メガデス (バンド)
テンプレート:Infobox Musician メガデス(Megadeth、1983年 - 2002年、2004年-)は、アメリカのヘヴィメタルバンド。同時期に活躍したメタリカ、スレイヤー、アンスラックスと並んで、スラッシュメタル四天王(Big 4)の一つに数えられる。
デビュー前にメタリカを解雇されたデイヴ・ムステインを中心に1983年に結成。現在まで13枚のスタジオ・アルバムと3枚のライヴ・アルバムを発表。4800万枚を超えるセールスとグラミー賞ノミネート10回を数える。2002年に一度解散したが、2004年に再始動した。
音楽的にはテクニカルなギターリフや複雑な曲展開を特徴とし、中心人物のムステイン自ら"インテレクチュアル(知的な)・スラッシュメタル"と称した。その名に違わず、歌詞の内容も戦争の正当性、核戦争、政府の陰謀、環境保護、表現の自由に対する検閲など、政治的な主題を持つものが多い。
目次
来歴
結成
1983年、過度の飲酒や暴力などの問題行動、およびラーズ・ウルリッヒ、ジェームズ・ヘットフィールドらメンバーとの確執でメタリカを追い出されたギタリストのデイヴ・ムステインは、失意のうちにロサンゼルスに戻る。2ヶ月後、ベーシストのデイヴィッド・エレフソンと出会ったムステインは「メタリカを超えるバンドを作る」という決意のもとにメガデスを結成する。当初はボーカリストを探していたが、適任者が見つからなかったため、ムステインがボーカルを兼ねることになった。また、ムステインとエレフソン以外のメンバーが固定できず、一時はケリー・キング(スレイヤー)がライヴにおいてギターを担当した。
デビュー
1984年末にインディレーベルのコンバットレコード(Combat Records)と契約。1985年には、ギタリストクリス・ポーランド(Chris Poland)とドラマーガル・サミュエルソン(Gar Samuelson)をラインアップに加え、1stアルバム『Killing Is My Business... And Business Is Good!』でデビューを果たす。ムステインの「元メタリカ」という肩書きも手伝い前評判は良かったものの、レコーディングのために与えられた8000ドルの予算をドラッグやアルコールの購入に使ってしまったため、サウンドプロダクションに問題を抱える仕上がりとなった。しかし、メガデスの音楽性の最も大きな特徴である展開の複雑さと各バンドメンバーの演奏技術の高さを確認することができ、一部では話題となった。
1986年にはメジャーレーベルのキャピトルレコードに移籍。2ndアルバム『PEACE SELLS... BUT WHO'S BUYING?』を発表。前作に比べ音質は飛躍的に向上し、複雑なギターリフと政治的な歌詞をはじめムステインの標榜する「インテレクチュアル・スラッシュメタル」が具現化された作品となった[1]。同年にメタリカ、スレイヤー、アンスラックスが相次いで名盤を発表したこともあり、メガデスを含めたスラッシュメタル四天王の地位が確立された。
1988年、新たにギタリストジェフ・スコット・ヤング(Jeff Scott Young)とドラマーチャック・ビーラー(Chuck Behler)を加えて3rdアルバム『SO FAR, SO GOOD...SO WHAT!』を発表。前作に比べ内容が比較的コマーシャルだとの批判も一部にあったが、攻撃的でスラッシーなリフが満載されたこのアルバムは全米チャート28位を獲得し、バンドにとって初めてのプラチナムアルバムとなった。同年にはモンスターズ・オブ・ロックに出演。順風満帆に思えたが、ベーシストのエレフソンが薬物依存症でツアーを続けられなくなり、ムステインが加入ししたばかりのヤングとビーラーを解雇したため、年内の活動を停止。新しいギタリストとドラマーを探すにあたり、ムステインはパンテラのギタリストのダイムバッグ・ダレルに目をつける。一時は加入が内定するも、ダレルは兄でドラマーのヴィニー・ポールを同時に採用することを条件としたのに対し、既にメガデスはニック・メンザの加入を決めていたことから、最終的にダレルの参加は見送られた。また、ムステインは裁判所の命令で薬物依存症の治療を受けさせられ、一時的に中毒から立ち直ることに成功する。
1989年、バンドはジェフ・ヤングの後任ギタリストが決まらないままトリオとしてアリス・クーパーのカヴァー「ノー・モア・ミスター・ナイス・ガイ」をレコーディングし、映画『ショッカー』のサウンドトラックに提供した[2]。
黄金期
1990年、4thアルバム『RUST IN PEACE』を発表。新たにギタリストのマーティ・フリードマン(Marty Friedman)とドラマーのニック・メンザ(Nick Menza)を迎えて制作された本作は、より正統なヘヴィメタルに近付き、ムステインのアグレッシヴなプレイスタイルとフリードマンのメロディアスなプレイスタイルが見事に調和し、以前のどの作品よりも洗練されたアルバムとなった。また、ムステインをはじめとするメンバーが麻薬やアルコールの問題と無縁のままレコーディングを終えたことも作品の質に影響を与えている。アルバムは全米チャート初登場23位、全英チャート8位を記録。プラチナムの認定を受け、グラミー賞にノミネートされるなど、スラッシュメタルの枠にとどまらない成功を収めた。
前作と同じメンバーで、1992年に5thアルバム『COUNTDOWN TO EXTINCTION』を発表。前作までの攻撃的なリフと複雑な曲展開を用いた手法とは一線を画し、より幅広い層に受け入れられるよう無駄なものを一切排除したシンプルな作品となった。前作での成功ともあいまって、全米チャート初登場2位を記録。ダブル・プラチナムを獲得するバンド史上最大のヒット作となった[3]。1993年3月には4度目の来日が予定されていたが、その直前にムステインが薬物乱用で集中治療室に担ぎ込まれるという事件が起きたため、日本公演はキャンセルとなる。当時のギタリストのマーティ・フリードマンは夢だった武道館でのライヴができなかったことが非常に残念だったと後に語っている[4]。同年6月にはデビュー以来初めてメタリカとの共演を果たす。ステージ上でムステインは「この10年間の確執は終わった」と宣言したが、両バンドの間のしこりはその後も残った。7月にはエアロスミスのゲット・ア・グリップツアーに参加するが、ムステインのステージ外での問題行動によりわずか7公演の参加でツアーから追い出された。
1994年、さらにサウンドを変化させた6thアルバム『YOUTHANASIA』を発表。それまで特徴的だったムステインのシニカルで冷徹な視点が影を潜め、曲はより温かみのあるメロディアスなものに。ムステインの麻薬中毒の再発によってツアー中断というアクシデントに見舞われたものの、前作の勢いを引き継ぎ全米チャート初登場4位を記録。
1997年に7thアルバム『CRYPTIC WRITINGS』を発表。プロデューサーにマイケル・ジャクソンのギタリストだったダン・ハフを迎え、前作からさらに作風を変えポップ寄りのハードロックに仕上がった。シングル曲『Trust』はビルボード・メインストリーム・ロックチャート5位を記録したが、アルバム自体は10位にとどまった。
1998年、『CRYPTIC WRITINGS』に伴うツアー中に膝の故障を理由にメンザが脱退、新しいドラマーとしてジミー・デグラッソ(Jimmy DeGrasso)が加入する。翌年、8thアルバム『RISK』を発表。前作と同じプロデューサーのもとでインダストリアル寄りの実験的な音楽性を展開したが[5]、メタルから離れたサウンドはファンから受け入れられずセールス面でも大失敗に終わった。翌1999年にはバンドの方向性に失望したマーティ・フリードマンが脱退する[4]。
解散
2000年10月、新たなギタリストにアル・ピトレリ(Al Pitrelli)を迎え、新曲2曲を含むベストアルバム『CAPITOL PUNISHMENT』を発表。2001年、サンクチュアリ・レコードに移籍し、アルバム『THE WORLD NEEDS A HERO』を発表。往年の音楽性に回帰したものの、以前の作品ほどの支持は得られなかった。2002年3月、『THE WORLD NEEDS A HERO』に伴うツアー中のライヴの模様を収めたライヴDVDと二枚組ライヴ・アルバムをリリース[6]。しか、その直後の4月にデイヴ・ムスティンが腕の故障(橈骨神経麻痺)を理由に音楽活動を休止することを発表し、メガデスは解散することとなった[7][8] 。
空白期間
2004年、デイブ・ムステインは、かつて在籍していたメタリカのドキュメンタリー映画「メタリカ:真実の瞬間(METALLICA:SOME KIND OF MONSTER)」に出演。メタリカがバンド内の問題を解決するために行われたセラピーの一環として、ドラマーのラーズ・ウルリッヒがムステインと話す様が収められている[9]。劇中でムステインはメタリカを追い出されてからの20年間の思いを赤裸々に語った。
再結成から現在
2004年9月14日、復活第一作となる『THE SYSTEM HAS FAILED』をリリース。当初はムステインのソロ作品として制作されたが、レコード会社の要望でメガデス名義で発売されることとなった。ギタリストには元メンバーのクリス・ポーランド、ドラマーにはヴィニー・カリウタが参加している。同年10月、グレン・ドローヴァー(G)、ショーン・ドローヴァー(Dr)、ジェイムズ・マクドノー(B)をメンバーに迎え、新体制で"Blackmail the Universe world tour"に出る。当初、このツアーには黄金期のメンバーであるニック・メンザの参加が予定されていたが実現しなかった。
2005年、キャピタルからベストアルバム『Greatest Hits』がリリースされた[10]。また、ドリーム・シアター、フィア・ファクトリーなどとともにアメリカとカナダを回るコンサートツアー・Gigantourを主催した[11]。
2006年2月、ベーシストのジェイムズ・マクドノーが辞め、新たなベーシストとしてジェイムズ・ロメンゾ(元ブラック・レーベル・ソサイアティ)が参加。また、昨年に引き続きGigantourを開催。同年3月、キャピタル所属時のすべてのビデオクリップや秘蔵映像を2枚のDVDに収録した『THE ARSENAL OF MEGADETH』をリリース[12]。5月にはロードランナー・レコードへ移籍した[13]。
2007年5月、アルバム『UNITED ABOMINATIONS』を発表。全米チャート8位を記録した。10月末には来日公演を行った[14]。
2008年1月、ギタリストのグレン・ドローヴァーが脱退。脱退の理由はツアー中にグレンが心臓に問題を抱えていた事が発覚したためであり、彼の推薦で新たなギタリストとしてクリス・ブロデリック(Chris broderick)を迎える。同年3月、BURRN!4月号における読者人気投票で、LIVE PERFORMANCE IN JAPAN、ALBUM COVER、DVD、TUNE、SHINING STARの部門で5冠を達成。
2009年9月、アルバム『Endgame』を発表。全米チャート9位を記録した。
2010年2月、オリジナル・メンバーであるベーシストのデイヴィッド・エレフソンが復帰。入れ替わる形でジェイムズ・ロメンゾが脱退した[15]。
2011年10月、通算13枚目となるアルバム『Th1rt3en』をリリース[16]。全米チャート11位を記録した。
2013年6月、14thアルバム『Super Collider』をリリース。ロードランナーを離れデイヴ・ムステイン自身の新レーベル「Tradecraft」からのリリースとなる(流通はユニバーサルが担当)[17]。全英アルバムチャート22位[18]、Billboard 200チャート6位(初週売上は2万9000枚[19])をそれぞれ記録した。
メンバー
現在のメンバー
- デイヴ・ムステイン – ボーカル、ギター (1983年–2002年, 2004年–現在)
- デイヴィッド・エレフソン – ベース、 バッキング・ボーカル (1983年–2002年, 2010年–現在)
- クリス・ブロデリック – ギター、バッキング・ボーカル (2008年–現在)
- ショーン・ドローヴァー – ドラムス、 パーカッション (2004年–現在)
来日公演
- 4月3日・初来日公演を行う。場所は渋谷公会堂。チケットの金額は3,900円だった。
- 1988年 アルバム「So Far, So Good...So What!」ツアー
- 7月・2度目の来日公演。
- 1991年 アルバム「Rust in Peace」ツアー
- 2月・3度目の来日公演。
- この年の3月に予定していた武道館公演を含む4度目の来日公演を麻薬問題でキャンセル。
- 1995年 アルバム「Youthanasia」ツアー
- 4度目の来日公演。
- 1997年 アルバム「Cryptic Writings」ツアー
- 11月・5度目の来日公演。
- 1998年 アルバム「Cryptic Writings」ツアー
- 11月・6度目の来日公演。一つのアルバムのツアーで2度来日するのはこれが初めてとなる。
- 1999年 アルバム「RISK」ツアー
- 8月8日・マリリン・マンソンをメインアクトとした富士急ハイランド・コニファーフォレストにおける野外フェスティバル「BEAUTIFUL MONSTERS TOUR」で来日公演。このライブではCrush 'Em の演奏時に日本のプロレスラー蝶野正洋とAKIRAが登場するというメガデスとしては珍しい演出があった。
- 2000年 アルバム「RISK」ツアー
- 3月・8度目の来日公演。
- 2001年 アルバム「World Needs A Hero」ツアー
- 7月・9度目の来日公演。
- 2005年 アルバム「THE SYSTEM HAS FAILED」ツアー
- 4月2日~4月9日・Blackmail The Universe Japan Tour 2005として東京(東京厚生年金会館)、川崎(CLUB CITTA')、広島(クラブクアトロ)、福岡(Zepp Fukuoka)、名古屋(Clubダイアモンドホール)、大阪(Zepp Osaka)の計6カ所で、10度目の来日公演を行う。また4月2日の東京公演の際に、ムステインがその日は1987年の初来日公演から18周年の記念日であると発言している。
- 10月14日・日本で開催されたヘヴィメタルフェス「LOUD PARK 06」に参加。 「Gigantour Stage」と名付けられたステージにおいてメインアクトを務める。同時に川崎クラブチッタ、名古屋ZEPP NAGOYAで単独公演も開催する。また、名古屋公演で新曲GEARS OF WARを世界初披露。
- 2007年 アルバムUNITED ABOMNATIONSツアー
- 10月30日~11月6日・TOUR OF DUTYとして、東京(渋谷C.C.Lemonホール二日間、SHIBUYA-AX、中野サンプラザ追加公演)、名古屋(Zepp Nagoya)、大阪(大阪厚生年金会館)の計5ヶ所、6日間の12度目の来日公演を行う。東京公演のみBREED77がゲストで出演。また伊藤政則の進言により中野サンプラザ追加公演にて「BURNT ICE」を世界初披露。
- 10月17日、日本で開催されるヘヴィメタルフェス「LOUD PARK 09」に参加し、13度目の来日を果たす。さらに、10月19日には大阪(なんばHatch)、10月20日には名古屋(Clubダイアモンドホール)にて公演を行う。大阪公演のアンコールではLOUDNESSの高崎晃が飛び入り参加した。ちなみに、大阪公演での前座はPAPA ROACH、名古屋公演での前座はHIBRIAであった。
- 8月16日・17日、日本で開催されるロックフェス「SUMMER SONIC 2014」に出演。17日の大阪会場ではゲストとして、LOUDNESSの高崎晃が「LOUD PARK 09」以来5年ぶりに飛び入り参加。
ディスコグラフィ
オリジナル・アルバム
- キリング・イズ・マイ・ビジネス - KILLING IS MY BUSINESS ...AND BUSINESS IS GOOD! (1985)
- ピース・セルズ…バット・フーズ・バイイング? - PEACE SELLS ...BUT WHO'S BUYING? (1986)
- ソー・ファー、ソー・グッド…ソー・ホワット! - SO FAR, SO GOOD... SO WHAT! (1988)
- ラスト・イン・ピース - RUST IN PEACE (1990)
- 破滅へのカウントダウン - COUNTDOWN TO EXTINCTION (1992)
- ユースアネイジア - YOUTHANASIA (1994)
- クリプティック・ライティングス-CRYPTIC WRITINGS (1997)
- リスク-RISK (1999)
- ワールド・ニーズ・ア・ヒーロー - THE WORLD NEEDS A HERO (2001)
- ザ・システム・ハズ・フェイルド - THE SYSTEM HAS FAILED (2004)
- ユナイテッド・アボミネイションズ -UNITED ABOMINATIONS (2007)
- エンドゲーム - ENDGAME (2009)
- サーティーン - Th1rt3en (2011)
- スーパー・コライダー - SUPER COLLIDER (2013)
「キリング・イズ・マイ・ビジネス」から「リスク」までのアルバムは、リマスタリングとリミックスがされ、デモバージョンなどのボーナストラックを追加したうえで再発されている。
補足
- 「メガデス(Megadeath)」の元の意味は、核兵器の威力を表す、或いは同一の死因による死者数の単位で、1メガデスあたり100万人の殺傷力があるという。バンド名から意図的にaを抜いたのは、死との関連性を薄めるためだとムステイン本人が語っている。
- マスコットキャラは人の骸骨のような生命体ヴィック・ラトルヘッド(Vic Rattlehead)。1stアルバム以来数多くのアルバムジャケットに登場している。
- 1997年に日本の兵庫県神戸市で神戸連続児童殺傷事件が発生した際、ワイドショーにおいて出演した有田芳生が「犯人はメガデスというバンドを聴いていた」「メガデスはデス声で殺害的な歌詞を歌う(=デスメタル)」等の発言を繰り返していたが、実際には犯人がメガデスを聴いたことはなく、『Burrn!』編集長の酒井康などから批判を受けた[20][21]。
- 上記の殺傷事件や有田の発言に関し、1998年の日本公演時のインタビューでマーティは「悲しい事件だ」と語ると同時に「俺達のファンがそんな事(殺人事件)はしないと信じている」とコメント。ムステインはこの事件に関しては子供が殺傷事件を起こしたのは親の教育に責任があるとし、歌詞に関する表現の自由の重要性を訴えると同時に有田の無責任とも取れる発言や少年による事件を音楽のせいにしたがるマスメディアの風潮に苦言を呈している[22]。
- 2006年にカナダで起きたドーソン・カレッジ銃乱射事件の犯人がゲームや音楽に熱中していて、中でもメガデスの音楽を気に入っていたという報道があった。
- 日本のTVCMのBGMとして楽曲が起用されることもあった。2ndアルバム『Peace Sells...But Who's Buying』収録の『I Ain't Superstitious』(ジェフ・ベックのカバー)がホンダ・CR-XのCM(1987年-88年頃)に(バンド名表記は無かった)、ミニアルバム『Hidden Treasures』収録の『Paranoid』(ブラック・サバスのカバー)が日産・エクストレイルのCM(2003年頃)にそれぞれ使用されていた。
- 映画『トーク・レディオ』では、ラジオのリスナー役のマイケル・ウィンコットがスタジオに招待されるシーンで、メガデスの曲「ピース・セルズ」が唄われた。
- ゲーム『グランド・セフト・オート・バイスシティ』のカーラジオで「Peace Sells」がかかる。後にカーラジオをまとめた曲集に収録。
- ゲーム『Brütal Legend』内でHigh Speed Dirt,Tornado of Soulsの2曲が使用された。
脚注
外部リンク
- Megadeth.com テンプレート:En icon - メガデスの公式ウェブサイト
- EMI Music Japan Megadeth - EMI公式ウェブサイト(日本)
- Megadeth - Roadrunner Records 日本 - ロードランナー・ジャパン公式ウェブサイト(日本)
- ↑ メガデス名盤『PEACE SELLS... BUT WHO'S BUYING?』、25周年で特別盤登場 barks 2011-07-13
- ↑ Megadeth.com - History - 2013年5月29日閲覧
- ↑ メガデス、『破滅へのカウントダウン』アニバーサリー・エディション登場 barks 2012-09-11
- ↑ 4.0 4.1 マーティー・フリードマン インタビュー Guitar-Workshop.net
- ↑ メガデス移籍後第1弾発売決定!! CDJournal.com 2001/02/28掲載
- ↑ メガデス、ライヴ・アルバムをリリース! CDJournal.com 2001/12/28掲載
- ↑ メガデスのシンガー、デイヴ・ムステインが脱退。バンドは解散へ barks 2002-04-04
- ↑ メガデス、解散! CDJournal.com 2002/04/04掲載
- ↑ 3年間、1,600時間もの映像記録! メタリカのドキュメンタリー映画まもなく公開 barks 2005-07-23
- ↑ メガデスのベスト盤、国内盤は7月21日!DVD付盤も CDJournal.com 2005/05/19掲載
- ↑ メガデス、北米ツアーはドリーム・シアターらとのフェスティヴァル形式! CDJournal.com 2005/04/06掲載
- ↑ メガデス、未発表映像多数のアンソロジーDVDをリリース! CDJournal.com 2006/01/30掲載
- ↑ メガデス、Roadrunnerと契約! 『カウントダウン』24K盤も登場 CDJournal.com 2006/05/16掲載
- ↑ メガデス来日中!「孤高のカリスマ」の刺激的な“今”を体感せよ bakrs 2007-11-01
- ↑ メガデス、デイヴィッド・エレフソン復活 barks 2010-02-13
- ↑ “ジュニア”復帰第1弾!MEGADETH、ニュー・アルバム『Th1rt3en』をリリース CDJournal.com 2011/10/26
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
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- ↑ 山崎智之「特別研究 HMと反対運動の歴史 +特選・札付きお騒がせ盤」『炎』10月号、1997年、108-119頁、シンコーミュージック。
- ↑ 酒井康「驢鳴犬吠 第22回」『炎』11月号、1997年、160-161頁、シンコーミュージック。
- ↑ Player(プレイヤー・コーポレーション)1999年2月号 48P