柏原純一
テンプレート:Infobox baseball player 柏原 純一(かしわばら じゅんいち、1952年6月15日 - )は、元プロ野球選手(内野手)、プロ野球コーチ。熊本県八代市出身。
現役時代は南海ホークス、日本ハムファイターズ、阪神タイガースで活躍した。
来歴・人物
熊本県立八代東高等学校時代、第42回選抜高等学校野球大会に出場したが初戦で敗退した。1971年のドラフトで南海ホークスから8位指名を受け入団。投手であったが、外野手として入団。入団した年の秋季キャンプで、袴のようなダブダブのジャージ姿をみて、当時評論家として視察に来ていた青田昇に「あれは本当に野球選手か。早く地元に帰したらどうか」と酷評された。しかし2年後一軍のレギュラーとなり、大洋の監督に就任した青田の前に野村監督が柏原を連れて行った。「プロに二軍があるとは知らなかった」というほど、何も知らずに大阪へ来たという。
3年目のテンプレート:Byに一軍に上がり、内野手に転向し二塁手となるが、当時のドン・ブレイザーヘッドコーチに失格の烙印を押され、テンプレート:Byからは一塁手に転向、背番号も9になる。テンプレート:Byとテンプレート:Byに連続して2桁本塁打を打ち、一塁のレギュラーを獲得。南海のホープとして期待される。南海時代、ボサボサ頭で、合宿所の畳部屋に一升瓶と共に寝転がっていた姿を見た漫画家・水島新司が、その風貌を「あぶさん」のモデルの一人にした[1]。
1977年シーズン途中での監督野村克也の公私混同等を巡る解任で球団に反旗を翻し、野村と同じロッテオリオンズへの移籍を直訴するも認められず、テンプレート:By、小田義人、杉田久雄との交換トレードで日本ハムファイターズへ移籍。南海、日本ハムの両球団が対象選手の統一契約書のみの交換でトレードを成立(本人の合意を取り付けないままの書類上による強制トレード:プロ野球史上2例目)させたため、一時は任意引退をも覚悟し日本ハムへの移籍を拒絶していたが、野村夫妻に説得されるなどして承諾した[1]。
日本ハムでは移籍1年目から4番を任され、全試合出場し24本塁打、84打点(ともにリーグ5位)と自身最高の成績を記録、球団の11年ぶりのAクラス入りに貢献した。選手会長を務めたテンプレート:Byには打率.310、16本塁打、81打点の成績を挙げ、更に敬遠球を本塁打にするなどチームのリーグ優勝に貢献。テンプレート:Byからテンプレート:Byにかけて5年連続全試合出場を果たした。
1980年6月、首都高速道路を走行中に衝突事故を目撃。持っていたバットでドアガラスを割り、事故車両に閉じこめられていた負傷者らを救出した[2]。
1981年7月19日の平和台球場で西武ライオンズの永射保から敬遠球を大根斬りし本塁打を放った。この経験はのちに阪神タイガースで指導した新庄剛志にも生かされる(サヨナラゲーム#敬遠球をサヨナラ安打)。
しかし、テンプレート:Byに就任した監督の高田繁の構想から外れ、テンプレート:By阪神タイガースに金銭トレードで移籍。一塁の他に、掛布雅之の故障離脱に伴い三塁や外野もこなした。テンプレート:By限りで現役引退。
引退後は、テンプレート:Byからテンプレート:Byまで阪神一軍・二軍打撃コーチ。テンプレート:Byからテンプレート:Byまでは中日ドラゴンズで一軍打撃コーチを務めたが1997年はチーム打率・得点がリーグ最下位、安打もリーグ5位と低迷し打撃陣の低迷の責任を取らされる形で同年限りで退団となった。テンプレート:Byからテンプレート:Byまではかつての恩師である野村に請われ、阪神一軍打撃コーチを務めたが3年連続チーム打率・得点がリーグ最下位に低迷し解任された。当時球団社長の野崎勝義によると「打撃担当の柏原純一コーチが外国人選手に対してものを言えない。また特定の選手、例えば人気の新庄剛志外野手しか指導しない。それ以外の選手に熱意を持った指導がない」、当時オーナーの久万俊二郎も「打撃コーチは能力的に無理なのではないか?」と指導力を問題視された[3]。テンプレート:Byとテンプレート:Byは、朝日放送、サンテレビジョン、Tigers-ai、サンケイスポーツ(大阪)で解説を務め、テンプレート:Byに北海道日本ハムファイターズチーム強化部プロスカウトに就任し、テンプレート:Byよりアマ担当「西日本統括スカウト」に就任。テンプレート:Byから北海道日本ハムファイターズの一軍打撃コーチ就任が発表[4]され、自身29年ぶりにファイターズのユニフォームに袖を通すこととなった。
日本ハム時代にはブラザーの電子レンジのCMに夫婦で出演したことがある。掛布雅之は著書の中で、「安芸キャンプの宿舎のロビーにいた美人を大野久選手がナンパしようとしたところ、『いつもお世話になっています。柏原の妻です』と挨拶され、慌てて逃げた」というエピソードを紹介している。
詳細情報
年度別打撃成績
テンプレート:By2 | 南海 | 25 | 70 | 65 | 7 | 18 | 3 | 1 | 1 | 26 | 6 | 2 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 2 | 8 | 1 | .277 | .329 | .400 | .729 |
テンプレート:By2 | 82 | 210 | 188 | 24 | 45 | 10 | 1 | 6 | 75 | 21 | 7 | 2 | 0 | 1 | 19 | 3 | 2 | 31 | 2 | .239 | .314 | .399 | .713 | |
テンプレート:By2 | 70 | 212 | 186 | 20 | 41 | 3 | 1 | 6 | 64 | 29 | 6 | 6 | 0 | 3 | 20 | 0 | 2 | 14 | 6 | .220 | .299 | .344 | .643 | |
テンプレート:By2 | 124 | 487 | 435 | 48 | 113 | 18 | 4 | 16 | 187 | 55 | 26 | 7 | 4 | 2 | 40 | 1 | 6 | 59 | 9 | .260 | .329 | .430 | .759 | |
テンプレート:By2 | 129 | 507 | 462 | 65 | 118 | 19 | 3 | 18 | 197 | 54 | 12 | 4 | 2 | 2 | 38 | 0 | 3 | 58 | 12 | .255 | .315 | .426 | .741 | |
テンプレート:By2 | 日本ハム | 130 | 555 | 500 | 72 | 147 | 18 | 4 | 24 | 245 | 84 | 15 | 10 | 0 | 4 | 49 | 3 | 2 | 64 | 12 | .294 | .357 | .490 | .847 |
テンプレート:By2 | 123 | 546 | 487 | 77 | 139 | 18 | 3 | 22 | 229 | 90 | 18 | 2 | 0 | 3 | 54 | 4 | 1 | 47 | 10 | .285 | .356 | .470 | .826 | |
テンプレート:By2 | 130 | 578 | 503 | 82 | 133 | 17 | 3 | 34 | 258 | 96 | 8 | 3 | 0 | 4 | 68 | 6 | 3 | 61 | 10 | .264 | .353 | .513 | .866 | |
テンプレート:By2 | 130 | 563 | 468 | 92 | 145 | 22 | 3 | 16 | 221 | 81 | 15 | 3 | 1 | 6 | 84 | 3 | 4 | 39 | 11 | .310 | .415 | .472 | .887 | |
テンプレート:By2 | 130 | 529 | 470 | 71 | 134 | 22 | 1 | 22 | 224 | 75 | 3 | 4 | 0 | 5 | 50 | 3 | 3 | 41 | 16 | .285 | .354 | .477 | .831 | |
テンプレート:By2 | 130 | 557 | 490 | 68 | 138 | 21 | 0 | 26 | 237 | 89 | 6 | 4 | 2 | 7 | 57 | 2 | 1 | 39 | 21 | .282 | .353 | .484 | .837 | |
テンプレート:By2 | 130 | 526 | 454 | 67 | 103 | 15 | 1 | 18 | 174 | 68 | 13 | 4 | 0 | 3 | 68 | 3 | 0 | 57 | 16 | .227 | .326 | .383 | .709 | |
テンプレート:By2 | 94 | 223 | 185 | 26 | 40 | 5 | 0 | 5 | 60 | 18 | 3 | 0 | 3 | 1 | 32 | 2 | 2 | 19 | 5 | .216 | .336 | .324 | .661 | |
テンプレート:By2 | 阪神 | 107 | 345 | 310 | 49 | 97 | 20 | 1 | 17 | 170 | 46 | 3 | 2 | 0 | 2 | 31 | 0 | 2 | 49 | 11 | .313 | .377 | .548 | .925 |
テンプレート:By2 | 57 | 100 | 91 | 4 | 16 | 3 | 0 | 1 | 22 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 | 0 | 23 | 3 | .176 | .250 | .242 | .492 | |
テンプレート:By2 | 51 | 68 | 59 | 3 | 10 | 5 | 0 | 0 | 15 | 1 | 2 | 0 | 1 | 1 | 7 | 1 | 0 | 9 | 1 | .169 | .254 | .254 | .508 | |
通算:16年 | 1642 | 6076 | 5353 | 775 | 1437 | 219 | 26 | 232 | 2404 | 818 | 140 | 51 | 13 | 44 | 629 | 31 | 33 | 618 | 146 | .268 | .346 | .449 | .796 |
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- 各年度の太字はリーグ最高
表彰
- ベストナイン:3回 (一塁手:1978年、1981年、1982年)
- ダイヤモンドグラブ賞:4回 (一塁手:1978年、1979年、1981年、1982年)
- オールスターゲームMVP:1回 (1982年 第2戦)
- パ・リーグプレーオフMVP:1回 (1981年)
- 後楽園MVP賞:1回 (1981年)
記録
- オールスターゲーム出場:3回 (1978年、1979年、1982年)
- 初記録
- 初出場:1973年8月9日、対日拓ホームフライヤーズ後期3回戦(大阪球場)、3回裏に桜井輝秀の代走として出場
- 初安打:同上、6回裏に藤原真から
- 初盗塁:同上、6回裏に二盗(投手:藤原真、捕手:加藤俊夫)
- 初先発出場:1973年8月10日、対太平洋クラブライオンズ後期4回戦(平和台球場)、7番・二塁手として先発出場
- 初本塁打・初打点:1973年8月11日、対太平洋クラブライオンズ後期6回戦(平和台球場)、9回表に三輪悟からソロ
- 節目の記録
- 100本塁打:1980年5月19日、対阪急ブレーブス前期9回戦(阪急西宮球場)、3回表に三浦広之から左越3ラン ※史上109人目
- 150本塁打:1982年5月9日、対ロッテオリオンズ前期9回戦(後楽園球場)、10回裏に仁科時成から左越サヨナラソロ ※史上64人目
- 1000試合出場:1982年6月16日、対阪急ブレーブス12回戦(阪急西宮球場)、4番・一塁手として先発出場 ※史上229人目
- 1000本安打:1982年8月1日、対阪急ブレーブス後期6回戦(札幌市円山球場)、2回裏に今井雄太郎から左越先制ソロ ※史上124人目
- 200本塁打:1984年5月18日、対南海ホークス7回戦(後楽園球場)、8回裏に山内孝徳からソロ ※史上43人目
- 1500試合出場:1986年8月15日、対中日ドラゴンズ20回戦(ナゴヤ球場)、9回表に吉竹春樹の代打として出場 ※史上83人目
背番号
- 53 (1971年 - 1974年)
- 9 (1975年 - 1977年)
- 6 (1978年 - 1985年)
- 2 (1986年 - 1988年)
- 85 (1989年 - 1995年)
- 75 (1996年 - 1997年)
- 77 (1999年 - 2001年)
関連情報
出演番組
- スーパーベースボール- 出演していたABCテレビのプロ野球中継現行統一タイトル。
- ABCフレッシュアップベースボール- 出演していたABCラジオのプロ野球中継の現行タイトル。
脚注
関連項目
テンプレート:北海道日本ハムファイターズ テンプレート:Navboxes
テンプレート:南海ホークス1970年ドラフト指名選手- ↑ 1.0 1.1 テンプレート:Cite web
- ↑ 山崎武は乳幼児を火事から救出/メモ 2013年12月9日8時3分 日刊スポーツ
- ↑ 野崎勝義著「ダメ虎を変えた!ぬるま湯組織に挑んだ、反骨の11年」朝日新聞出版、2011年、P72
- ↑ 北海道日本ハムファイターズ公式サイト|2014コーチングスタッフについて