かまやつひろし
テンプレート:Infobox Musician かまやつ ひろし / ムッシュかまやつ(本名:釜萢 弘(かまやつ ひろし)、1939年1月12日 - )は、 日本のミュージシャン。通称「ムッシュ」。「ザ・スパイダース」の元メンバーでもある。1989年以降は、ミュージシャンとしては「ムッシュかまやつ」が正式な活動名である。東京都出身。血液型はB型。
目次
経歴
デビュー
ジャズミュージシャンの父親、ティーブ・釜萢の影響で幼少時から音楽に親しむ。青山学院高等部時代にカントリー&ウェスタン歌手としてデビュー。ミッキー・カーチスらと共にロカビリーや歌謡曲などもこなし、「ワゴンマスター」「サンダーバード」「キャノンボール」などのグループの一員として日劇ウェスタンカーニバルに出演。テイチクレコードにてレコードも多数吹き込む。
釜萢ヒロシ名義で『檻の中の野郎たち』(東宝映画)に出演したこともある[1]。
様々な盛場へ出向くことや、ロカビリー歌手時代の映画出演の際の東宝や日活の撮影所での交流などで、時代に名を残すスター達と出会う。これらの活動から、松村雄策はかまやつを日本初のロック・ミュージシャンと位置づけている。
ザ・スパイダース
「ザ・スパイダース」にゲストボーカルで参加した後、正式メンバーとしてヴォーカル及びリズムギターを担当、代表曲である「あの時君は若かった」「いつまでもどこまでも」「バン・バン・バン」「ノー・ノー・ボーイ」「フリフリ」「なんとなくなんとなく」などを作曲した。
当時は遅刻魔として有名で(現在も)、デビューシングル『フリフリ』のジャケットには撮影に遅刻したため、彼の姿は写っていない。また、堺正章は「ある時かまやつの遅刻に気付いてアパートに電話をかけたところ、出た相手に『かまやつさんは出発しました』と言われたが、電話を切った後でその相手こそがかまやつだったと気付いた」というエピソードを語っている。
他にも印象的なステージダンスやステージの服装関連といった、ザ・スパイダースの音楽的なアイディアマンとしてグループの中心人物となった。また、当時のトップドライバーの福澤幸雄や式場壮吉らと親交があり、ファッションリーダー的存在であった。
ソロ活動(1970年以降)
1970年2月25日に初の本格的なソロ・アルバム「ムッシュー/かまやつひろしの世界」を発売する。このアルバムは、当時世界的にも珍しかった「一人多重録音」という画期的な方法で制作された[2]。また、音楽的にも様々なジャンルを融合した実験的な作品であった。その反面、1970年4月に発売されたソロシングル「どうにかなるさ」は、カントリーシンガーとしてのルーツに回帰する意向も反映され、その後にフォーク歌手として吉田拓郎作の「シンシア」、「我が良き友よ」などを歌う素地が出来上がってくる。 しかし、「ウォッカコリンズ」へのゲスト出演や、タワー・オブ・パワーが演奏を務めた「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」(「我が良き友よ」のB面)の発表するなど、フォークとロックの揺り返しが大きい活動を続けた(「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」はその後、1990年代に入ってから再評価を受けている)。 また、テレビアニメ作品「はじめ人間ギャートルズ」のエンディングテーマとなった「やつらの足音のバラード」(作詞は漫画の原作者園山俊二。実際のオリジナル歌手はちのはじめだが、かまやつもセルフカバーしている)は、1994年に小泉今日子、2004年にはスガシカオによってカバーされている。
音楽活動の傍ら、テレビドラマ『時間ですよ』や映画『戦国自衛隊』といった映像作品にも出演している。1977年2月、ABCテレビ『ハロー・ヤング』の司会を務め、これに出場したレイジーの才能を見出してデビューの誘いをかけた。その後、デビューしたレイジーに楽曲提供もしている。しかし、本来ハードロック志向だったレイジーがアイドル路線でデビューさせられたことは予想外だったようで、後に「レイジーをあのような形でデビューさせたことを後悔している」と語っている[3]。
1990年代初頭のアシッド・ジャズブームで、前述した「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」が再評価され、1994年にバックミュージシャンにブラン・ニュー・ヘヴィーズ、ジェームス・テイラー、D.C.リーなどを起用してロンドンでレコーディングした「Gauloise」を、小山田圭吾が主宰するレコードレーベル・トラットリアから発表する。このアルバムで新たに若い層のリスナーを獲得し、その後もCORNELIUS(コーネリアス)、カヒミ・カリイのアルバムやコンサートに参加する。
2002年には小西康陽プロデュースのアルバム「我が名はムッシュ」を発売する。松任谷由実、小山田圭吾、ミッキーカーチスなどがコメントを寄せたり、堺正章との共演曲などが話題を呼んだ。
バンド活動
1986年に日本を代表するスタジオ・ミュージシャン達を集めたバンド「One Night Stand Brothers」(ギター:今剛、ベース:高水健司、ドラム:島村英二、キーボード:小島良喜、ボーカル・ギター:ムッシュかまやつ)を結成したり、アラン・メリル(ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツ「I Love Rock'n'Roll」の作者として知られる)、大口ひろし、ルイズルイス加部と結成した「ウォッカコリンズ」(Vodka Collins) の活動もある。 そして、1999年には堺正章と井上堯之とともに「ソン・フィルトル」を結成し、シングル「Yei Yei」をリリースした。
最近では、2006年頃からザ・ブルーズパワーへの客演を行っていたが、2009年9月2日に発売されたブルーズ・ザ・ブッチャー(ザ・ブルーズパワーの後身バンド、メンバーは永井ホトケ隆、沼澤尚、中條卓、KOTEZ)の「Rockin' with Monsieur」に参加し、ブルースやブリティッシュビートのカバーを手掛けている。
現在
BS朝日にて「SHAKE THE MUSIC」(現在終了)のMCを担当していたほか、多数の音楽番組やCMに出演している。最近は東京ヤクルトスワローの青木宣親の応援歌に「バン・バン・バン」が使われていた[4](2006年度から変更)ほか、北海道日本ハムファイターズの応援団が同チームの得点時にかまやつ作曲の「I'm A 北海道 Man(お〜い、北海道)」(オリジナルは三橋美智也)を演奏している。
とある番組で「ボクは、君たち(若い)世代と話が出来なくなったらおしまい」と言っていたことからも窺えるが、常に音楽界の時代の波に乗りながら、あらゆるジャンルの若手ミュージシャンとも積極的に共演し、松任谷由実、伊藤銀次、THE ALFEE、Char、小西康陽、小山田圭吾、カヒミ・カリィ、曽我部恵一など、世代もジャンルも超えた多くの日本人ミュージシャン達から大きな尊敬を受けつつ、70歳(2009年時点)になった現在も現役のミュージシャンとして活躍している。
2009年2月18日には、井上順、今井美樹、甲斐名都、堺正章、THE ALFEE、TAROかまやつ、トータス松本、秦基博、一青窈、布袋寅泰、Micro、森山直太朗、森山良子などのゲスト・ミュージシャンとのコラボレイトによるアニバーサリー・アルバム「1939~MONSIEUR(サンキュー ムッシュ)」を発表した。
エピソード
- 最近はエルメスのニット帽をかぶっていることが多く、彼のトレードマークともいえるアイテムである。
- サインと一緒に簡単な似顔絵を書いている。
- ザ・スパイダース時代、ビートルズ日本公演の際、前座としての出演を打診されたが、前座出演をするとコンサート自体が見られなくなるため、「PRとしておいしい話ではあったが辞退し、他の何人かのメンバーと共に客席からコンサートを観た」との逸話をテレビの特番で語っている。
- 吉田拓郎は『LOVE LOVEあいしてる』で、「我が良き友よ」のギターを「変なコードを弾く…」と本人の前でコメントしている。実際、その箇所のコードは通常のコード譜に沿ったものではなく、テンションコードや自身の手癖で作ったコードなどで弾いていることが多い。『Char meets ???? 〜TALKING GUITARS〜』に出演した際も、響きとしての「コード感を大事にしている」という発言がある。
- カーマニアとしても知られており、これまでにMGTFやGMC・タイフーン、ミニ・カントリーマン(森山良子、森山直太朗に受け継がれる)、フェラーリ280、クライスラー・PTクルーザー・コンバーチブルなど数々の個性ある名車を乗りこなしてきた。最近の愛車はランチア・イプシロンであったが、「おぎやはぎの愛車遍歴」に出演するためアバルト695トリビュートフェラーリに乗り換えた。なお、このカーマニアの趣味は息子のTAROにも引き継がれている。
- ツイッギーが所有していたミニに乗っていたこともあったが、トラブル続きですぐに手放したとのこと[5]。
- 1969年2月12日に不慮の事故死を遂げたレーシングドライバーの福澤幸雄とは親友であり、福澤を偲んだ「ソー・ロング・サチオ」という曲を作り、歌っている。また、同じく親友であった赤木圭一郎の死因となった1961年2月14日の日活撮影所での激突事故現場に居合わせている[6]。
- 1989年のベルリンの壁が崩壊する間際に、壁の上に立ってアコースティックギターを手にゲリラライブを行なったことがある。
- 京丹後市のイベントフェスタ飛天では、当時人気のあったヒロシを真似して「ヒロシです」と言った。
- かなりの家庭人であり、夫人が病に倒れたときは、多忙の合間を縫って看病だけでなく、家事・育児まで行なっていた。2009年2月27日にはなまるマーケットのはなまるカフェに出演した時の話では、現在はゴミ出しと洗濯を行なっているとのことである。
- 愛煙のタバコは楽曲にもある通りゴロワーズ。
家系、縁戚
父はジャズシンガーのティーブ・釜萢。長男のTAROかまやつことかまやつ太郎は、フジテレビ勤務のサラリーマンで、2005年5月25日に『風のわだち』でメジャーデビューしたアーティストである。また、叔母(母の妹)はジャスシンガーの浅田陽子。浅田陽子の夫で義理の叔父が、ジャストランペッターの森山久。従妹はフォーク歌手の森山良子。従姪は元歌手の森山奈歩(おぎやはぎの小木博明の妻)、従甥はシンガーソングライターの森山直太朗という芸能一家である。
- ティーブ・釜萢 - 父。ミュージシャン。
- TAROかまやつ - 長男。ミュージシャン。
- 森山良子 - 従妹。フォーク歌手。
- 森山奈歩 - 従姪。元歌手。
- 森山直太朗 - 従甥。シンガーソングライター。
作品
シングル
- どうにかなるさ/つめたい部屋のブルース(1970年4月5日)オリコン50位
- 気らくなものさ/脱走列車(1971年5月)
- 四つ葉のクローバー/喫茶店で聞いた会話(1971年11月)A面コーラスにガロが参加。
- のんびりいくさ/ブレイン・フード・ママ(頭の体操)(1972年6月)B面英語詞。
- 青春挽歌/幼きものの手をひいて(1972年11月)
- 人生は旅だよ/乱れたら(1973年6月)
- シンシア/竜飛崎(1974年7月)よしだたくろうとかまやつひろし名義 オリコン21位
- 我が良き友よ/ゴロワーズを吸ったことがあるかい(1975年2月) オリコン1位
- 水無し川/親父よ(1975年11月) オリコン37位
- 汽笛一声夕陽が沈む/三人組(1976年5月)
- サテンドレスのセブンティーン/サマー・ラブ・アゲイン(1977年6月25日)
- マイ・オールド・ギブソン/12時の賛歌(1978年5月)
- 青春どんづまり/あの時君は若かった(1978年10月)
- 旅の歌/また逢う日まで(1981年2月)
- あの時君は若かった/ノー・ノー・ボーイ(1981年11月)
- なんとなくソクラテス/モノラル・グラフィティー(1982年9月)
- エリマキトカゲの真実/襟巻きと影(1984年6月)
- キスの下手な男/Bitter For My Taste(1989年9月21日)
アルバム
- ムッシュー/かまやつひろしの世界 (1970年)
- どうにかなるさ アルバムNo.2 (1971年)
- ファーザー&マッド・サン (1971年) ※ティーブ釜萢との競演盤
- 釜田質店 (1973年)
- あゝ我が良き友よ (1975年)
- ムッシュ・ファースト・ライヴ (1978年)
- WALK AGAIN (1978年)
- スタジオ・ムッシュ (1979年)
- パイナップルの彼方へ (1979年)
- THE SPIDERS COVER'S (1989年)
- In and Out (1990年)
- Fragrance (1991年)
- pittoresque (1991年)
- Gauloise (1994年)
- 我が名はムッシュ(2002年)
- Classics (2002年)
- 1939〜MONSIEUR(2009年)
- ザ・スパイダース・カバーズ(2010年)
- THE SPYDER BEAT (2012年) ※「THE BOHEMIANS aves ムッシュかまやつ」名義。THE BOHEMIANSとコラボレーションしてスパイダーズ時代の曲をカバーした。
提供楽曲
- ザ・ビーバーズ
- 森山良子
- 野に咲く花(作曲、1968年)
- ザ・テンプターズ
- 永井秀和
- おせっかいな雨(1969年)
- ザ・タイガース
- 和田アキ子
- ハート・ブレーク・ドール(作曲、1970年)
- 立川マリ
- ダンケシェーン・ブンダバー(作曲、1970年)
- アラン・メリル
- 安井かずみ
- プール・コワ(作曲、1970年)
- ロック・パイロット
- キャノンボール
- 地獄へのパスポート(作曲、1971年)
- ガロ
- 四つ葉のクローバー(1972年)
- 笠井紀美子
- にしきのあきら(現・錦野旦)
- 安西マリア
- 木之内みどり
- まだ手探りしている天使(作曲、1978年)
- レイジー
- ハロー・ロスアンジェルス(作曲、1978年)
- 三橋美智也
- I'm A 北海道 Man(作曲、1984年、おおーい北海道キャンペーン・テーマソング)
- 可愛かずみ
- 星の歌を聴きながら(作曲、1984年)
- 立花理佐
- TUBE
- 今井美樹
- Tea for two(作曲、1991年)本作はアントニオ・カルロス・ジョビン作「ESTE SEU OLHAR」丸コピー(パクリ)である。
- 中嶋美智代
CM(楽曲提供も含む)
- ライオン バイタリス「乱れたら」(1972年)
- 日本コカ・コーラ「うるおいの世界・友達編」(1974年)
- 味の素ゼネラルフーヅ マックスウェル「ハロー・ミスター・サンシャイン(タニヤ・タッカー)」(1976年)
- 明星食品 「チャルメラコーン」(1978年)
- アップリカ 「コンコルミニ」(1980年)
- サントリー ワイン 「レゼルブ」(1987年)
- 宝酒造 純「Legend」(1994年)
- 日本コカ・コーラ 「ミニッツ・メイド」(2001年)
- サッポロビール ヱビスビール(2003年)
- トヨタ・プロボックス(2004年)
- 明治乳業 「VAAM WALKER」(2005年)
- au 「ジュニアケータイ」(2006年)
- サントリーフーズ 「フラバン茶」(2007年)
- サントリーフーズ 「ボス」(2009年)
- KINCHO 「ゴキブリがいなくなるスプレー」(2010年)
- サントリー(2011年4月) - 東北地方太平洋沖地震 復興支援の企業イメージCMに出演(坂本九のヒット曲である「上を向いて歩こう」・「見上げてごらん夜の星を」の両曲を同社グループのCM出演者総勢71名がリレー方式で歌っている)。
- ACジャパン「ささえあったら、人になる。」 (2011年)
- 江崎グリコ「みんなに笑顔を届けたい。冬篇」(2012年)
アニメーション
- OVA『DOWN LOAD 南無阿弥陀仏は愛の詩』 (1992年)劇中音楽および下記挿入歌
- OUT OF BORDER
- WEATHER REPORT BLUES
- DETHMAIL BLUES
- RTB (OVA『戦闘妖精雪風』エンディングテーマ)
- さみしいさみしい (2001年) 『千と千尋の神隠し』イメージアルバム収録のカオナシのイメージソング
- The IJIN-DEN 天才の法則 (作曲、2003年、アニメ『妄想科学シリーズ ワンダバスタイル』オープニングテーマ)
出演作品
テレビドラマ
- 時間ですよシリーズ(1971 - 1990年、TBS) - 釜田 役
- アイコ16歳(1982年、TBS) - カメラマン・川内 役
- さよなら三角(1983年、フジテレビ)
- ビートたけしの学問ノススメ(1984年、TBS) - 釜田 役
- 金田一少年の事件簿(2001年、日本テレビ) - 斑目紫紋 役
- 無理な恋愛(2008年、関西テレビ)
- ガールズトーク〜十人のシスターたち〜(2012年、テレビ朝日) - 神やつひろし 役※ナレーション担当
- スナック喫茶エデン(2012年 - 、フジテレビ) - 役名不詳※「時間ですよ」シリーズの釜田の扮装で登場
映画
- 檻の中の野郎たち(1959年、東宝、釜苑ヒロシ名義) - ロー公役[1]
- 戦国自衛隊(1979年)根本茂吉 自衛隊二士役
- ゴジラ(1984年)新幹線の乗客役※「ビートたけしの学問ノススメ」の釜田の扮装で登場
- ぼくと、ぼくらの夏(1990年)
コンサート
- Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ(2001年)
- 吉田拓郎 & かぐや姫 Concert in つま恋 2006(2006年)
- 大山ミュージックリゾート in 花回廊(2007年)
- ap bank fes '10(2010年)
その他
- Dr.ムッシュの不思議館
- カルピス ニューミュージックベストテン
- ムッシュかまやつ 青春交差点
- ムッシュかまやつ Keep On Running
- SHAKE THE MUSIC:BS朝日
書籍
- 『我が良き友よ!』 かまやつひろし名義、ベストセラーズ、1975年
- 『ムッシュ!』 ムッシュかまやつ名義、日経BP社、2002年、ISBN 9784822242695、文庫版ISBN 9784167773274
- 『ジャパニーズ・ロックインタビュー集』 TOブックス、2010年、ISBN 9784904376188
関連人物
- ザ・スパイダース - 所属していたグループサウンズ。
- キャンティ族 - 東京都港区麻布台(六本木)にある1960年開店の老舗イタリア料理店に集っていた仲間。
- 川添浩史 - キャンティ創業者。初の渡欧の際にピエール・カルダンを紹介してもらうなど、国際的な視野を広げてくれた存在。
- 川添梶子(岩元梶子) - 川添浩史夫人、通称・タンタン。ザ・スパイダースの楽曲では英語詞の作詞も手掛けている。
- 川添象郎 - 川添浩史の長男。キャンティ開店前からの友人。
- 福澤幸雄 - 親友。福澤諭吉の曾孫でレーサー兼ファッションモデル。彼の死を悼んで「ソー・ロング・サチオ」を作った。
- 安井かずみ - 遊び仲間。作詞家、翻訳家。
- 加賀まりこ - 遊び仲間。女優。
- コシノジュンコ - 遊び仲間。ファッションデザイナー。
- 生沢徹 - 遊び仲間。レーサー。
- ミッキー・カーチス - タレント、ロック歌手、俳優。ロカビリー時代に共に活動していた。
- ミュージシャン
- 内田裕也 - ロック歌手、俳優。
- 松任谷由実 - 「荒井由実」時代のデビューシングル「返事はいらない」のプロデュースを行う。TBS「セブンスターショー」(1976年3月14日放映)では共演し、互いに曲を贈りあった。その時、かまやつは松任谷(当時は荒井由実)へ「楽しいバス旅行」、松任谷からかまやつへ「中央フリーウェイ」が贈られた。なお、1999年に行われたかまやつの還暦祝いでは、松任谷が仲居頭を務めた。
- 吉田拓郎 - 元々は六本木界隈での飲み仲間。その後「シンシア」、「我が良き友よ」などの楽曲提供を受け、大ヒットとなる。テレビなどで度々共演することがある。
- 南こうせつ - テレビなどで度々共演することがある。
- レイジー - かまやつが見い出しデビューさせた。
- ガロ - かまやつのバックバンドを経て、ミッキー・カーチスのプロデュースでデビューした。かまやつの「四葉のクローバ一」のレコーディングに参加、及びカヴァーしている。またメンバーの日高富明と堀内護より、楽曲提供を受けている。
- THE ALFEE - ガロの弟分。THE ALFEEが売れなかった頃にかまやつのバックバンドとして全国を回っていた。ライブが終われば朝まで飲み会、旅館では枕投げ、そして大広間で寝ていた[7]。
- 渚のオールスターズ - 複数のミュージシャンで結成されたバンドおよびそのプロジェクト。結成時からのメンバー。
関連項目
- ゴロワーズ - シングル「我が良き友よ」のB面に収録されていて、現在もリスペクトされ続けている「ゴロワーズを吸ったことがあるかい?」の元となった煙草。
- かまやつ女 - 三浦展の造語。かまやつに似た「ゆるいファッション」で「まったり暮らす若い女性」を指す。
- モーリス楽器製造
- リッツ・ロンドン - ロンドンにおける定宿
脚注
外部リンク
- ムッシュかまやつウェブサイト
- K DASH - ムッシュかまやつ
- MUSICSHELF - ムッシュかまやつ×内田勘太郎:対談&プレイリスト
- recommuni - ブルーズ・ザ・ブッチャー+ムッシュかまやつ インタビューテンプレート:リンク切れ