二百三高地

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テンプレート:Otheruseslist二百三高地』(にひゃくさんこうち)は、1980年日本映画1981年テレビドラマ

本項では、映画版テレビドラマ版、双方について記述する。

ストーリー

日露戦争旅順攻囲戦における、203高地の日露両軍の攻防戦を描いた作品。第三軍の司令官・乃木希典を中心とし、大局(戦闘、戦争)の推移が描かれる。

その一方で、第三軍に予備役徴兵された民間人を通じ、前線で戦う一兵卒の惨状、戦況に一喜一憂する庶民の姿、戦争の悲惨さというものも描写されている。

オリジナルキャラクター

小賀武志(映画 - あおい輝彦/テレビ - 永島敏行
金沢の小学校の教師。ロシア文学を学び、神田のニコライ堂にも通っていた。
少尉(小隊長)として召集されながらもロシア国民との友好を願っていた。しかし苛酷な戦場での経験により、ロシア兵を心の底から憎むまでに変貌する。
以下の4名は、小賀の部下。
木下九市(映画 - 新沼謙治/テレビ - 山田隆夫
豆腐屋の息子で、軍隊のラッパ手に憧れている。飄々として憎めないが、軍隊生活に早くから適応し、上官から「兵隊向きに出来ている」と評価される。
テレビ版では、戦地で豆腐作りに挑戦した。また、家族の借金や姉の身売りなどが描かれた。
梅谷喜久松(映画 - 湯原昌幸/テレビ - 水森コウ太
太鼓持ち 出身で、テレビ版では慰問担当として活躍するシーンや、恋仲の芸妓(金太郎)とのシーンなど、描写が大幅に増えている。
牛若寅太郎(映画 - 佐藤允/テレビ - 橋本功
ヤクザであり、反抗心と義侠心に富む。背中に彫り物がある。
米川乙吉(映画 - 長谷川明男/テレビ - 山本亘
染物の職人。幼い子供2人を残し、召集された。そのため、故郷に強い執着を持っており、脱走まで行った。
気の弱さから、当初は上官(金平伍長)らに見下されていた。しかし、前線での戦闘の際は、「米川だけは絶対に生還させろ」と金平に言わせ、隊の結束もそれに向かって固まっていた。
テレビ版では、妻の死が描かれた。
松尾佐知(映画 - 夏目雅子/テレビ - 坂口良子
反戦活動の最中、小賀と知り合う。その後、ニコライ堂の講習会で再会した。
出征に際し、夫婦の契りを結ぶが、入籍はしていない(「戦争から帰ったら入籍する」という、小賀の申し出による)。
小賀の後任教師として、小学校の教師となる。また、米川の子供2人を引き取っている。
テレビ版では、「入籍の時間が無かった」と変更されている。

映画

テンプレート:Infobox Film二百三高地」(にひゃくさんこうち)は1980年製作の日本戦争映画

上映データ

公開日
上映時間
1980年(昭和55年) 8月2日 日本 185分(二部構成)
サイズ カラー ワイド 映倫No.19639
受賞歴 第4回日本アカデミー賞 優秀作品賞
優秀監督賞 舛田利雄
優秀脚本賞 笠原和夫
最優秀助演男優賞 丹波哲郎
優秀助演女優賞 夏目雅子
優秀音楽賞 山本直純
最優秀撮影賞 飯村雅彦
最優秀照明賞 梅谷茂
優秀美術賞 北川弘
優秀録音賞 宗方弘好
第23回ブルーリボン賞 主演男優賞 仲代達矢
助演男優賞 丹波哲郎

製作の経緯

発端は1977年に当時の企画部長・天尾完次と東映東京撮影所長・幸田清が「日本の近代史を映画にしたい」「まず日露戦争からやろう」という話から始まった。日露戦争の映画は戦後だけで東映以外に新東宝の『明治天皇と日露大戦争』など、5本創られてきたが創り方が難しい素材といわれていた。未だ原案がまとまらぬ段階で岡田茂東映社長に意向を尋ねると、「今時、日露戦争の映画を観に来る者はほとんどいない。当たらないからやめとけ」と却下された。しかし再々度、制作を打診すると「そうだなあ。乃木大将を中心に創ってみたらひょっとしていけるかな。今まで、乃木将軍を描いた映画はないだろう」との岡田の何気ない一言を切っ掛けに、幸田を中心に天尾、太田浩児瀬戸恒雄らプロデューサー3名で検討を開始するも、良い切り口がなくプロのシナリオライター1名を加える。しかし未だ企画は承認されておらず流れてしまうとギャラも払えない。駄目元で当時はフリーになっていた笠原和夫に依頼すると「日露戦争には興味がある」とのことで承諾される。題名を『乃木大将と日露戦争』と付けて本社会議にへ企画案を提出するも、「日露戦争の映画は当たらない」と営業関係から猛反対され一人の賛成論もなかったが、「出来上がったシナリオを読んで考えよう。シナリオ作成だけ承認しよう」との岡田の一言で一転、全員一致で承認され、出来上がった笠原のシナリオは会議でも賞賛された。過去三年間1本も赤字を出していない舛田利雄に監督を打診したところ「こんなに良くできたシナリオは読んだことがない。ぜひとも私に撮らせて欲しい」との回答を得た。シナリオは賞賛されるも、当時は3~5億円で映画を作っていたが本作は20億円を要すると言われ製作は大反対された。予算を削りに削っても15億円が精一杯で、それ以下ではちゃちな映画にしかならず、何がなんでも創りたいと執念を燃やす幸田は、岡田さえ説得できれば映画は創ることが出来ると、あえてうそがばれるような13億5000万円の予算を作成し、岡田に最後の希望を託した。岡田はうそはすぐに見抜いたが製作を了承するも、「前売券を10万枚、撮影所だけで売ること」と条件を出した。後にその金額が差額の1億5000万円分だったと分かったという。幸田は、岡田でなければ『二百三高地』は撮れなかったと話している[1][2]

正確を期すためシナリオ作成時から、岡田が瀬島龍三原四郎千早正隆に監修を要請し[3][4]、シナリオの間違いの訂正の他、撮影にも何回か立会ってもらい、指摘を受けた部分の撮り直しも行われた[3][5]

スタッフ

企画 幸田清天尾完次太田浩児瀬戸恒雄
脚本 笠原和夫
撮影 飯村雅彦
特撮監督 中野昭慶
録音 宗方弘好
照明 梅谷茂
美術 北川弘
チーフ助監督 馬場昭格
編集 西東清明
音響効果 岩藤竜三
記録 勝原繁子
擬斗 尾型伸之介
装置 安沢重治
装飾 五十嵐靖治
特殊効果 大平特殊効果
演技事務 山田光男
美粧 井上守末竹絹江
美容 宮島孝子
衣装 福崎精吾
刺青 霞涼二
宣伝担当 坂本年文山本八州男
スチール 加藤光男
ロシア語指導 鍋谷真理子
方言指導 武央和也磯村健治
特撮撮影 鶴見孝夫
特撮照明 森本正邦
特撮美術 井上泰幸
光学撮影 宮西武史
アニメーション制作 東映動画
現像 東映化学
進行主任 石川通生
音楽監督・指揮 山本直純
音楽 たかしまあきひこ
演奏 新日本フィルハーモニー交響楽団
音楽制作 フリーフライトレコードオズ・ミュージック
音楽発売 ワーナーパイオニア
ナレーター 内藤武敏
企画協力 瀬島龍三原四郎千早正隆
衣装制作 東京衣装
協力 大島温泉ホテル藤田観光 大島小涌園大島町役場、東京都大島支庁
三井金属工芸㈱、図書刊行会編・写真集日露戦争中央乃木会乃木神社
劇団ひまわり東映俳優センター
制作協力 東宝映像株式会社
監督 舛田利雄

キャスト

記載順、漢字表記はエンディングクレジットに準じる(例:満軍関係、南道郎(通常は南道郎名義))。なお、本作では配役は示されておらず、俳優名のみとなっている。

太字の人物は、単独クレジットになっている俳優である(本作のエンドクレジットは、単独配置の人物と並列配置の人物がいる)。

第三軍関係

テンプレート:Div col

仲代達矢乃木希典
あおい輝彦(小賀武志)
新沼謙治(木下九市)
湯原昌幸(梅谷喜久松)
佐藤允(牛若寅太郎)
永島敏行乃木保典
長谷川明男(米川乙吉)
稲葉義男伊地知幸介
新克利相野田是三
矢吹二朗(久司大尉)
船戸順白井二郎
浜田寅彦大迫尚敏
近藤宏大島久直
伊沢一郎友安治延
玉川伊佐男松村務本
名和広中村覚
横森久土屋光春
武藤章生(竹下少佐)
浜田晃大庭二郎
三南道郎(金平又八)
北村晃一(寺島大尉)
木村四郎津野田是重
中田博久奈良少佐)
南廣(軍曹)
河原崎次郎(ガレ場の日本兵)
市川好郎(志水実)
山田光一一戸兵衛
磯村健治(仁杉万吉)※方言指導にもクレジットされている。
相馬剛三豊島陽蔵
高月忠(七海周六)
亀山達也山岡熊治
清水照夫(原口浅太郎)
桐原信介兼松習吉
三島新太郎
原田力(渡辺大佐)
久地明落合泰蔵
沢田浩二
清水健祐
村山竜平
山浦栄
沢田情児
武央和也
五野上力
松木泰郎
添田聡司
勝見徳
大島博樹
村添豊徳
高野晃大
佐々森勇一
青木茂
小島光二
碓水明
中村高夫
佐藤達郎
秋山敏(村井軍曹)
金子吉延(喜多庄助)

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政府関係

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森繁久彌伊藤博文
天知茂金子堅太郎
野口元夫大山巌
川合伸旺小村寿太郎
久遠利三桂太郎
須藤健松方正義
吉原正皓寺内正毅
小山源喜
弘松三郎山本権兵衛
高野隆志

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大本営関係

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神山繁山縣有朋
平田昭彦長岡外史
若林豪上泉徳弥
有馬昌彦
土山登士幸鋳方徳蔵
西国成男

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民間人関係

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愛川欽也(卯吉)
夏目雅子(松尾佐知)
野際陽子乃木静子
桑山正一(赤丸巡査)
赤木春恵(木下モト)
原田清人神鞭知常
北林早苗(木下トミ)
土方弘(木下喜作)
小畠絹子(料亭の女将)
河合絃司(小学校校長)
舛田紀子
大場利明
和田瑞穂
須賀良(若い衆)
玉川和子
幸英二
村松美枝子
城春樹
吉川潤子
木村修
石川洋子
加瀬悦孝
西村久美子
山本相時
福島歳恵
舟久保信之
伊藤慶子
溜健二
志摩ひろ子
柴田耕一
小山柳子
小山昌幸
榊原良子
山本緑
森しげこ
渡辺有希子
片山真由美

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ロシア軍関係

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オスマン・ユスフ(祈りを捧げる司祭)
大月ウルフ(尋問されるロシア軍人)
ジョセフ・グレース
ピーター・ウィリアムズ
ドナルド・ノード
ジャック・デーヴィス
ルック・マイヤー
パトリック・スワード
ダニエル・クラスラフスキー
ジェリー・ククルスキー
ジェリー・ククルスキー
ペギー・デジュイーガー
ジェームズ・ゴードン
ジョージ・ロバーツ
アレキサンドル・カイリス
バートン・ターナー
ジャクリーン・ラノーエ
ダグラス・ブルックス
ジョン・フィンク
ディヴィッド・バトラー
ニコライ・ニューリン

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満洲軍関係

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丹波哲郎児玉源太郎
石橋雅史福島安正
村井国夫沖禎介
早川純一横川省三
南城竜也
岩城力也
片桐次郎
大泉公孝
吉沢勝
神山寛
尾型伸之介松川敏胤)※擬斗にもクレジットされている。
青木義朗井口省吾

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皇室関係
三船敏郎明治天皇
松尾嘉代昭憲皇后

※制作当初は、伊吹吾郎(上泉徳弥)、長門勇高橋是清)らもキャスティングされていた。

劇中歌

使用形態 曲名 作詞 作曲 編曲 レーベル
主題曲 防人の詩 さだまさし 渡辺俊幸 フリーフライトレコード
聖夜 石川鷹彦

テンプレート:舛田利雄監督作品

テレビドラマ

二百三高地 愛は死にますか』は1981年1月7日~2月25日日本TBS系列で毎週水曜日21時00分~21時55分(当時の「水曜劇場」枠)で全8話が放送されたテレビドラマ。

解説

脚本は映画版に準じた形になっているが、エピソードや人物が追加されている。逆に、省略されたセリフもある(#主な相違点を参照)。また、戦闘シーンを始め、一部のシーンは映画版から流用されている(例:第1話冒頭、戦争肯定派の演説シーン)。

映画版の挿入歌「聖夜」はクレジットされていないが、第7話で使用されている。また、「聖夜」をアレンジしたBGMは、何度も使用された。

2009年3月~4月に東映チャンネル、またファミリー劇場等でも再放送された。DVDが2009年11月21日に発売されている。

スタッフ

「監修」は、舛田利雄が監督していない回(第3話、第4話、第5話、第6話)のみ。


  • 音楽監督:山本直純
  • 音楽:たかしまあきひこ
  • 主題曲:「防人の詩」
  • 作詞・作曲・歌:さだまさし
  • 音楽制作:フリーフライトレコード、オズ・ミュージック

  • 制作:東映、TBS

キャスト

記載順、漢字表記はエンディングクレジットに準じる。単独クレジットと並列クレジットは水平線で区切った。



テンプレート:節スタブ

流用シーンでの出演

  • 村井国夫(沖禎介)
  • 早川純一(横川省三)

放映リスト

映画の第1部が、第4話までに該当する。

話数 サブタイトル 脚本 監督
1 開戦 かさだとしお 舛田利雄
2 出動 かさだとしお 舛田利雄
3 旅順 かさだとしお 村山新治
4 第一次総攻撃 橋本綾 村山新治
5 二十八サンチ砲 橋本綾 馬場昭格
6 白襷隊全滅 橋本綾 馬場昭格
7 目標二百三高地 かさだとしお 舛田利雄
8 勝利 かさだとしお 舛田利雄

主な相違点

追加されたシーン、人物
戦闘に関する部分
南山の戦い」の描写(映画版では、細かい描写が無かった)。
乃木勝典の戦死(上記追加に伴う)。
劇場版で登場した主要人物に、エピソードを追加、補完
梅谷喜久松の、傷病兵への慰問(落語など)。
米川乙吉の子供たちと松尾佐知の関わり。
追加された実在の人物
東郷平八郎
高橋是清
奥保鞏
広瀬武夫旅順港閉塞作戦
須地源二郎常陸丸事件
乃木勝典
セオドア・ルーズベルト(アメリカ大統領)
追加された架空の人物
金太郎(今陽子
村井小彌太(木田三千雄
村井小彌太の妻
松尾佐知の母親
米川乙吉の妻(左時枝
寺島大尉(第七連隊の中隊長)の妻(松本留美
飴売りの行商人(左とん平
省略されているシーン
教会での小賀武志の一連のセリフの後の、松尾佐知のセリフ(第1話)。
中村覚の演説(白襷隊の出陣前)の時の、久司大尉のセリフ(第6話。久司大尉のシーンそのものが無い)。

など。

重複キャスト

映画版・テレビ版に、重複して登場する俳優(流用シーンは除く)

同じ配役
南道郎(金平又八) - 映画版は三南道郎名義。
大月ウルフ(尋問されるロシア軍人)
野口元夫大山巌
弘松三郎山本権兵衛
河合絃司(小学校校長)
違う配役
永島敏行(映画 - 乃木保典/テレビ - 小賀武志)
石橋雅史(映画 - 福島安正/テレビ - 伊地知幸介
矢吹二朗(映画 - 久司大尉/テレビ - 広瀬武夫
浜田晃(映画 - 大庭二郎/テレビ - 中村覚
中田博久(映画 - 奈良少佐/テレビ - 長岡外史
原田力(映画 - 渡辺大佐/テレビ - 第三軍第九師団所属の軍人)
北村晃一(映画 - 寺島大尉/テレビ - )
配役不明
尾型伸之介(映画 - 松川敏胤/テレビ - )
相馬剛三(映画 - 豊島陽蔵/テレビ - )
山田光一(映画 - 一戸兵衛/テレビ - )
舛田紀子(映画 - /テレビ - 木下トミ)

テンプレート:節スタブ

テンプレート:水曜劇場 (TBS) テンプレート:前後番組

作品の評価

  • 本作は脚本を担当した笠原和夫が、当日の天気まで記した巻物のように長い年表を作成した上で、当時の時系列や状況を徹底して調査・取材を行い、膨大な資料を収集した上で脚本を執筆した。(その時の状況や苦労話、逸話などは、笠原の回顧録『昭和の劇』に詳しく記されている)
  • 旅順攻囲戦を作品の舞台としながらも、主人公を著名な軍人・政治家の描写や活躍に終始せず、戦場で戦う将兵の思いや葛藤に対しての細かい描写がなされた。
  • 東宝特撮監督中野昭慶による特撮や戦闘シーンは、中野が得意とする派手な爆発や炎上シーンに加え、現地を緻密に取材したうえ忠実に再現したセットが非常にリアルであるとして話題を呼んだ。
  • 公開当時、企画協力に瀬島龍三が参加していることなどから、制作の背景に如何わしいものがある作品ではないかという疑いをかけられたうえ、日本から外国へと出向いて戦争を仕掛けておきながら、どんなに犠牲が出ようと自衛のため開戦はやむを得ないとか、悲惨な戦争だが結果は勝利だ、という内容であったため、戦争肯定映画であるという風評が公開前から広まってもいた。これらのことから、一部の教育者や評論家、また日本共産党の機関紙・「赤旗(現・しんぶん赤旗)」や朝日新聞から、後年公開の『大日本帝国』(1982年)と同様、「戦争賛美映画」「軍国主義賛美映画」「右翼映画である」と批判された。ただし、そうした映画の内容は、あくまで戦争に突き進んでしまった当時の風潮を描いたのであって、それが正当とされてしまった当時の政治についてまでは肯定しておらず、むしろそうした時代および日本の体制に対して批判の意図が込められていた。これは後に制作される『大日本帝国 』にも共通しており、これについて笠原和夫はその著書の中で、天皇の戦争責任に言及している。
  • 乃木希典を主役とした映画は、戦前何度も製作されたが、戦後は全て脇役扱いであった。本作品での仲代達矢の熱演によって、ようやく乃木はスクリーンの主役に返り咲いた(乃木希典#演じた俳優)。

エピソード

  • 日露戦争当時は冬季に戦闘が行われたが、映画の撮影は真夏に行われ、しかも旅順要塞の屋外セットが伊豆大島に作られたために、俳優陣は炎天下に冬服を着込んでの撮影に非常に体力を消耗したという。児玉源太郎役の丹波哲郎によると「汗が目立たない様に、顔に汗抑えをたっぷり塗って演技していたが、衣装の中は汗でベタベタになり、ワンシーン終るたびに裸になって汗を拭いていた」とのこと。
  • 主役の乃木将軍役には、早い段階で仲代達矢を想定して企画が進められていたが、仲代が渋り、フジテレビのドラマ『アマゾンの歌』(1979年10月6日放送)で、ブラジルに長期ロケに行くのでと断わられた[6]。やむなく乃木将軍役を天尾、幸田、舛田監督の三人で丹波哲郎に話を持っていったところ、丹波はやる気まんまんで「是非とも」と快諾した。ところが岡田茂社長に話しに行ったら「なんで丹波が乃木になるんだ!お前ら、何を考えているんだ!」と頭ごなしに怒鳴られ却下される(丹波は戸田城聖を演じた『人間革命』でも闊達なキャラクターであり、謹直な人格者という役柄は殆どない)。結局、丹波には侘びを入れた後、その場で「脚本を読むと児玉源太郎が面白いね」と丹波が言っていたのを舛田が覚えていて、丹波に児玉役をキャスティングした[6]。肝心の乃木将軍役の仲代の替りを一生懸命探していたが、岡田社長が「仲代が戻るまで待とう。封切りを伸ばせ」と鶴の一声で仲代に決定した。トラブルは更に続き、仲代が日本に戻りようやく撮影に入ろうとした矢先に、黒澤明監督の影武者騒動が起きた。勝新太郎の降板で仲代が武田信玄を演ることになった。仲代には黒澤監督との義理があり断ることは出来ない。『二百三高地』も『影武者』もスケジュールがギリギリ。調整をつけるのが大変であったが、黒澤が「『二百三高地』の方が先口だったから」と、仁義を通して『二百三高地』の撮影を優先させてくれた[6]
  • テレビドラマ版『二百三高地』に、補充兵役としてゲスト出演したビートたけし(漫才コンビ『ツービート』として相方のビートきよしと共に出演)は、撮影での突撃シーンの際、持ちネタであったコマネチをやりながら突撃し、監督以下から顰蹙を買う。たけし自身、そのシーンはカットされたと思っていたが「番組を観たら、そのまま使われていて驚いた」と、後年、バラエティー番組で語っている。
  • 当時、東映戦隊シリーズの『電子戦隊デンジマン』が放送されており、その中の一挿話には撮影スタジオの場面があって、『二百三高地』の看板や大道具の前で、デンジマンが戦う。これは映画版『デンジマン』にも挿入されている。
  • 劇中において日本兵が使用する三八式歩兵銃は、アップシーンに備えて30丁ほどの模造銃が製作された。しかし日露戦争当時、日本軍が使用した小銃は三十年式歩兵銃であり、これは明らかな考証ミスである。映画公開時、毎日新聞の取材に対し東映は「小銃の種類についてはあまり詳しく調べなかった。まあ、当時なかったえい光弾も映画の中で使っている。ドラマだから、今ふうでいいんじゃないですか。」と回答している。[7]
  • 同じく日本兵が着用する軍服は大陸の黄土ではひどく目立つため、日露戦争中にカーキ色の軍服が制定された。史実では旅順攻略戦までに全て入れ替わっていたが、以前のままで撮影されている。考証上わかってはいたが予算上の都合である。後のNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』では、この点は史実通りとなった。
  • さだまさし歌唱の主題歌防人の詩」は、音楽監督山本直純が主題歌の挿入を提案し、山本の推薦により、さだが起用されたもの[8]
  • 俳優のエンディングクレジットが「第三軍関係」仲代達矢..「政府関係」森繁久彌..「満洲軍関係」丹波哲郎..「皇室関係」三船敏郎 .. となっているのは、特に三人の大物俳優、森繁久彌、丹波哲郎、三船敏郎の名前の順番に難航して考え出された前例のない「グループ別」という新しい試みである[9]

出典・脚注

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参考文献

外部リンク

映画
テレビドラマ
  • 幸田清『活動屋人生こぼれ噺』銀河出版、1995年、p26-136
  • 新潟日報夕刊<連載 ひと賛歌 幸田清 活動屋半世紀①②>2011年11月7、8日
  • 3.0 3.1 幸田清『人生ちょっといい話』サンドケー出版局、1992年、p55-56
  • #舛田306頁
  • 幸田清『活動屋人生こぼれ噺』銀河出版、1995年、p94-95
  • 6.0 6.1 6.2 #舛田308-311頁
  • 毎日新聞 関西版「雑記帳」1980年
  • 『活動屋人生こぼれ噺』p73-80
  • 『活動屋人生こぼれ噺』p107-109