余目町
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テンプレート:Infobox 余目町(あまるめまち)は、山形県庄内地方の中央に位置した町。
農業が主産業の町である。2005年(平成17年)7月1日に立川町と合併し庄内町となった。
目次
地理
山形県の北西、庄内平野の中央に位置し町域はすべて平坦地である。平田町と松山町との境に最上川が流れ、境界をなしている。現在は有数の稲作地帯だが、町の土地は最上川の水位より高い位置にあり最上川からは水を引くことができなかったので、広大な原野地帯が広がっていた。
1612年に最上義光の家臣、狩川(立川町)城主北楯利長が立谷沢川から取水する北楯大堰を建設した。それによって新田開発が盛んになり、原野地帯は水田へと一変した。ほかにも堰や多くの支線が建設され、現在も水田に水を供給している。
現在の余目の中心市街地は、江戸時代に周辺から農民が集住することによって形成された。
町内を分けるときは町内の4つの小学校の学区を基準にして分ける。
地域区分
余目町は庄内地方南部の鶴岡市を中心とした田川地区と、北部の酒田市を中心とした飽海地区の中間に位置するため、町はどちらに地域に属するかは見方が分かれるところである。平成大合併の際、酒田市側と鶴岡市側のどちらの枠組みに参加するかという話になったが、最終的にどちらにも参加せず立川町との2町間で合併の協議を進め、平成17年7月1日に庄内町が発足することになった。
- 鶴岡市を中心にした田川に含む:郡(東田川郡)
これは戦前に分けられた際のものが多い。
- 酒田市を中心とした飽海に含む:広域消防組合、NTTの市内
最近ではほとんど酒田市側に含まれる。
- 立川町との2町:警察(余目警察署)
隣接していた自治体
歴史
- 1889年4月1日:町村制施行によって余目村、廿六木村(とどろきむら)、跡村、榎木村、平岡村、千河原村、槙島村、提興屋村の8箇村を合併し余目村が発足。
- 1914年9月20日:余目駅開設。
- 1918年5月5日:余目村が町制施行。
- 1954年12月1日:余目町、栄村、常万村、大和村、十六合村、八栄里村の1町5村が合併し、現在の余目町が誕生する。
- 1961年7月:現在の役場庁舎が完成する。
- 1971年4月:町の人口が2万人を割る。
- 1980年12月:国道47号余目バイパスが開通。
行政
- 歴代町長
姉妹都市・提携都市
日本国外
- テンプレート:Flagicon コルサコフ市(ロシア・サハリン州)[1]
- 1992年7月23日 友好都市提携
- 「環日本海時代」への対応として、庄内中央青年会議所の仲介により、市民レベルで各種の国際交流を行うことを相互確認。1992年に「余目町とコルサコフ市との友好交流に関する覚書」に調印。
地域
教育
- 小学校
- 余目町立第一小学校
- 余目町立第二小学校
- 余目町立第三小学校
- 余目町立第四小学校
- 中学校
- 余目町立余目中学校
- 高等学校
- 山形県立庄内総合高等学校
公民館
- 中央公民館(響ホール)
- 第一公民館
- 第二公民館
- 第三公民館
- 第四公民館
公共施設・文化施設
- 響ホールウェブサイト
- 余目町絵画収蔵館
- 余目町資料館(第四公民館内)
- 余目町総合体育館
- 余目町立図書館
交通
鉄道路線
羽越線と陸羽西線が接続する交通の要所である。酒田市、鶴岡市どちらにも約20分で行くことができる。
路線バス
道路
- 高速道路
- 一般国道
- 町内を走る一般国道:国道47号
- 都道府県道
- 周辺市町への連絡
- 酒田市、秋田市…国道47号(酒田市まで約10km)
- 鶴岡市、新潟市…国道7号と山形県道43号余目加茂線
- 新庄市、山形市…国道47号(新庄市まで約45km)
観光スポット・史跡・祭り
出身有名人
- 卍凱 - 僧、総穏寺・第24世住職。
- 泉山三六 - 政治家、衆議院議員、第57代大蔵大臣
- 佐藤和香子 - 酒田エフエム放送・ラジオパーソナリティ
- 佐藤輝 - 俳優
- 國井英夫 - 荘内銀行頭取
- 天音里望 - 演歌歌手
- 渡部有 - テレビユー山形(TUY)アナウンサー