ジョン・ウィリアムズ (作曲家)
テンプレート:Infobox musical artist テンプレート:Portal クラシック音楽 ジョン・タウナー・ウィリアムズ(John Towner Williams, 1932年2月8日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク出身の作曲家、指揮者。
来歴
ニューヨーク・フラッシング地区生まれ。1948年にロサンゼルスへ一家で引っ越す。ノース・ハリウッド高校を卒業後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で亡命ユダヤ系イタリア人作曲家のカステルヌオーヴォ=テデスコに師事。1952年にアメリカ空軍に徴兵される。アメリカ空軍では音楽隊に所属し編曲と指揮を担当。1955年に兵役を終えジュリアード音楽院ピアノ科へ進学。ジュリアードでロジーナ・レヴィーンに師事。ジュリアード在学時よりジャズピアニストとして活動。
ブレイク・エドワーズ監督のテレビシリーズ『ピーター・ガン』(1958年)のサウンドトラック(ヘンリー・マンシーニ作曲)にピアニストとして参加。1965年から編曲家・オーケストレータのハーバート・W・スペンサー(1906年生~1992年没)との共同作業を開始し、そのコラボレーションはスペンサーが亡くなるまで続いた。アーウィン・アレン監督のテレビシリーズ『宇宙家族ロビンソン』(1965年)、『タイムトンネル』や映画『チップス先生さようなら』(1969年)、『屋根の上のバイオリン弾き』(1971年=アカデミー編曲賞)、『ポセイドン・アドベンチャー』(1972年)等の音楽担当として注目され、スティーヴン・スピルバーグ監督の『ジョーズ』(1975年)の音楽がアカデミー作曲賞を受賞。名実ともに映画音楽の第一人者となる。一連のスティーヴン・スピルバーグ作品、ジョージ・ルーカス監督の映画『スター・ウォーズ』シリーズ、後述するオリンピックの開会式の音楽が知られる。
指揮者としては、アーサー・フィードラーの死後、空席となっていたボストン・ポップス・オーケストラの指揮者を1980年から1993年まで務め、退任後も名誉指揮者となってたびたび指揮台に立っている。同オーケストラを指揮したホルストの『惑星』やガーシュウィンの『ラプソディ・イン・ブルー』、自作の映画音楽など多数の録音がある。
作品一覧
映画音楽
- 1965年『宇宙家族ロビンソン』
- 1966年『タイムトンネル』
- 1966年『おしゃれ泥棒』※ジョニー・ウィリアムズ名義
- 1968年『巨人の惑星』
- 1970年『ジェーン・エア』
- 1971年『屋根の上のバイオリン弾き』(アカデミー編曲賞)
- 1971年『11人のカウボーイ』
- 1972年『ポセイドン・アドベンチャー』
- 1973年『ロング・グッドバイ』
- 1974年『タワーリング・インフェルノ』
- 1975年『大地震』
- 1975年『アイガー・サンクション』
- 1975年『ジョーズ』(アカデミー作曲賞・グラミー賞受賞)
- 1976年『ファミリー・プロット』
- 1976年『ミッドウェイ』
- 1977年『ブラック・サンデー』
- 1977年『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』(アカデミー作曲賞・グラミー賞受賞)
- 1977年『未知との遭遇』(グラミー賞受賞)
- 1978年『スーパーマン』(グラミー賞受賞)
- 1979年『1941』
- 1980年『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』(グラミー賞受賞)
- 1981年『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(グラミー賞受賞)
- 1982年『E.T.』 (アカデミー作曲賞・グラミー賞受賞)
- 1983年『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』
- 1984年『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』
- 1984年『ザ・リバー』
- 1986年『スペースキャンプ』
- 1987年『イーストウィックの魔女たち』
- 1987年『太陽の帝国』
- 1988年『偶然の旅行者』
- 1989年『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』
- 1989年『7月4日に生まれて』
- 1989年『アイリスへの手紙』
- 1990年『ホーム・アローン』
- 1990年『推定無罪』
- 1991年『JFK』
- 1992年『Hook』
- 1992年『ホーム・アローン2』
- 1992年『遥かなる大地へ』
- 1993年『ジュラシック・パーク』
- 1993年『シンドラーのリスト』(アカデミー作曲賞・グラミー賞受賞)
- 1995年『サブリナ』
- 1997年『アミスタッド』
- 1997年『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』
- 1997年『セブン・イヤーズ・イン・チベット』
- 1998年『プライベート・ライアン』(グラミー賞受賞)
- 1999年『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』
- 2001年『A.I.』
- 2001年『ハリー・ポッターと賢者の石』
- 2002年『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』
- 2002年『マイノリティ・リポート』
- 2002年『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』
- 2002年『ハリー・ポッターと秘密の部屋』
- 2004年『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』
- 2004年『ターミナル』
- 2005年『宇宙戦争』
- 2005年『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』
- 2005年『SAYURI』(ゴールデングローブ賞受賞)
- 2005年『ミュンヘン』
- 2005年『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』(テーマ曲のみ)
- 2006年『スーパーマン リターンズ』(テーマ曲のみ)
- 2007年『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』(テーマ曲のみ)
- 2008年『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』
- 2009年『ハリー・ポッターと謎のプリンス』(テーマ曲のみ)
- 2010年『ハリー・ポッターと死の秘宝Part1』(テーマ曲のみ)
- 2011年『ハリー・ポッターと死の秘宝Part2』(テーマ曲のみ)
- 2011年『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』
- 2011年『戦火の馬』
- 2012年『リンカーン』
- 2013年『やさしい本泥棒』
- 2015年『スター・ウォーズ エピソード7』[1]
オリンピック テーマ曲
1984年のロサンゼルスオリンピック以降計3回行われているアメリカでのオリンピックで、楽曲を提供している。
- 1984年 ロサンゼルスオリンピック
- 『オリンピックファンファーレとテーマ』(Olympic Fanfare and Theme)=グラミー賞受賞。
- 1996年 アトランタオリンピック
- 『サモン・ザ・ヒーロー』(Summon the Heroes)
- 2002年 ソルトレイクシティオリンピック
- 『コール・オブ・チャンピオン』(Call of the Champions)
2012年のオリンピックがニューヨークに決まれば、再び開会式の音楽を担当する予定だった(2016年のオリンピックもシカゴが落選したため、開会式の音楽の担当は叶わなかった)。
管弦楽曲
- 『リバティ・ファンファーレ』(Liberty Fanfare)
- 『オリンピック・スピリット』(The Olympic Spirit) - 1988年のソウルオリンピックの際にNBCの番組のために提供。この曲は、日本のTV番組『オールスター感謝祭』の中でも使用されている。
- 『雅の鐘』(Sound the Bells!) - 元は吹奏楽曲だったが、徳仁親王の結婚を祝う曲として管弦楽編曲し、1993年ボストンポップス日本ツアーのレパートリーに加えた。日本の鐘の音色にインスパイアされている[2]。
協奏曲
- ヴァイオリン協奏曲
- フルート協奏曲
- トランペット協奏曲
- テューバ協奏曲
- オーボエ協奏曲
- チェロ協奏曲
受賞歴
- アカデミー賞 5回(作曲賞 4回・編曲賞 1回)
- アカデミー賞ノミネート47回は現役の映画人の中で最も多い。
- ノミネート止まり42回は史上最多である。
- エミー賞 2回
- グラミー賞 18回
- ゴールデングローブ賞 4回
楽譜出版
米国のハル・レナード社(Hal Leonard)から「ジョン・ウィリアムズ・シグネチャー」のシリーズ名でスコア+パート譜が多数発売されている。スピルバーグ作品やスター・ウォーズ全6作をはじめとする映画音楽はコンサート用にアレンジされた物で、オーケストラ版と吹奏楽用アレンジが選べる作品も並ぶ。映画音楽をオーケストラで演奏したい場合複雑な手続きを経て映画会社のレンタル楽譜を利用するケースが多い中、まとまった量の出版が行われている例は珍しい。映画音楽の他、トランペット協奏曲、テューバ協奏曲、オリンピックのための作品も含まれている。
私生活
父のジョニー・ウイリアムズはジャズ奏者でレイモンド・スコット・クインテットでドラムとパーカッションを担当していた。元TOTOのメンバーで、ポピュラー作曲家、ヴォーカリストのジョセフ・ウィリアムズは息子である。
1956年に女優のバーバラ・リュイックと結婚。バーバラとの間に2男1女を儲けるが、1974年3月、バーバラは映画撮影中に死去。ジョンは1980年7月に2番目の妻と再婚。
脚注
関連項目
- バーナード・ハーマン - 友人。『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』の劇中でファルコン号の床下に隠れたルーク、ソロ、オビ=ワンが忍び出て来るシーンの音楽には、一瞬ハーマンが手がけた『サイコ』の曲が引用されている。