トビリシ
テンプレート:Coor title d テンプレート:世界の市 トビリシ(グルジア語: თბილისი, Tbilisi)はグルジアの首都。ときにティフリス(Tiflis)とも呼ばれる。トビリシは「あたたかい」を意味するトビリに由来し、温泉と関係あるとされている。元史には梯弗里斯とも呼ばれる。人口は約120万人。
グルジア東部、クラ川の河畔に広がる。三方を山や小高い丘に囲まれている。
歴史
テンプレート:Wide image 紀元前4000年ごろの居住跡が確認されている[1]。すでに4世紀のペルシア史料に、この地域に集落があったことが言及されている。今も市内に一部が残るナリカラ砦はこの頃に造られたものである。その後、5世紀にテンプレート:仮リンク(後にテンプレート:仮リンクとも言われた)の王テンプレート:仮リンク(ワフタング1世)がここに町をつくり、王の死後、息子のテンプレート:仮リンクが遺訓に従い、6世紀の初めにムツヘタから遷都した。統一したグルジア王国の都ではなく、コルキスを含まない東グルジア(カルトリ)の都であった。ワフタング・ゴルガサリ王がこの地を発見したのには、有名な言い伝えが残っている。王が狩に出かけ、鷹を飛ばした。鷹は雉を追いかけて飛んでいったが、鷹も雉も行方不明となった。従者たちが探し回ると鷹も雉も温泉の中に落ちていた。温泉を発見したワフタング・ゴルガサリはそれをとても気に入り、この地に町を作るように命じた、という。グルジア語の古語で"Tpili"とは「暖かい」という意味で、それがトビリシの語源である。
570年以降、サーサーン朝ペルシアに征服され、627年に、東ローマ帝国とハザールの連合軍が陥落させた。736年にはカリフ・マルワーン2世に率いられたウマイヤ朝の軍が進入。以後、テンプレート:仮リンクとしてアラブ人に支配される。1068年、スルターン・アルプ・アルスラーンの下、セルジューク朝の侵略を受ける。1122年に、セルジュークとの激しい戦闘に勝利し、テンプレート:仮リンク(ダヴィト建設王)がトビリシを解放してグルジアを統一。西グルジアのクタイシからトビリシに遷都し、全グルジアの首都となり王国の領土は拡大し繁栄の道を進む。タマル女王のもとで黄金時代を迎える。しかし1世紀で終わりを告げる。1226年、ホラズム・シャー朝のスルターン・ジャラールッディーン・メングベルディーの侵攻を受け、1236年にはモンゴルの統治下に入る。モンゴル支配下のトビリシは自治を享受できた時代であった。14世紀から18世紀にかけて、ティムールやタブリーズのシャー、白羊朝、など入れ替わり来襲を受ける。1522年、サファヴィー朝イランの侵攻を受けるもテンプレート:仮リンクに解放される。この時期は荒廃したトビリシの再建の時代であった。1795年、イランのアーガー・モハンマド・シャーの軍勢の前に、トビリシは灰燼に帰す。もはや、イランやトルコの侵攻の前に成す術も持たないグルジアは、ロシア帝国の庇護を求め、1801年、帝政ロシアに編入された。トビリシには総督府が置かれ、カフカース(コーカサス)支配の拠点となった。その間、都市は大きく発展し、近代ヨーロッパ的な町並みが形成される。1811年には8500人であった人口は、1825年には2万人になったという。19世紀末にはトリビシ・ポチ線、パトゥミ・トリビシ・バグー線の鉄道敷設で交通の要衝となった。当時ペルシャ、オスマン、スウェーデン、ベルギーの公館も建ち、国際都市の様相を呈した[2]。アレクサンドル・プーシキンやレフ・トルストイが幾たびも訪れ、ロマノフ朝の王族の屋敷も市内に作られた。1918年にグルジアが独立した際、トビリシはグルジア民主共和国(1918年-1921年)の首都となる。以後、グルジア・ソビエト社会主義共和国(1921年 - 1922年、1936年 - 1991年)、ザカフカース・ソビエト連邦社会主義共和国(1922年 - 1936年)の首都。1991年にグルジアが再び独立を果たして以後、グルジアの首都である。
民族構成
2002年の統計では、
などとなっており、年々グルジア人の割合が高まっている。 住民の85%が、キリスト教の信者であり、グルジア正教会を中心にロシア正教会、アルメニア教会を信奉している。イスラム教は主としてスンナ派で人口の8%、ユダヤ教の信者は2%である。
気候
気候は温暖で、年間の平均気温は12.7 °C。年間降水量は568mm。ケッペンの気候区分では温暖湿潤気候に属する。内陸部に位置するため、夏は暑く冬は比較的寒い。 最も寒い1月の平均気温は0.9 °C、最も暑い7月の平均気温は24.4 °Cである。
テンプレート:Infobox Weather
文化
1918年に創設されたトビリシ国立大学など、多数の高等教育機関や、劇場、博物館、国立オペラ・バレエ劇場などがあり、学術・文化面でも重要な都市である。また、たくさんの古い教会があるほか、モスクやシナゴーグもある。2004年には至聖三者大聖堂(ツミンダ・サメバ大聖堂)が竣工した。
交通
- 2つの路線の地下鉄(トビリシ地下鉄)があり、トビリシ駅前のヴァグズリス・モエダニ駅が唯一の乗り換え駅。3号線の計画がある。トラムもある。
- トビリシ駅から、アゼルバイジャンのバクー、アルメニアのエレバン行きの列車がある。
- 中央バスターミナルからは、バクー、エレバン、トルコのイスタンブルなどへ国際バス路線がある。
- 18kmほど郊外にトビリシ国際空港がある。
トビリシ出身の人物
- ミヘイル・サアカシュヴィリ:政治家
- ズラブ・ジワニア:政治家
- ボリス・アクーニン:作家
- ゲオールギイ・ベリーエフ:航空機設計者
- ミハイル・イッポリトフ=イワノフ:作曲家
- アラム・ハチャトゥリアン:作曲家
- ケイティ・メルア:ミュージシャン
- テンギズ・アブラゼ:映画監督
- ゲオルギ・ダネリア:映画監督
- セルゲイ・パラジャーノフ:映画監督
- マイア・チブルダニゼ:チェス・プレイヤー
- ノナ・ガプリンダシヴィリ:チェス・プレイヤー
- チグラン・ワルタノビッチ・ペトロシアン:チェス・プレイヤー
- カハ・カラーゼ:サッカー選手
- エレーネ・ゲデヴァニシヴィリ:女子フィギュアスケーター
- ザザ・パチュリア:プロバスケットボール選手(NBA・アトランタ・ホークス所属)
- ヴィクトル・サニキゼ:プロバスケットボール選手、グルジア代表
- ハンナ・メルニチェンコ:陸上選手(ウクライナ代表)
- 黒海太:力士(四股名:黒海)
- 臥牙丸勝:力士(四股名:臥牙丸)
- アレクサンドル・トラーゼ:ピアニスト
- リサ・バティアシュヴィリ:バイオリニスト
姉妹都市
トビリシは以下の都市と姉妹都市の提携をしている: テンプレート:Col-begin テンプレート:Col-break
- テンプレート:Flagicon アンカラ(トルコ共和国)
- テンプレート:Flagicon アトランタ(アメリカ合衆国)
- テンプレート:Flagicon ビルバオ(スペイン)
- テンプレート:Flagicon ブリストル(イギリス連邦)
- テンプレート:Flagicon インスブルック(オーストリア共和国)
- テンプレート:Flagicon イスタンブル(トルコ共和国)
- テンプレート:Flagicon キエフ(ウクライナ)
- テンプレート:Flagicon ナント(フランス共和国)
- テンプレート:Flagicon ザールブリュッケン(ドイツ連邦共和国)
- テンプレート:Flagicon エレバン(アルメニア共和国)
脚注
- ↑ 吉村貴之・前田弘毅・廣瀬陽子「温泉と風とバラ色の街」/ 北川誠一・前田弘毅・廣瀬陽子・吉村貴之編著『コーカサスを知るための60章』明石書店 2006年 51ページ
- ↑ 吉村貴之・前田弘毅・廣瀬陽子「温泉と風とバラ色の街」/ 北川誠一・前田弘毅・廣瀬陽子・吉村貴之編著『コーカサスを知るための60章』明石書店 2006年 52ページ
参考文献
関連項目
外部リンク