武漢市
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武漢市(ぶかんし/ウーハンし、中国語:武汉市、英語:Wuhan)は、中華人民共和国の中部、湖北省の東部に位置する市で、同省の省都である。副省級市に指定されている。
目次
概要
華中地域全域の中心都市であり、経済的重要性から大幅な自主権をもつ副省級市に指定されている。長江をはさんで、武昌、漢陽、漢口の三鎮が並立し、江城の異称がある。
近年は近隣の近郊都市群14都市とともに「長江中遊城市群」と言う大都市圏を形成している。具体的には武漢市を中心に、黄石市、鄂州市、黄岡市、仙桃市、潜江市、孝感市、咸寧市、天門市、随州市、荊門市、荊州市、河南省信陽市、江西省九江市、湖南省岳陽市を含む大都市圏である[1]。
歴史
古代
黄陂区の盤龍城遺跡には3500年前の殷(商)代・方国都邑が保存され、長江流域で発見された唯一の殷代都市遺跡として知られる。秦代には南郡に属し、漢代に江夏郡となった。晋代に武昌郡と改められ、江夏県に治所が置かれた。今の武昌である。当時は江北に漢陽があり、長江を挟んで向かい同士の二つの街は双城と称された。明代になって武昌と漢陽をあわせて武漢の名が始まり、また商業都市として夏口鎮が発達した。夏口は後に漢口と改称された。
近代
漢口は1858年の天津条約で開港され、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、日本が相次いで租界を設置した。清末1853年から1856年にかけて太平天国との攻防が続き、1911年に武昌起義によって辛亥革命が勃発した。
1926年10月、国民革命軍が武漢を攻略し、漢口市政委員会、武昌市政庁及び漢陽市政委員会が成立、12月に武昌、漢口、漢陽をあわせて武漢と呼ぶことが正式に決定され、1927年には武漢を首都とする中国国民党左派の汪兆銘政権(武漢国民政府)が成立したが、南京の蒋介石政権に抗しえなかった。日中戦争により1938年には蒋介石の南京政府が武漢に仮の首都を置いた(皮肉にもその後、1927年とは逆に日本軍に推された汪兆銘により南京に傀儡政権が樹立される)。その後日本軍に押される形でさらに重慶に移った。
戦後・現代
戦後、1949年5月24日武漢市人民政府が正式に成立した。1967年には文化大革命によって大規模な武装闘争が起り、7月20日には群集が中央代表を殴打する7・20事件が起った。
1986年12月に国家歴史文化名城に指定された。1992年5月に沿江対外開放都市に指定され、1993年4月武漢経済技術開発区が正式に発足、多額の外国投資を導入した。1998年8月には長江の洪水によって水位が上昇し、町が危機に瀕したため、江沢民、朱鎔基らが来市して防護工作を指示した。
気候
夏は酷暑となり、重慶、南京と並んで三大ボイラーと呼ばれている。上記のとおり、夏は最も暑い7月の平均気温は29.1度と高く、日中は40℃近くに達し、最高気温極値は42.0 °℃を記録している。湿度が高いうえに風があまり吹かないので体感温度ではさらに高くなる。7月の平均最低気温は中国主要都市の中でも最も高い部類に入る26.0℃となり、ほぼ連日熱帯夜となる。一方、冬は寒く、1月の平均気温は4.0度で、最低気温極値は−18.1℃まで下がっている。
行政区画
13区を管轄する。
年表
武漢市
- 1949年10月1日 - 中華人民共和国武漢市が発足。武聖区・宝善区・漢正区・新安区・三民区・中山区・大智区・漢景区・雲樵区・永清区・張公区・復興区・中正区・和平区・漢陽中心区・武昌一区・武昌二区・武昌三区・武昌四区・長春区・武泰区・挹江区・長豊区・恵済区・岱山区が成立。(25区)
- 1949年11月 - 長春区および武泰区・挹江区の各一部が合併し、洪山区が発足。(25区)
- 1949年12月 (23区)
- 中山区・大智区が合併し、漢口五区が発足。
- 漢景区・和平区が合併し、漢口六区が発足。
- 1950年1月13日 (16区)
- 武昌一区・武昌二区・武昌三区・武昌四区が合併し、一区が発足。
- 漢陽中心区の一部が分立し、福成区が発足。
- 中正区・漢正区が合併し、漢口一区が発足。
- 武聖区・宝善区が合併し、漢口二区が発足。
- 新安区および三民区の一部が合併し、漢口三区が発足。
- 雲樵区・永清区および三民区の残部が合併し、漢口四区が発足。
- 復興区・張公区が合併し、漢口七区が発足。
- 1950年7月 - 漢口五区・漢口六区が合併し、四区が発足。(15区)
- 1950年11月 (13区)
- 漢口一区・漢口二区が合併し、二区が発足。
- 漢口三区・漢口四区が合併し、三区が発足。
- 漢口七区が五区に改称。
- 漢陽中心区が六区に改称。
- 1951年4月 (9区)
- 岱山区・恵済区・長豊区が合併し、七区が発足。
- 武泰区・挹江区・洪山区が合併し、八区が発足。
- 1951年7月 - 湖北省大冶専区武昌県の一部が分立し、青山区が発足。(10区)
- 1952年6月 - 青山区が湖北省孝感専区武昌県に編入。(9区)
- 1952年7月 (9区)
- 1952年8月 - 一区が武昌区に、六区が漢陽区にそれぞれ改称。(9区)
- 1953年3月 - 武昌区・漢陽区・江漢区・江岸区・礄口区の各一部が合併し、水上区が発足。(10区)
- 1954年6月19日 - 湖北省に編入され、湖北省武漢市となる。
湖北省武漢市
- 1955年5月25日 (10区)
- 1956年6月22日 - 南湖区が洪山区に編入。(9区)
- 1957年5月13日 - 水上区が武昌区・漢陽区・江漢区・江岸区・青山区・礄口区に分割編入。(8区)
- 1958年3月14日 - 洪山区・漢橋区が合併し、郊区が発足。(7区)
- 1959年2月24日 - 孝感専区孝感県・黄陂県・応山県・安陸県・応城県・雲夢県・漢陽県・漢川県・崇陽県・通山県・咸寧県・武昌県・通城県・嘉魚県・蒲圻県・大悟県を編入。(7区16県)
- 1959年4月5日 - 黄陂県・孝感県・漢川県・漢陽県の各一部が合併し、東西湖区が発足。(8区16県)
- 1960年5月26日 - 通城県が崇陽県に編入。(8区15県)
- 1960年8月15日 (8区13県)
- 蒲圻県が咸寧県に編入。
- 嘉魚県が武昌県に編入。
- 1960年11月17日 - 安陸県・雲夢県が合併し、安陸県が発足。(8区12県)
- 1961年4月24日 - 孝感県・安陸県・漢陽県・通山県・大悟県・黄陂県・漢川県・応城県・咸寧県・応山県・崇陽県・武昌県が孝感専区に編入。(8区)
- 1964年10月7日 - 郊区が分割され、洪山区・漢橋区が発足。(9区)
- 1976年1月10日 - 漢橋区が洪山区に編入。(8区)
- 1979年12月19日 - 孝感地区漢陽県、咸寧地区武昌県を編入。(8区2県)
- 1983年8月19日 (8区4県)
- 1984年2月9日 - 鄂州市の一部が洪山区に編入。(8区4県)
- 1984年4月27日 - 漢陽県の一部が分立し、漢南区が発足。(9区4県)
- 1985年1月 - 洪山区の一部が江岸区・漢陽区・礄口区・江漢区に分割編入。(9区4県)
- 1987年8月10日 - 洪山区の一部が鄂州市鄂城区の一部と合併し、鄂州市華容区となる。(9区4県)
- 1992年9月12日 - 漢陽県が区制施行し、蔡甸区となる。(10区3県)
- 1995年3月28日 - 武昌県が区制施行し、江夏区となる。(11区2県)
- 1998年9月15日 (13区)
- 2009年4月30日 (13区)
- 洪山区の一部が武昌区・青山区に分割編入。
- 武昌区の一部が洪山区に編入。
経済
湖北省、ひいては華中地区の最大の工商業都市である。2013年の全市生産総額 (GDP) は9054.21億人民元(全国第9位)であった。
農業・漁業
長江の広大な沖積平野を利用した農業が盛んで、また長江および多数の湖沼での漁業も盛んである。特産物は蓮根、武昌魚など。
工業
繊維工業、造船業(中国船舶重工集団武漢造船所)、鉄鋼業(武漢鋼鉄)、自動車産業(東風汽車)、輸送機産業などが盛んである。
工業区
工場は漢陽区および長江沿いに多い。新しく武昌区の東湖の南側に武漢東湖高新技術開発区が設立され、光ファイバー製造などのハイテク工場があり、開発区の一部の武漢光谷ソフトウェアパークでITアウトソーシング産業なども盛んに行なわれている。
商業
湖北省における商業は武漢市を中心に、湖南・江西・安徽・河南全域に発展しており、年間商品販売額華中第一、小売業では漢正街など華中最大の商業集積地を有しており、近年の商業施設の充実や高速道路網、軽軌、地下鉄の整備等もあって、武漢都市圏の消費マーケットは湖南・江西・安徽・河南全体を商圏とする規模にまで拡大している。また、都市部郊外にはショッピングセンターも増え、都心部との競争も激しくなっている。華中地域における武漢市の販売額は大きい。
軍事
人民解放軍広州軍区空軍司令部が所在し、湖北・湖南省に展開する空軍第7軍、空軍第15軍(空挺部隊)、武漢基地所属師団を統括する。
教育
大学
武漢は、国立大学が8、他の公立大学が22、私立大学が6である。
- 国立大学
- 公立大学
- 私立大学
- 漢口学院
- 武漢長江工商学院
- 武漢東湖学院
- 武昌理工学院
- 武昌工学院
- 武漢生物工程学院
交通
空港
- 武漢天河国際空港
- 2010年2月、中国東方航空がテンプレート:Flagicon福岡便の運航を開始した。上海浦東経由、1日1往復。以前、中国南方航空が直行便を運航していた。
- 2011年8月、中国国際航空がテンプレート:Flagicon成田国際空港便の運航を開始した。[2]
鉄道
- 京広線(北京 - 広州) - 漢口駅、武昌駅を通る
- 京九線(北京 - 香港九龍) - 本線は九江駅を通る
- 合武線(合肥 - 漢口)
- 漢丹線(漢口・武昌 - 襄陽 - 丹江)
- 滬漢蓉旅客専用線(成都 - 上海の高速鉄道路線、合武線などを経由) - 漢口駅を通る
- 京港旅客専用線(北京 - 香港の高速鉄道路線) - 武漢駅を通る
路線バス
- 武漢公交集団(ICカードを使用すると1割引)
地下鉄
武漢地下鉄1号線は、2004年7月28日に開通した武漢地下鉄初の路線で、東西湖区の東呉大道駅から江岸区の堤角駅までを結ぶ。駅数25駅、長さ28.87kmである。2010年に第2期区間が開通した。なお、この線路は全線が高架となっている。このため、中国語で「軽軌」(ライトレール)と扱われることもある。
武漢地下鉄2号線は、漢口地区と武昌地区を結ぶ、2012年開通したの路線である。大部分が地下となる。
武漢地下鉄4号線は、武昌地区と漢陽地区を結ぶ、2013年開通したの路線である。大部分が地下となる。
航路
- 武漢フェリー会社(主に漢口-武昌間を結ぶ)(ICカードが便利、例;1.5元)
高速道路
- 京港澳高速道路:北京市-珠海市の区間は京珠高速道路と呼ばれる。
- 滬蓉高速道路:上海市-成都市
- 滬渝高速道路:上海市-重慶市
- 漢十高速道路:武漢市-十堰市
- 福銀高速道路:福州市-銀川市
- 武漢繞城高速道路:「武漢外環線」と呼ばれる環状高速道路
- 天河機場高速道路:武漢天河国際空港と市内を結ぶ高速道路
自転車
スポーツ
- 中国サッカー・スーパーリーグに存在したプロチーム「武漢光谷(湖北武漢職業足球倶楽部武漢光谷隊)」(旧武漢黄鶴楼)の本拠地だった。武漢光谷のホームスタジアムは、漢口新華路体育場。
- 少年サッカーも盛んで、2009年7月には友好都市であるテンプレート:Flagicon大分市で交流事業の一環としてサッカー大会が行われた。[4]
観光
友好都市
- テンプレート:Flagicon 大分市(日本)1979年9月7日提携・・・大分市には「武漢の森」がある。
- テンプレート:Flagicon ピッツバーグ(アメリカ合衆国)1982年9月8日提携
- テンプレート:Flagicon デュースブルク(ドイツ)1982年10月8日提携
- テンプレート:Flagicon マンチェスター(イギリス)1986年9月16日提携
- テンプレート:Flagicon ガラツィ(ルーマニア)1987年8月12日提携
- テンプレート:Flagicon キエフ(ウクライナ)1990年10月19日提携
- テンプレート:Flagicon ハルツーム(スーダン)1995年9月27日提携
- テンプレート:Flagicon ジェール(ハンガリー)1995年10月19日提携
- テンプレート:Flagicon ボルドー(フランス)1998年6月18日提携
- テンプレート:Flagicon アーネム(オランダ)1999年9月6日提携
- テンプレート:Flagicon 清州市(大韓民国)2000年10月29日提携
- テンプレート:Flagicon セントルイス(アメリカ合衆国)2004年9月27日提携
- テンプレート:Flagicon ザンクト・ペルテン(オーストリア)2005年12月20日提携
- テンプレート:Flagicon クライストチャーチ(ニュージーランド)2006年9月12日提携
- テンプレート:Flagicon マーカム(カナダ)2006年9月12日提携
- テンプレート:Flagicon ボーレンゲ(スウェーデン)2007年9月28日提携
- テンプレート:Flagicon コーパヴォグル(アイスランド)2008年4月25日提携
- テンプレート:Flagicon アシュドッド (イスラエル) 2009年10月
関連項目
脚注
外部リンク
- 武漢市公式サイトテンプレート:Zh iconテンプレート:En icon
- 黄鶴楼公式サイトテンプレート:Zh icon
- 武漢英文新聞サイトテンプレート:En icon
- 武漢市のポータルサイトテンプレート:Zh icon
- 武漢市|湖北省観光局 OFFICIAL SITE テンプレート:Ja icon
テンプレート:湖北省の行政区画 テンプレート:中華人民共和国の主要都市
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