小林武史
テンプレート:Infobox Musician 小林 武史(こばやし たけし、1959年6月7日 - )は、山形県新庄市出身の音楽家、音楽プロデューサー、作詞家、作曲家、編曲家、ミュージシャン。山形県立新庄北高等学校卒業。烏龍舎代表取締役社長。ap bank代表理事。音楽制作者連盟理事。My Little Lover、Bank Band、Lily Chou-Chou、BRADBERRY ORCHESTRAのメンバー。
目次
経歴
音楽業歴
5歳からクラシックピアノを始めた。兄の影響もあって多くの音楽、特に洋楽を聴いて育った。高校の頃には、ジャズ理論なども自ら学ぶ。後に、バークリー音楽大学から帰ってきた先生にバークリーメソッド方法で音楽理論を個人的に学んでいた。バンドを組んで自作曲を演奏したり米軍キャンプ回りをする一方、20歳の頃にはスタジオミュージシャン(キーボーディスト)としても活動を始める。バークリー音楽大学に行きたい気持ちもあったが、日本でもある程度学べたことと仕事が増えたことで、実践で経験をつけていった。1977年に廣田龍人が率いる「RICKY&REVOLVER」の結成に参加(1984年脱退、後任キーボーディストは吉俣良)。1980年には、業界プレゼンライブ「第1回原宿音楽祭」に出場し優勝。その頃、杏里への楽曲制作を依頼され初めて作曲を手掛けた「思いきりアメリカン」(1982年4月21日)がヒット。これを機に作曲家としても活動を開始(この曲以外の杏里への提供楽曲では、作曲のみならず、すべて作詞も手掛けていて、当時は杏里のサポート・メンバーでもあった)。またこの時、杏里のアレンジをしていた佐藤準の薦めでアレンジャー業も始めた。
25歳の頃、大村憲司との出会いをきっかけに井上陽水、坂本龍一、高橋幸宏、大貫妙子など数多くのアーティストの楽曲やライブにキーボーディストとして参加したり、松本隆・筒美京平コンビの楽曲の編曲を手掛けるなど、あっという間に引っ張りだことなる。
1987年に、桑田佳祐の1stソロシングル「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」(1987年10月6日)、2ndソロシングル「いつか何処かで (I FEEL THE ECHO)」(1988年3月16日)のアレンジに参加し、1stソロアルバム『Keisuke Kuwata』(1988年7月9日)と共に当時あまりメジャーではなかった小林が高く評価されるきっかけとなった。「このアルバムのシェフは小林君、自分は素材として気持ちよく仕事ができた」と桑田は語っている(桑田著『ただの歌詞じゃねえかこんなもん~』より)。
1988年、1989年には、小林自身が歌っているデモテープを聴いた大貫妙子の勧めで「小林武史」としてソロアルバムを2枚出したが、ほとんどプロモーションが無かったこともありセールス的には大きな影響を生み出せなかった(「このころ、すでに女性ボーカルを探していたが見つからなかったので自分が歌ったが、難しかった」と語っている)。
サザンオールスターズの活動再開後の初シングル「みんなのうた」(1988年6月25日)からサザンの編曲にも参加するようになった。続くアルバム『Southern All Stars』(1990年1月13日)でもアレンジに参加し、桑田が監督した映画『稲村ジェーン』の音楽監督も務めた。収録曲の「真夏の果実」「希望の轍」はサザンのライブでは必ずと言っていいほど歌われる曲となった。翌1991年は、原由子の2枚組ソロアルバム『MOTHER』(1991年6月1日)のプロデュース、編曲を手掛けた。
この頃に桑田らとSUPER CHIMPANZEEという(小林曰く“冗談のような”)バンドを組んで活動。シングル「クリといつまでも/北京のお嬢さん」をリリース、日清パワーステーションで洋楽、NHKで邦楽のカバーライブを行った。このライブの模様は桑田佳祐『Acoustic Revolution Live at Nissin Power Station 1991.3.26』(DVD/VHS/LD)で観ることが出来る。
1992年は「涙のキッス」「シュラバ★ラ★バンバ」(ともに1992年7月18日)などを含んだ『世に万葉の花が咲くなり』(1992年9月26日)のアルバムプロデュースに参加。その後シングル「クリスマス・ラブ (涙のあとには白い雪が降る)」(1993年11月20日)を最後にサザンの音楽活動に参加することはなくなった。
この頃、ほかにプロデュースを手掛けていたアーティストに大貫妙子や渡辺美里、小泉今日子などがおり、作曲・編曲を手掛け小泉唯一のミリオンセラーとなる「あなたに会えてよかった」(1991年5月21日)で第33回日本レコード大賞編曲賞を受賞。後に「この曲でメロディーメーカーとして世間に認知されたことが大きな自信になった」と小林は語っている。
TK時代
小林が「まっさらなバンドをプロデュースしてみたい」とメジャーデビュー時(1992年)からプロデュースしていたMr.Childrenは当初なかなかヒットしなかったが、アルバム『versus』(1993年)の頃から徐々にブレイク。1995年にはかねてよりデビューさせたかったAKKOとギタリスト・藤井謙二をMY LITTLE LOVERとしてデビューさせる。楽曲のほとんどが小林の作詞作曲によるもので、シングル3作目の「Hello, Again ~昔からある場所~」(藤井との共作)、1stアルバム『evergreen』共に200万枚を超える大ヒット。ヒットメーカーの名を不動のものとし、当時trfやglobeのプロデュース業で大活躍していた小室哲哉とイニシャルが同じ事から「TK時代」と呼ばれた。MY LITTLE LOVERは2000年代に入ってからは、以前ほどの売れ行きを見せなくなったが、Mr.Childrenは依然として大きなセールスを続け日本を代表するモンスターバンドとなった。
また1995年には、桑田とMr.Childrenを共演させたシングル「奇跡の地球」を発表。また岩井俊二監督の映画『スワロウテイル』(1996年)の音楽監督を務め、同映画の主人公を演じたCharaがボーカルを務める架空のバンド・YEN TOWN BAND名義で出したシングル「Swallowtail Butterfly~あいのうた~」(1996年7月22日)、アルバム『MONTAGE』(1996年9月16日)をヒットさせた。岩井とは、映画『リリイ・シュシュのすべて』(2001年)でもタッグを組み、映画と連動した架空の歌手・Lily Chou-Chou(役は、Salyu)の作品をリリースした。
1996年、My Little LoverのボーカルのAKKOと結婚した。 1998年、ソニー・ミュージックエンタテインメント内のSony Music Associated Recordsに「ZONE LABEL」を旗揚げし、Woman's Soul・MANGAHEAD・Lily Chou-Chouをプロデュースするも2年で休止する。
現在
- Mr.Childrenは2007年の「"HOME" TOUR 2007」で、初めてツアーにキーボーディストとして帯同。それ以降のフェスなどにも参加している。
- MY LITTLE LOVERは2004年以降活動を休止していたが、2006年7月にAKKOのソロプロジェクトとしてエイベックスに移籍を発表。再始動シングル「り・ぼん」(2006年11月8日)、アルバム『akko』(2006年12月6日)では小林は作詞・作曲は行わず、一部の曲でキーボーディストとして参加、エグゼクティブプロデューサーとしてクレジットされている。復活第2弾シングルとなる「あふれる」(2007年3月7日)では作曲・編曲・プロデュースを手掛けているが、その後の作品やライブ活動には関わっていなかった。
しかし2008年1月3日、元日にAKKOと離婚したことを発表。その際の「現在はすでに良い友情をお互いに感じています」というコメントを裏付けるかのように、シングル「ラビリンス」(2008年3月12日)、「イニシャル」(2008年4月2日)、「アイデンティティー」(アルバム収録)の3部作を作曲・プロデュース。5月1日のMY LITTLE LOVERデビュー13周年記念ライブではアンコールでサプライズゲストとして登場し、7月21日の「ap bank fes '08」でも共演した。
- Salyuは1998年に小林がスカウト。2000年にLily Chou-Chouのボーカルとしてデビューさせ、2004年のソロデビュー、2006年頃までは、ほぼ全曲で作詞・作曲・編曲・プロデュースを行う。2005年12月31日の「COUNTDOWN JAPAN05/06」までのほぼ全てのライブに、キーボーディストとして参加。『TERMINAL』(2007年1月17日)収録の「トビラ」のPVにも出演している。2007年からSalyuのセルフプロデュースも増えたが、2010年に発表した3rdアルバム『MAIDEN VOYAGE』でもプロデュースや楽曲提供をするなど活動での関係は深い。2010年11月5日には突如Lily Chou-Chou活動再開を発表し、新曲「エーテル」を配信限定リリースした。
- レミオロメンはアルバム『朝顔』(2003年11月19日)から手がけ、シングル「モラトリアム」(2005年1月12日)、アルバム『ether』(2005年3月9日)以降の作品で全面的にかかわっている(今はセルフプロデュース)。ほぼ全曲でピアノやキーボードなどで参加しているが、ライブ活動での共演はない。シングル「太陽の下」(2006年3月1日)のPVに出演している。
- 一青窈とは「ap bankfes '05」で知り合い、「指切り」(2005年12月7日)、「てんとう虫」(2006年11月29日)(アルバム『BESTYO』収録)、「冬めく」(2007年1月31日発売予定だったが発売中止)と立て続けに楽曲提供・プロデュース。一方で、一青は小林がプロデュースするSalyuや綾瀬はるかの楽曲に詞を提供するなど、共作が続いた。
しかし2007年1月26日発売の写真週刊誌「フライデー」、及びそれを後追いしたスポーツ新聞や雑誌等において、小林と一青の不倫が発覚(詳細は#エピソード参照)。これを機に仕事を共にすることはなくなっていたが、2008年7月19日の「ap bank fes '08」で共演。12月の一青主演の舞台『箱の中の女』の音楽を手掛ける。
- 女優の綾瀬はるかは1st、2ndシングルをプロデュース。デビュー曲「ピリオド」(2006年3月24日)ではEvery Little Thingの持田香織が、2ndシングル「交差点days」(2006年9月13日)では一青窈が作詞を行っている。
- 鬼束ちひろは約2年半に渡って活動休止状態だったが、2007年2月20日にプロデュースを手掛けることを発表。3月17日に小林主催のap bankのイベント『AP BANG! 東京環境会議 vol.1』で復活させる。シングル「everyhome」(2007年5月30日)のリリース時には『ミュージックステーション』『僕らの音楽』で鬼束と共に出演し、「everyhome」のPVにも出演している。
- PhilHarmoUniQueをプロデュース。烏龍舎の自社レーベル“ORS(OORONG RECORDS)”の第1弾アーティストとしてデビューさせる。(バンド活動を2010年6月2日から休止中。)
- lego big morlをORSとavexによる“ORS-LLP”よりデビューさせる。エグゼクティブプロデューサーとして関わっている。
- その他には、エレファントカシマシのアルバム『ライフ』(2002年5月2日)のプロデュース、SMAPのシングル「友だちへ ~Say What You Will~」(2005年1月19日)の編曲を行った。また、映画『GATE』(2008年公開)の主題歌として、伊藤由奈の「GATE」を作詞・作曲・編曲。配信限定でリリースされた。
- 映画音楽の製作にも意欲的であり『リリイ・シュシュのすべて』(2001年)、『深呼吸の必要』(2004年) 、『地下鉄に乗って』(2006年)、『幸福な食卓』(2007年)、『ミッドナイト・イーグル』(2007年)の音楽監督を務めている。2009年には岩井俊二プロデュース、北川江吏子監督の『ハルフウェイ』の音楽を担当する。
- 2008年、AKKOと離婚した。
- 2008年4月~9月まで『ハッピーミックス』(日本テレビ系)に出演。毎回ゲストを迎えて対談をした。
- 2008年5月25・26日放送の『NHKスペシャル 北極大変動』の音楽を担当。
- 2008年10月12日、2009年1月4日放送の『ネオコラ!東京環境会議』(フジテレビ)をプロデュース。覆面アーティスト・ブラッドベリ・オーケストラをプロデュースし、主題歌としてオンエアされたが、覆面の正体は明かされていなかった。ボーカルはSalyuと一青窈であるが、公式には明らかにされていない。
- 2008年11月26日、小林武史ソロ名義としては19年ぶりとなるアルバム『WORKS I』をリリース。CD化されていなかった映画音楽を中心に収録されている。
- 2009年10月1日、大沢伸一と共にプロデューサー・ユニット「BRADBERRY ORCHESTRA」を結成。「Lucky」(Salyu、エリィがボーカル参加)をリリースし、同年11月6日には"BBO RECEPTION PARTY"を開催。同ユニットの形態や活動内容が、一部明らかとなる。
ap bankでの活動
2001年に桜井和寿、田原健一とAcid Testとして活動したことがきっかけとなり、2003年に桜井、坂本龍一らと共に環境プロジェクトへの非営利融資機関「ap bank」を設立。
2004年にap bankの活動資金や融資金を集めるために小林と桜井を中心としてBank Bandを結成。ライブ活動やフェスの開催やCDとDVDのリリースなどを行っており、これらの収益はすべてap bankの活動資金や融資に充てられている。(詳細:リリースに関してはBank Band、フェスに関してはap bankの各ページを参照)
ap bankの活動に関連して雑誌『SWITCH』に連載を持ったり、「ap bank dialogue」と題した講演を行うなど、その活動は多岐にわたる。世界的にも活動が認められつつあり、2007年2月にはロンドンでアル・ゴアと対談、10月にはアメリカの雑誌『TIME』の特別号『Heroes of the Environment(環境問題の英雄たち)』(2007年10月29日号)にて小林と桜井、ap bankの活動が紹介された。この号に掲載された日本人はほかにトヨタ・プリウスチームのみである。2008年5月31日にはさいたまスーパーアリーナで行われた「VIDEO MUSIC AWARDS JAPAN 2008」に桜井と小林がサプライズ出演し、ap bankでの活動に対しU2のヴォーカリスト・ボノから「Rock The World Award」を授与された。東日本大震災以降はap bankの活動をさらに精力的に進めている。
音楽作品
アルバム
シングル
ドラマ音楽
- 『ずっとあなたが好きだった』(TBS系、1992年7月~9月)
- 『ダブル・キッチン』(TBS系、1993年4月~6月)
- 『誰にも言えない』(TBS系、1993年7月~9月)
- 『終らない夏』(日本テレビ系、1995年7月~9月)
映画音楽
- 『稲村ジェーン』 桑田佳祐 監督 (1990年公開)
- 『スワロウテイル』 岩井俊二 監督 (1996年公開)
- 『リリイ・シュシュのすべて』 岩井俊二 監督 (2001年公開)
- 『深呼吸の必要』 篠原哲雄 監督 (2004年公開)
- 『地下鉄に乗って』 篠原哲雄 監督 (2006年公開)
- 『幸福な食卓』 小松隆志 監督 (2007年1月27日公開)
- 『ミッドナイト・イーグル』 成島出 監督 (2007年11月23日公開)
- 『ハルフウェイ』 北川悦吏子監督 (2009年2月21日公開)
- 『BANDAGE バンデイジ』 小林武史 監督 (2010年1月16日公開)
- 『愛と誠』 三池崇史 監督 (2012年6月16日公開)
- 『後会無期』 (中国の映画) 韓寒 監督 (中国2014年7月24日公開)
舞台音楽
- 『箱の中の女』(2008年12月)
その他の主なプロデュース・アレンジ
(本文に登場するアーティスト以外)
アイリーン・フォーリーン、立花理佐、田村英里子、観月ありさ、高野寛、安田成美、BEGIN、牧瀬里穂、鈴木祥子ほか
音楽以外の著作
映画
- 『【es】 Mr.Children in FILM』(ドキュメンタリー映画、1995年6月3日公開)監督
- 『ハルフウェイ』 北川悦吏子監督(2009年2月21日公開)プロデュース・音楽
- 『BANDAGE バンデイジ』(2010年1月16日公開)監督
テレビ番組
- 『ネオコラ!東京環境会議』(フジテレビ、2008年10月12日、2009年1月5日放送)総合プロデュース
PV監督
著作
- 『環境と欲望―東京環境会議―』(ポプラ社、2008年7月)
エピソード・その他
エピソード
- FMラジオJ-WAVEで、「Sign of Thursday」という番組のナビゲーターを1年手掛けたことがある(1998年4月-1999年3月、木曜の20時からの一時間番組)。この番組では、毎週音楽的テーマをあらかじめ決め、それについて曲を紹介しながら小林がコメントするという内容であった。主に海外の著名アーティストや、プロデューサー、またMr.ChildrenやMY LITTLE LOVERのCDが発売される時は番組で特集も行った。この番組でのBGMも小林が手掛け、それらの一部はMY LITTLE LOVERの『The Waters』で聴ける。
- 目付きが鋭く、Mr.Childrenが初対面した時に田原は目を合わせられなかったらしい。小林は「なぜか田原だけ、空気中のある一点をずーっと凝視してた」と語っている。
- 桜井らによればテレビに出ると大人しくなるが、普段の小林は非常に雄弁らしい。
- 喋り方が独特でその巧みな話術はMr.Childrenのメンバーから「催眠術のようだ」と言われており、鬼束ちひろは歌詞の中で「マジカルマン」と例えている。
- 初めてプロデュースを依頼されたのは、パンクバンドであるザ・ロック・バンド(旧 アナーキー)のアルバム『四月の海賊たち』(1987年8月発売)である。
- “水”がとにかく好きらしく、趣味は水泳・ダイビング。そのためか小林の関わる作品には「水」に関する詞やイメージが多数登場する。「宇宙」の話も好き。
- 「将来的には珊瑚を植える人になりたい」と語る(2006.9.2 「ap bank dialogue '06 vol.4 in シブヤ大学」)。
- 自身も野球をやっていたこともあり大の野球ファン(特に巨人軍)らしく、楽曲や物事をよく野球に例える。レコーディングの時に観た長野オリンピックで金をとった団体ジャンプにもいたく感動したという。
- 麺類が好きで特に出身地が蕎麦処山形県だけに日本蕎麦には拘りがある。お茶も好きで事務所の名前にするほどである。酒も嗜み、酔うと饒舌になるらしい。2007年3月の「AP BANG!東京環境会議 vol.1」のリハーサル時は1週間以上毎日牛丼を食べ続けた。
- 桑田佳祐のライブ『Acoustic Revolution Live 』(1991年)で、桑田による小林のメンバー紹介で「キーボード、ベース、グロッケン、横森良造のモノマネ。すべてやってくれます」「彼とは僕がソロアルバム作った時からの仲で、今も原坊(原由子)のアルバム作っているんですけど、朝7時、8時まで1人コツコツ作ってくれてます。これからも、彼が嫌だといっても(笑)、サザン関係に巻き込んでいきます」「本性はおこりんぼです」とコメントされた。
- サザンと同じ事務所に所属していた女優松下由樹とは8年間交際し、結婚寸前と言われていたが1995年に破局。直後にMY LITTLE LOVERのAKKOと結婚する。なお1988年5月10日放送の『ザ・ベストテン』に桑田佳祐「いつか何処かで」がランクインし、桑田と小林、松下の3人で出演。小林はキーボードとコーラス、松下はピアニカを演奏した。
- 2007年1月、写真週刊誌『フライデー』およびそれを後追いした一部スポーツ紙・週刊誌などで、一青窈との不倫疑惑が報じられた。小林の所属事務所烏龍舎(社長は小林自身)はこの件に関し「プライベートのことなのでコメントしません」としていたが、5月10日にはAKKOとは別居状態であること、すでに離婚に向けた話し合いがなされており、一青と再婚するのではないかということがスポーツ新聞やテレビで報道された。2008年1月3日に元日にAKKOと離婚したことを発表。
- AKKOとの2人の娘は、アメリカ生まれ。
- 社会学者の宮台真司の著書を全部読むほどの大ファンである。
音楽的エピソード
- 専門の演奏楽器は、ピアノとキーボード、シンセサイザー、アコーディオン、グロッケンといった鍵盤楽器であるが、ベースやギター、コーラスを担当していることもある。
- 近年は電子的なキーボードよりも、アコースティックピアノを一番好む。1人で伴奏や主旋律を弾くなど多くの事ができたり、弾き手の感情がより緻密で繊細に音に表れ時を経ても鮮明さを失わない魅力を感じると言い、自らも積極的に演奏している。
- ライブの際、ピアノで伴奏をする際などにはわざと出だしをずらしたり独特の間を作ることで、歌い手への効果を狙うことがしばしばあるという。
- 中学生の時に特に影響を受けたのは、ジョン・レノンの『John Lennon/Plastic Ono Band(ジョンの魂)』(1970年)、ピンク・フロイドの『The Dark Side of the Moon(狂気)』(1973年)という。
- スティーヴィー・ワンダーの『Songs in the Key of Life』(1976年)に影響を受け、MY LITTLE LOVER『Topics』の冒頭にその影響が見られる。
- カーペンターズとバート・バカラックを敬愛しており、キラーチューンとして「(They Long to Be) Close to You」を挙げている。また、2008年の来日コンサートに際して、パンフレットに寄稿している。
- アメリカよりはイギリスの音楽が好きらしい。
- 1999年にジョージ・マーティンとラジオで対談した際、「君はこっちじゃもう有名だよ」と褒められた。
- 作曲家デビュー当初からイントロなどのキャッチーなフレーズ作りで知られ、桜井らからは「イントロ大王」と称される。編曲を手掛けた多くの楽曲でそのフレージングセンスは伺えるが、Mr.Childrenでは「Tomorrow never knows」「innocent world(イントロのフレーズはメンバーである田原健一の提案)」、桑田佳祐では「悲しい気持ち」、サザンでは「希望の轍」「真夏の果実」「涙のキッス」などが有名である。Mr.Childrenが初めてオリコン1位を獲得したアルバム『Atomic Heart』では、小林が「このアルバムの始まりはジャジャジャジャーンだ」と決定、そこから1曲目「Dance Dance Dance」の残りのメロを桜井と共に仕上げていった。
- 音楽プレーヤーや音楽対応の携帯電話の普及による昨今の鑑賞環境の変化も考慮して、使用する楽器を選んだり楽曲のアレンジをしているという。携帯プレイヤーでの聴こえを良くするためにギターの音を絞ることもあるらしく、その際「iPodのチャカチャカした音でもバンプ(BUMP OF CHICKEN)とかの集中力の高い音楽なら伝わるものがある」と語っている。
- Mr.Childrenの「I'LL BE」では、桜井に酒を飲んで酔わせリラックスさせて歌うことを提案した(アルバム版のみ)。
- サザンオールスターズ、桑田のプロデュースをやめたことについて「当時、ニューヨークで見つけた新しい音楽に桑田さんを持っていきたかった。しかし、サザンファンには『サザン=青春』と考えている人が多すぎてできなかった。その替わりをMr.Childrenに求めたような気がする」と語っている。
- 自身のアレンジ技術について、「僕は鳴っている楽器を整理することで、聴き手に多くの楽器がさも鳴っていないように感じさせることが得意なんです」と語っている。
発言
- 「プロデュースというのは、例えばだれかが肩が凝っていると、自分はツボを押してあげて血行をよくしてそのアーティスト本来の良さを引き出す作業のようなものだと思います。ただ、『また凝ったんですよ』としょっちゅう言われるとこっちも『またかよ』ってなりますけど」(ラジオより)
- 「日本音楽界の大きな部分を小室さんが担ってて、そして小さな一角の部分で僕がやっているって感じ」(1990年代中期、TK時代と呼ばれていたことについて)
- 「ほっとけばビジネスの側面だけから“ヒット・プロデューサー”と呼ばれる立場。でも、一人よがりだったかもしれないけど、人間の本質にコミットする音楽を作ってきたつもり。音楽が持っている“人間を解放する力”“人間をつないでいく力”“自分を偽らないで伝える力”。そうしたものを表現できたと思っている」(R25より)
- 「わくわくするポップ感覚って、高いところから人を見下ろすんじゃ駄目で、視線を下げて、どんな人とも同じ視点で通じてくものにしないといけない。それじゃないと共感は生まれない」
- 「桑田さんは歩く電通」(桑田の歌詞はどの言葉も広告のキャッチコピーのようにキャッチーであるということを桜井にそう表現した)
- 「いつかまた彼(桑田)と仕事ができたらと思うんです。何しろ、偉大なボーカリストだと思いますから……」- 「H」より
- 「優しいだけの男なんて誰も求めてねぇよ」―― Mr.Childrenのデビュー当時、20歳そこそこの可愛い恋愛の詞を書いていた桜井に対して
- 「ミスチルの影響で、その後の(日本音楽界の)フォーキーな流れが始まった」
- 「今、桜井和寿が歌うから意味があるものを」 ―― シングル「innocent world」の歌詞に悩んでいた桜井に言った言葉
- 「深海はコンセプト色の強いアルバムで、僕が意図的に桜井をそういう方向に引っ張っていったというのもある。それくらい当時の彼は無軌道だった」―― Mr.Childrenのアルバム『深海』について
- 「今度はアフリカや国際問題に目を向けてはどうだろう?」(2006年にMr.Children「箒星」作成後に次のアルバムを方向性を議論する際に小林が提案した案、ただし桜井はそのテーマにあまり乗り気ではなく「HOME」が作られる)
- 美空ひばりについて「いやもう、本当の天才ですよね。庶民の気持ちというか、良い意味で野卑な声というかね。内臓を曝け出すような歌い方から、神様が宿っているんだなって思う様に、天を感じさせる、そこを行ったり来たりできる自由自在にやられる方って、僕は美空ひばりさんしか知らないですね」(2008年、5月、フジの美空ひばり特番より)
クルック
自ら代表取締役を務める株式会社クルックと伊藤忠商事は合弁で、POC(プレオーガニックコットンプログラム)の運営活動を行っている。クルックのオンラインショップでは、POCによる諸商品が販売されている。ちなみに、同ショップではMY LITTLE LOVER、Salyu、レミオロメン、Lily Chou-Chouなど関連アーティストのオフィシャルグッズも販売されている。
関連項目
外部リンク
- メッセージフロム小林武史 - 公式ブログ
- ap bank ホームページ
- AP BANG! 東京環境会議 TOKYO CREATORS MEETING
- MY LITTLE LOVER Web Wonderland
- プレオーガニックコットンプログラム
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