カンヌ国際映画祭
カンヌ国際映画祭(カンヌこくさいえいがさい、テンプレート:Lang-fr-short)は、1946年にフランス政府が開催して以来、毎年5月(1948年、1950年は中止)にフランス南部コート・ダジュール沿いの都市カンヌで開かれている世界で最も有名な国際映画祭の一つ。単にカンヌ映画祭(Festival de Cannes)とも呼ばれる。
概要
カンヌ国際映画祭はベルリン国際映画祭、ヴェネツィア国際映画祭と併せ、世界三大映画祭の一つである。
併設されている国際見本市(マーケット)もMIFED、American Film Marketと並び世界三大マーケットのひとつである。マーケットには例年800社、数千人の映画製作者(プロデューサー)、バイヤー、俳優などが揃い、世界各国から集まる映画配給会社へ新作映画を売り込むプロモーションの場となっている。とりわけ、世界三大映画祭と世界三大マーケットが同時に開催されるのはカンヌだけであるため、世界中のマスメディアから多大な注目が集まり、毎回全世界から数多くの俳優、映画製作者が出席する。
開催期間中は、メイン会場を始め各映画館では映画が上映され、見本市では各製作会社によるブースでプレゼンとパーティが行われる。これから公開される映画はもちろんのこと、予告編しかできていない映画やまだ脚本すらできていない企画段階の映画までが売り込みに出され売買される。このマーケットでどれだけ先にヒット映画を予測し買い取るのかがバイヤーの腕の見せ所でもある。
部門構成と賞
オフィシャル(メイン)セレクション
- コンペティション部門(シアターリュミエールで上映される。カンヌ映画祭の中心となる部門)
- 「ある視点」部門
- 作品賞
- 審査員特別賞
- 最優秀監督賞
- 新人賞
- 名脇役賞(A Certain Talent)
- シネフォンダシヨン(学生作品対象)
- 短編部門
- 短編パルムドール
- スペシャルスクリーニング(特別招待作品)
- 審査員の推薦作品
- コンペ外作品部門
パラレルセクション
- トゥ·レ·シネマ·ドゥ·モンド
- その国の文化を反映した作品に。
- シネマ·デ·ラ·プラージュ
- 音楽がいいもの。
- ゴールデンカメラ
- カンヌ国際映画祭 カメラ・ドール(新人監督賞)
- 「コンペティション部門」、「監督週間」、「国際批評家週間」で紹介された処女作の中から、最も優秀な作品に贈られる賞。
- カンヌクラシックス
- 過去の名作の上映会。
インディペンデント(運営が別であり、賞の存在もその時々による)
- 監督週間
- アートシネマアワード
- SACDグランプリ
- 芸術実験映画賞
- エウロパ映画館賞
- 特別賞
- 国際批評家週間
- クィア賞
- 犬賞
最高賞はパルム・ドール(Palme d'Or)と呼ばれ、ノミネートされた20本前後の映画作品の中から選ばれる。二本以上の作品が選ばれる年もある。当初は最高賞を「グランプリ」(Grand Prix du Festival International du Film、国際映画祭のグランプリ)としていたが、1955年にトロフィーの形にちなんだ「パルム・ドール」(黄金のシュロ)を正式名称とし、「グランプリ」とも呼ばれる形とした。1965年に最高賞の正式名称を「グランプリ」に戻すが、1975年に再度「パルム・ドール」としている。長らくカンヌにおいては「グランプリ」とは最高賞の正式名称もしくは別名であったが、1990年に審査員特別賞('Grand Prix Spécial du Jury')に「グランプリ」の名が与えられる事となり、混乱を招いている。
審査員は著名な映画人や文化人によって構成されている。
年度別に関してはCategory:カンヌ国際映画祭を参照。
1960年にアニメーション部門を独立させ、アヌシー国際アニメーション映画祭を設立した。このため、長年に渡り原則としてアニメーション作品はノミネートされなかったが、近年ようやく時代の変化を受け、徐々にノミネートを試み始めている。
歴史
1930年代後半、ファシスト政府の介入を受け次第に政治色を強めたヴェネツィア国際映画祭に対抗するため、フランス政府の援助を受けて開催される事になったのがカンヌ国際映画祭である。1939年から開催の予定だったが、当日に第二次世界大戦勃発のため中止。終戦後の1946年に正式に開始される事になった。
しかし1948年から1950年まで、予算の関係で開催されず、1951年に再び開催。この頃からパレ・デ・フェスティバルが会場として使用されている。
1968年には五月革命が起こり、ルイ・マル、フランソワ・トリュフォー、クロード・ベリ、ジャン=ガブリエル・アルビコッコ、クロード・ルルーシュ、ロマン・ポランスキー、ジャン=リュック・ゴダールなどの要請により、映画祭が中断されるという事態が起こった。
60回記念製作映画
2007年に開催60回記念として、映画『それぞれのシネマ~カンヌ国際映画祭60回記念製作映画~』が映画祭公式で製作、上映された。「それぞれのシネマ」は映画祭プロデューサー、ジル・ジャコブの呼びかけにより、映画祭にゆかりのある監督たちがそれぞれの「映画館」への想いを3分間でつづったオムニバス映画。参加監督は以下の通り(()内は主な作品)。
- レイモン・ドゥパルドン(『アフリカ、痛みはいかがですか』)
- 北野武(『HANA-BI』)
- テオ・アンゲロプロス(『永遠と一日』)
- アンドレイ・コンチャロフスキー(『映写技師は見ていた』)
- ナンニ・モレッティ(『息子の部屋』)
- ホウ・シャオシェン(『悲情城市』)
- ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ(『ロゼッタ』)
- ジョエル&イーサン・コーエン(『ノーカントリー』)
- 権利上、日本未公開。
- デヴィッド・リンチ(『マルホランド・ドライブ』)
- アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ(『バベル』)
- チャン・イーモウ(『HERO』)
- アモス・ギタイ(『キプールの記憶』)
- ジェーン・カンピオン(『ピアノ・レッスン』)
- アトム・エゴヤン(『スウィート ヒアアフター』)
- アキ・カウリスマキ(『ル・アーヴルの靴みがき』)
- オリヴィエ・アサヤス(『夏時間の庭』)
- ユーセフ・シャヒーン(『炎のアンダルシア』)
- ツァイ・ミンリャン(『西瓜』)
- ラース・フォン・トリアー(『ダンサー・イン・ザ・ダーク』)
- ラウル・ルイス(『ミステリーズ 運命のリスボン』)
- クロード・ルルーシュ(『レ・ミゼラブル』)
- ガス・ヴァン・サント(『エレファント』)
- ロマン・ポランスキー(『戦場のピアニスト』)
- マイケル・チミノ(『ディア・ハンター』)
- デヴィッド・クローネンバーグ(『ヒストリー・オブ・バイオレンス』)
- ウォン・カーウァイ(『恋する惑星』)
- アッバス・キアロスタミ(『桜桃の味』)
- ビレ・アウグスト(『マンデラの名もなき看守』)
- エリア・スレイマン(『Le Temps qu'il reste』)
- マノエル・デ・オリヴェイラ(『クレーヴの奥方』)
- ウォルター・サレス(『モーターサイクル・ダイアリーズ』)
- ヴィム・ヴェンダース(『パリ、テキサス』)
- チェン・カイコー(『さらば、わが愛/覇王別姫』)
- ケン・ローチ(『麦の穂をゆらす風』)
カンヌ国際映画祭を舞台にした作品
- カンヌの恋人 (1979) - 映画監督とあるプロデューサーの妻との恋愛を描くアメリカ映画。
- カンヌ映画通り (1981) - ダニエル・シュミットのセミ・ドキュメンタリー。
- カンヌ映画祭殺人事件 (1994) - フランス制作のコメディ。
- カンヌ 愛と欲望の都 (2002) - 映画祭での売り込みに明け暮れる監督、女優、プロデューサー等を描いたドラマ。
- 悪魔の毒々映画をカンヌで売る方法! (2004) - 映画祭でのトロマ・エンターテインメントを描いたドキュメンタリー。
- ファム・ファタール (2004) - ブライアン・デ・パルマ監督のサスペンス。
- Mr.ビーン カンヌで大迷惑?! (2007) - Mr.ビーン劇場版の2作目。
関連項目
ギャラリー
- Francis Ford Coppola(CannesPhotoCall).jpg
フランシス・コッポラ、2001年
- CANNES (festival1).jpg
2001年の風景
- Starlette.jpg
売り出し中の若手女優がカメラに向かってポーズをとる姿は、カンヌの名物のひとつ。
- Leo Scor Diaz(GangsofNY)-.jpg
映画祭の出席者達左からディカプリオ、スコセッシ監督キャメロン・ディアス(2002)
関連文献
- 田山力哉著『カンヌ映画祭35年史』三省堂、1984年3月、ISBN 978-4-385-34865-0
- 田山力哉著『田山力哉のカンヌ映画祭』三省堂、1991年8月、ISBN 978-4-385-34866-7
- 中川洋吉著『カンヌ映画祭』講談社〈講談社現代新書〉、1994年4月、ISBN 978-4-06-149199-1
- (参考文献: p.236~238)
- 樋口泰人編『カンヌ映画祭の50年 出品全3280作リスト集』アスペクト、1998年4月、ISBN 978-4-7572-0048-7
外部リンク
- カンヌ国際映画祭 - 公式サイト
- カンヌ国際映画祭マーケット - 公式サイト
- テンプレート:IMDb award