ダゲスタン共和国
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ダゲスタン共和国(ダゲスタンきょうわこく、テンプレート:Lang-az、テンプレート:Lang-av)は北カフカース地方とカスピ海の間にあるロシア連邦を構成する共和国の内の一つである。首都はマハチカラ。
隣接する連邦構成主体はカルムイク共和国、スタヴロポリ地方、チェチェン共和国、またグルジア、アゼルバイジャンとも隣接する。北部にはテレク川が流れる。首都マハチカラから北にはアグラハン半島が突き出し、その先にはチェチェン島がカスピ海に浮かぶ。
国名
国名はトルコ語で山を意味する"dağ"にペルシャ語の地名の接尾辞である"-stān"(スターン)が付いて「山が多い場所」を意味する。山岳地帯が人々の自由な行き来を妨げたため、非常に多様な民族が混在し今でも部族的な生活を送っている。
政治
住民
ダゲスタンに住む民族のうち、ダゲスタン国民を構成する主たる民族とされる10の民族は、コーカサス諸語の民族であるテンプレート:仮リンク、アヴァール人、テンプレート:仮リンク、テンプレート:仮リンク、テンプレート:仮リンク、テンプレート:仮リンク、テンプレート:仮リンク、テンプレート:仮リンク、およびテュルク系民族のテンプレート:仮リンクとノガイ人である。住民のほとんどはムスリムである。
1999年、ダゲスタン共和国はシャミル・バサエフが率いるチェチェンのイスラム原理主義グループの攻撃を受けた。それはロシア連邦によるチェチェン共和国侵攻の一因ともなっている。
有名なムスリムの指導者イマーム・シャミールはダゲスタン共和国の出身である。
標準時
この地域は、モスクワ時間帯の標準時を使用している。時差はUTC+4時間で、夏時間はない。(2011年3月までは、標準時がUTC+3で夏時間がUTC+4であった)
歴史
- 古代からテンプレート:仮リンク(紀元前3400年 - 紀元前2000年)が栄えていた。カフカス・アルバニア王国(紀元前2000年 - 8世紀)時代には、紀元前4世紀までは南コーカサスのデルベントを王都としていたが、その後は新首都テンプレート:仮リンクを中心に繁栄した。
- アルメニアの歴史家テンプレート:仮リンクによれば、テンプレート:仮リンクへ西突厥が介入したテンプレート:仮リンク(627年 - 629年)がデルベントで起こった。裏で行なわれていたテンプレート:仮リンクが中東の軍事バランスを変えたことによってイスラーム教徒のペルシア征服(633年 - 644年)が成功した。この介入戦争が世界史に与えた影響は非常に大きなものである。
- 654年に正統カリフの支配下に入った。アラブ人がシルクロードを支配したため、ハザール・カガン国との間でテンプレート:仮リンク(642年 - 799年)が始まり、ウマイヤ朝やアッバース朝の時代まで戦争が続いた。
- 12世紀にはキリスト教国のen:Sarirが没落した。
- テンプレート:仮リンクを王都とするテンプレート:仮リンク(13世紀初頭–1864年)が成立。
有名人
- ヴォルク・ハン
- ジャバル・アスケロフ
- ヴォルク・アターエフ
- ユサップ・サーデュラエフ
- マンスール・イサエフ
- タギル・ハイブラエフ
- アリ・バガウティノフ
- ハビブ・ヌルマゴメドフ
- イズリアル・ツヴェーゲンバウム