都営バス品川営業所
都営バス品川自動車営業所(とえいバスしながわじどうしゃえいぎょうしょ)は、東京都品川区北品川[1]にある都営バスの営業所である。営業所記号はA。
主に品川区東部と港区を中心に一部、江東区を含めた臨海副都心地区の路線を担当している。管轄下に港南支所を置く。
沿革
旧東京市営の営業所として現在の形になったのは1942年(昭和17年)2月1日のことであるが、その源流となる民営バスの拠点としては大正時代から存在するという、都営バスの中でも有数の歴史を持つ営業所である。その基礎が確立するに至るまでは、都営バスの前身である青バス由来の路線の他、現在の東急バスや京浜急行バスの系譜に連なる複数の民間事業者の流れが複雑に絡み合っている。
品川の路線は大別すると、JR山手線の内側および、そこから郊外に乗り入れる路線と、品川区の東側を中心としている。
戦前・民営乱立時代
路線の一番の大元は、大正から昭和の初期にかけて東京乗合自動車(青バス)が開設したものである。青バスは1919年(大正8年)、高輪(省線品川駅)から京浜国道を下り、六郷村(現・大田区)に至る路線を開設した。この路線は、京浜電気鉄道(現・京浜急行電鉄)の鉄道線(現・京急本線)とほぼ併走していたことから、京浜電鉄も自社路線防衛のためバスへの参入をもくろむが、青バスの既得権の前に免許が下りない事態となる。
京浜電鉄は1929年(昭和4年)になって改築されたばかりの新国道(第一京浜)経由で高輪 - 六郷橋間の路線免許を取得すると、翌1930年(昭和5年)に東京乗合から旧国道経由六郷線を買収、青バスは東京府南部から撤退した。テンプレート:Main
一方、五反田駅から先の中原街道沿いでは池上電気鉄道(現・東京急行電鉄)が1927年(昭和2年)にバス事業を始め、丸子の渡しまで延びていたが、このバスが山手線内に入り込み、御殿山通り経由で品川駅に乗り入れるようになる。
ほぼ同時期に、東京市芝区(現・港区)では国鉄田町駅周辺の通勤輸送を行う芝浦乗合自動車という会社が設立された。この会社には、玉川電気鉄道が出資しており、1937年(昭和12年)、目黒蒲田電鉄に合併、目蒲電鉄バス芝浦営業所と変わる。テンプレート:Main
また、東京府碑衾町(現・目黒区)を拠点に営業していた目黒自動車運輸が、国鉄目黒駅から山手線内に入り込み、品川駅に至る路線を作った(後述)。この目黒自動車運輸も1937年、目蒲電鉄に合併して下目黒営業所(現・東急バス目黒営業所)となった。目蒲電鉄バスは1939年(昭和14年)、東京横浜電鉄との合併で東横電鉄バスに変わる。
青バスと旧芝浦乗合の市有化
目蒲電鉄が東横電鉄に合併される前年の1938年(昭和13年)、陸上交通事業調整法が帝国議会で可決され、東京市周辺はその対象地域として事業エリアの調整が行われることになった。
品川営業所のエリアでは天王洲橋から品川駅を経て山手線の内側にあたる、東京市芝区内と旧品川区の一部が東京市営バスの独占事業区域とされることになった。このため、東横電鉄は五反田駅や目黒駅から山手線内に入り込んでいた区間と、旧芝浦乗合の流れをくむ芝浦営業所の全路線を東京市に譲渡しなければならなくなった。テンプレート:Main
一方、青バスは地下鉄銀座線を運営していた東京地下鉄道に合併されていたが、東京市中心部を中心に広範囲の路線を持っていたため、全事業が東京市営に統合されることになった。
こうして1942年(昭和17年)2月1日、青バスと東横電鉄バスの山手線内区間は東京市電気局に譲渡された。電気局では品川地区にあった両社からの引き継ぎ路線を運営するため、品川自動車営業所を新設した。これが現在につながる品川営業所のスタートであった。しかし、第二次世界大戦による路線の縮小と空襲による被害により1945年(昭和20年)春には機能が停止してしまった。テンプレート:Main
戦後
戦後再開したのは1947年(昭和22年)のことである。電気局改め、東京都交通局はGHQの指示に基づき民間との共同運行による長距離路線の開設を進めており、品川管下では戦前の事業者をすべて統合した東急バス(大東急)をパートナーに、品川区から大田区にかけてのエリアへ参入することになった。その第一弾が東京駅 - 丸子橋間の雪が谷線と、東京駅 - 池上駅間の池上線であった(後述)。
その後、京浜電気鉄道の後身となる京浜急行電鉄(現・京浜急行バス)が国道線の再開を決めると、こちらでも都営バスとの共管が行われる。こうして、品川営業所は東急・京急の両社と共管関係を持つことになった。最盛期には、東急との共管だけで3路線、京急との共管も2路線を数えた。テンプレート:See also
1964年(昭和39年)の品99系統の開設を皮切りに、埋立地の工業地帯への路線が次々に開設された。昭和40年代には都電の廃止に伴い、代替として四92、四97(現・品97)が運行開始された。テンプレート:See also
その反面、民営との相互乗り入れ路線では道路渋滞により定時運行が困難となっていく。まず1971年(昭和46年)に京浜国道線、多摩川大橋線が廃止になり神奈川県川崎市から撤退、京急との共管が解消される。続いて1977年(昭和52年)の第1次再編では雪が谷線と池上線が国鉄山手線の駅で分断され、都営は山手線以北のみを担当した。しかし都心側の路線は地下鉄や山手線と並行するなどして客足が伸びず、縮小廃止を繰り返した。
臨海部が主軸に変わる
1979年(昭和54年)、完成したばかりの東京港トンネルを経由し13号地(現在の臨海副都心)へ向かう海01系統の運行が開始され、品川営業所は江東区に進出する。1982年(昭和57年)の第3次再編成で、海01系統は門19丁系統(門前仲町 - 海上公園)と統合し勢力を拡大。引き換えに東96系統が廃止されて(旧)反96系統に切り替えられた。テンプレート:See also
翌1983年(昭和58年)には大井ふ頭中部で大規模団地八潮パークタウンの入居が始まり、都営バスは京浜急行バスと共に団地へのアクセスを担うバス路線を開設した。テンプレート:See also
1990年代に入ると、営業所からも程近い天王洲アイルの開発が急速に進み、シティバンク(現・シティバンク銀行)や日本航空が本社を移転。東京モノレールは天王洲アイル駅を新設して対応したが、都営バスもJR品川駅や大井町駅との間を結ぶバス路線を展開した。これによって、品川営業所の路線の主軸は完全に臨海部へと移った。
一方で、レインボーブリッジの完成で東京港トンネルを通る海01系統の存続にはリスクが伴うようになり、(新)虹02系統と事実上入れ替わる形で海01系統の所管から一度は外れた。その後、東京港トンネルを挟む区間は廃止となる。
2000年(平成12年)12月の大再編では、都心部を中心に縮小・廃止が行われた。2002年(平成14年)2月に湾岸部の再編が行われ、目黒分駐所廃止に伴う2005年(平成17年)3月の再編で大規模な所轄の交換が行われた。2006年(平成21年)には波01系統の新設で臨海副都心地区の路線が強化され、2008年(平成20年)4月、港南支所のはとバス委託化に伴ってエリアの幹線系統を一手に担う事となった。
年譜
- 1949年(昭和24年):京浜急行電鉄と共同で115系統の運行を開始。
- 1950年(昭和25年):東京急行電鉄と共同で122系統の運行を開始。
- 1963年(昭和38年)4月1日:京浜急行電鉄と共同で134系統の運行を開始。
- 1964年(昭和39年)3月9日:39系統の運行を開始。
- 1967年(昭和42年)12月10日:都電第1次撤去により501・503系統の運行を開始。
- 1969年(昭和44年)10月26日:都電第3次撤去に伴い507系統の運行を開始。134・501系統の運行を終了、台東区から撤退。
- 1970年(昭和45年)
- 1974年(昭和49年):東01系統の運行を開始。
- 1976年(昭和51年)3月1日:黒77系統の運行を開始。当初は目黒営業所の担当だった。
- 1977年(昭和52年)12月16日:東94系統が東京駅 - 品川車庫間に短縮される。
- 1979年(昭和54年)
- 1989年(平成元年)6月19日:深夜07系統の営業を開始。
- 1990年(平成2年)6月30日:東90系統の営業を終了。
- 1991年(平成3年)7月25日:品96系統の運行を開始。
- 1999年(平成11年)1月27日:海01系統の共管を解消。
- 2000年(平成12年)12月12日:都営地下鉄大江戸線の開業により四92系統を廃止、(現)反96系統に変更。四97系統を品97系統に変更の上新宿との共管とする。
- 2002年(平成14年)2月25日:品91を分割、井92系統が新設される。品98甲系統を品川駅 - 大田市場間に短縮。
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)4月1日:波01系統の運行を開始。
- 2008年(平成20年)4月1日:品93系統の共管を解消。代わって都06系統が渋谷営業所、波01系統が深川営業所との共管になる。
- 2009年(平成21年)4月1日:都06系統の共管を解消。海01系統が再度、深川との共管になる。
現行路線
市01系統
- (14→)市01:新橋駅 -(←国立がん研究センター/浜離宮→)- 築地中央市場
- 市01:新橋駅 → 浜離宮 → 国立がん研究センター → 新橋駅
新橋駅から築地中央市場を経由して戻る循環路線であるが、市場を経由するのは朝ラッシュ時と市場休場日以外。
歴史は古く、終戦後の1948年(昭和23年)8月1日に14系統として開通している。当初は昭和通りから三原橋・晴海通りを通って海幸橋を渡り市場構内に入っていた。復路は現在と同じ経路であった。 昭和40年代に朝のみ海幸橋を渡らず三原橋から市場正門にいって構内に入る経路に、それ以外は現在の復路を往復する経路に変更された。
1976年(昭和51年)12月に復路が現在の新大橋通り・浜離宮経由に変更し、1980年(昭和55年)10月13日に朝日新聞社循環(市01乙)を新設され、従来の経路は市01甲となった。 後に市01甲は平日の朝から昼、平日の夕方から夜と休日は市01乙が運行される形となった。
2000年(平成12年)12月12日に大江戸線築地市場駅が開業したが、市01が直接の影響を受けたのは2年後の2002年(平成14年)11月2日で、休日が運休となった。
2007年(平成19年)3月26日より、朝日新聞社停留所を復路のみ停車とし、現行の循環経路に変更され甲乙系統とも統一された。
- Tobus A-E802 tsukiji-market.jpg
築地中央市場を出発する市01(A-E802)
- Tobus A-E802 seat1.jpg
座席にはビニールカバーが掛けてある
- Tobus A-E802 seat2.jpg
優先席は黄色
海01系統
波01系統
- 波01系統:東京テレポート駅 - 日本科学未来館 - テレコムセンター駅 - 環境局中防合同庁舎 - 中央防波堤[2]
- 波01出入:品川駅港南口 - 港南三丁目 - 海岸通り - お台場海浜公園駅 - フジテレビ - 日本科学未来館前 - テレコムセンター駅 - 東京テレポート駅
- 波01出入:品川駅港南口 - 港南三丁目 - 海岸通り - お台場海浜公園駅 - 東京テレポート駅
かつて、海03系統(東京テレポート駅 - 環境局中防合同庁舎)が波01系統とほぼ同一経路で運行されていたが、2003年(平成15年)4月1日に廃止された。[6]テンプレート:要出典範囲 波01出入系統は品川車庫への出入便として一部時間帯のみ運転される(品川駅港南口〜品川車庫間は回送)。この出入庫系統は2013年(平成25年)4月1日から、お台場海浜公園駅〜東京テレポート駅間をショートカットして結ぶ系統が新設された。また、同日に虹01系統(浜松町駅 - 東京ビッグサイト)が廃止されたため、出入系統は都営バス路線としては唯一レインボーブリッジを渡る系統になった。
黒77系統
1976年(昭和51年)3月1日に運行が始まった。運行当初から目黒の担当であったが、目黒分駐所の廃止により2005年(平成17年)3月28日に品川へ移管された。2006年(平成18年)に千駄ヶ谷駅での降車場・乗車場が分離され、従来千駄ヶ谷方面のバスだけが停車した千駄ヶ谷八幡停留所には、目黒方面のバスも停車するようになった。
品91・深夜07系統
- 品91:品川駅港南口 - 天王洲橋 - 都立八潮高校 - 品川シーサイド駅
- 品91:品川駅港南口 - 天王洲橋 - 都立八潮高校 - 品川シーサイド駅 - 都立産業技術高専品川キャンパス前 - 八潮パークタウン(循環)
- 品91:品川車庫 - 天王洲橋 - 都立八潮高校 - (品川シーサイド駅非経由) - 都立産業技術高専品川キャンパス前 - 八潮パークタウン(循環)
- 品91乙:品川駅高輪口 - 品川車庫 - 天王洲橋 - 都立八潮高校 - 都立産業技術高専品川キャンパス前 - 八潮パークタウン(循環)
- 深夜07:品川駅高輪口 - 品川車庫 - 天王洲橋 - 都立八潮高校 - 都立産業技術高専品川キャンパス前 - 八潮パークタウン(循環)
- 深夜07:品川駅高輪口 - 品川車庫 - 天王洲橋 - 都立八潮高校 - 都立産業技術高専品川キャンパス前 - 八潮パークタウン-八潮公園前
品川駅周辺から八潮パークタウンへ向かう。
運行開始は1983年(昭和58年)3月25日で、開業当時は品川駅から八潮パークタウン内を循環して、大井町駅東口へ抜ける路線であった。
2002年(平成14年)2月25日に品川側と大井町側を八潮パークタウンを境に分断、大井町側は井92となる。 2002年(平成14年)12月1日のりんかい線品川シーサイド駅の開業に伴い、品川駅発着便は駅前に乗り入れるが、品川車庫発着便と深夜に運転される品91乙・深夜07は駅へ入らない。品川シーサイド駅発着は平日朝のみの運転。
深夜07は深夜バスの1989年(平成元年)6月19日に品川駅西口-八潮パークタウン循環として開通した。品川駅の発着は開業当時から、一貫して西口(高輪口)の発着である。
井92・直行01系統
- 井92:大井町駅 -(←(仙台坂トンネル)/青物横丁→)- 都立産業技術高専品川キャンパス前 - 品川総合福祉センター - 八潮パークタウン(循環)
- 直行01:大井町駅 -(無停車・仙台坂トンネル経由)- 品川総合福祉センター - 八潮パークタウン(循環)
大井町駅と八潮パークタウンを結ぶ路線である。
井92は2002年(平成14年)2月25日に品91(品川駅-八潮パークタウン-大井町駅)の分断により、大井町側の路線として誕生した路線である。 品91時代は大井町駅周辺は両方向とも青物横丁経由であったが、井92開設時に八潮方面が青物横丁経由、大井町方面がトンネル経由になった。 これにより大井町行きの所要時間は大幅に短縮された。
直行01は2000年(平成12年)12月12日に新設された。井92と違って両方向ともトンネルを経由する。
品93系統
- (3→)品93甲:目黒駅 - 白金台駅 - 明治学院 - 品川駅高輪口 - 品川車庫 - 天王洲橋 - 都立八潮高校 - 都立産業技術高専品川キャンパス前 - 勝島 - 大井競馬場
- 品93甲:目黒駅 → 白金台駅 → 明治学院 → 品川駅高輪口 → 品川車庫 → 天王洲橋 → 都立八潮高校 → 都立産業技術高専品川キャンパス前
- 品93甲:品川駅高輪口 ← 品川車庫 - 天王洲橋 - 都立八潮高校 - 都立産業技術高専品川キャンパス前 - 勝島 - 大井競馬場(出入庫)
- 品93乙:目黒駅 - 白金台駅 - 明治学院 - 品川駅高輪口 - 北品川 - 天王洲橋 - 都立八潮高校 - 都立産業技術高専品川キャンパス前 - 勝島 - 大井競馬場(平日朝運行)
- 品93:品川車庫 - 品川駅高輪口 - 明治学院 - 白金台駅 - 目黒駅
- 品93:品川駅港南口 ← (直行) ← 大井競馬場
品川管轄の中で最古の路線。大井競馬場から品川を抜けて高輪・白金台地へ上がり、目黒駅に至る。八ツ山橋経由が本線だが、早朝には京急本線の踏切を避けるため、第一京浜を迂回する便が1986年(昭和61年)から少数運行され、「第一京浜国道回り」と案内される。一部は出入便として品川車庫発着があるが、目黒駅発最終のみ都立産業技術高専品川キャンパス前止め、平日昼の1本のみ大井競馬場発品川駅高輪口行きも運転される。
成り立ちも品川を境に両側で大きく異なる。品川より海側は東品川への足として東京市バスや東京地下鉄道(青バス)が開通したもので、陸側の品川駅 - 目黒駅はそれより古く、民間の目黒自動車運輸によって運行された品川 - 目黒 - 鷹番・祐天寺駅などの系統の一部だった。テンプレート:Main
戦争中の事業エリア調整(前述)を経て目黒自動車運輸の後身、東京横浜電鉄から東京市に引き渡されるが休止され、復活したのは1948年(昭和23年)のことであった。3系統としてまず旧青バス由来区間の品川駅-東品川が開通、1952年(昭和27年)に旧東横電鉄由来の品川駅 - 目黒駅間を延長して、目黒駅 - 品川駅 - 東品川という路線の基礎ができた。東品川側は1953年(昭和28年)に大井鮫洲町まで延長されるが、昭和30年代初頭の路線図には「東品川(鮫洲)」という終点名が記されているものもあり、長らく「東品川行き」として案内されていたことがうかがえる[7]。大井競馬場まで延長されたのは、鮫洲橋架橋後の1961年(昭和36年)である。
1986年(昭和61年)3月31日に朝のみ品川駅-天王洲橋間において、京急八ッ山踏切による渋滞を回避するため第一京浜国道経由で迂回運行が始まった。開設当初は八ッ山橋、北品川の両停留所は設置されていなかったが、2001年(平成13年)に停車するようになった。
2005年(平成17年)3月28日から2008年(平成20年)3月31日までは、港南支所と共管であった。
大井競馬開催時には、時間帯により競馬場から乗車した場合に限り運賃が無料になる。また、品川駅港南口行き直行バスが運行される。到着後すぐ品川車庫に回送される関係上、直行系統だけ港南口到着となる。 テンプレート:Main
品96系統
品川駅から天王洲アイル地区を循環運転する品96甲と、りんかい線天王洲アイル駅(旧・JALビル)へ至る品96乙からなる路線。天王洲アイル地区の開発に併せて1991年(平成3年)に甲が、続けて翌年に逆回りの乙が開設され、1996年(平成8年)、乙はJALビル折返しとなった。
循環運転は平日朝のみ運行され、品川車庫・天王洲アイルを経由してりんかい線天王洲アイル駅は向かわない。品96乙は、平日が1時間当たり8-15本と多めに設定されているが、土曜・休日ダイヤは2-5本程度である。
反96系統
- 反96:五反田駅 - 御殿山 - 品川駅高輪口 - 泉岳寺 - 魚籃坂下 - 麻布十番駅 - 六本木駅 - 六本木ヒルズ
- 反96:品川車庫 - 品川駅高輪口 - 泉岳寺 - 魚籃坂下 - 麻布十番駅 - 六本木ヒルズ(始車のみ)
- 反96:品川駅高輪口 → 御殿山 → 五反田駅(始車のみ)
- 反96:五反田駅 → 御殿山
- 反96:六本木ヒルズ → 六本木駅 → 麻布十番駅 → 魚籃坂下 → 泉岳寺 → 品川駅 → 品川車庫
五反田駅から御殿山・品川駅・麻布十番駅を経て六本木ヒルズへ向かう。赤羽橋行きのバスは、通常この区間を走る赤羽橋駅止まりのバスの経路[8]と異なり、一ノ橋交差点を右折、都06(新橋行き)と同経路で赤羽橋駅に到着したあと、回送で東京タワーへ向かう。
この系統は、様々な系統の再編を通して出来上がった。旧・反96や東90といった系統の面影は全く見られず、大江戸線開業以降の再編は迷走を極める。2000年(平成12年)12月12日の大江戸線開業時には、短縮された四92(品川駅 - 赤羽橋駅)と反90甲(旧・東90)のうち、五反田駅 - 品川駅の残存区間を統合した。
2006年(平成18年)4月1日より約20分毎に増便し、麻布十番駅から先は出入などを除き、「六本木循環」[9]に変更した。
2013年4月1日の改編で六本木循環(五反田駅→麻布十番駅前→六本木ヒルズ→六本木駅→六本木五丁目→麻布十番駅前→五反田駅)が六本木五丁目・六本木駅前経由の六本木ヒルズ往復系統に変更された(六本木けやき坂停留所を廃止)[10]。また、反96折返・赤羽橋駅前発着系統も廃止された。
品98系統
- 品98甲:品川駅港南口 - 天王洲橋 - 大井清掃工場 - 4号バース - 東京税関大井出張所 - ニチレイ - 鴻池運輸 - ダイドー大井物流センター - 大田市場
- 品98乙:品川駅港南口 → 天王洲橋 → 大井清掃工場 → 4号バース → 東京税関大井出張所 → ニチレイ → 鴻池運輸 → 大井埠頭バンプール(朝のみ運行)
- 品98丙:品川駅港南口 -(急行)- 大田市場(平日・土曜早朝1便のみ、市場定休日は運休)
大田区を走行する唯一の都営バス路線。大井埠頭のコンテナターミナルや大田市場への通勤・用務を目的としている。そのため、平日朝における品川駅発は4-7分間隔(土曜ダイヤは8-10分間隔)で、その他の時間帯は1時間に概ね3-4本で運行されている。大井埠頭バンプール止めは平日・土曜の朝のみ大井埠頭への通勤対策として設定されているが、以前まで大井埠頭バンプール発品川駅東口行きもあったが廃止されている。平日・土曜・休日ダイヤの他、大田市場は祝日も開場している関係上この路線のみ祝日ダイヤが設定されている。
早朝の5時台に市場関係者の利用があることから、品川駅から直行の急行便が設定されている。かつては3便あったが、現在は品川駅東口5時32分発(2009年(平成21年)2月現在)の1便のみとなり、始発電車に乗って乗車できるエリアは非常に限られる。営業所の路線図には記載されていないが、みんくるガイドには記載されている。
品99系統
元は39甲系統として設定された古い路線である。品川駅から東京入国管理局・品川埠頭を経由し、品川駅へ戻る循環路線。1964年3月9日に運行が始まり、テンプレート:要出典範囲
平日朝の品川駅発は約2-4分間隔、夕方は4-6分間隔で運行され、それ以外の時間帯は1時間あたり概ね6本が設定されている。[12]
廃止路線
東01系統
通称『ミニバス』。都心部における自家使用車などによる道路渋滞、交通公害の減少、エネルギー資源の節約、路線バスの復権などを目指して、1974年(昭和49年)に試験運行が開始された後、正式運行となる。日曜・休日は運休。午前9時の始車から午後5時過ぎの終車(土曜は半ドンの為、終車時刻は繰り上げられる)まで約5分間隔の運行ダイヤであった。運賃は一般路線と同一で、現金・回数券の他、都バスフリーカード・都営交通一日乗車券・各種乗車証が利用出来た。
投入車輌は自動車メーカーとの協議の上で、トヨタ・B10系などを使用とし、乗降扉は車体左側に折り戸式が1カ所設けられた。その後特認を受け官庁街附近でのフリー降車区間設定などの増収案が実施され、車輌も2代目に更新しサービス向上が図られたが、当初目的であった自家使用車などからミニバスへの移乗の成果が上がらなかった事、当時の都営バスの中でも営業係数がワーストワンであった事などから協議の結果、1983年(昭和58年)8月22日に廃止された。
虹02(新)系統
虹01系統と同様に、昔使用されていた系統番号の再利用となっている。
テンプレート:要出典範囲当初の目的が城南 - 台場間の直結であるため、品川駅を出るとお台場海浜公園駅まで直行し、港南地区はノンストップであったが、平行路線の田99は朝夕のみの運行であったため、1年後に各駅停車に変更された。
しかし、りんかい線が大崎駅まで全通したことでその使命を終え、品川から台場地区への路線は首都高速・天王洲アイル経由で朝夕のみ運行の海01と共に2002年(平成14年)12月に廃止された。
四80系統
本来は新宿営業所の担当路線だったが、運行開始当時の混雑時のみ、四92(区間便)を間引いて運行した。1997年(平成9年)の営団地下鉄南北線溜池山王 - 四ツ谷間開業で完全並行となり、大江戸線開業に合わせて2000年(平成12年)12月11日限りで廃止された。テンプレート:Main
東90系統
- (100→)東90:丸子橋 - 石川台駅前 - 平塚橋 - 五反田駅前 - 品川駅前 - 田町駅前 - 大門 - 新橋駅前 - 京橋 - 東京駅八重洲口(1977年まで東急バス中延営業所と共同運行)
1927年(昭和2年)に池上電気鉄道(現・東京急行電鉄)が開業させた五反田駅 - 中延間の路線が元祖で、目黒蒲田電鉄、東京横浜電鉄、大東急を経て1947年(昭和22年)都営と東急の共同運行になり100系統を名乗った。テンプレート:Main
当初は東京駅乗車口 - 京橋一丁目 - 新橋駅前 - 大門 - 田町駅前 - 品川駅前 - 五反田駅前 - 平塚橋 - 洗足坂上という運転をしていて、雪が谷、丸子橋と順次延長された。その後、東京駅の乗り場が乗車口改め、丸の内南口から八重洲口に変更される。
1979年(昭和54年)12月17日の第1次追加再編で都営が東京駅八重洲口 - 五反田駅、東急は品川駅 - 丸子橋と分割され、五反田駅 - 丸子橋間は1989年(平成元年)3月31日限りで廃止。都営単独で残った東京駅 - 品川駅間も1990年(平成2年)6月30日限りで廃止され、品川駅 - 五反田駅間だけが反90甲を経て現在の反96系統となった。テンプレート:Main
東91系統
- (80→)東91 : 品川車庫 - 品川駅前 - 魚籃坂下 - 一の橋 - 飯倉一丁目 - 愛宕下 - 通産省前 - 日比谷 - 東京駅丸の内北口
元は80系統として運転開始した路線である。
四92系統
- (都電3→503→)四92:四谷見附(四谷駅) - 赤坂見附 - 溜池 - 神谷町駅 - 赤羽橋 - 一ノ橋 - 品川駅 - 品川車庫前
1967年(昭和42年)12月10日、都電第1次撤去で廃止された3系統の代替として503系統(品川駅 - 四谷見附 - 飯田橋)が開業するも、僅か2年で四谷 - 飯田橋を短縮する。1976年(昭和51年)には四ツ谷駅へ乗り入れ、1979年(昭和54年)11月23日に一ノ橋・赤羽橋経由に変更する。2000年(平成12年)12月12日、大江戸線開業により廃止された。
東94系統
1948年(昭和23年)、東京駅八重洲口 - 新橋駅前 - 品川駅前 - 北品川 - 大井町駅前 - 大井本町通り - 大森駅前 - 大田区役所前 - 池上営業所前 - 池上駅前を第一京浜・池上通り経由にて東急バスとの共管で114系統として運用を開始した。テンプレート:See also
1977年(昭和52年)12月16日に品川車庫 - 東京駅八重洲口(都営単独となる)に短縮されたが、中央通りの新橋 - 東京駅の渋滞と品川駅 - 品川車庫間の京浜急行の踏切が原因で定時運行が難しくなり、1979年(昭和54年)12月17日の第1次追加再編で廃止。当時健在だった東90系統の出入庫便として統合された。
品川駅より先は、東急バスの池上線(品94系統・品川駅 - 池上駅)となり、2000年(平成12年)に同社の蒲田線と統合して蒲田駅まで延長。大田品川線と名前を変えて運行している。テンプレート:Main
浜95乙系統
- 浜95乙:品川車庫 - 品川駅東口 - 高浜橋 - 田町駅東口 - 海岸三丁目 - 浜松町駅 - 御成門 - 東京タワー - 赤羽橋駅
2010年(平成22年)4月1日に廃止された。
東96系統
- (122→6→)東96:五反田駅 - 高輪警察署前 - 三田三丁目 - 田町駅前 - 御成門 - 新橋駅前 - 銀座 - 京橋 - 東京駅八重洲口(1970年まで東京急行電鉄神明営業所→荏原営業所と共同運行)
1950年(昭和25年)、122系統の名前で東京駅八重洲口 - 新橋駅前 - 五反田駅前 - 馬込橋 - 多摩川大橋間を東急バス神明営業所との共管で運行開始したのが始まりである。その後、都営地下鉄浅草線の並行路線となったことから1970年(昭和45年)に五反田駅で分断され、6系統となって、都営は山手線内区間のみを運行継続した。テンプレート:Main
1982年(昭和57年)12月25日限りで田町駅前 - 東京駅間が廃止され、(旧)反96系統に変わる(前述)。東急側は五反田駅 - 川崎駅西口北間の五反田線として現在も存続している。テンプレート:Main
反96折返系統
- 反96(折返):品川駅 - 御殿山ガーデン
2007年(平成19年)5月31日に廃止されたが、貸切系統として残る。詳細は反96の項を参照。
四98系統
- 四98 : 浜松町駅 - 飯倉一丁目 - 六本木 - 北青山一丁目 - 信濃町駅前 - 四谷三丁目 - 四谷片町
品川車庫 - 四谷片町の長距離路線だった浜95を分割した系統。
48系統
- 48:新橋駅前 - 南佐久米町 - 東京タワー
115系統
- 115:東京駅八重洲口 - 銀座四丁目 - 新橋駅 - 大門 - 田町駅 - 品川駅 - 北品川 - 青物横丁 - 鈴ヶ森 - 大森海岸駅 - 平和島駅 - 京急蒲田駅 - 雑色 - 六郷橋 - 宮前 - 川崎駅(京浜急行バス東京営業所→蒲田営業所→六郷営業所と共同運行)
1919年(大正8年)に東京乗合が開設した京浜国道経由六郷線に由来し、その後京浜電鉄への譲渡(前述)を経て戦前の最盛期には品川から横浜駅まで運行していた。テンプレート:See also
京浜電鉄が大東急に合併した時に引き継がれたが程なくして休止。戦後、京浜急行電鉄が再開を決めたときに都営も共同運行の形で参入、品川駅 - 東京駅間を延長する代わりに神奈川県内部分を川崎駅で打ち切りとした。テンプレート:Main
新系統番号が設定される前の1970年(昭和45年)12月27日限りで廃止され、神奈川県内に張り出していた都営バス路線がなくなると同時に京急バスも港区から一時撤退した。
移管路線
都06系統(グリーンエコー)
渋88系統
反90系統
田92系統
反94系統
浜95系統
井96系統
四97→品97系統
東98系統
井98甲・乙系統
田99系統
備考
指定車種:日野自動車
- E891-E893,V代・W代:三菱ふそう、M代(M200,M201)、N代(N270-N279)、S代(S810-816)、T代(T179-T187):いすゞ、 P代・S代(S692-700):日産ディーゼル
- 1963年にワンマン兼用車の試作車が、日野自動車のシャーシに富士重工業のR12ボディを架装した、RB10の配置があった。クリーム色にエンジの帯の塗装車で配置され、その後アイボリーホワイトにスカイブルーの(所謂、美濃部色)塗装になった。
音声合成:レシップ→レゾナント・システムズ
品川のみの特徴として、一般車の降車ドア後方に貼られている「みんくるシール」(東京都交通局のマスコットデザイン)が品川のみ2段窓の上段に貼られている。他所では下段に貼られているシールが上段のためかなり目立つ。ノンステップ車は、他所と同じ位置に貼られている。
1991年(平成3年)の都庁循環線開設時に導入された3扉低床車のうち、日野車1台(W294)が品川に配置され、主に大井町駅 - 八潮パークタウンを中心に運行された。追って同型のW293も品川に転属、2台揃って品川で活躍していたが、2003年(平成15年)に廃車された。
S810-816はE代置き換えのために青梅から転属してきたいすゞエルガミオLR系で。シートの生地も変えられており、市01系統専用である。
脚注
参考文献
- 都営バス系統案内図
- 都バス担当(系統)営業所一覧表
- 方面別新旧系統一覧表(以上、東京都交通局発行、1972年12月1日版)
- 都営交通路線案内図(東京都交通局発行、1978年版)
関連項目
テンプレート:Coord- ↑ 営業所・窓口一覧、東京都交通局公式サイト、2013年1月16日閲覧
- ↑ 2.0 2.1 2.2 東京都乗合自動車の運行系統の名称及び区間、昭和54年11月22日 交通局告示第11号
- ↑ 都営バスの路線変更について、2009年3月24日、東京都交通局
- ↑ 都営バスの路線変更及びダイヤ改正について、2006年3月22日、東京都交通局
- ↑ 都営バスの路線変更及びダイヤ改正について、2008年3月19日、東京都交通局
- ↑ バス路線の見直しについて、平成15年3月10日、東京都交通局
- ↑ この頃、大井競馬場のある勝島は文字通り「島」で、南大井から橋が1本かかっていただけだった。
- ↑ 新一ノ橋交差点を右折し、赤羽橋でUターンする。
- ↑ 麻布十番駅を基点に、六本木けやき坂 → 六本木ヒルズ → 六本木駅 → 六本木五丁目と時計回りに循環する。なお、同じく六本木ヒルズを循環する都01折返・RH01は六本木ヒルズ → 六本木けやき坂と反時計回りに循環する。
- ↑ テンプレート:PDFlink
- ↑ 品99系統 運行経路の一部変更等について、2010年7月1日、東京都交通局
- ↑ tobus.jp 品川駅東口時刻表(品99系統)、2010年9月19日閲覧
- ↑ 臨海副都心への都営バス路線を新設・延長します、平成12年3月24日、東京都交通局
- ↑ バス路線の新設・見直しについて、平成14年11月24日、東京都交通局