八幡市 (福岡県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox 八幡市(やはたし)は福岡県の北東部にかつてあった市。鉄鋼業を軸に、北九州工業地帯における重工業の中心地として栄え、1963年(昭和38年)に小倉市門司市戸畑市若松市と合併して北九州市となり、消滅した。

旧市域は区制によって八幡区となり、北九州市内の一区として発足したが、1974年(昭和49年)4月1日八幡東区八幡西区へ分割された。

現在、京都府に同名の八幡市(但し、読みは「やたし」)があるが、同市の市制施行は北九州市発足後(1977年)であり、両者が同時に存在した時期はない。

地理

隣接していた自治体

※消滅前日(1963年2月9日)現在。

歴史

市域は律令制下では筑前国豊前国にまたがる地域だったが、廃藩置県によって福岡県に属した。1901年(明治34年)に、日本初の近代製鉄所である官営八幡製鐵所の建設地に選定され、以後はこの八幡製鐵所を軸に工業都市として飛躍的に発展し、「鉄の町」と呼ばれるようになる。

太平洋戦争中の1944年(昭和19年)6月16日に、初めてB-29を使用した日本本土空襲の対象となる(八幡空襲)。空襲はこのあと同年8月20日におこなわれたあとは1年近くなかったが、終戦直前の1945年(昭和20年)8月8日の空襲で大きな被害を受けた。この空襲により発生した煙は、八幡市へもさらなる壊滅的打撃を与えたであろう小倉市への原子爆弾投下を妨げることとなった(詳細は「長崎市への原子爆弾投下」の項参照)。

行政区域の変遷

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、遠賀郡尾倉村(111戸)大蔵村(145戸)枝光村(109戸)が合併して八幡村が発足。尾倉村の豊山八幡神社、大蔵村の乳山八幡神社、枝光村の枝光八幡宮と、3村とも産土神八幡神鎮守神としていたことから命名された[1]。同時に以下の村が成立。
    • 遠賀郡
      • 黒崎村 ← 前田村・藤田村・熊手村・鳴水村
      • 上津役村 ← 上上津役村・下上津役村・小嶺村・市瀬村・引野村・穴生村
      • 洞南村 ← 折尾村・陣原村・則松村・永犬丸村・本城村
      • 香月村 ← 香月村・楠橋村・馬場山村・畑村
    • 企救郡
      • 板櫃村 ← 槻田村・板櫃村・中井村・藍島村・馬島
      • 西紫村 ← 小熊野村・篠崎村・蒲生村・今村
      • 西谷村 ← 田代村・長行村・辻三村・合馬村・徳吉村
    • 鞍手郡
      • 木屋瀬村 ← 木屋瀬村・野面村・笹田村・金剛村
    • 1897年(明治30年)4月23日 - 黒崎村が町制施行、黒崎町となる。
    • 1898年(明治31年)9月2日 - 木屋瀬村が町制施行、木屋瀬町となる。
  • 1899年(明治32年)2月15日 - 八幡村が町制施行、八幡町となる。
  • 1917年(大正6年)3月1日 - 八幡町が市制施行、八幡市となる。
    • 1918年(大正7年)12月13日 - 折尾村が町制施行、折尾町となる。
  • 1922年(大正11年) - 市章を制定する。一般公募によるもので、日章旗を時計廻りに8等分レイアウトして、「8旗=やはた」をシンボライズした。
    • 10月1日 - 板櫃村が町制施行して板櫃町となる。
  • 1925年(大正14年)4月28日 - 板櫃町(いたびつまち)大字槻田(高+荒生)・小熊野の各一部を分割して編入する。板櫃町の残余は小倉市に編入する。
  • 1926年(大正15年)11月2日 - 黒崎町を編入する。
    • 1931年(昭和6年)4月1日 - 香月村が町制施行、香月町となる。
  • 1937年5月5日 - 上津役村(こうじゃくむら)を編入する。
  • 1944年(昭和19年)12月8日 - 折尾町を編入する。
  • 1954年(昭和29年) - 小倉市田代(旧西谷村域)の一部を編入する。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 香月町および木屋瀬町を編入する。
  • 1958年(昭和33年)11月1日 - 一部を直方市に分離と編入がされる。
  • 1963年(昭和38年)2月10日 - 小倉市門司市若松市戸畑市と新設合併し、北九州市となり消滅する。
  • 1963年(昭和38年)4月1日 - 北九州市の政令指定都市移行により、旧市域が八幡区となる。
  • 1974年(昭和49年)4月1日 - 八幡区が八幡東区八幡西区に分割される。

産業

上で述べたように、官営八幡製鉄所およびその後身の日本製鐵八幡製鐵所に代表される重工業を主幹産業とした。戦後(1950年以降)はこの日本製鐵が解体され発足した八幡製鐵と黒崎窯業(現・黒崎播磨)、安川電機などが市内の最有力企業として地域経済を牽引した。なお八幡製鐵が合併により新日本製鐵となったのは北九州市発足後の1970年である。

戦前から1950年代にかけ、八幡市の中心地は中央町(現在の八幡東区中央)で、八幡製鐵所の東門があり、西鉄北九州線の枝光線との分岐点にもなっていたことから非常に栄えた。また八幡市に編入された黒崎(旧黒崎町)・折尾(旧折尾町)地区では商業が発達した。特に黒崎は1970年代初頭より一大商業地となり、北九州市の副都心と位置づけられた。

北九州市発足当時[2]は新しい市役所の位置を、現在北九州市立総合体育館が建っている金比羅山付近に置くことにされていたが、現在の位置に置くこととなった。

出身有名人

※北九州市発足以前の出身者。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

  1. テンプレート:PDFlink
  2. 北九州市発足時の暫定市役所は旧戸畑市役所

関連項目

外部リンク