漢江の奇跡
漢江の奇跡(ハンガンのきせき、かんこうのきせき)は、朝鮮戦争で壊滅的打撃をうけていた大韓民国が短期間で成し遂げた急速な復興および経済成長と民主化を指す。東アジアの奇跡の中で最も顕著な経済成長の達成例の一つ。
名称は第二次世界大戦後の西ドイツの復興と成長をさした「ライン川の奇跡」をもじり、韓国の首都ソウル特別市を横切る漢江を指す。韓国が正式に先進国の一員として認められた1996年のOECD加入と、その翌年直後に起こったアジア通貨危機をもってこの奇跡の一区切りとされる。急速な経済成長の要因としては内的な要因としては朴正煕政権下における財閥をてこにした輸出志向型工業化政策、独裁政権下の開発独裁による労働組合の抑圧、外的な要因としては、冷戦下、西側諸国、特に日本とアメリカによる膨大な経済および技術援助、欧米及び日本の市場へのアクセス、および経済成長初期の韓国の出稼ぎ労働者の受け入れによる外貨獲得などが挙げられている。
目次
概要
5・16軍事クーデターによって政権を得た朴正煕は経済開発を掲げることによって大衆の支持を求めた。当時、国内総生産はソ連を真似て計画経済を押し進めていた北朝鮮が上回っていて、朴政権の韓国も五カ年計画方式の計画経済を導入することとなる。また、朝鮮戦争により壊滅的打撃を受け、1人当たりの国民所得は世界最貧国グループであった韓国経済がベトナム戦争参戦と、日韓基本条約を契機とした日本からの経済・技術援助を要因に漢江の奇跡と呼ばれる成長を遂げた[1][2][3][4]。その後、ベトナム戦争で培った施設設営のノウハウと中東に影響力を持っていたアメリカとの良好な関係をバネに[5]1970年代の中東の建設ブームに乗る[6]。1979年の朴正煕大統領暗殺後の1980年、一時的にマイナス成長に転じるが、1981年以降急回復し[3]、1988年のソウルオリンピックを成功させソ連崩壊を経て、1997年のアジア通貨危機で経済が崩壊寸前になりIMF介入されるに至るまで高い経済成長を続けた。
詳細
朝鮮戦争後の韓国は農産物、原料・半製品などの原資材をアメリカ合衆国からの援助に頼っており、これらを原材料とした消費財の加工産業を育成していた。しかし、アメリカによる援助政策の転換により、1957年を境として対韓援助は減少を始め、脆弱であった韓国経済に深刻な影響を与えた。李承晩政権は援助に依存する経済からの脱却を企図して「経済開発三カ年計画」(1960~62年)を作成したが、政権自体が1960年の四月革命で崩壊してしまう。続く張勉政権も経済再建第一主義を標榜して「経済開発五カ年計画」(1962~66年)を策定したが、これも朴正煕による1961年の5・16軍事クーデターにより実施されなかった。朴正煕は民生苦の解決と、自立経済基盤の確立を目標とし、新たに「第一次経済開発五カ年計画」(1962年‐66年)を推進した。財閥の不正蓄財の摘発を進め、定期預金金利の引き上げや貯蓄運動を推進して国内資本の動員を図った。しかし期待したほどの成果は得られず、1964年には計画の修正という行き詰まり状態に陥った。この状況を打開するために、外資導入による経済建設の道を選ばざるを得なかったと言われる。当時、国際信用力を欠いていた韓国が外資を求める先に選んだのが、同盟国であるアメリカであり、日本との国交正常化であった。
韓進グループや現代財閥・大宇財閥など韓国を代表していた財閥の形成[7]、京釜高速道路や浦項製鉄所の建設[8]は、全てベトナム参戦と日本との国交正常化以降のことである。
韓国経済は急成長を遂げ、国力で北朝鮮を逆転し、国民所得を10倍にするという公約を目標より3年早く達成した。そして、この政策によりソウル大都市圏への人口・産業の集積が進み、プライメイトシティとなった。
西ドイツへの出稼ぎ
マーシャル・プランや朝鮮戦争特需などにより「ライン川の奇跡、ドイツ語では経済奇跡(de:Wirtschaftswunder)」と呼ばれる急成長をしていた西ドイツは、その労働力不足を補うため1963年以降、韓国から多くの鉱夫(派独鉱夫)と看護婦(派独看護士)を受け入れた(なお、日本からは1957年から1965年にかけて炭鉱労働者が送られた[9])。失業者が公式発表でも250万人を超えていた1963年の第一次派遣には、募集500人に対し4万6000人の応募が殺到するなど、1963年から1978年まで炭鉱労働者7983人を含む7万9000人の鉱夫を派独、看護婦は1966年から1976年の間に1万余人が渡独した[10][11]。
1964年12月、ルール炭鉱地帯のハムボルン鉱山を訪れた朴正熙大統領夫妻は派独韓国人を慰問、国歌斉唱に涙を流し、「母国の家族や故郷を思い、辛いことが多いだろうが、皆自分が何のために、この遠い異国の地に来たことを肝に銘じ、祖国の名誉を担って一生懸命働きましょう。たとえ、私たちの生前に成し遂げることができなくても、子孫のために繁栄の基盤を築きましょう」と涙ながらに激励演説をしたエピソードが残っている[12]。
派独労働者からの送金額は年間5000万ドルに達し、一時期はGNPの2%台に及んでいた[13]。また、1967年には輸出総額の36%を稼ぎ、ドイツからの借款を獲得するなど外貨の獲得に貢献、韓国経済発展の基盤になった[14]。
ベトナム参戦
朴正熙は1961年11月の訪米時、アメリカの歓心と自身の政権の正当性を確保するため、当時の大統領ジョン・F・ケネディに対し、韓国軍のベトナム戦争への派兵を申し出た。派兵はケネディ暗殺後、ジョンソン政権になってからの1964年9月より開始された[7]。当時の韓国では「ベトナム行のバスに乗り遅れるな」をスローガンに官民挙げてベトナム戦争に参加し、三星、現代などの現在にいたる財閥が急成長した[7]。アメリカ側は派遣された全ての韓国軍将兵に対し戦闘手当を支払い、その大半は韓国本国へ送金された。更に韓国経済が飛躍するための踏み台が2つ用意された。ひとつは、韓国製品に対するアメリカの輸入規制の大幅緩和である。これによって、韓国製品がアメリカ市場になだれ込んだ。もうひとつは、アメリカの全面的な軍事援助で、その結果、本来ならば国防費に当てるはずの国家予算を重工業などへの投資に回すことができた。これらを含むアメリカからの「ベトナム特需」の総額は十億ドル(当時で三千六百億円)を遥かに上回り、実質的には朝鮮戦争時の日本における「朝鮮特需」以上の利益を韓国にもたらした。
韓国がベトナム派兵を開始した1965年からベトナム戦争が終結する75年までの十年間に、韓国の国民総生産(GNP)は14倍、保有する外貨および外国為替などの総額は24倍、輸出総額は29倍に、いずれも驚異的な伸びを示した。この間の韓国経済の成長率は年平均10%前後だった。
日韓基本条約
1965年、韓国は日本と日韓基本条約を結んだことにより、無償金3億ドル・有償金2億ドル・民間借款3億ドル以上(当時1ドル=約360円。現在価格では合計4兆5千億円相当。当時の韓国の国家予算は3億5千万ドル程度)の日本からの資金供与及び貸付けを得ることとなった。国際協力銀行によると1960年半ばから90年代までにトータル6000億円の円借款が行われ[2]、韓国はこうした資金を元手に「漢江の奇跡」の象徴とも言われる京釜高速道路をはじめとした各種インフラの開発[15]や浦項総合製鉄をはじめとした企業の強化をおこなった[16][17]。インフラ整備後は、日本の民間企業によって大規模な投資がおこなわれた[18]。
問題点
海外進出する上でのスケールメリットを生かすため、韓国政府が独占取引権を付与するなどして積極的に新興韓国財閥を育成した。その後、国内に強権的な体制が残ることになり、セマウル運動などを通じて農村の活性化を行ったが、都市部への人口集中や産業構造においても経済成長から農村や中小企業が取り残されるなどの歪んだ形成をすることになった。また、日本からの個人補償を流用した事を国民に公開しなかった[19]ため、後に賠償請求の見解の違いなどで日韓関係に禍根を残した。
ベトナム戦争参戦の目的
韓国政府の公式的な見解は「共産主義の膨張を食い止める」ことだったが、ベトナム派兵当時の外務省長官である李東元の回顧録には「朴大統領のベトナム参戦は欲しいものは全て手に入れた成功作といってよい。特に経済的実利は大変な成果だった。当然最初から練りに練ったシナリオだった」(李東元『元老交友記』)と記されている。また、これまでの通説ではアメリカの強い要請で韓国は断りきれず嫌々ながら派兵したことになっていたが、近年アメリカの研究者から逆に韓国がアメリカに派兵を持ちかけたとする異論が出され、こちらの方が説得力を持ちつつある。日本でも韓国から持ちかけられたアメリカ側が断っていたとされている[7]。韓国人がベトナムへ向かったのは、軍人ばかりではなく、国内よりも数倍から十数倍もの高い賃金を目当てにしていた韓国人労働者もおり、その数は1965年から5年間だけで、のべ5万人を超えていて、「ベトナム成り金」、「ベトナム行きのバスに乗り遅れるな[7]」が流行語になっていた。
静岡大学教授の朴根好は、朝鮮戦争による特需で経済復興を遂げた日本の例に朴政権が倣ったことを指摘している[7]。自著『韓国の経済発展とベトナム戦争』では、軍と民を問わず、韓国人にとってベトナムは、戦場ではなく市場だったと述べている。
1995年5月12日、韓国の教育部の長官が、ベトナム参戦をめぐる長官の談話で「6・25(朝鮮戦争)は同じ民族同士の殺し合いでしたが、ベトナム戦争はアメリカの傭兵として参加したもので、大義名分の弱い戦争でありました」と述べ、更迭されている。
日本からの経済協力金、円借款についての韓国側評価
2005年には韓国内で日韓基本条約で得た請求権資金を個人補償にほとんどまわさず国内投資に使って発展の基礎を作った事が公開され、それにより経済発展を促した朴正煕政権の判断を「貧困脱出・国家再建のための不可避な選択」という評価と「クーデターで執権した軍事政権が徹底できなかった過去の整理」、植民地支配の完全清算を捨てた「屈辱外交」とする声が錯綜している[20]。
韓国の高度経済成長に果たした円借款の役割について、国際協力銀行(現国際協力機構)から外部評価を依頼された韓国の産業政策研究院(The Institute for Industrial Policy Studies , IPS)の2004年の評価報告書では、1960年代半ばから90年までの約30年間を対象として、円借款事業が韓国の経済・社会に与えたインパクトを、技術レベル向上、交通渋滞緩和および環境改善等の効果、産業技術の発展、生活水準の向上、環境保全等が確認される、と評価した[3]。この中で、高速道路建設事業(1968年)は輸出志向工業の本格化における物流および貿易の阻害要因を取り除くことを目的として実施され、移動費用の削減、時間短縮、貨物損傷の減少、交通事故の減少等が、間接的効果として、農村および漁村の発展、地域間格差の縮小等が確認され、第三次5カ年計画(1972~76年)の重化学工業化政策における浦項総合製鉄所拡充事業(1974年)は、対外開放政策の代表的事例となり、忠州多目的ダム(1978年)は、洪水防御や農産物の増産、電力需要への対応、観光開発に貢献したと評価した。
延世大学経済学部金正湜教授は2000年に韓国対外経済政策研究院から出版された「対日請求権資金の活用事例研究」において、第二次世界大戦終結後、日本が請求権資金を支払った韓国、ミャンマー、フィリピン、インドネシア、ベトナムの五カ国を比較し、韓国が最も効率的にこれを使用したという分析を報告した[15]。対日請求権資金はどの国においても概ねインフラ整備や国民生活向上に投資されたが、投資の効率性は韓国が最も高く、「韓国は、徹底した事前計画で最も効率的に資金を活用した国家として評価を受けている」とし、「原資材導入に多くの投資をしたことは注目される」と分析・評価した。さらに今後の日朝国交正常化による対日請求権資金(などを含む4兆円国際協力基金[21][22])の北朝鮮の社会間接資本整備への効率的活用に関し、望ましい資金活用方法の提示など、韓国の対日請求権資金活用経験を伝授してあげなければならないと述べた。また、東南アジアなどにおいて見られた投資部門の決定に対する政治的軍事的影響を排除し、北朝鮮に相応しい比較優位産業を選定し集中投資して輸出を増大させるなど、経済効率を重視した投資部門決定が今後の北朝鮮経済成長に大きく寄与するので、韓国としてもこれを軍事目的に使わないという前提の下に北朝鮮の対日交渉に積極的に協力しなければならない、と結論付けた[23]。
脚注
参考文献
- 朴根好 『韓国の経済発展とベトナム戦争』 御茶の水書房 1993年. ISBN 978-4275015211
- Keunho Park; Hiroko Kawasakiya Clayton The Vietnam War and the 'Miracle of East Asia' Inter-Asia Cultural Studies, 2003, 4 (3), 372-398. テンプレート:DOI
- Carter J. Eckert Korea's Economic Development, 1945-1990, in Mark Borthwick Pacific Century : The Emergence of Modern Pacific Asia, 3rd ed., Westview Press (Boulder, CO), 2007, p. 277-296. ISBN 9780813343556
- Carter J. Eckert Korea's Economic Development in Historical Persecive, 1945-1990, in Carter J. Eckert, Ki-Baik Lee, Young Lew, Michael Robinson, Edward W. Wagner Korea Old and New : A History Harvard Korea Institute/Harvard University Press, 1990, p. 388-418. ISBN 0962771309
関連項目
- 高度経済成長
- 東アジアの奇跡
- 朴正煕
- ベトナム戦争#韓国軍・SEATO連合軍の参戦
- 日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(日韓基本条約)
- セマウル運動
- 開発独裁
- アジア四小龍
- 新興工業経済地域
- 国際通貨基金(IMF)
- ジャイアント (テレビドラマ) 高度経済成長期の韓国を舞台としている。