愛媛県立松山北高等学校

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テンプレート:日本の高等学校 愛媛県立松山北高等学校(えひめけんりつまつやまきたこうとうがっこう)は、愛媛県松山市文京町にある県立高等学校。 北予中学校時代の1924年(大正13年)から約6年間、元陸軍大将で日露戦争に功のあった秋山好古が校長を務めた。彼は旧制北予中学にで毎日学校に通ったことでも有名である。

概要

校舎のある地域は愛媛大学松山大学などの集まる文教地区である。両大学への進学を中心にほぼ100%が大学へ進学する(国公立への進学は約6割)。校則は厳しく、月に一回服装と髪型についての身だしなみ検査が行われるのが特徴である。眉毛を剃った者は、即強制的に朝清掃をさせられる。身だしなみ検査では、「前髪が眉毛にかかってはいけない(男女共に)」「びんの部分は耳の中央の長さ(男子)」「後ろ髪を指2本で挟んではみ出てはいけない(男子)」「セーターが制服からはみ出てはいけない」「爪は長くてはならない」「靴下は白のものでなければならない」「ハイカットの靴は禁止」「眉毛を剃ってはならない」「明るい色の下着をつけてはならない」「スカートはちょうど膝にかかる長さでなければならない(男子)」などといった厳しい基準が設けられており、検査のたびにすべての項目に対してチェックされる。最近は髭の長さも厳しく注意されるようになった。

沿革

  • 1900年 - 私立北予中学校開校。
  • 1923年 - 県立松山城北高等女学校開校。
  • 1938年 - 県立に移管し、愛媛県立北予中学校となる。
  • 1947年 - 北条町外六か村組合立風早青年学校を愛媛県立松山農業学校と改称。
  • 1948年 - 学制改革により愛媛県立北予高等学校、愛媛県立松山城北高等学校、愛媛県立松山農業高等学校となる。
  • 1948年 - 愛媛県立松山農業高等学校分校中島分校(現愛媛県立松山北高等学校中島分校)を設置。
  • 1949年 - 北予高等学校、松山城北高等学校、松山農業高等学校の3校を統合し、愛媛県立松山北高等学校設立。
  • 1953年 - 愛媛県立松山北高等学校北条分校(現愛媛県立北条高等学校)を設置。
  • 1964年 - 北条分校が独立し、愛媛県立北条高等学校となる。
  • 1980年 - 80周年記念館が完成。
  • 2000年 - 創立100周年を迎える。
  • 2010年 - 創立110周年を迎える。
  • 2010年 - 本校でNHKテレビドラマ坂の上の雲』の撮影が行われる。
  • 2011年 - 普通科の募集人数を40人減らし、1学年が400人10クラスから360人9クラスに移行する。
ファイル:松山北高校校長室秋山好古像・書.JPG
校長室の秋山好古の書と小像。この像が秋山好古生誕地にある銅像の復元モデルとなった
ファイル:松山北高校パノラマ.jpg
愛媛大学から見た松山北高校

設置学科

部活動

運動部

文化部

主な施設

  • 校内
    • 第一教棟(職員室、校長室、保健室、HR教室)
    • 第二教棟(理科教室、家庭科教室、HR教室)
    • 第三教棟(地歴科教室、図書室、美術室)
    • 第四教棟(HR教室)
    • 第五教棟(各文化部室)
    • 第一体育館
    • 第二体育館
    • プール
    • 弓道場
    • テニスコート
    • 北斗園
  • 校外
    • 北斗林(演習林)

湯山地区にある約7haの学校林。これは、昭和19年に北予中学校時代の先輩たちの尽力によって購入されたもので、北斗林と呼ばれている。杉や檜を植林し始めたのは、昭和32年(1957年)からで、以後毎年6年間にわたって、合計約4万本の苗木が植えられた。これらの植林後、在校生が毎年北斗林へ出向き、1970年代までは下草刈り、1980年代以降は間伐を続け育林してきた。

出身者

最寄駅

関連項目

外部リンク


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