井出有治

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テンプレート:Infobox 井出 有治(いで ゆうじ、1975年1月21日 - )は、埼玉県浦和市(現さいたま市)出身のレーシングドライバー、元F1ドライバー。

プロフィール

レース経歴

成長期

1991年カートレーシングでデビュー。1994年より全日本F3選手権に参戦を始めた。

全日本F3では成績は安定していたものの、特に際立った成績が残せなかったため、1999年に一旦格下のフォーミュラ・ドリームに参戦し、松浦孝亮柳田真孝らと争ってシリーズチャンピオンを獲得した。このフォーミュラ・ドリーム参戦は井出にとっては大きな賭けであった。シーズン前、井出のレース活動資金援助をした鈴木亜久里から「チャンピオンを獲れなかったら引退」と言われていた。そしてシリーズチャンピオンになり鈴木亜久里からの信頼を得たことが後のF1参戦やARTAからのフォーミュラ・ニッポンSUPER GTの参戦につながった。

その後2000年2001年に再び全日本F3選手権に参戦。2000年は無限×童夢PROJECTより参戦し、2勝を挙げてランキング2位[1]。2001年のマカオグランプリでは総合5位に入賞した[2]

2002年にはフランスF3選手権に参戦し、7月28日の第9戦で予選2番手から優勝している[3]

2003年セルモより念願のフォーミュラ・ニッポンに参戦を開始し、予選順位では揮わなかったが決勝では安定したペースで走行し、ゴール時には上位に食い込む走りで、最終ランキングではチームメイトの松田次生よりも上位になり、関係者の注目を集めた。 全日本GT選手権ではホシノインパルよりカルソニックスカイラインで参戦し、ブノワ・トレルイエとのコンビで2勝をあげた。

2004年にはフォーミュラ・ニッポンもインパルから参戦し、最終戦までチャンピオン争いを展開してシリーズ3位の成績を挙げた。2005年は、引き続きインパルよりフォーミュラ・ニッポンとSUPER GT(旧・全日本GT選手権)に参戦し、フォーミュラ・ニッポンではシリーズ2位の成績を収めた。

F1

ファイル:Ide 2006 Australian GP.jpg
2006年オーストラリアGP

2006年に鈴木亜久里率いる新チーム、スーパーアグリよりF1に参戦。チームメイトは佐藤琢磨で、史上初の日本人ドライバー2人のチームメイト参戦であった。

開幕戦バーレーンGPでF1デビューを果たしたが、新規参入チームで満足なテストも実施していないことから、フリー走行時よりトラブルが発生してクルマを止めるシーンが見られ、決勝では35周でリタイアとなった。第2戦マレーシアGPもメカニカルトラブルでリタイアした。第3戦オーストラリアGPでは初の完走(13位)を記録したが、第4戦サンマリノGPで、1周目にMF1クリスチャン・アルバースと接触し、アルバースのマシンは横転しリタイアとなった。その接触によるダメージもあり、再びリタイアとなった。

ヨーロッパGP前にFIA側から、「テストドライバーとしてF1の経験を積ませるべきである」という助言があり、これをチームが受け入れたため、フランク・モンタニーにシートを譲った。その後5月10日に、FIAから井出のスーパーライセンスを取り消す旨の通告があったことがチームから発表された。これにより、井出が再びライセンスを手にするためには、F1に参戦している全チームの同意が必要となることから、シリーズへの出場が事実上不可能となった。

ちなみにF1のシーズン途中にスーパーライセンスの剥奪処分を受けたのは、2011年現在本件の井出のケースが唯一の例である。この件に関しては、事前のテスト走行不足などからマシンへの習熟もままならずにレースに参戦せざるを得なかったことに加え、マシン自体の性能が佐藤琢磨のマシンと比べても更に低かったことも背景にある。

さらに後に明らかになったところでは、井出がドライブしていたシャシーとモンタニーのそれとは別の物(シャシーナンバーが異なる)で、井出が使用していたものはメルボルンの空港で観光用に展示されていた雨晒しのアロウズのマシンがベースとなっていたこと、また自分専用のドライバーズシートの製作がグランプリに間に合わず、2002年にアロウズのマシンをドライブしていたハインツ=ハラルド・フレンツェンのシートに詰め物をして乗っていたこと、当時の設計のままで空力付加物を追加していたことにより、バックミラーが視界不良であったことなどが判明している。

国内レース復帰後

2006年7月4日、チームの公式サイトおよび自身のサイトにおいて、7月8日から鈴鹿サーキットで開催されるフォーミュラ・ニッポン第4戦から「DoCoMo TEAM DANDELION RACING」より参戦を発表し、最終戦までの6レースに出走した(なおスーパーアグリとの契約はシーズン終了まで有効だったため、形式としてはスーパーアグリからのレンタル移籍という形での参戦だった)。

また、SUPER GTにもNISMOから第6戦にスポット参戦した。しかしながら、井出は決勝レース中7位でドライバー交代後、すぐに他チームの車と接触し、危険行為としてドライブスルーペナルティーを科せられたが、コントロールラインのオフィシャルからのサインボードの指示を3周もの間無視し、失格となった。さらにその後、失格を示す黒旗をも無視し数周走行後にようやくピットに入ったものの、ドライブスルーをしてレースを続行し、失格処分に加え、30万円の罰金処分が下されるという、前代未聞の不祥事を起こしてしまった(なお、この失格が響いてNISMOは同年度の年間優勝を逃している)。SUPER GTを統括するGTアソシエイションは、かかる井出の行為を「タワーの表示を認識しない行為は、オフィシャルの存在を軽視した行為と同義」として、同年度の残りレースの井出のエントリーを拒否した。

2007年2月22日、鈴木亜久里率いるARTAのドライバーとして、フォーミュラ・ニッポンにフル参戦し、第5戦では3位表彰台を獲得した。 一方SUPER GTには、第6戦・鈴鹿1000kmに伊藤大輔ラルフ・ファーマンのパートナーとしてサードドライバーとして出場した。

2008年は、ARTAのドライバーとして引き続きフォーミュラ・ニッポンにフル参戦し、加えてSUPER GTにチーム国光から細川慎弥とのコンビでフル参戦した。

2009年は、ARTAがフォーミュラ・ニッポンへの参戦を取りやめたこともあり、SUPER GTのみの参戦となり、引き続きチーム国光から参戦した。

2010年は、古巣のARTAからSUPER GTにラルフ・ファーマンとのコンビで参戦した他、MOTUL TEAM 無限からフォーミュラ・ニッポンに復帰した。

2011年は、一転レース活動を行わず、自らの新チームを立ち上げるための準備期間とすることを、自身のホームページで明らかにした後、新チームY's RACINGを立ちあげ、シビックワンメイクレースインターシリーズに第4戦より参戦した。

本人はレーシングドライバーとしての活動継続の道を模索していたものの、結局スポンサー確保などが難航し現役復帰が難しくなったことから、2013年2月に「レーシングドライバーとしてではなく、「第二の人生として」考えていた事業を進めていく」として、「引退」という表現こそ否定したものの事実上第一線を退く考えを明らかにした[4]。ところが同年4月にはSUPER GT・GT300クラスに参戦するBonds Racing折目遼に代わって井出をドライバーに起用することを発表し、一転して現役復帰した。ただ復帰戦を最後にそのBonds Racingが活動を休止したため、2013年のレース参戦はこの1戦のみとなった。

2014年韓国のECSTA RACINGに加入し、SUPERRACE CHAMPIONSHIP・スーパー6000クラスに参戦する[5]

レース戦績

  • 1990年 - レーシングカートにデビュー
  • 1991年 - 関東ナショナルカップカート競技選手権<最終戦 スポット参戦>(優勝)
  • 1992年
    • 地方カート選手権東関東シリーズA1クラス(シリーズ2位)
    • ジャパンカートグランプリSSストッククラス全国大会(優勝)
  • 1993年 - 全日本カート選手権シリーズFAクラス
  • 1994年 - 全日本F3選手権<Rd.1-5,10 スポット参戦>(#19 BLUE MAX☆033F→boutigue Z ☆ 033F→Dallara F393 MUGEN/トムス033F トヨタ·トムス3S-GEダラーラF393 無限MF204
  • 1995年 - 全日本F3選手権・Jクラス<Rd.1-3,5,6,8-10 スポット参戦>(アサダレーシング #11 Fboutigue 22 F393/ダラーラF393 無限MF204)
  • 1997年 - 全日本F3選手権<Rd.1,2 スポット参戦>(アサダレーシング #10 M-digital F396/ダラーラF396 無限MF204)
  • 1998年 - 全日本F3選手権<Rd.1〜7 スポット参戦>(NOW MOTOR SPORTS #33 5ZIGEN・DALLARA/ダラーラF396 トヨタ・トムス3S-GE)
  • 1999年
    • 全日本GT選手権・GT300クラス(NISMO #15 ザナビィARTAシルビア/シルビア S15 SR20DET)(シリーズ2位・3勝)
    • フォーミュラドリーム(シリーズチャンピオン)
  • 2000年
    • 全日本F3選手権(無限×童夢プロジェクト #11 FドリームARTA無限/ダラーラF300 無限MF204B)(シリーズ2位)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス<Rd.1 スポット参戦>(NISMO #2 カストロール・ニスモGT-R/スカイラインGT-R BNR34 RB26DETT
  • 2001年
    • 全日本F3選手権(ThreeBond Racing #12 ThreeBond/ダラーラF309→F301 ThreeBond NISSAN SR20VE)(シリーズ5位)
    • 全日本GT選手権・GT300クラス(ハセミ・モータースポーツ #3 ユニシアジェックスシルビア/シルビア S15 SR20DET)(シリーズ4位)
  • 2002年 - フランスF3選手権(シリーズ7位)
  • 2003年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(COSMO OIL RACING TEAM CERUMO #12/ローラB351 無限MF308)(シリーズ7位)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(TEAM IMPUL #12 カルソニックスカイライン/スカイラインGTR BNR34 VQ30DETT)(シリーズ4位・2勝)
  • 2004年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(mobilecast TEAM IMPUL #20/ローラB351 無限MF308)(シリーズ3位・1勝)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(TEAM IMPUL #12 カルソニックインパルZ/フェアレディZ Z33 VQ30DETT)(シリーズ11位・1勝)
    • スーパー耐久シリーズ・Class3(RS中春 #245 モバイルキャスト アドバン Z/フェアレディZ Z33 VQ35DE)(シリーズチャンピオン)
  • 2005年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(mobilecast TEAM IMPUL #20/ローラB351 無限MF308)(シリーズ2位・2勝)
    • SUPER GT・GT500クラス(TEAM IMPUL #12 カルソニックインパルZ/フェアレディZ Z33 VQ30DETT)(シリーズ11位)
  • 2006年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン<Rd.4〜9>(DoCoMo DANDELION #41/ローラB06/51 HF386E
    • SUPER GT・GT500クラス<Rd.6 スポット参戦>(NISMO #23 XANAVI NISMO Z/フェアレディZ Z33 VQ30DETT)
  • 2007年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(AUTOBACS RACING TEAM AGURI #55/ローラB06/51 HF386E)(シリーズ13位)
    • SUPER GT・GT500クラス<Rd.6 スポット参戦>(AUTOBACS RACING TEAM AGURI #8 ARTA NSX/NSX NA2 C32B)(1勝)
  • 2008年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(AUTOBACS RACING TEAM AGURI #55/ローラB06/51 HF386E)(シリーズ13位)
    • SUPER GT・GT500クラス(TEAM KUNIMITSU #100 RAYBRIG NSX/NSX NA2 C32B)(シリーズ11位)
  • 2009年 - SUPER GT・GT500クラス(TEAM KUNIMITSU #100 RAYBRIG NSX/NSX NA2 C32B)(シリーズ13位)
  • 2010年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(MOTUL TEAM 無限 #16/スウィフト017.n HR10E)(シリーズ15位)
    • SUPER GT・GT500クラス(AUTOBACS RACING TEAM AGURI #8 ARTA HSV-010/HSV-010 HR10EG)(シリーズ11位・1勝)

JGTC,SUPER GT

色の意味はこちらを参照→key

所属チーム 使用車両 クラス Rd.1 Rd.2 Rd.3 Rd.4 Rd.5 Rd.6 Rd.7 Rd.8 Rd.9 順位 ポイント
1999 NISMO 日産・シルビア GT300 SUZ
9
FUJ
Ret
SUG
1
MIN
1
FUJ
Ret
TAI
1
MOT
4
2位 72
2000 NISMO 日産・スカイラインGT-R GT500 MOT
5
FUJ
SUG
FUJ
TAI
MIN
SUZ
22位 6
2001 ハセミモータースポーツ 日産・シルビア GT300 TAI
6
FUJ
2
SUG
12
FUJ
2
MOT
9
SUZ
2
MIN
12
4位 53
2003 TEAM IMPUL 日産・スカイラインGT-R GT500 TAI
12
FUJ
2
SUG
Ret
FUJ
1
FUJ
16
MOT
6
AUT
11
SUZ
1
4位 64
2004 TEAM IMPUL 日産・フェアレディZ GT500 TAI
8
SUG
10
SEP
Ret
TOK
11
MOT
Ret
AUT
5
SUZ
1
11位 35
2005 TEAM IMPUL 日産・フェアレディZ GT500 OKA
Ret
FUJ
15
SEP
8
SUG
5
MOT
3
FUJ
13
AUT
4
SUZ
9
11位 35
2006 NISMO 日産・フェアレディZ GT500 SUZ
OKA
FUJ
SEP
SUG
[[鈴鹿サーキット|テンプレート:Color]]
DSQ
MOT
AUT
FUJ
NC 0
2007 Autobacs Racing Team Aguri ホンダ・NSX GT500 SUZ
OKA
FUJ
SEP
SUG
SUZ
2
MOT
AUT
FUJ
18位 15
2008 TEAM KUNIMITSU ホンダ・NSX GT500 SUZ
13
OKA
9
FUJ
4
SEP
5
SUG
5
SUZ
2
MOT
16
AUT
9
FUJ
Ret
11位 41
2009 TEAM KUNIMITSU ホンダ・NSX GT500 OKA
7
SUZ
12
FUJ
11
SEP
4
SUG
4
SUZ
9
FUJ
12
AUT
6
MOT
8
13位 29
2010 Autobacs Racing Team Aguri ホンダ・HSV-010 GT GT500 SUZ
Ret
OKA
6
FUJ
11
SEP
11
SUG
12
SUZ
1
FUJ
C
MOT
7
11位 29
2013 Bonds Racing 日産・GT-R NISMO GT3 GT300 OKA
FUJ
5
SEP
SUG
SUZ
FUJ
AUT
MOT
20位 6

フォーミュラ・ニッポン

所属チーム Rd.1 Rd.2 Rd.3 Rd.4 Rd.5 Rd.6 Rd.7 Rd.8 Rd.9 Rd.10 順位 ポイント
2003 COSMO OIL RACING TEAM CERUMO SUZ
4
FUJ
7
MIN
3
MOT
2
SUZ
7
SUG
10
FUJ
Ret
MIN
3
MOT
12
SUZ
5
7位 19
2004 mobilecast TEAM IMPUL SUZ
12
SUG
2
MOT
2
SUZ
3
SUG
7
MIN
7
SEP
10
MOT
1
SUZ
2
3位 32
2005 mobilecast TEAM IMPUL MOT
2
SUZ
1
SUG
5
FUJ
7
SUZ
8
MIN
1
FUJ
3
MOT
4
SUZ
3
2位 39
2006 DoCoMo TEAM DANDELION RACING FUJ
SUZ
MOT
SUZ
12
AUT
12
FUJ
11
SUG
Ret
MOT
Ret
SUZ
10
NC 0
2007 AUTOBACS RACING TEAM AGURI FUJ
14
SUZ
10
MOT
16
OKA
Ret
SUZ
3
FUJ
16
SUG
Ret
MOT
Ret
SUZ
10
13位 6
2008 AUTOBACS RACING TEAM AGURI FUJ
9
SUZ
18
MOT
15
OKA
Ret
SUZ1
15
SUZ2
Ret
MOT1
12
MOT2
Ret
FUJ1
Ret
FUJ2
19
SUG
17
19位 2
2010 MOTUL TEAM 無限 SUZ
9
MOT
9
FUJ
10
MOT
9
SUG
9
AUT
Ret
SUZ1
8
SUZ2
8
15位 1

F1

所属チーム Car. No. ランキング 獲得ポイント 決勝最高位・回数 表彰台回数 予選最高位・回数
2006年 スーパーアグリ 23 25位 0 13位 0回 21位
所属チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 WDC ポイント
2006 スーパーアグリ SA05 ホンダ RA806E BHR
テンプレート:Smaller
MAL
テンプレート:Smaller
AUS
テンプレート:Smaller
SMR
テンプレート:Smaller
EUR
ESP
MON
GBR
CAN
USA
FRA
GER
HUN
TUR
ITA
CHN
JPN
BRA
25位 0

出演番組

  • フォーミュラ・ニッポンTV(フジテレビ739、2004年 - 2008年3月)- 司会
  • 鈴木亜久里 produce F1 EXPRESS(FM NACK5)- パーソナリティ

人物

  • フォーミュラドリーム後の2年間を、「F1ドライバーになるために走るレース」でなく、「プロとして闘うレース=スポンサーやチームへ結果を残すためにプレッシャーを感じながら戦うレース」を勉強しながら知った事が良い経験だったと語っている[6]

脚注

  1. オートスポーツ NO.809 2000年11/24号 118〜121頁「井出、リベンジ達成!無限×童夢が1-2フィニッシュ。井出、ランキング2位を獲得!」より。
  2. 週刊オートスポーツ NO.845 2001年11/29号 72頁「第48回マカオ・グランプリ・レースリポート」より。
  3. 週刊オートスポーツ NO.880 2002年8/15&22号 28頁「追撃体制は整った!松浦孝亮、井出有治 同週末に独仏F3連続制覇!」より
  4. 井出有治、復帰への活動に区切り。引退は否定 - オートスポーツ・2013年2月5日
  5. お知らせ - 井出有治公式サイト
  6. 週刊オートスポーツNO.852 2002年1/24号 「日本人ヨーロッパF3戦士の総決起集会 2002勝利の公約」より。

関連項目

テンプレート:Sister

外部リンク

テンプレート:2010年フォーミュラ・ニッポン出走ドライバー テンプレート:2013年NISSAN・SUPER GTチーム テンプレート:スーパーアグリF1