マツダ・クロノス

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クロノスCRONOS )とは、かつてマツダ製造販売していたセダンバブル景気で潤っていた国内マーケットに向け、マツダが展開した、販売店多チャンネル化の核となった。

概要

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表

1991年カペラの後継として新しいマツダのミドルクラスセダンとしてデビュー。3ナンバー税制改変の恩恵を受けた三菱・ディアマンテなどの人気から競合車種たちが軒並み大きくなる傾向にあった中[1]、新たなGEプラットフォームが採用され、クロノスも3ナンバー/ワイドボディとなった。このプラットフォームをベースに生まれた数々の姉妹車たちも、ユーノス500を除いて小型車枠を超えることになった。

輸出名はマツダ626で、先代のカペラと同じであったが、小型車から普通車に変わるにあたりカペラの名前を引き継ぐことはユーザーに対して不誠実という理由[2]から、他社が同様のケースでも車名の変更を行なわなかった[3]のに対し、マツダの場合は、長年親しまれたカペラの名前をクロノスに変更した。さらにマツダ店、アンフィニ店、ユーノス店、オートザム店、オートラマ店に姉妹車を割り振り、統一した名前をつけなかったことが圧倒的な知名度不足につながり、贅沢なつくりを持っていたのにもかかわらず、姉妹車すべてを含めても月1万台に届かない販売台数となった。 クロノス登場後も5代目カペラベースの「カペラカーゴ」は生産を継続していた。

スタイル

ボディタイプは3ボックスの4ドアセダンのみ。同じフロントのマスクを持ったアンフィニ店専売のMS-6は、その5ドアモデル。当時のマツダのスタイルの特徴で、滑らかな曲線で統一されたスタイルはボリューム感があり、それまでの日本車のスタイルの典型だったトヨタ・クラウン日産・セドリック/グロリアのような、狭くて細長いスタイルと比べ、とても新鮮味のあるものだったが、クロノスのスタイルは、その後生まれるユーノス500ユーノス800のようにまだ熟成・洗練されておらず、そのエクステリアは、とって付けたようなグリーンハウスなど、デザイン的なまとまりをやや欠いていた。また堂々たる3ナンバーサイズのセダン・ボディであるが、全幅の拡大分は主に、規制が強化されつつあった側面衝突安全基準への対応に費やされた。特にアメリカの衝突安全基準=MVSSに対応しようとサイドインパクト・ビームをドア内部に装備しているため、CMで言われていたほど、室内幅は広がってはいない[4]。また、ノーズを長く取り、キャビンは(他車よりもピラーが立ち気味ではあるが)クーペ風に絞りこむという当時のデザイントレンドを捨て切れなかったこともあって、3ナンバー化は室内空間の拡大にあまり寄与していない。またクレフのような姉妹車も現れたが商業的に成功しなかった。

歴史

  • 1991年10月21日 - カペラの後継車として、マツダ店でのみの取扱いでデビュー。当初は、FF駆動方式に新開発のK型V6エンジン(1.8Lと2.0L)のみが搭載されていた。
  • 1992年 - PWSディーゼル車とビスカスカップリング式フルタイム4WD車、V62.5Lエンジンのグランツーリスモシリーズを追加。海外向け生産・販売を開始。
  • 1994年10月 - カペラ復活後ながらマイナーチェンジ。1.8L車を廃止、ABSが全グレード標準装備になった。同時にフロントグリルを変更[5]
  • 1995年 - 日本仕様の販売を終了。
  • 1997年 - 7代目カペラの登場に伴い輸出向け仕様の生産を終了。

脚注

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関連項目

外部リンク

テンプレート:マツダ車種年表 テンプレート:自動車

テンプレート:Car-stubde:Mazda Cronos
  1. 同じく税制改変の恩恵を受けた三菱・ギャラン1992年ホンダ・アコード1993年に3ナンバー化した(ただしアコードは姉妹車の販売不振で1997年に5ナンバー化)。
  2. これは表向きの理由で、実際は増収を目論んだ広告代理店に担がれ、イメージアップのためには「5チャンネル化」と旧来の車名を切り捨てるべき、との策に乗せられた。
  3. トヨタ・カムリ、ギャラン、アコードはこれに当てはまる。
  4. CMでは、全幅は広がったが、ドアミラーも含めた幅は旧来の5ナンバー車並みであり、取り回しは悪くなっていないとも謳われた。
  5. カペラ復活と同時に絶版となったという説も存在する。この措置は兄弟車のテルスターでも行われた。[1]