ブラック・レイン
テンプレート:Infobox Film 『ブラック・レイン』(Black Rain)は、1989年公開のアメリカ合衆国の映画である。
豪華な日本人キャストと、大阪の街を『ブレードランナー』ばりのサイバーパンク風に仕立て上げた強烈な演出によって人気を博した。劇場映画作品としては松田優作の遺作となった。
目次
ストーリー
ニューヨーク市警殺人課の刑事ニック・コンクリン(ダグラス)は妻と離婚し、その子供の養育費を稼ぐのに日々苦労していた。そして、彼はある事件の麻薬密売品の押収品(金)を横領した嫌疑をかけられ、内務捜査官たちから査問を受けていた。そんなある昼下がり、ニックと、同僚のチャーリー・ビンセント(ガルシア)は、レストランに居た日本のヤクザの幹部と子分を、もう一人のヤクザが刺殺する現場に出くわす。追跡の末に男を逮捕するものの、日本国内での犯罪で指名手配されていたため、その男-佐藤(松田)を日本に護送することになった。
佐藤を護送する任に就き、日本まで向かう二人だったが、到着した先の空港(伊丹空港と思われる)で警察官のふりをした佐藤の手下たちに佐藤を引き渡してしまう。
権限が無いにも関らず、強引に大阪府警の捜査に加わろうとするニックとチャーリーだが、刑事部長の大橋警視(神山)はそれを許さず、二人の銃を押収した上で松本正博警部補(高倉)を二人の監視役につけた。捜査の方法、日本の風習に戸惑うニックは監視役の松本へ八つ当たりをする。
しっくりこないニックと松本の関係を修復しようとチャーリーがクラブで仲を取り持とうとするが、ニックは佐藤への執着から一人席を外し、クラブ・ミヤコの外人ホステス(キャプショー)へ情報収集のため近付く。クラブ・ミヤコの帰り道、ふとしたことからニックはチャーリーとはぐれてしまう。チャーリーは自分のパスポートをコートごと暴走族に奪われたことで、佐藤の罠にはまる。そして佐藤は自分を逮捕したことへの復讐として、ニックの目の前で相棒のチャーリーをなぶり殺しにする。ニックは佐藤への復讐を誓い本格的に佐藤を追うことになる。
事あるごとに反発し合うニックと松本だが、やがて彼らの間には、信頼関係が生まれていく。
捜査を進める内に偽札製造を巡る抗争が背景の事件であり、それが親分である菅井(若山)と、元子分で新興勢力の佐藤との抗争でもあることが判明していく。そしてニックは佐藤が隠れ潜む場所を突き止め捜索をすると、クラブ・ミヤコのホステスの影が見えるようになり彼女を尾行。銀行の貸金庫から"ある物"を取り出し、尾行をまく工作をするもののニックにあっさりと見破られ空港でのニセ警官の一人を見かけその男を尾行することに。佐藤を後一歩まで追い詰めたものの、大阪府警に邪魔された上、取り逃がしてしまう。その上ニック自身勝手な行動をしたということでアメリカへ強制帰還させられることに。松本自身も監督不行き届きで謹慎処分を受ける。
それでも佐藤への復讐を諦めきれないニックは、出発直前の飛行機から脱出し、松本のいる家へ向かい再び捜査をしようと持ちかけるが、断られてしまう。 そこでニックは、クラブ・ミヤコの外人ホステス(キャプショー)から菅井(若山)に接触するための情報を得た後、佐藤(松田)逮捕のための協力を、菅井(若山)に申し出る。
スタッフ
キャスト
- ニック・コンクリン(N.Y市警の刑事):マイケル・ダグラス
- 松本正博警部補(大阪府警刑事部捜査共助課の刑事):高倉健
- 佐藤浩史(菅井の元子分):松田優作
- チャーリー・ビンセント(N.Y市警の刑事):アンディ・ガルシア
- 片山(佐藤の子分):ガッツ石松
- 梨田(佐藤の子分):内田裕也
- 菅井の用心棒:安岡力也
- 大橋警視(松本刑事の上司・大阪府警刑事部長):神山繁
- 吉本(佐藤の子分):國村隼
- 菅井の子分:島木譲二
- 佐藤の情婦(クラブ・ミヤコのホステス):小野みゆき
- 松本の息子:ケン・ケンセイ
- Mediator : OBATA~TOSHIRO 小幡利城
- ジョイス(クラブ・ミヤコのホステス):ケイト・キャプショー
- オリヴァー(ニックの上司):ジョン・スペンサー
- フランキー:ルイス・ガスマン
- 菅井国雄:若山富三郎
日本語吹き替え
役名 | 日本語吹き替え | |
---|---|---|
フジテレビ版 | DVD版 | |
ニック・コンクリン | 小川真司 | 内田直哉 |
松本正博警部補 | 大塚明夫 | 立木文彦 |
佐藤浩史 | 原語流用 | 高階俊嗣 |
チャーリー・ビンセント | 江原正士 | 森川智之 |
ジョイス | 一城みゆ希 | 深見梨加 |
大橋警視 | 神山繁 | |
佐藤の子分 | ガッツ石松 | 後藤哲夫 |
菅井国雄 | 小林勝彦 | 藤本譲 |
オリヴァー |
- その他の声の出演:上田敏也、小島敏彦、亀井三郎、緒方賢一、筈見純、立木文彦、後藤敦、神谷和夫、松本大、茶風林、大川透
- 演出:伊達康将、翻訳:宇津木道子、調整:荒井孝、効果:サウンドボックス、制作:東北新社
- DVD版
- 演出:久保宗一郎、翻訳:宇津木道子(追加翻訳:杉田朋子)
概要・撮影背景
概要
- 映画『ブレードランナー』で日本の映画ファンに広く知られるようになったリドリー・スコット監督の作品であり、日本側のキャスティング担当者とロケーションアレンジャーの恩恵で外国映画の中でよく見受けられる「おかしな日本像」はそれほど無く、比較的まともな描写がなされている。
- 松田優作は、この映画の撮影の時点ですでに癌に侵されていたが、病をおして撮影に臨んだ(癌の事実を知っていたのは安岡力也のみだった)。しかし、映画公開直後に急死してしまい、この映画がもとで親交を深めたチャーリー役のアンディ・ガルシアは彼の死を悼んだ。この作品制作中の評判で松田優作の次回作はロバート・デ・ニーロ出演、ショーン・コネリー監督作品のオファーが来ていた。
- なお、題名の『ブラック・レイン(Black Rain)』とは、原爆投下や空襲によって起こる煤混じりの雨を指している(作中、菅井が大阪空襲後の黒い雨に纏わる因縁をニックに語る)。菅井はアメリカが戦後日本人にもたらした個人主義が、義理人情の価値観を喪失した佐藤のようなアウトローを産んだと暗にアメリカ人を批判し、「黒い雨」という言葉を象徴的に用いる。同年公開の邦画『黒い雨』の様に戦争をストーリーの中心に据えた映画ではない。
撮影の背景
- ストーリー中盤の製鉄所のシーンで、早朝に製鉄所の制服に身を包んだ作業員達が、大挙して自転車で作業場へと向かう風景が描かれている。中国と混同しているのではないかと言われるこの場面に関してリドリー・スコットは、バイクを追跡するも道を阻まれ苛立つシーケンスを演出するために意図的に設定した場面であり、決して中国と混同したものではないと語っている(「キネマ旬報」インタビューより)。製鉄所などの広大な敷地をもつ作業所内では自転車の利用は珍しくないが、現実には連絡バスや自動車の利用も多く、出退勤時に自転車であふれかえるような光景は見られない。
- リドリー・スコットは『ブレードランナー』で描かれていたような雑多で猥雑なイメージを日本に求めていたが、実際の日本はかなり清潔な街並みであったために驚いたという。そのためにロケーションはそれらを満たすであろう新宿歌舞伎町を当初予定地に挙げていた。
- 撮影にあたっては、日本側の警察による交通規制の協力がほとんど得られない事情からロケ地調整に苦労した。
- 当初の監督の希望ロケーションは東京新宿歌舞伎町であったが、警察との折衝の結果不可能となり、比較的警察協力の融通が利く大阪、関西方面に変更された。10週間の撮影を計画したものの、各所で期待した協力が得られなかったために5週間で切り上げて帰国した[1]。撮影できなかった部分は後述のとおり米国で行った。
- ラストシーンのニックと佐藤の一戦の舞台であるブドウ畑農場は、日本国内という設定ではあったが日本の農地の風景ではない。アメリカの裕福な日本文化マニアの外国人の私有地(サンフランシスコ郊外ということが『SmaSTATION6』の松田優作特集で公表された)を借りて撮影された。山林の中に立っている標識の漢字は外国人が適当に書いたもので場所が国外ということを分からせてくれる。また、このシーンで登場する佐藤が乗ったメルセデス・ベンツSクラス(ケーニッヒによる派手なカスタマイズである)は、ダミーの「大阪」ナンバーをつけたアメリカ仕様車である。
- 他にも強制送還されるニックが飛行機から抜け出す空港のシーン、チャーリーが佐藤一味に殺される地下駐車場のシーン、クラブ・ミヤコのシーン、佐藤のアジトシーンもアメリカや香港で撮影されている(後者2つについては主要キャスト以外の日本人が英語訛りの日本語を話しているためそれがわかる)。
- ケイト・キャプショーの登場場面のほとんどは米国で、カメラの切り替えでいかにも大阪でロケを行っているように見せている。唯一日本で撮影したシーンが使われているのは、今はなき心斎橋(地名ではなくかつての長堀川域に実在し、1910年に二代目として架橋され、同川が埋め立てられ長堀橋筋となって以降の1964-95年の間、歩道橋として再利用されていた橋の名前を指す。2014年現在は心斎橋筋通路に欄干部が再々利用されている)の上でホームレスの男性に「これでパンでも買って」というシーンである。加えて菅井宅は『ブレードランナー』のデッカード宅と同じロサンゼルスのエニス・ブラウン邸である(特徴的なフランク・ロイド・ライト作のブロック壁で判別可能)。
- 佐藤の愛人をニックと松本が尾行するシーンは神戸で撮影されている。
- ラストシーンでニックが佐藤の生死を決定しようとするシーンがあるが、これは当初、死闘の末に逮捕される脚本であったが、途中から追加されたチャーリー弄り殺しシーンなどから次第に悪者感が増し、脚本を変更して最後に殺される筋書きに変更された。変更された脚本では尖った杭に倒され串刺しになりながらも不敵に笑いを浮かべて死んで行くと言うものであった。しかし続編を制作する企画が持ち上がり、殺されずに逮捕されるパターンへエンディングを変更することになった。なお、串刺しにされるシーンはクランクアップ後一年経過してから追加撮影の依頼があり、半ば呆れながら松田は『もう気持ちはあの時から切れているので』と断ったそうだ(いずれも「プレイボーイ」誌、松田優作インタビューより)。
- 以上の経緯からニックが佐藤を殺す構想上のパターン(シナリオでは「バイクの後輪に頭を押し込んで殺す」)と、最終的に採用された殺さずに警察に連行されるパターンがある。警察に連行されるシーンは上映版では杭をカメラフレームに収めたカットから警察署内の扉を開ける場面に切り替わるが、第一試写版では警察署内の廊下を通過して階段を上がり扉を開ける流れが撮影され、終始ふてぶてしい笑顔を浮かべる佐藤が収録されており、一般公開前のプレス用資料には、これらの場面スチルが配布されていた。
- 米国のスタッフを驚かせた逸話として、佐藤がバイクに乗るシーンは全てスタント無しで松田優作本人が演じたことが挙げられる。しかし松田は一連の「遊戯シリーズ」にてスタントを全て本人がこなしており、松田はこれを当然と考えており、自分のやり方が正しかったと後に述懐している(「プレイボーイ」誌、松田優作インタビューより)。
- 佐藤がバイクに乗るシーンで着用しているゴーグル風のサングラスは日本側で調達された1987年のジャン=ポール・ゴルチエ製コレクションである。市販モデルは平面レンズタイプであったが、レンズに映り込む光を複雑にしたいと監督から要請があり、球面レンズに交換された。
- 大阪府警の機動隊員はジュラルミンの楯ではなく、狙撃用のライフルを持っていた。
- ラストの空港のシーンで、松本がニックに「お子さんに」と渡す箱の包装は、当時関西圏で中堅の玩具チェーン店「いせや」の物であるので、中身は玩具と想像できる。公開当時、いせや常連客の間で話題になり、問い合わせがよくあったという。ちなみに逆にニックが松本に渡した箱の包装は阪急百貨店の物である(Hankyuの英字ロゴが確認できる)。
キャスティングについて
- ホテル内でスコット監督と行われた佐藤役のオーディションには、決定した松田優作の他に、萩原健一、根津甚八、遠藤憲一、小林薫、田代まさし、世良公則などが参加していた(「プレイボーイ」誌インタビューより)。
- このオーディションで松田優作は、自分で締めていたネクタイを外し、それを手錠に見立て手首に結び本番さながらの迫真の演技を披露し佐藤役を獲得した。松田は当初、一次審査(書類選考)の時点で落とされていたが日本側のスタッフが、松田がそのようなレベルの役者ではないとアメリカ側のスタッフを説得し実現したものだった。
- 萩原流行もオーディションを受けたが意中の役は射止められなかった。その際、松本刑事の部下役で打診されたが丁重に断った。しかし、松本役が高倉健だと後で知って後悔したと日本テレビ『カミングダウト』[2]で語っている。
- 元々は『海と毒薬』をベルリン映画祭で見たプロデューサーが主演の奥田瑛二に佐藤役を打診したが、本作と同時期に公開された『千利休 本覺坊遺文』との撮影スケジュールが合わず、断ったため、オーディションが行われた(山口猛著『松田優作 炎静かに』より)。
- 木村祐一もオーディションを受けたがすぐに終わり、落選した。木村によると島木譲二はパチパチパンチをやって合格したらしい(『ダウンタウンDX』2007年12月13日放送分より)。
- 先述の木村同様、今田耕司もオーディションに参加しており、当時会社命令で他の吉本芸人ともどもオーディションを受けるも本人は乗り気でなく、オーディション中も自身の質問に対し、コメディアンである事を伝えると外国人スタッフから「コメディアンなら何か面白い事をやってみろ」と要求されるも外国人に自分のギャグを披露しても伝わるわけがないと思った今田が「いや、ボクは別にいいです」と答えたところ、質問したスタッフが不思議そうな表情を浮かべながら「お前はチャンスがいらないのか?」と云われた。
- クランクイン前に、マイケル・ダグラスと親交を結んだ坂本龍一に、高倉健演じる松本正博役をやらないかというオファーがあった。坂本は、「脚本を読んだら、自分ではなくて、勝新太郎のような渋い俳優がやるべきだと思った」とのことである。坂本の曲はニックと菅井が「クラブみやこ」で目を合わせるシーンに使用され、サントラにも収録されている。
- なお、マイケル・ダグラスは日本人の殺人鬼を演じないかとジャッキー・チェンに言ってきたが、この映画はアジア人を悪く見せたし、ファンが悪者を演じる僕を見たがるとも思わなかった。(自伝“IAM JACKIE CHAN”より)と出演を断ったようである。
- この作品のロケを見学していたデコトラの親睦団体である浪花会とロンサムロードのメンバーが、監督から映画出演を依頼された。
使用車両について
- 尾行などで乗ったタクシーはすべて「日本タクシー」である。
- スタッフが移動に使った車はほとんどが「さくらタクシー」である。
- アメリカ映画ユニオンの規定により俳優1人につきキャンピングカー1台を用意する必要があったため、日本中のレンタルキャンピングカーが集められ、ロケ現場には全国のナンバーが付いたキャンピングカーが集結した。
- アメリカ映画ユニオンの規定によりあたたかい物が食べられるケータリング車が必要であったが、当時の日本にはあまりそういったものがなかったため、縁日などにある「屋台」がロケ現場に用意され、スタッフは撮影時間中いつでも、うどん、やきそば、たこ焼き、飲み物などが用意され、外国人スタッフにはサンドイッチなどが用意された。
テレビ放送
- 地上波全国ネット(フジテレビ『ゴールデン洋画劇場』)で初放送された際、吹替版ではなく字幕版で放映された。しかし同じ『ゴールデン洋画劇場』で2回目は吹替版が放送され、以降テレビ東京『木曜洋画劇場』でも吹替版で放送。出演した日本人キャストの英語台詞部分をキャスト本人が吹き替えるのが通例だが、日本人キャストで本人が吹き替えたのは大橋役の神山繁(DVD版も担当)と佐藤の子分役のガッツ石松のみで、松本役は日本語の台詞も含め高倉健本人ではなく大塚明夫が吹き替えた(DVD版は立木文彦)。一方で吹き替え収録時、故人となっていた若山富三郎は小林勝彦(DVD版は藤本譲)が英語台詞の入る場面(ゴルフ場、菅井の自宅、ニックに散弾銃を渡すシーン)を日本語の台詞も併せて吹替え(吹替台詞も関西弁になっている)、日本語のみの部分は原音で対応した。松田優作は製鉄所内でニックに呼びかけるシーンで英語の台詞を言っているがその箇所だけカットして対応した。
その他
- 当初、監督は『ロボコップ』の監督であるポール・バーホーベンだった。
- 主人公がうどんを啜るシーンは、音を立てない食事を旨とする欧米人にカルチャーショックを与え、話題になった。
- 米国内での宣伝素材に使われたタイトルの日本語表記がことごとく「ブラック・ンイレ」になっており、物議をかもした。[3]
- 文学座つながりの渡辺徹が、『太陽にほえろ』で競演中、松田優作から演技指導を受けたらしい。それは、「相手の胸ぐらを掴みながらセリフを言う時、まず相手を睨み深呼吸をいったんしろ、そうするとより怖いセリフになるんだ」というものであった、それを松田自身が実践したのが『ブラック・レイン』で佐藤がレストランに登場するシーンである(ダウンタウンDXから)。市川海老蔵もこのシーンからインスパイヤされたお陰で、歌舞伎が成功したこともあるらしい(情熱大陸から)。
- 大橋警視役の神山繁によると、「セリフが毎日変わった。毎日新しいシナリオが渡された。」とのこと(NHK『英語でしゃべらナイト』で本人談)。
- 漫画『松田優作物語』では、マイケル・ダグラスが、チャーリーが佐藤に殺されるシーンの撮影で「チャーリー! 逃げろ!」と叫ぶべきところを、「アンディ! 逃げろ!」とアンディ・ガルシアの本名のほうを叫んでNGを出してしまったとある。松田優作のあまりの気迫に「アンディ・ガルシアが本当に殺される」と錯覚したということだが、実際はカットを割って撮影されているため、このようなことは考えにくい。
関連項目
ロケ地
大阪市
- 中央区
- 北区
- 淀川区
- 福島区
- 大阪市中央卸売市場 - ニックと松本が佐藤の愛人を尾行・張り込みを行ったシーンで登場。
- 城東区
- 阿倍野区
- 西成区・大正区・住之江区
- 阪神高速道路 - ニックと松本が佐藤の愛人を車で尾行。
堺市
神戸市
脚注
- ↑ テンプレート:PDFlink6ページ参照
- ↑ 放送日は不明だが、2004年12月に発売された番組本に掲載されている。
- ↑ その際の誤表記に基づくPOP広告の写真が、宝島社の『VOW3』(1991年、ISBN 4-7966-0138-4)のp.11に収録されている。
文献
- アメリカ映画Black Rainと日本映画『黒い雨』 との比較研究論文として、Yoko Ima-Izumi(今泉容子)著 "Nuclear Bomb Films in Japan and America: Two Black Rain Films" 『英米文学・英米文化試論:太平洋横断アメリカン・スタディーズの視座から』 成田興史編、晃学出版、2007年、ISBN 9784903742021がある。