | テンプレート:Smaller | ||||
拓務大臣 | テンプレート:Smaller | テンプレート:Smaller | ||||
内閣書記官長 | 大橋 八郎 | 官-逓信省 | テンプレート:Smaller | |||
法制局長官 | 川越 丈雄 | 官-大蔵省 | テンプレート:Smaller |
政務官
大臣を補佐しつつ政府(内閣)と議会との連絡をとることをその職掌とした政務次官と参与官の政務官が置かれたのは1924年(大正13年)8月、護憲三派内閣の時だった。しかしその後五・一五事件や二・二六事件を経て憲政の常道が崩れ政党内閣が過去のものとなると、政務官は大臣に次ぐポストとして貴衆両院議員の猟官運動の対象と化し、やがてそれは有害無益なものだという批判が起こるようになった。少数閣僚内閣を組織した林はそうした政務官の弊害を過剰に問題視して、その任用を止めてしまった。このことが林内閣が衆議院で政友会と民政党にそっぽを向かれることにつながり、その懲罰的な意図で行われた「食い逃げ解散」、さらには選挙敗北を受けての総辞職へと至る内閣短命の遠因となった。