計画経済
テンプレート:経済システムのサイドバー 計画経済(けいかくけいざい、英語:Planned economy)とは、経済の資源配分を市場の価格調整メカニズムに任せるのではなく、国家によって物財バランスに基づいて計画的に配分する体制。対立概念は市場経済。また、計画経済と市場経済の利点を共に備えた参加型経済がある。
生産・分配・流通・金融を国家が統制し、経済を運営する。原則的に全ての生産手段が公有とされる。主に社会主義国の経済体制であり、現在、純粋にこれを採用する国は少ない。 より細かい分類として、
に分類が可能である。
歴史
計画の機能を初めて本格的に取り上げたのは、『反デューリング論』や『空想から科学へ』を著したドイツのフリードリヒ・エンゲルスである。カール・マルクスも生産が「自由に社会化された人間の産物として彼らの意識的計画的管理のもとにおかれる」(資本論第1部)としている。
計画経済の原型はレーニンのゴエルロ・プラン、スターリンによる第一次五カ年計画期ソ連だった。複雑極まりない経済動態を当局者(ソ連ではゴスプランと呼ばれた)が完全に把握し、需給を調整したりするのは極めて難しく、コンピュータを用いてこれを解決しようという試みもあった(社会主義経済計算論争)。また計画経済システムの内在的な欠陥を市場メカニズムの導入により解決しようという試みがコスイギン改革やハンガリーにおいて進められたが、結果的に失敗した。
しかし、当時は世界恐慌の影響を全く受けず非常に高い経済成長を達成したため、世界各国が大きな影響を受けた。特に枢軸国への影響は顕著だった。例えば、
- 満州国は、産業開発五カ年計画などを採用した(満州国の経済を参照)。
- 日本も、企画院事件などで不発に終わったものもあったが、経済新体制確立要綱では計画経済を目指すことが明記された。官僚はソ連の計画経済に感化されていた(戦前日本の経済を参照)。
- ナチス・ドイツでは、私有財産権は保護されたものの、四カ年計画が作成された(ナチス・ドイツの経済を参照)。
- イタリアは、第二次世界大戦が勃発する1939年まで国有企業が占める割合がソ連に次いで最も高く[1]、事実上ソ連の経済体制とほとんど変わらなくなった。
戦後も中華人民共和国やベトナム社会主義共和国のように社会主義を標榜する国以外でも、韓国や(朴正煕政権下の大韓民国の経済を参照)、マレーシアなど開発独裁下の東南アジアで五カ年計画が採用された。しかし、もともとその運用はソ連や東欧諸国に比べて弛緩していたため、皮肉にも経済改革(市場経済化)がスムーズに実行できる要因となった。特に中華人民共和国では毛沢東時代から既に経済の分権化が進んでいたと指摘される。
現在の中華人民共和国では「五ヵ年規画」という言葉が使われており、当局が予め目標を定めて経済をそれに誘導しようと試みるものの、価格設定など仔細な点まで立ち入らず、目標にも固執せず柔軟に対応している。したがって後者に近いと考えられるが、「社会主義市場経済」という言葉が用いられる。なお、中国語の「規画」は「計画」より自由なニュアンスだが、実態として依然、国家(党)の指導性が強いことから、日本語の「計画」に訳される場合が多い。
21世紀を迎えて以降のロシアにおいては、ウラジーミル・プーチン大統領の強力なリーダーシップのもと、オリガルヒと呼ばれる新興財閥を軒並み制圧し、国益にかなう企業(いわゆる「プーチンのリスト」記載企業)の経営権を様々な法利用で掌握するなど、事実上半官半民企業化、或いは国営化しており、代表的な事例にガスプロム社がある。
崩壊の要因
経済学者の野口旭は「社会主義経済が、崩壊したその根本的原因は、市場経済と比較して効率の悪さ・生産性の低さにある。社会主義最大の問題点は、計画経済よりもむしろ『分配と所有の不平等が存在しない社会』を標榜することで経済の効率化を望む人々のインセンティブを阻害してしまったことにある」と指摘している[2]。
参考文献
Jose Harris(柏野健三訳)『ウィリアム ベヴァリッジ その生涯(中)』ふくろう出版、1997年
脚注
- ↑ Patricia Knight, Mussolini and Fascism, Routledge (UK), ISBN 0-415-27921-6, p. 65
- ↑ 野口旭 『ゼロからわかる経済の基礎』 講談社〈講談社現代新書〉、2002年、117-118頁。
関連項目
- 市場経済
- 戦時共産主義
- アレクセイ・スタハノフ
- サイバーシン計画 - コンピュータとオペレーションズ・リサーチによる計画経済運用の試み。
- 非市場経済 - 混合経済
- 再配分
- フリードリヒ・ハイエク#「理性主義」批判
- マルクス主義批判