京阪8000系電車
京阪8000系電車(けいはん8000けいでんしゃ)は、1989年(平成元年)に登場した京阪電気鉄道の特急形車両。特急専用車両としては6代目である[1]。また、京阪の特急専用車としては初めて新造当初からの固定編成形式である[2]。
本項では、製造当初より8000系として落成した0番台について記述し、出町柳寄り先頭車の車両番号+F(Formation=編成の略)を編成名として表記する。
目次
変遷
当初、本系列は鴨東線の開業に伴う特急の所要本数の増加分と3000系の大半に存在していた6両編成をすべて7両編成に統一するために必要となった中間車のみを投入する計画だった。8551からの追い番ではなく8564・8566・8568として竣工させたのは、組み込み先の3000系の組み込み位置に合わせていたためである。
運用開始すると、特急停車駅で新型車両に乗車するために待つ乗客が非常に多くなったことから、当時の会社首脳陣が3000系の総置き換えを推進したという逸話が残っている[3][4]。その後、この計画は変更されて3000系は1編成のみ残され、1995年(平成7年)にはリニューアル工事とともに2階建車両(ダブルデッカー)が改造で組み込まれた[5]。
1993年(平成5年)までの間に7両編成10本(70両)が新造され、順次3000系を置き換えた。そして、1997年(平成9年)から1998年(平成10年)にかけて先に3000系で試験的に組み込まれていた2階建車両(ダブルデッカー)を本系列にも増結することになり(8800形)、1997年から1998年にかけて1年で5両ずつ計10両が新製され、出町柳寄りから4両目(淀屋橋寄りから5両目)に順次組み込まれ、後述のテレビカーの隣に配置された。そのため、現在は8両編成10本(80両)となっている。
トップナンバーの8001編成のみ、在来塗色のまま車両番号ならびにKマーク、側面社紋のステッカー化を行っていたが、2010年9月2日夜の普通萱島行きでの運用を最後に在来塗色での運用を終えた[6]。 なお、2011年3月1日をもって8001編成もリニューアル工事を受けたため、当系列(8030系を除く)の登場時のオリジナルカラーは消滅した。
最初の編成が落成してから20年が経過することからリニューアルされることが発表された。内装のグレードアップや、車端部のハイバックロングシート化(ただし、運転席後部はクロスシートを存置)とつり革の設置などが施工され、バリアフリー対策として車椅子スペースと3000系(2代)に準じたLCD式車内案内表示器が設置される。ロングシート部分の背もたれはクロスシート部分と同等以上の高さを確保しており、1区画ごとにヘッドレストを設けて区切るなど、通勤用車両の座席と差別化が図られている。ロングシート化された部分のカーテンも従来通り横引き式である。また、テレビカーに設置されているテレビ受像機や公衆電話も同時に撤去されることになった[7]。なお、8000系に編入された旧3000系については実施されない[8]。リニューアル編成1本目となる8010Fは2010年3月28日から営業運転に復帰した[9]。なおリニューアルにより撤去された座席は伊賀鉄道200系(旧 東急電鉄1000系)の2011年度分導入の車両に転用されている。
履歴
- 1989年(平成元年)
- 1990年(平成2年)
- 1991年(平成3年)
- 1992年(平成4年)
- 1993年(平成5年)
- 7月27日:8009F7連、竣工。翌28日より運用開始。この編成から各車両に車椅子スペースが設置された。
- 8月11日:8010F7連、竣工。翌12日より運用開始。
- 1997年(平成9年)
- 1998年(平成10年)
- 4月9日:8806竣工、翌10日より8006Fに組み込まれ運用開始。
- 4月14日:8807竣工、翌15日より8007Fに組み込まれ運用開始。
- 4月17日:8808竣工、翌10日より8008Fに組み込まれ運用開始。
- 4月22日:8809竣工、翌23日より8009Fに組み込まれ運用開始。
- 4月28日:8810竣工、翌29日より8010Fに組み入れられて運用開始。ダブルデッカー車組み込みによる8両編成化が完了。
- 2004年(平成16年)6月30日:8009Fに「海老蔵号」ラッピングされ貸切運転(天満橋駅から香里園駅へ)。
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)10月6日:8750形のブラウン管テレビを液晶32型テレビへ更新開始[10]。併せて「地上デジタル放送の受信」に切り替えられたためにBSアンテナの撤去が開始される。
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)
- 3月5日:8005F、新塗色化。8805のみ内装の意匠も変更。
- 4月1日:公衆電話ルームの使用を中止。その後順次撤去され、座席が増設された[12]。
- 7月1日:8002F、新塗色化。
- 9月30日:8003F、新塗色化。
- 2010年(平成22年)
- 3月19日:8010F、新塗色化。併せて初めての車内リニューアル、テレビカー廃止(以下、リニューアルの項目を参照)。28日に一般営業運転に入った。
- 7月7日:8004F、新塗装化。併せて車内リニューアル、テレビ撤去。
- 9月1日:9月30日までの期間限定で8000系全編成に京阪特急60周年「記念ヘッドマーク」を掲出[6]。
- 9月2日:この日限りで8001Fがリニューアルの為入場。8000系0番台の旧塗装編成が消滅。
- 12月28日:8007F、新塗装化。併せて車内リニューアル、テレビ撤去。
- 2011年(平成23年)
- 3月1日:8001F、新塗装化。併せて車内リニューアル、テレビ撤去。これにて全編成新塗装化完了。
- 2012年(平成24年)
- 7月:8000系0番台のリニューアル全編成完了。これにて0番台からはテレビカー全廃[13]。
車両
構体は6000系と同様にアルミ合金大型押出型材を使用した。ただし、後に製造された2階建車両(8800形)は普通鋼製車体。メーカーは川崎重工業車両カンパニー。
主電動機は東洋電機製造製直流複巻式TDK-8161A (175kW×4) である。
駆動方式は中空軸たわみ板継手平行カルダン。
制御装置は東洋製のACRF-H8175-792A界磁位相制御、回生ブレーキおよび定速制御機能付き。定速制御は時速45km以上であれば任意に設定が可能。また、定速制御操作を容易にするために京阪で初めて主幹制御器(マスコン)をワンハンドル式とした。そのため、営業開始前の1989年8月から10月にかけて昼間に寝屋川車庫 - 天満橋駅間で京阪線に所属するすべての運転士を対象に訓練運転が行われた。ワンハンドルマスコンは、ノッチは力行側がOff/1/2/-:減速/N:定速/+:加速、ブレーキ側はB1/B2/B3/B4/B5/B6/B7/キー抜取/非常ブレーキ。ただし、定速制御という特殊な目的のため、本系列(0番台)と更新後の30番台以外の一般車両に関してはマスコンハンドルとブレーキ設定器を分離したツーハンドル式が引き続き採用されている[14]。
- ブレーキはHRDA-1 回生ブレーキ優先電気指令式ブレーキ。付随車の空気ブレーキを効かせないで[15]付随車の運動エネルギーまでも回生ブレーキで電気に換える遅れ込め制御を採用している[16]。これには空気ブレーキ時に車輪に押し当てる制輪子が摩耗するのを減らすなどのメリットもある。
- 台車は、動力車が軸梁式KW-88(川崎重工製)、付随車がSUミンデン式FS-517C(住友金属工業製)であったが、1993年以降、FS-517C台車を新造された6000系・7200系・9000系の付随車へ振り替え、FS-517Dに交換している。
- 床下の継電器箱は東芝製である。
車内
本系列は、初代3000系のイメージを残しつつ、より近代的にアレンジされている。例えば、大きな客室窓(熱線吸収ガラス)の日除けには無機質なロール式カーテンではなく横引きカーテンが取り付けられている。また、運転席の遮光幕は運転席の後部のみ、運転席スイッチで自動で昇降する[17]。ただし、客室から運転室へのドア部の遮光幕は運転士が手で閉める。遮光幕は、客室寄りが黒、運転室寄りが緑色となっている。
自動音声放送
自動放送装置を搭載しており、2008年10月19日の中之島線開業に伴うダイヤ改正時より優等列車において使用しており、英語アナウンスによる情報提供も実施している。ただし、次駅での接続列車などについては肉声で案内される。また、扉開時の案内も7200系以降の車両と同様に従来より少し低いトーンの自動放送である(これに合わせて戸閉予告ブザー音も30番台を含めて同じく7200系以降のものに変更されている)。
なお、2003年9月6日のダイヤ改正以前にも男声(大伴英嗣)による自動放送を使用していたが、その改正により特急の停車駅が増加したため装置のROM容量の限界を超えてしまい、新装置への交換には費用がかかるとのことでその使用を停止し車掌の肉声による案内放送を行っていた[18]。なお朝方に運転される列車では、出だしの「京阪電車をご利用下さいまして、ありがとうございます。」が「おはようございます。」に差し替えられる。さらに、補助椅子を使用している場合は扉が開く前の放送「左(右)側の扉をあけます。ご注意ください」の後、「なお、出入口が混雑致しますので、補助いすをご使用のお客さまは、一度、お立ちくださいますようお願いいたします」という放送が流れる。
座席
座席は転換クロスシート[19]。3000系とは異なり、車端部や扉横を含めたすべての座席の転換が可能になっている(ただし、2階建車両の一部座席は固定式)。平屋車両はバケットタイプの転換クロスシートで、登場時は座席表地はブラウン系とピンク系の2色があり、1両おきに色が異なっていた。また当初は段モケットで、独特の座り心地であったが後に順次段のない表地に変更された。(ただし初期車は新塗装化による新モケットに張り替えられるまで登場時のままであった)編成によってパターンが異なり、1号車がブラウン系で始まる編成とピンク色で始まる編成の両方もあった。ダブルデッカーの8800形は背もたれの上部が直角になるシートで、青系の色である。2008年以降に塗装変更された車両はシート表地が全車黒色・枕カバーが赤(優先座席はオレンジ)に変更された。全車空気圧による自動転換装置を備えており、ターミナル駅で一斉に座席の向きを変える光景が見られる。
補助椅子
この他に、一般車(テレビカーを含む)は各ドア付近、ダブルデッカー車は各ドア付近(階段とドアが接する部分を除く)と1階席の各階段下に補助椅子が収納されている[20]。補助椅子にはロック機構が付いており、通常上りは京橋駅以降、下りは中書島駅以降でのみ使用できる[21]。補助椅子がロックされている間は「ただ今補助いすは使えません」の表示が出る。通常は使用可能区間に入るとロックが開錠され、「ご案内いたします。ただ今から補助椅子が使用できますので、ご利用ください。」という放送があり、英語でも同じ内容の放送がある。混雑が予想される場合は開錠されず、車掌の肉声でその旨が車内放送される。なお、混雑が解消されれば、枚方市駅や樟葉駅といった途中駅からでもロックが開錠されることがある。この場合でも補助椅子使用可の旨を告げる自動放送がある。また、特急・快速特急以外の種別で運用される場合は補助椅子は使用できない。
新塗色への変更に伴い、他の座席と同様の表地に交換された。
初代3000系(後の8000系30番台)では1箇所につき1人掛けを2席設置していたが、本系列では2人掛けの一体型に変更されている。
2003年9月6日のダイヤ改正で特急停車駅に枚方市駅・樟葉駅が追加された当初は、2週間ほど両駅停車の特急での補助椅子ロックの開錠がなかった。
車内広告
京阪特急の伝統にならい、車内には一切広告が掲出されない[22]。連結面側の壁には沿線の名所・旧跡の絵画が飾られている。
運用
本系列が運用されるのは、主に特急・快速特急(2008年10月17日まではK特急)運用のうち、駅に掲出されている時刻表で2扉車を表す「II」の表示のある列車である。
- 平日朝ラッシュ時、おおむね7時20分から8時50分までの間に枚方市駅を出発する下り特急は特に混雑が激しいため3扉車での運用に振り替えられ、この時間帯および折り返し運用に当たる列車においては本系列は30番台も含めてすべての運用から外れる。このため、ラッシュ時から日中ダイヤへ切り替わる際の間合いに急行に変わる運用が存在した。
- 早朝・深夜・ラッシュ前後には入・出庫を兼ねて急行・区間急行・準急にも運用される。なお、特急以外の運用時や回送・試運転時は前面の鳩マークの部分(幕式)は無表示に切り替えられる。同年10月19日のダイヤ改正以降は、下り早朝の他に平日ダイヤの夕方2本と22時台の3本が寝屋川車庫への入庫を兼ねて萱島行きの普通または区間急行として運用される他、土曜・休日ダイヤの上り早朝5時から6時台に淀屋橋駅を発車する急行が折り返し出町柳発特急の送り込み運用となるためすべて本系列での運転となる。
- 2008年11月22日から11月30日までの土曜・休日に臨時特急「もみじEXPRESS」が本系列を使用して運転された。ここでは中之島駅 - 出町柳駅間の運転となったため、通常中之島線に入線しない本系列が同線を初めて走行した。この時点で8009Fは新塗色に変更され、この運用には当時新塗色に変更された3編成すべてが充当された。
- 2009年9月14日より、平日に限り間合い運用で中之島線の下りは区間急行、上りは普通列車として1往復する運用が定期で設定された(往復とも萱島発着)。8000系の営業列車での同線入線は臨時列車を除いては初めて。
- 2011年5月28日より、夜間に運転される一部の下り快速急行にも充当されることになった。また送り込み運用となる萱島行き普通は深夜1本を除いて取り止められ、夕ラッシュ時の特急運用にも就くこととなった。
- 2011年のダイヤ改正により樟葉発の急行にも運用されている。なお、その場合は、先頭車両のハトのマークに特急のイラストの場所は黒くなっている。
テレビカー
- 就役開始から2012年6月まで8750形[23]には、京阪特急の伝統である「テレビカー」が連結されていた。
- テレビ受像機の更新時期を迎えた車両から、登場時の21型ブラウン管テレビから32インチ液晶ハイビジョンテレビに順次取り替えられ、2007年7月までに完了した。
- 液晶ハイビジョンテレビに取り替えられた編成は、屋根上に地上デジタル放送用ダイバーシティ式の無指向性・広帯域UHFポールアンテナが2本設置されている[24]。
- 地上デジタルを受信できることにより、以前より美しく、途切れにくい映像とともに、一部の番組では本来聴覚障害者向けの日本語字幕を表示することが可能となり、スピーカーのスイッチ[25]が入っていなくてもより楽しく番組を視聴できるようになった。
- 以前は屋根上に2方向に向けたVHFアンテナに加え、走行中に方向が随時変化することに対応できる、自動追尾機能を持ったBSアナログアンテナを搭載しており、衛星放送も受信することができた[26]。しかし、機器の老朽化に伴い、地上デジタル放送受信設備に更新した車両から順次撤去された。
- テレビは出町柳寄り車端部上部に1台のみ設置されているため、テレビカーは終点で座席を次の進行方向に自動転換させず、常に出町柳方向を向いていた[27]。
- 2011年7月24日正午までは、地下区間に漏洩同軸ケーブルを敷設しているため、地下に入って映像が途切れることはなかった。しかし、地下区間で受信できたのは従来の地上アナログ放送であったため、アナログ放送停波からテレビが全廃されるまでの約1年間は、地下区間での放送を中止していた。
- 通常はNHK大阪総合にチャンネルが合わせられていることが多かったが、在阪民放局のスポーツ中継やニュース番組などを放映することもあった。また在阪民放局の一般番組もまれに放映されることがあった。
- テレビが視聴しやすいように、テレビ付近の室内灯はテレビの電源が入ると自動的に消灯する仕様であった。
- テレビ設置箇所の隣にはカード専用公衆電話ルームが設置されていた。なお、送受信はテレビ・鉄道無線・公衆電話とも空間波方式だが、公衆電話の送受信には漏洩同軸ケーブルの設備が対応していないため、送受信アンテナのある地下駅構内進入時を除いて地下区間内では使用できなかった[28]。2009年4月1日より公衆電話ルームは使用を中止し、順次撤去された[12]。撤去後は座席が増設された。
- 特急以外での運用時はテレビは使用停止となっていた。
- テレビ音声は各座席の壁に埋め込まれたスピーカーから流れる。このスピーカーにはスイッチが付いており、乗客の好みで音声を切ることが可能である[29]。スイッチ付きのスピーカーは3000系でも採用されていた装備である。なお、本系列新造当初はスイッチ付きのスピーカーは採用されず、テレビ音声は天井のスピーカーから車両全体に流していたが、後に3000系と同様のスイッチ付きスピーカーに変更された。なお、テレビ付近の座席[30]にはスピーカーはなく、テレビから直接音声が流れる。
- 改良工事にあわせて順次撤去を進め、2011年度に全廃されることが発表された[8]が、全廃は2012年7月にずれ込んだ。
リニューアル
車内
本系列は営業運転開始から20年が経過し、老朽化も進んだため、2011年までに快速急行用の3000系(2代)をベースとした、同系列のグレードアップ版の車内設備にリニューアルすることが発表された[8](30番台は対象外)。概要は「変遷」節で前記した。ただし、クロスシートの座席配置は2+2列のまま存置される。歴代の特急車(一般車と兼用の車両は除く)の中では1900系以来のセミクロスシート車となった。この改造の第1号として2010年3月27日より8010Fが営業運転に入った(27日は展示会と臨時特急で運用。一般運用は28日から)。
車端部にハイバックタイプのロングシート、ドア上部にLCD車内案内表示器、吊革を設置した。また、車内妻面に掲出される車両番号・落成年次・製造メーカー(川崎重工業の英語略称「Kawasaki」)・禁煙ピクトグラム・号車番号表示は、新3000系同様に1枚のシールにまとめている。
塗色
本系列の従来の車体塗色は、上が黄色、下が赤色のツートンカラーであるが、2010年までにすべての編成で上下を逆転させ、間に金色の帯を入れたカラーに塗色変更が予定されており[31]、2008年6月28日に第1陣となる8008Fが出場した[32]。主な内容は次の通りである。
- 車両番号表記書体の変更。
- 2階建車の車体に飾られていた時代祭行列のラッピングが撤去され、車体中央に「ELEGANT SALOON」のロゴが記載された。また、「テレビカー」のロゴも左に四角囲みで「TV」、右下に「テレビカー」のロゴに変更された。
- 前記したが、座席表地なども変更されている(8005Fの2階建車のみ、座席が3000系に似たものに変更された)。貫通扉の上の空白部分には、「ELEGANT SALOON 8000 SERIES DOUBLE DECKER」の文字が小さく記載されている。その部分と貫通扉は、黄色で半円を、残りは黒で塗色されている。先に新塗色に変更された8008F・8006F・8009Fでは、このような更新はされていない。今後、新塗色に変更される編成についても同様の工事が実施される予定であるが、8005F以降に塗色変更された8002F・8003Fは2階建車のリニューアルは施工されずに出場した。
新塗装編成
(2011年6月現在。テレビは2012年7月までに全車両撤去済み)
- 2008年6月30日:8008F(併せて座席モケット更新) 2011年5月21日より(車内リニューアル完了・テレビ撤去車)
- 2008年9月29日:8006F(併せて座席モケット更新)
- 2008年11月18日:8009F(併せて座席モケット更新)
- 2009年2月12日:8005F(併せて座席モケット更新、DD車は試作的要素を兼ねた車内内装簡易リニューアル施工)
- 2009年7月1日:8002F(併せて座席モケット更新)
- 2009年9月30日:8003F(併せて座席モケット更新)
- 2010年3月19日:8010F(車内リニューアル完了)
- 2010年7月7日:8004F(車内リニューアル完了)
- 2010年12月28日:8007F(車内リニューアル完了)
- 2011年3月1日:8001F(車内リニューアル完了)
ラッピング
- 2005年1月からNHK大河ドラマ『義経』のPRとして8006Fが「弁慶」として2月3日より、8008Fが「義経」として1月15日より、8009Fが「静」として2月2日より運行され、それぞれイメージしたラッピングを施していたが、『義経』の放送期間中のみの運行であったため、「義経」は11月16日、「静」は12月18日、「弁慶」は同月20日をもって運転を終了した。なお、NHK大河ドラマ『義経』のPRも兼ねて1月15日から12月25日までの土曜・休日に淀屋橋9:00・9:30・10:00発の3本の特急が「鞍馬連絡特急」として運転され、本系列のラッピング編成3本は上記時間帯に特急に用いられる運用を中心に充当されていた。
- 2005年4月から8005Fに『KUZUHA MALL』のラッピングが施されたが、2006年5月下旬に運転を終了した。
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:京阪電気鉄道の車両- ↑ 1900系の元1810系編入車を除けば5代目、元3000系編入車である8000系30番台車を本系列として扱うと4代目となる。
- ↑ 編成が長い、先頭車両の貫通扉は増解結を考慮していない、管理・運用が編成単位。
- ↑ 当時の広報誌では「5カ年計画として、すべての特急を8000系に置き換えていきます。」と発表したばかりだった。
- ↑ 1991年末の駅掲示ポスター(自社広告)では「年末には2本に1本の特急が8000系となります。」と宣伝されていた。
- ↑ 詳細は「京阪3000系電車 (初代)#車体改修工事・固定編成化」を参照。
- ↑ 6.0 6.1 テンプレート:PDFlink 2010年8月23日 京阪電気鉄道 報道発表資料
- ↑ 近年の携帯電話やモバイル機器の普及に伴い、車内でテレビ放送やカード式公衆電話の設置の必要性がなくなったため。
- ↑ 8.0 8.1 8.2 テンプレート:PDFlink 2009年3月24日、京阪電気鉄道
- ↑ テンプレート:PDFlink
- ↑ 2007年7月20日までに全車の更新を完了。
- ↑ 「現行の塗色 - 京阪電鉄の新塗色と中之島線用3000系フォトギャラリー」 asahi.com(朝日新聞社)による。 実際の運用開始は6月28日から。
- ↑ 12.0 12.1 『8000系車内電話機の利用を中止します』 K PRESS 3月号「くらしのなかの京阪」より。
- ↑ 京阪テレビカー引退へ 来春記念グッズなど販売 - 京都新聞(2012年7月13日)
- ↑ 7200系以降の車両では、1980年代後半以降に関西地区で新規導入された鉄道車両で多数採用されている横軸ツインレバー式となっている。
- ↑ 回生失効に備えるために少しだけ効かせてある。
- ↑ 回生ブレーキの制動力が不足している時は空気ブレーキで補う。
- ↑ 8001Fはデビュー時は自動ではなかったが、1991年に自動に変更された。
- ↑ かつては「左(右)側のドアがひらきます。ご注意ください」と男声でアナウンスされていたが、その後女声で「左(右)側の扉をあけます。ご注意ください」とアナウンスされるようになった。
- ↑ 扉間の配列は一般車(テレビカーを含む)が9列、2階建車両は1階席が7列(ただし、階段や下記の補助いすの位置の関係で1列分座席配列がずれている)、2階席が8列、車端部(ダブルデッカー車の平屋部を含む)は3列(運転台の後ろは2列)。車椅子スペースのある車両は大阪寄りの山側の車端部の座席が1つ(2人分)少ない(8010F以外はダブルデッカー車のみ車椅子スペースがある)。
- ↑ 補助椅子は階下席の階段下が1人掛けである以外はすべて2人掛け。なお、2階席には補助いすは設けられていない。
- ↑ ダブルデッカー車の階下席の補助いすのみロック装置がなく、全区間・全種別・終日使用できる。
- ↑ パンフレットには「車内広告は、一切なし。」の記述がある。
- ↑ 7両編成時代は4号車、8両編成化後は5号車(出町柳寄りから5両目、淀屋橋寄りから4両目)。
- ↑ 過渡期にはブラウン管テレビのまま地上デジタル放送用チューナーを取り付けた車両もあった。
- ↑ 各座席の窓側にある。
- ↑ ただし、区間によっては電波が遮られる地点も多かった。
- ↑ ただし、テレビ視聴時間帯以外。また、手動での座席の淀屋橋方向への転換は可能。
- ↑ 旧自動放送ではこのことについても説明していた。
- ↑ とくに淀屋橋行きの場合、テレビを視聴するには進行方向と逆に着席することになるため、テレビを視聴せずに前向きに座る乗客が多いからである。
- ↑ 車端部のドアとテレビの間の3列。
- ↑ テンプレート:PDFlink 2008年4月15日、京阪電気鉄道
- ↑ 運転開始は6月30日から。