5チャンネル

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5チャンネル体制

日本の自動車販売では自動車の販売会社は各自動車メーカーの系列として車を販売し、一般には他社の車を併売しない。そのため、自動車販売の系列は自動車メーカー毎に区分され、それぞれの自動車メーカー毎に販売網が構築されている。自動車メーカーから見て自社系列の乗用車用販売網を5系列有することを5チャンネルと表現し、自動車メーカー自身が販売戦略の説明などで使用している。

販売網

自動車販売に限らず販売網は英語でチャンネルと呼ばれるが、ここでのチャンネルとはディーラー系列、販売網の意味である。それぞれの系列の違いは系列名で判別できる。日本の自動車メーカーの販売網は自動車メーカーと運命共同体ではあるが、会社の経営としては、通常、自動車メーカー自身やその子会社ではなく、独立した経営をおこなう販売会社(ディーラー)であり、それぞれの販売会社が自社に複数の販売店をもっている。販売網とは、自動車メーカーの観点からみると販売会社の集合体であり、自動車購入者の観点からみると販売店の集合体である。個別の企業の枠を超えた一つの系列として見せるために共通の系列名が用いられる。

メーカー

日本国内の自動車会社で、5チャンネル体制を構築したのはトヨタ自動車日産自動車マツダである。このうち、日産自動車とマツダは5チャンネル体制を終了している。

日本の代表的な自動車会社であるトヨタ日産が5系統の販売網を構成し、この2社が販売で1位2位を争っていたことからよく用いられた用語となった。5チャンネルもの販売網を有することは、その企業の販売力が要求されることはもちろんだが、それ以前に各チャンネル毎に投入する車両を用意できるだけの企画力、開発力、生産力が要求される。マツダは、1980年代後半から5チャンネル化を試みた。

日本国内販売網

トヨタ自動車

テンプレート:See also トヨタ社では、1967年11月のトヨタオート店系列追加により5チャンネル体制となった。1969年にはパブリカ店がトヨタカローラ店と名称変更される。しかし、ディーゼル店が1970年代に衰退し、実質4チャンネルとなる。

  1. トヨタ店
  2. トヨペット店
  3. ディーゼル店
  4. パブリカ店
  5. トヨタオート店

1980年4月のトヨタビスタ系追加により実質的な5チャンネル体制が復活する(実はこの時点でディーゼル店が一店舗残っていたが、1989年に消滅している。)

  1. トヨタ店
  2. トヨペット店
  3. カローラ店
  4. オート店
  5. ビスタ店

1998年にはトヨタオート店がネッツトヨタ店と改称したその後、2004年5月にネッツトヨタとトヨタビスタが新ネッツトヨタとして統合され一時期4チャンネルとなっていたが、2005年8月30日にレクサス店が追加され、トヨタグループとしては5チャンネル体制となっている。

トヨタブランド
  1. トヨタTOYOTA)系
  2. トヨペットTOYOPET)系
  3. カローラ(COROLLA)系
  4. ネッツ(Netz TOYOTA)系
レクサスブランド
5.  レクサス(LEXUS)系

メーカーとしてのトヨタとしては5チャンネル体制を維持しているが、トヨタ自身がレクサスとトヨタをブランドとして区別しているため、トヨタブランドとしては4チャンネル体制となった。ネッツブランドは従来のトヨタ路線とは異なるイメージの戦略を採り始めたが販売チャンネルとしてはトヨタに属する。

日産自動車

2009年現在、5チャンネル体制は解散している。
  1. 日産系:「ブルーバード販売会社ブルーステージに統合。
  2. モーター系:「ローレル販売会社ブルーステージに統合。
  3. プリンス系:「スカイライン販売会社レッドステージに統合。
  4. サティオ系(旧サニー系):「サニー販売会社」レッドステージに統合。
  5. チェリー系:「パルサー販売会社→日産チェリー販売会社」レッドステージに統合。しかし、1990年代に大半のチェリー系列販売会社がプリンス系販売会社へ統合されており、一部のチェリー系を除いて日産の国内販売系列は実質4チャンネル体制となった。

ルノーとのアライアンス関係締結後のカルロス・ゴーン新体制からは、ブルーステージレッドステージの2チャンネル販売系統とし2005年5月に完全併売制へと移行している。

ブルーステージ、レッドステージは販売ラインの区分としての愛称であるが、実際の販売会社名は従来の販売系列の名残で「○○日産自動車」「○○日産モーター」「日産サティオ○○」「日産プリンス○○」である。日産・レッド&ブルーステージ も存在する。

日産は、海外高級ブランド「インフィニティ」を持つが、日本国内では展開していない。

マツダ

2009年現在、(経営危機以降)5チャンネル体制は解散している。
  1. マツダ(MAZDA)系
  2. アンフィニ(現:マツダアンフィニ)(εfini)系
  3. ユーノス店(EUNOS)系
  4. オートザム店(AUTOZAM)系
  5. オートラマ店(AUTORAMA)系

マツダもバブル経済最盛期の1989年に多チャンネル体制を展開したことがある。

始まりは、1988年に始まった経営計画「MI(マツダイノベーション)計画」である。マツダは海外での評価や売上は高かったが日本での販売力は弱く、そのため輸出中心の経営体質になっていた。そこで、当時激烈に進行していた円高相場に耐える経営体質を作るべく、当時のトヨタの5チャンネル体制(「トヨタ店」「トヨペット店」「カローラ店」「オート店」「ビスタ店」)同様に多チャンネル体制を構築し、国内販売網を強化し販売目標100万台を目指そうとした。

体制は、商用車・小型車・高級車と幅広く扱う「マツダ店」、RX-7やMS-9等のスポーツカー系高級車を扱う「アンフィニ店」、ヨーロッパのイメージを持たせた「ユーノス店」、小型車・軽自動車を中心に扱う「オートザム店」、フォードブランド車を扱う「オートラマ店」という体制だった。うち、本来のブランドであるマツダ店と、1981年からフォードの意向でマツダ車のバッジエンジニアリングによって展開していた「オートラマ店」は既存の系列であり、「アンフィニ店」は既存の「マツダオート店」の名称変更であり、完全なる新設は「ユーノス店」「オートザム店」である。

これは当時マツダのブランドイメージが芳しくないと見られていたことが主な理由で、そのため当初はマツダ店以外の店舗で扱う車種にはマツダのロゴを入れず、ほぼ独立ブランド(トヨタとレクサスのような関係)とした。ただし経営が行き詰まってきた末期には全店で取り扱われる車種が発売され、それらにはマツダの表記があった。

企業規模に見合わない急激な多車種展開は、ほどなくブランドイメージの著しい拡散と販売台数低下という形で跳ね返ってきた。5チャンネル化と車種ラインアップ拡大の失敗は経営の悪化を招き、フォード主導での経営再建を余儀なくされた。結局多チャンネルでは状況は改善できず、現在は2チャンネル(マツダ系とマツダオートザム系)に整理され、オートラマ店はフォード店へ改名、1999年にはオートラマ株の全てをフォードへ売却した。

多チャンネル化の失敗は、好景気を背景に収益増大を狙った広告代理店の提案に、当時の住友銀行から送り込まれていた経営幹部が乗ってしまったという面もある。ブランド戦略における顕著な失策の例(当時の主幹車種名からクロノスの悲劇”とされる)として言及されることが多い。

この混乱は、リストラ、新規開発の凍結などによる技術力の低下、車種ラインアップ削減による商品力の低下につながり、特に日本国内では、従来からのマツダ車ユーザーの他メーカーへの流出、人気の下降、中古査定価格の下落、営業力とディーラー網の弱体化などで販売不振を深刻化させて、後々までマツダの経営を苦しめた。

なお、トヨタの「レクサス」、日産の「インフィニティ」、ホンダの「アキュラ」に対抗した海外高級ブランドとして、マツダも「アマティ」(Amati) と言うブランドを立ち上げる計画があり、シンボルマークが公表されるなどしたものの、経営状況悪化のために計画中止となっている。ちなみにアマティブランドで発売予定だった4000cc W型12気筒エンジン搭載の大型セダン(アマティ1000)のスクープが雑誌に掲載された事もあった。ユーノス・800はアマティ500として発売予定であったが、この計画中止によりマツダ・ミレーニアの名称で販売された。またユーノス・コスモもアマティブランドで発売する予定だった。

経営再建後のマツダは生産車種を絞り込んで(例えば、軽自動車の自主生産撤退・OEMへの切り替え、ルーチェセンティアと続いてきた大型FRセダンやミレーニアのモデル廃止など上級車市場からの撤退、デミオベリーサなどに始まるコンパクトカー市場への開拓など)経営・開発資源を集中させ、2000年代以降はスポーティさを前面に押し出すことで、本来のブランドである「マツダ」の市場イメージ向上を図るようになっている。