柳川高等学校
目次
概要
柳川高等学校(やながわこうとうがっこう)は、福岡県柳川市本城町にある私立高等学校。運営母体は学校法人柳商学園。柳川城の跡地に校舎を置く。橘蔭寮、啓明寮、女子寮、国際科寮を周辺に持つ。
ゴルフや野球、テニスの強豪校として知られ、全国高等学校野球選手権大会、全国選抜高等学校テニス大会などに繰り返し出場している。有名スポーツ選手の卒業生は県内屈指の数である。
かつては、柔道や体操の強豪校でもあった。創立者の孫である古賀賢が校長兼理事長を務め、「積極的で明るい」学校を目指している。
沿革
- 1941年(昭和16年)4月 - 福岡県柳河商業学校の設置が認可され、当時の山門郡柳河町の現在地に設置。
- 1944年(昭和19年)3月 - 太平洋戦争(大東亜戦争)下の社会事情を踏まえ、福岡県柳河工業学校と改称。
- 1946年(昭和21年)2月 - 太平洋戦争(大東亜戦争)終結により、福岡県柳河商業学校に再び改称。
- 1947年(昭和22年)4月 - 柳河中学校を併置。
- 1948年(昭和23年)3月 - 運営法人名を財団法人橘蔭学園に変更。学制改革により福岡県柳河商業学校を新制高等学校に改組し、柳河商業高等学校に改称。
- 1951年(昭和26年)3月 - 運営法人を私立学校法に基づく学校法人に改組し、学校法人橘蔭学園に改称。
- 1951年(昭和26年)4月 - 柳河町が市町村合併により柳川町に改称されたのを受けて、柳河商業高等学校と柳河中学校を柳川商業高等学校・柳川中学校に改称。
- 1952年(昭和27年)4月 - 柳川中学校の生徒募集を停止。
- 1961年(昭和36年)10月 - 柳川高等経理学校、柳川中学校を廃止。
- 1962年(昭和37年)5月 - 校歌制定(作詞: 伊馬春部、作曲: 高木東六)。
- 1963年(昭和38年)4月 - 経営科を設置し、商業科・経営科の2科とする。
- 1968年(昭和43年)4月 - 普通科を設置し、商業科・経営科・普通科の3科とする。
- 1971年(昭和46年)4月 - 経営科を廃止し、商業科・普通科の2科とする。
- 1980年(昭和55年)1月 - 校名を柳川商業高等学校から現校名に改称した。
- 1980年(昭和55年)5月 - 全国初の中国研修旅行を実施。
- 1994年(平成6年)4月 - 普通科内にICC国際教育コースを設置。
- 1995年(平成7年)4月 - ICC国際教育コースを学科とし、国際科を設置。
- 1997年(平成9年)11月 - ヨーロッパ研修旅行実施(現在、続行中)。
- 2001年(平成13年)11月2日 - マイクロソフト認定アカデミックトレーニングセンターを開設。
- 2005年(平成17年)1月11日 - 早稲田大学大学院情報生産システム研究科と教育支援に関する提携。
校則・校風
テンプレート:独自研究
男子の頭髪について非常に厳しく、校則には「襟に掛からない程度」とあるが、実際は月に1度ある頭髪検査にはなかなか合格しない。その場合は、再度の検査を後日受けることになる。染髪や俗にいう「ツーブロック」は禁止されている。近年はやや緩い傾向にあるが、社会的にみると未だ厳しく検査されている。
携帯電話の持ち込みは禁止されており、見つかり次第没収される。
また、授業中は校内を見回り・巡回がされており、居眠り・携帯電話の使用・授業態度不良などは後日呼び出され指導または謹慎処分となる。このように、非常に厳しい校風である。
学校生活
本校ではパラリンピック金メダリストや安倍総理夫人、企業の社長など迎え、積極的に講演会を開催している。
国際科は多くが他県からの寮生であることや、留学生が多いことなどから校内では一風変わった雰囲気をもっている。
懲罰について
柳川高校の一部の学科では俗に「罰掃除」なる罰がある。生徒が問題行動や成績不良があった場合に、担任または指導(担当)教諭の裁量によって生徒は不定期間この「懲罰」を受けることになり、一部の保護者の間などで問題視されている。
設置学科
- 普通科
- スーパー特進コース
- 特進コース
- 進学コース
- 商業科
- マイクロソフトコース
- 総合ビジネスコース
- 国際科
主な問題
テンプレート:独自研究
学校が所在する地域の高校の中で「滑り止め」「受け皿」的な役割を持っていることもあり、生徒による喫煙や万引き、暴走行為など問題行動は後を絶たない。
男子テニス部暴行事件
2008年5月22日、男子テニス部で3年生が1年の後輩を殴って鼻の骨を折る事件が発生。同年6月29日、3年生が殴ったり平手打ちをする事件が発生。同年11月13日にはテニス部の上級生部員らが1年生部員らに暴行を加えていたことが発覚した[1]。
上記の問題に加え男子テニス部の全学年の一部の部員が同年4月から6月の間に賭けトランプを行っていたことも発覚し、同校男子テニス部は同年の全国選抜高等学校テニス大会九州地区大会出場を辞退(女子部は不問とされた)した。これにより第一回大会から続いた男子部の全国大会連続出場記録が30で途絶えることとなった[2]。
交通
2007年4月より、西鉄柳川駅と本校を結ぶスクールバスを運行している。
著名な出身者
- 吉村和郎(1970年卒・元全日本女子柔道監督、元71kg級世界3位)
- 川東加代子(1977年卒・卓球世界選手権ベスト8)
- 園田隆二(1992年卒・元全日本女子柔道監督、元60kg級世界チャンピオン、阿武教子の夫)
- 阿武教子(1995年卒・アテネ五輪柔道金メダリスト、シドニー五輪柔道78kg級出場)
- ゆーとぴあ・ホープ(城後光義、コメディアン)
- 高杢禎彦(1981年卒・元「チェッカーズ」メンバー)
- 岡幸二郎(1986年卒・ミュージカル俳優)
- 北山たけし(中退・演歌歌手)
- 弘田たかゆき(1997年卒・俳優(ヨコザワ・プロダクション所属))
- 坂井聖人(在学2014年卒予定・水泳世界ジュニア大会第2位)
- 金子剛(作曲家、シンガーソングライター)
- 高橋大介(元サッカー選手、サッカー指導者)
テニス選手
- 本村剛一(プロテニスプレイヤー)
- 岩渕聡(1994年卒・プロテニスプレイヤー)
- 古賀潤一郎(1976年卒・プロテニスプレイヤー及び政治家)
- 福井烈(1976年卒・プロテニスプレイヤー)
- 武鑓正芳(1982年卒・プロテニスプレイヤー)
- 土橋登志久(元プロテニスプレイヤー、現早稲田大学庭球部監督)
- 松岡修造(1984年2年生で慶應高校から転入、翌年米国留学したため中退・プロテニスプレイヤー)
プロ野球選手
- 権藤正利(元大洋松竹ロビンス→洋松ロビンス→大洋ホエールズ→東映フライヤーズ→阪神タイガース)
- 栗崎日出男(元南海ホークス)
- 高橋明(元西鉄ライオンズ)
- 石井高雄(元広島東洋カープ)
- 若菜嘉晴(元西鉄ライオンズ→太平洋クラブライオンズ→クラウンライターライオンズ→阪神タイガース→横浜大洋ホエールズ→日本ハムファイターズ、福岡ダイエーホークスコーチ)
- 真弓明信(元太平洋クラブライオンズ→クラウンライターライオンズ→阪神タイガース、大阪近鉄バファローズコーチ→阪神タイガース監督)
- 中村武義(元日本ハムファイターズ)
- 加倉一馬(元太平洋クラブライオンズ→クラウンライターライオンズ→西武ライオンズ→阪神タイガース)
- 久保康生(元近鉄バファローズ→阪神タイガース→近鉄バファローズ、阪神タイガース投手コーチ)
- 立花義家(元クラウンライターライオンズ→西武ライオンズ→阪神タイガース、福岡ソフトバンクホークス打撃コーチ)
- 林正毅(元広島東洋カープ)
- 清家政和(元阪神タイガース→西武ライオンズ→ヤクルトスワローズ)
- 野田雲平(元近鉄バファローズ)
- 金山晃士(元近鉄バファローズ)
- 田中和博(元広島東洋カープ)
- 西里幸喜(元阪神タイガース)
- 西村英嗣(元中日ドラゴンズ→福岡ダイエーホークス)
- 樽見金典(元読売ジャイアンツ)
- 中島輝士(元日本ハムファイターズ→近鉄バファローズ)
- 馬場敏史(元福岡ダイエーホークス→オリックス・ブルーウェーブ→ヤクルトスワローズ、横浜DeNAベイスターズコーチ)
- 池田宇隆(元ロッテオリオンズ→千葉ロッテマリーンズ)
- 樋口一紀(元千葉ロッテマリーンズ→中日ドラゴンズ→千葉ロッテマリーンズ→阪神タイガース)
- 大畑裕勝(元読売ジャイアンツ)
- 川口憲史(元近鉄バファローズ→東北楽天ゴールデンイーグルス)
- 花田真人(元ヤクルトスワローズ)
- 田中瑞季(元福岡ダイエーホークス→福岡ソフトバンクホークス→千葉ロッテマリーンズ)
- 林威助 (阪神タイガース)
- 香月良太(大阪近鉄バファローズ→オリックス・バファローズ→読売ジャイアンツ)
- 香月良仁(千葉ロッテマリーンズ)
脚注
- ↑ 強豪テニス部で暴行、骨折=傷害容疑で部員ら送検へ-福岡・柳川高 時事通信社 2008年11月13日閲覧
- ↑ テンプレート:Cite web
関連項目
外部リンク
テンプレート:明治神宮野球大会優勝高校 テンプレート:金鷲旗全国高等学校柔道大会女子優勝校 テンプレート:全国高等学校総合体育大会柔道競技大会女子団体戦優勝校 テンプレート:Asbox