コーカサス
コーカサス(テンプレート:Lang-en)、カフカース(カフカス、テンプレート:Lang-ru (Kavkaz)、テンプレート:Lang-ka、テンプレート:Lang-hy、テンプレート:Lang-az)は、黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス山脈と、それを取り囲む低地からなる面積約44万km²の地域である。
英語のコーカサス、ロシア語のカフカースともテンプレート:Lang-grc (Kaukasos; カウカーソス)に由来する[1]。 「カウカーソス」自体は、一説に、古代スキタイ語のクロウカシス(白い雪)に由来するとされる。
コーカサス山脈を南北の境界として北コーカサスと南コーカサス(ザカフカジエ、ザカフカース、トランスカフカス、外カフカース)に分かれ、北コーカサスはロシア連邦領の北カフカース連邦管区に属する諸共和国となっており、南コーカサスは旧ソ連から独立した3共和国からなる。
全体的に山がちな地形で、山あいには様々な言語、文化、宗教をもった民族集団が複雑に入り組んで暮らしており、地球上でもっとも民族的に多様な地域であると言われる。
ケフィア発祥の地で、しばしば、この地方の人々は、ケフィアを飲んでいるために長寿であると喧伝されるが、統計的に見て、この地方の人々が長寿であるという科学的根拠はない。
コーカサスの国々
- 南コーカサス
厳密には、ロシア連邦クラスノダル地方のソチ周辺はコーカサス山脈の南、アゼルバイジャンのテンプレート:仮リンク・テンプレート:仮リンク・テンプレート:仮リンク・テンプレート:仮リンク・テンプレート:仮リンク・テンプレート:仮リンクはコーカサス山脈の北に位置する。
アゼルバイジャンは飛地(画像ではアゼルバイジャン領とあるが飛地である)にナヒチェヴァン自治共和国をもつが、本土西部のナゴルノ・カラバフ自治州とその周辺地域は「ナゴルノ・カラバフ共和国」として独立状態にある。グルジアは南西部アジャリア、北西部アブハジアの2自治共和国と北東部の南オセチアを含むが、アブハジアと南オセチアはグルジアの中央政府の統制がまったく届かず、独立状態となっている。
独立国
国旗 |
国章 |
国名 | 首都 | 人口 |
面積 (km2) |
独立年 | 民族 |
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テンプレート:Flagicon | 22x15px | アゼルバイジャン共和国 | バクー | テンプレート:Nts | テンプレート:Nts | テンプレート:Flagicon ソビエト連邦より1991年 | アゼルバイジャン人(91.6%)、テンプレート:仮リンク(2.02%)、アルメニア人(1.35%)、ロシア人(1.34%)、テンプレート:仮リンク(1.26%)、その他(2.43%) |
テンプレート:Flagicon | 22x15px | アルメニア共和国 | エレバン | テンプレート:Nts | テンプレート:Nts | テンプレート:Flagicon ソビエト連邦より1991年 | アルメニア人(97.8%)、テンプレート:仮リンク(1.3%)、ロシア人(0.5%)、アッシリア人(0.1%)、クルド人(0.05%)、その他(2%) |
テンプレート:Flagicon | 22x15px | グルジア | トビリシ | テンプレート:Nts | テンプレート:Nts | テンプレート:Flagicon ソビエト連邦より1991年 | グルジア人(83.8%)、アゼルバイジャン人(6.5%)、アルメニア人(5.7%)、ロシア人(1.5%)、オセット人(0.9%)、その他(1.8%) |
事実上独立した地域
国旗 |
国章 |
国名 | 首都 | 人口 |
面積 (km2) |
独立年 | 民族 |
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テンプレート:Flagicon | 22x15px | アブハジア共和国 | スフミ | テンプレート:Nts | テンプレート:Nts | テンプレート:Flagicon グルジアより(宣言)1992年 | アブハズ人(50.7%)、グルジア人(19.2%)、アルメニア人(17.4%)、ロシア人(9.1%)、ギリシャ人(0.6%)、その他(3%) |
テンプレート:Flagicon | 22x15px | 南オセチア共和国 | ツヒンヴァリ | テンプレート:Nts | テンプレート:Nts | テンプレート:Flagicon グルジアより(宣言)1991年 | オセット人(67.1%)、グルジア人(25.0%)、ロシア人(3.0%)、アルメニア人(1.3%)、ユダヤ人(0.9%)、その他(2.6%) |
テンプレート:Flagicon | 22x15px | ナゴルノ・カラバフ共和国 | ステパナケルト | テンプレート:Nts | テンプレート:Nts | テンプレート:Flagicon アゼルバイジャンより(宣言)1992年 | アルメニア人(99.74%)、ロシア人(0.12%)、ギリシャ人(0.02%)、ウクライナ人(0.02%)、グルジア人(0.01%)その他(0.1%) |
非独立地域
民族
母語とする言語によってコーカサスの主要な民族を分類すると以下のようになる。
大まかには、ロシア人が北コーカサス、それ以外の諸民族が南コーカサスおよび北コーカサスの最南部に住む。
歴史
この地域には人類が古くから住みついていたことが分かる証拠として、紀元前9500年ごろの金属器が発見されている。また、紀元前4000年ごろからのマイコプ文化やテンプレート:仮リンク(紀元前3500-2200年)の遺跡が発見され、大変多くの金属器が出土し、銅石器や青銅器文化であったことが分かった[2]。 古代には南コーカサスにアルメニア人、グルジア人のキリスト教文化が栄え、北コーカサスではアゾフ海東岸・カスピ海西岸の草原地帯で興亡したキンメリア、スキタイ、フン、アヴァール、ハザールなどイラン系・テュルク系遊牧民の国家の支配下にあった。山岳地帯では先住のコーカサス諸語の話し手たちが居住しており、イラン系やテュルク系の人々と交じり合って文化的・人種的影響を受けつつ独自で多様な言語と文化を保った。
13世紀にモンゴル帝国軍が到来してジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)とイル・ハン国に分割され、14世紀以降はイスラム化が進んだ中央アジアのテュルク系遊牧民に代わるマムルークの供給源としてイスラム勢力との絶え間ない接触を続けた。
16世紀以降、南コーカサスはサファヴィー朝などのイラン勢力とオスマン帝国の争奪の場となり、1578年にテンプレート:仮リンクのひとつテンプレート:仮リンクが起こった。北コーカサスでは15世紀にジョチ・ウルスの勢力を継承したクリミア・ハン国やオスマン帝国が進出して支配を広げたが、17世紀以降、大コーカサス山脈北麓のステップ地帯からコサックを尖兵とするロシア帝国の影響力が浸透し始めた。
19世紀に入ると北コーカサスの併合を完了したロシアは大コーカサス山脈の南にまで勢力を伸ばし、南コーカサスを支配するカージャール朝イランとオスマン帝国からこの地方を奪った。同じ時期、北コーカサス東部の山岳地帯では、ミュリディズム運動と呼ばれるイスラム神秘主義のひとつナクシュバンディー教団の指導者たちを中心とする反乱が起こり、ロシア支配に激しく抵抗した(コーカサス戦争)。
ロシア革命が起こると、南コーカサスではアルメニア、グルジア、アゼルバイジャンが1918年に独立を宣言するが、相互に対立を続けるうちに1921年に赤軍の侵攻を受け、1922年にザカフカース・ソビエト連邦社会主義共和国を結成してソビエト連邦に合流した。北コーカサスでもチェチェンやダゲスタンで独立運動が起こるが赤軍によって赤化が進められ、ロシアに編入された。
1991年のソ連解体は、形式上連邦からの分離独立権を認めたソ連憲法に基づき南コーカサスの3共和国に独立を果たさせたが、北コーカサスの諸民族自治共和国はロシア連邦からの分離権を憲法によっても認められず、独立運動をロシア当局に押さえ込まれた。中でもチェチェン共和国は1991年に就任したジョハル・ドゥダエフ大統領のもとでソ連およびロシア連邦からの分離独立を宣言し、強硬姿勢を貫いたため、1994年よりロシア連邦軍の攻撃を受け、第一次チェチェン紛争が勃発した。以来、チェチェンを中心に戦乱、テロが続発し、北コーカサスはロシアの中でも特に不安定な地域になっている。一方、独立を果たした南コーカサス3国も、アゼルバイジャンとアルメニアのナゴルノ・カラバフ戦争などを原因として民主化の阻害と経済発展の停滞が著しく、問題が山積している。