万博記念公園
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万博記念公園(ばんぱくきねんこうえん)、あるいは万博公園(ばんぱくこうえん)は日本万国博覧会(大阪万博)の跡地を整備した公園の通称である。正式名称は日本万国博覧会記念公園である。大阪の都心部から約15キロ北方にある。広場やスポーツ施設や文化施設がある。総敷地面積は264ヘクタールで、阪神甲子園球場の約65倍の広さに相当する。
所在地は大阪府吹田市千里万博公園。公園を管理するのは、大阪府である。1972年3月15日の日本万国博覧会一般公開2周年の日にエキスポランドと自然文化園の第1期及び日本庭園・大阪日本民藝館などを公開して開園する。その後、自然文化園が第3期に分けて整備・公開され、国立民族学博物館が開設される一方、エキスポランドなど、開園後に閉鎖された施設もある。
目次
自然文化施設
日本さくら名所100選に選ばれている。
- 自然文化園
- 日本庭園 - 万国博覧会出展のために作庭された約26ヘクタールの池泉回遊式庭園である。設計及び施工指導は田治六郎。上代・中世・近世・現代の4庭園で構成され、各時代の様式を一堂に見ることができる「庭園博物館的な機能」を兼ね備える。
- 自然観察学習館
- ソラード - 森の空中観察路。森の木の高さと同じ高さ(3~10メートル)に作られた観察道。下から見るのと違った視点で観察ができる。森の集音器、展望台などもある。しかし近年テンプレート:いつは樹木の成長により、木の上(林冠)を観察できる部分は少なくなった。
文化施設
- 大阪日本民芸館[1] - 万国博覧会開催当時のパビリオンのひとつ。
- 国立民族学博物館 - 博物館を併設した研究施設。
- 大阪府立国際児童文学館 - 児童文学や漫画を中心に約70万点の関連資料を所蔵。
- 彩都メディア図書館[2]
- 鉄鋼館[3] 万国博覧会開催当時のパビリオン。2010年3月13日からは万博40周年記念事業の一環として「EXPO'70パビリオン」と称して当分の期間、万博の映像・写真などの記録を展示中(入館は高校生以下は無料)。また、長らく非公開だった内部ホール「スペースシアターホール」も特定の箇所から覗ける。
- 自然文化園の中にある「もみじ川芝生広場」では、野外コンサートが開かれる。FM802が主催する「FM802 MEET THE WORLD BEAT」は、1990年から毎年開催されている。
スポーツ施設
- 万博記念競技場 - 陸上競技場。ガンバ大阪ホームスタジアム
- ガンバ大阪クラブハウス及び練習場(天然芝球技場) ただしスポーツ広場のサッカー場も使用する
- 万博記念公園野球場 阪神大学、近畿学生リーグ戦など
- エキスポフラッシュフィールド アメリカンフットボール専用球技場
- 万博テニスガーデン
- 万博フットサルクラブ
- 少年球技場
- 少年野球場
- スポーツ広場 軟式野球場4面、ソフトボール場1面、サッカー場2面(天然芝、人工芝)
- 総合スポーツ広場 人工芝サッカー場1面、多目的グラウンド1面
- 運動場 400mトラック6コースなど
- 弓道場
- サイクリングコース
- 他に小運動場などもある
レジャー施設
- エキスポランド - 遊園地 万国博覧会開催時に設置された。しかし2007年5月5日、ジェットコースター「風神雷神II」の脱輪による死傷事故発生でその直後から休園。風神雷神IIは捜査終了後に解体・撤去される。事故3ヵ月後の8月10日に営業を再開したが、2ヵ月後の12月9日に再び休園。その後、経営が悪化し、2008年10月29日、大阪地裁に民事再生手続きを申し立てて受理され、破綻した。
- ホテル阪急エキスポパーク[4] - 温泉を使用した屋内温水プールあり、宿泊客以外でも利用可能。
- 源気温泉万博おゆば - ボーリングによって得られた温泉を使用したスーパー銭湯。
- 万博ファームエキスポ - 2010年より開園された農業体験公園。2011年5月15日に閉園予定。
- 現在テンプレート:いつ、但馬牛BBQ食べ放題¥3500やこだわり野菜販売所などがあり3/26からはお花見や広大なバーベキュー場コーナーを設ける。
万博の主な残存施設
- 太陽の塔
- EXPO'70パビリオン(2010年3月13日開館、旧鉄鋼館)
- お祭り広場に残るシンボルゾーンの大屋根の一部
- 日本庭園
- 迎賓館
- 大阪日本民芸館
- 生活誕生館ディリパ(旧 万国博覧会郵便局・外壁などは大規模な改装が行われている)
- 万博記念機構ビル(旧 万国博覧会 協会本部ビル)
- 公園東口の斜張橋
- 旧・万国博電報電話局(NTTの施設として残存)
- お祭り広場(ただし、博覧会開催当時とは大きく姿を変えている)
建設予定だった施設
- 国立産業技術史博物館 - 日本の技術史に関する資料を展示する博物館で70年代後半から計画があったが、財政難のため計画は頓挫し2009年3月末には、鉄鋼館(現EXPO'70パビリオン)に保管されていた資料は一部を除き全て破棄されてしまった。
かつて存在した施設
公園化後も残存していた万博施設
- エキスポランド - 一部の遊具及び救護所が残存していたが、休園期間中の2008年にダイダラザウルスやビスタライナー(旧・ミニレール)、急流すべりなどが撤去され、エキスポランド倒産により2009年に入ってから残存している施設の撤去工事が一斉に始まった。僅かに残っていた万博残存施設も旧・宇宙ステーションが撤去されるなど、2009年8月で全て撤去された。その後もわずかに残っていた休憩所や階段・通路等の構造物も2013年11月からの工事で撤去された。
- エキスポタワー - 老朽化で2003年に解体。
- 国立国際美術館 - もと万国博美術館。老朽化により、大阪市北区中之島に移転。解体。
- 万国博ホール - 国立国際美術館とともに2005年に解体された。両館の跡地は新設の「日本庭園前駐車場」になっている。
- 日本館(万博記念公園開園後もしばらく仮囲いで囲まれて残存していたが、再使用されることなく解体された)
- テーマ館の地下展示部分及び周囲の構造物 - 大屋根と共に撤去された。
- 青春の塔・母の塔 - 元々は太陽の塔の右側に青春の塔が、左側に母の塔が建てられていた。両方とも岡本太郎の芸術作品である建造物であった。大屋根撤去の際に青春の塔のみエキスポランド内に一時移設されたが、後に撤去された。
博覧会閉幕後に設置されたが現在は撤去された施設
- 万博プール - 博覧会閉幕後に南駐車場の一角に作られたが、1996年に閉鎖。2005年に撤去され、「総合スポーツ広場」に転用された。
- 万博アーチェリー場 - 博覧会閉幕後に西駐車場に隣接する緑地の一角に作られたが1997年に閉鎖され、跡地はフットサルコートに転用された。
- サイクルランド - 博覧会閉幕後に南駐車場の一角に作られたが、閉鎖され、跡地はアメリカンフットボール専用競技場「エキスポフラッシュフィールド」に転用された。
- スターダスト千里 - 万博閉幕後に西駐車場の一角に作られたドライブインシアター(車で見る映画館)。乗用車エンジンのアイドリングを避けることが難しいことなどから2001年に閉鎖され、跡地はスーパー銭湯「万博おゆば」に転用された。
中華人民共和国展覧会
1972年に日本は中華人民共和国との国交を回復したが、日本万国博覧会当時は中国の代表として中華民国がパビリオンを出展していたため、中華人民共和国の展覧は行われていなかった。そのため中華人民共和国展覧会が1974年7月13日から8月11日まで、まだ残存していたテーマ館過去展示部分やその周囲の売店部分をメイン会場として開催された。万国博美術館(後の国立国際美術館)が第2会場に、万国博ホールでは映画が公開された。
交通アクセス
電車・バス
車
備考
- かつては万博お祭り広場では、全日本プロレスの興行がよく行われた[1]。
- 毎日放送・東映制作・放送の特撮アクションドラマ『仮面ライダー』の第7話「死神カメレオン・決斗! 万博跡」の撮影ロケ地でもある。また、テレビ朝日・東映製作・放送の『仮面ライダーW』の第30話でも大阪モノレール万博記念公園駅前で太陽の塔をバックに撮影された場面が登場している。
- 園内には、日本人の北アメリカへの移住に尽力した伊東里きが帰国時に持ち帰ったフェニックスの木がある[2]。この木は里きの故郷・三重県志摩郡志摩町片田(現・志摩市志摩町片田)に植えられていたが、万博記念公園の開園の際に移植された[2]。
- 同公園の運営を管理していた「日本万国博覧会記念機構」は、2010年4月に行政刷新会議が実施の事業仕分け第2弾で廃止の方針が決定し、同機構は「同機構法を廃止する法律」[3]により、2014年3月31日付けで解散し、翌日から大阪府の管理・運営となっている。
脚註
関連項目
外部リンク
テンプレート:ガンバ大阪のメンバー- ↑ ラリアートよ永遠なれ! スタン・ハンセン大特集 24時・外伝に記載あり
- ↑ 2.0 2.1 里き・源吉の手紙を読む会 編『故国遙かなり―太平洋を渡った里き・源吉の手紙』ドメス出版、2011年3月15日、207pp. ISBN 978-4-8107-0750-2 (42 - 43ページより)
- ↑ 平成25年5月24日法律第19号