としまえん
テンプレート:Infobox としまえんは、東京都練馬区向山三丁目で、西武グループの株式会社豊島園が運営する遊園地。
目次
概要
西武豊島線豊島園駅の北西に隣接する。室町時代に築城された練馬城の城址を中心に造園された。園名は同城を築城し治めた豊島氏に由来している。その園名から誤解されがちであるが、豊島区内或いは北区豊島所在ではなく、練馬区向山三丁目に所在している。ただし、豊島園(としまえん)が開園した当時の地名は、東京府北豊島郡上練馬村であった。
所有者は西武鉄道で、株式会社豊島園へ業務委託をしている[1]。
首都圏有数の規模を誇る遊園地であり、各種遊戯施設がある他、春のソメイヨシノ、初夏のアジサイの花の名所として、或いは夏のプールなどで多くの地域住民が訪れる都会のオアシスとなっている。最近はジャパンコスプレフェスティバルを開催するなどイベント企画も多い。併設のグラウンドは企業、学校の運動会に利用されている。
ローカルルールとして、刺青(シール含む)がある人の入場は禁止としている。
歴史
前史
石神井川の南側、ウォータースライダー「ハイドロポリス」のある付近はかつて矢野山と呼ばれ、室町時代に豊島氏によって築城された練馬城があった。太田氏との戦いに敗れ廃城となった跡地に再び城が築かれることも無く雑木林や畑作地となった。後に板橋の「なべや」が同地を所有し、更に上練馬村長の増田が入手した。石神井川の北側は沼地・湿地であったが、後に田地となった。
- 明治後期 - 練馬城址が豊島公園となる。
- 1916年(大正6年) - 樺太工業(後の王子製紙)専務であった藤田好三郎が自身の静養地として、石神井川南側の12,000坪を入手[2]。
- 景勝地だったため、この間には家屋を建てず自然のままで、休日ごとに家族で訪れていた[2]。
- 1922年(大正12年) - 藤田自身の住居を建てるため、土地の形を整える接続地6,000坪を追加入手[2]。
- 手始めに小さな温室を作り、将来のために庭を造る(後に開園式が行われる日本庭園)[2]。
- 1925年(大正14年)秋 - 藤田好三郎が、石神井川北側の18,000坪を入手[2]。
- 当時石神井川北側は悪田で、川の南北で土地の価値に大きな隔たりがあった。そこで藤田は悪田に池を掘って埋め立てをすれば、立派な土地になると見込み、2年がかりで入手した。しかし時勢が変わり、大邸宅を構えるのは不謹慎と藤田は考え、景勝地を公開して大衆と娯しむこととした[2]。
開園後
- 1926年(大正15年)9月15日 - 戸野琢磨(造園家)の設計により部分開園。
- 1927年(昭和2年)4月29日 - 開園式を日本庭園で挙行。
- 1931年(昭和6年)11月20日 - 競売にかけられ安田信託銀行(現在のみずほ信託銀行)が自己落札。この後経営者が転々とする。
- 1937年(昭和12年)5月 - 第1回「森永母の日大会」を開催し、20万人が参加[3]。
- 1941年(昭和16年)11月1日 - 武蔵野鉄道(現在の西武鉄道)が、当時の経営会社である日本企業(社長は小川栄一。後に藤田観光初代社長となる)を吸収合併。
- 1944年(昭和19年)4月 - 戦況悪化により一時閉園。
- このころ、園内の練馬城跡に、練馬監視哨(軍事施設)が設置される。
- 1946年(昭和21年)3月 - 営業再開。
- 1951年(昭和26年)1月31日 - 株式会社豊島園臨時株主総会により同社は解散し、事業を西武鉄道株式会社が継承することを決議[4]。
- 1952年(昭和27年)9月 - 豊島園ホテル開業。
- 1953年(昭和28年)2月29日 - 閉館した大橋図書館(新宿区若宮町38)の蔵書を引き継いだ堤康次郎が大橋図書館事務所を置く。
- 1957年(昭和32年)11月22日 - 大橋図書館事務所は財団法人三康図書館と改称する。
- 1958年(昭和33年)11月23日 - こども劇場を改装し、世界初のインドアスキー場開業。
- 1959年(昭和34年)9月 - 三康図書館が港区芝公園へ移転する。
- 1963年(昭和38年)8月23日 - 株式会社豊島園は解散し、事業を西武鉄道株式会社が継承。
- 10月1日 - 株式会社豊島園を設立。
- 1964年(昭和39年)4月30日 - 堤康次郎の葬儀を挙行。
- 1967年(昭和42年) - 花火大会を開始。
- 1970年(昭和45年)2月16日 - 株式会社ワンダーズを設立(遊園地関連事業運営)。
- 1974年(昭和49年)7月22日-8月31日 - おはようサイクリングとして早朝開放する。
- 1976年(昭和51年)1月20日 - 西武鉄道株式会社が、武蔵野地所株式会社を設立し、[5]遊園地資産を保有。
- 1992年(平成4年)8月13日 - 開園前の点検作業中にフライングカーペットで、58歳男性作業員一名がカーペット部分の下敷きになって死亡。
- 2004年(平成16年) - 夏の花火大会が終了。
- 10月1日 - 株式会社ワンダーズ(株式会社豊島園の100%子会社で、西武鉄道の曾孫会社)の事業を株式会社豊島園に移管。
- これ以降、としまえんの運営状況の改善と累積損失の解消を目的として、関連企業の再編を実施する。
- 10月1日 - 株式会社ワンダーズ(株式会社豊島園の100%子会社で、西武鉄道の曾孫会社)の事業を株式会社豊島園に移管。
- 2005年(平成17年)1月1日 - 株式会社豊島園の従業員は、インターベストトレーディング株式会社(株式会社ワンダーズの100%子会社(西武鉄道の玄孫会社))に全員転籍し、遊園地運営を受託。
- 2010年(平成22年)11月1日 - 武蔵野地所株式会社が西武鉄道へ吸収合併され解散[6]。
プール
1つの名物となっている(1929年(昭和4年)開業)。今では波のプール(1973年(昭和48年)7月14日開業)、流れるプール(1965年(昭和40年)6月19日開業)、ナイヤガラプール(1959年(昭和34年)7月1日開業)、競泳プール(1959年(昭和34年)7月1日開業)などの7つのプールがメインである。
1977年(昭和52年)夏に、小型のウォータースライダー(水の滑り台)を開業し、1988年(昭和63年)7月23日に、23区内では最大規模の大型ウォータースライダー「ハイドロポリス」を開業した。本格的な飛び込み用プール(1959年(昭和34年)7月1日開業)は2006年で営業終了したが、代りにノーティックジェットという一人乗りウォーターシュートが登場した。
またプールが使える夏季には、「水着のまま園内も遊べる」というユニークなシステムも存在している。
アイドル水泳大会番組の一つ、『スカパー!夏☆アイドルオールスター水泳大会2009 in としまえん』も、番組名通りここで開催された。
出雲優生の小説「ケニントン・ロード」に1971年当時の流れるプールが登場する。
主な施設
- アトラクション
- プール(夏期営業)
- 7つのプール(波のプール、流れるプールなど)
- ハイドロポリス(ウォータースライダー)
- ノーティックジェット(小型ウォーターシュート)
- 温泉
- としまえんのもり昆虫館
- 矢島稔が創設した「豊島園昆虫館」をリニューアルしたもの。約40種類の外国原産の昆虫や、それに関する生物が展示されている。多摩動物公園昆虫園と交流があり、日本の昆虫飼育展示施設としては、初めてオオクワガタの繁殖に成功したことでも知られる。
- としまえん4Dシアター
- 偏光メガネを利用した3D映像とギミックチェアによる急降下、エア噴射、エアチューブなどのギミックを体感できる。
- 上映時間は数分から十数分程度。
- 上映作品は以下のとおり。
- 「バイオハザード4Dエグゼクタープレミアムバージョン」:2007年6月10日に上映終了。
- 「爆笑4Dエンタラクション スペースゲーニンズ」:FUJIWARA、小林恵美、ハイキングウォーキングが出演。上映終了。
- 「4D零」上映終了。
- 「プリキュアオールスターズDX 3Dシアター」:2013年3月22日~7月14日。上映終了。
- 「稲川淳二の怪談映画館3D」:2013年7月20日~10月27日。上映終了。
- 「ゲゲゲの鬼太郎 妖怪JAPANラリー3D」:2014年3月21日~7月6日。
イベント
- 成人式
- 練馬区に在住の新成人はここで成人式を行う。かつてはとしまえんの1日フリーパスを渡されていたが、フリーパスの配布は2006年度をもって中止された。
- 打ち上げ花火
- 1967年から毎年夏に、週末に打ち上げ花火を上げ、地元の夏の風物詩となり、かなり遠くからでも観ることができた。だが予算の関係や周辺住民への配慮から、毎週末→月に数度→月に1回と回数を減らし、2004年以降は行われていない。再開を望む声は多い。
世界初・日本初の施設
- 流れるプール
- ウォーターシュート
- 1927年(昭和2年)に開業した。営業用として日本初。1968年(昭和43年)廃止。なおウォーターシュート自体は、1903年に大阪で開かれた第5回内国勧業博覧会が日本初。
- ハイドロポリス
- 大型ウォータースライダーとしては日本初。ウォータースライダー自体は、1963年に船橋ヘルスセンターに設置されたものが日本初。
- ツイン型フライングパイレーツ
- プロペラ駆動の懸垂型モノレール
- 1951年、鉄道技術者の三木忠直が開発したものが日本初。園内でアトラクションとして設営されていた。車両は日立製作所製。ジェットコースターが開発されて引退するまで、「空飛ぶ電車」として好評を博した。日本で最初のモノレールは、大阪で行われていた交通電気博覧会で1928年に運用された懸垂式のモノレール。ちなみに、日本初の鉄道事業法による営業運転モノレールは東京都交通局上野懸垂線である。
広告
博報堂所属のコピーライター岡田直也と、アートディレクター大貫卓也を主軸とするクリエィティヴチームによる、ユニークなキャッチコピーを用いた広告が話題となった。
- 1980年代初頭 - 「木馬の会」のテレビCMに林家九蔵(現・三遊亭好楽)が出演したことがある。
- 1986年 - 「プール冷えてます」という広告を掲載[7]。その後日本の広告史に残る名キャッチコピーして、今でも評価が高い。
- 平成初期 - 山崎努が「山崎はいい人だ」というキャッチコピーでCMに出演。
- 1990年4月1日 - 「史上最低の遊園地。TOSHIMAEN」と題したエイプリルフールの一面広告を新聞に掲載[7]。
- 1992年 - 前年発売された宮沢りえのヘアヌード写真集「Santa Fe」にあやかり、「としまえんにサンタフェの扉がやってきた!!」と題した広告を新聞に掲載。
- 1993年 - バブル崩壊に伴い、景気回復を祈るパロディとして「祈・景気回復」[7]、当時発足したJリーグ人気を自虐的に「うらやましいぞ!!Jリーグ」と題した広告を新聞に掲載。
- 1996年 - 東京都が中止を決定した世界都市博覧会(通称:都市博)が本来行われるはずだったこの年の夏に「とし博開催決定!」と広告を掲載し話題になった。
- 1997年 - 都営地下鉄12号線の練馬駅-新宿駅間が延伸開業したのを機に、「としまえんにすごいマシンがやってくる!! 構想25年、総工費2,600億円、地下最深41.7mを疾走! その名も都営地下鉄12号線」という広告を新聞に掲載。
- 1998年 - 野村沙知代(野村克也<当時ヤクルトスワローズ監督>夫人)を水着姿でポスターに起用し、話題になった。
- 2005年夏 - 「クール・ビズ」にあやかり、「クール・ミズ」と題したプールの広告を展開。
- 2008年 - 都営地下鉄大江戸線のホームに「もうすぐ土曜日」の広告を展開。
- 2008年夏 - プールに浮かべた浮き輪に乗った温水洋一の写真と「冷し温水。」と題したプールの広告を展開。
- 2009年夏 - プールサイドにあるデッキチェアに座って日焼けを楽しむやくみつるの写真と「プールで、やく。」と題したプールの広告を展開。
- 2010年夏 - アイドルグループ「AKB48」にあやかり、プールサイドに集まった48人の水着姿の中年女性(平均年齢48歳)の写真と「TSM48(トシマ・フォーティーエイト)」と題したプールの広告を展開。グループ名は年増(としま)と掛けている[8]。
- 2010-2011年冬 - デーブ・スペクターの顔写真と「一刻も早くすべりたいです」[9]と題した屋外スケートリンクの広告を展開。
- 2011年夏 - 「ALWAYS 三丁目の夕日」と節電、そしてとしまえんの所在地(向山3丁目)[10]にあやかり、「三丁目の節電。」と題したプールの広告を展開。
- 2012年夏 - ミゲル・ゲレイロの顔写真と「ミゲル、泳ゲル。」と題したプールの広告を展開。
- 2012-2013年冬 - スキンヘッドになった小島よしおの写真と「ピカピカですね。としまえんイルミネーション」「ツルツルですね。としまえんアイススケート」と題したイルミネーションと屋外スケートリンクの広告を展開。
- 2013年夏 - 赤いスーツ姿の田原俊彦の写真と「としプー!」と題したプールの広告を展開。
- 2013年-2014年冬 - 赤いスーツ姿[11]の田原俊彦の写真と「としッパ!」と題したイルミネーションの広告を展開。
- 2014年夏 - プールに浮かべた浮き輪に座り、鍛え上げた肉体を披露するテリー伊藤の写真と「テリ焼き」と題したプールの広告を展開。
現在CMは放映されていないが、過去には「暑中見舞い」をテーマに、木にとまったセミがミーンミーンミーンとただひたすらに15秒間鳴き続けるだけのCMや、同様のパターンで、グツグツ煮え立つ鍋料理や、燃えさかるストーブが画面一杯に映され、最後に一言「としまえん」とナレーションが流れ、ロゴが表示されるだけという、当時としてはシュールなテレビCMを流したりしていた。このため視聴者からクレームが多数寄せられたこともある[12]。
高田馬場駅には一風変わった広告が、西武とJRのホームの間に、JR側から見えるよう設置されている。
入場料
としまえん内に入園する場合は必ず、当日の日付が入っている入場券が必要となる。入場券は、としまえん入り口付近のチケットブースにて購入することができる。隣接する豊島園 〜庭の湯〜に入場する際は別に指定されている券が必要となる。
各乗り物の指定料金および園内には現金でしか体験出来ない乗り物や施設がある。 テンプレート:See also
- 入園券
- としまえん内に入園する場合はこの券が必要となる。ただし、乗り物を体験したい場合は各乗り物で設定された分の金額を支払う必要となる。
- 大人(中学生以上):1,000円/子供(3歳 - 小学生):500円/幼児(3歳未満):無料
- コスプレイベントに入場する場合:大人(中学生以上):1,800円/子供(3歳 - 小学生):1,000円(更衣室使用料・カメラ登録料込)
- のりもの1日券
- 入園と園内の乗り物を1日無料で体験できる券。
- 大人(中学生以上):3,900円/子供(身長110 cm以上):2,900円
- コスプレイベント開催時:大人(中学生以上):3,800円(入場料・更衣室使用料・カメラ登録料込)
- キッズのりもの1日券
- 入園と指定された乗り物を1日無料で体験できる券。
- 大人(付き添い用):2,200円/子供(身長110 cm未満):1,700円
- 駐車場料金
- 車やバイクで入園する場合には車種に応じた分の料金を支払う必要がある。
- 普通車:1,500円/大型車:2,000円/オートバイ:500円
- 木馬の会
- 年間3万円強で、家族4人分の乗り物、プールの入場が自由になるフリーパス制度が用意されている。
アクセス
鉄道
バス
事件・事故
- 1992年8月13日:開園前フライングカーペットの試運転をしていた58歳男性作業員が遊具と床の間に挟まれて死亡。
- 2010年5月7日:フライングカーペットで、遠足中の15歳の学生が転落する事故が発生した。乗客自ら安全バーから足を抜き、異変に気付いた係員が緊急停止を操作するが間に合わず転落。命に別状は無かった。乗客の事故は初めて[13]。
- 2011年3月12日-18日:前日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)とそれに伴う計画停電の影響により、当日の営業を見合すことを発表した。
- 2011年3月29日:ブラワーエンジンにて、都内の福祉施設に通う18歳の女性が乗車中、乗り場のプラットホームとコースターの間に足が挟まり、足の甲などを切るなど3か月間の重症を負った事故が発生。女性は『怖くなって足を出した』と証言している[14]。この事故の影響により、ブラワーエンジンは2013年3月15日まで休止となった。
- 2013年8月3日:イーグルにて、24歳の女性がゴンドラの安全扉に右足首を挟まれ骨折する事故が発生。係員による安全確認が不十分のまま、扉を閉めた事が原因とされる。
東日本大震災の対応
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)を受けて、としまえんでは次のような対応を行った。
- 2011年3月12日 - 18日
- 営業休止
- 2011年3月19日・20日[15]
- 10:00開園、17:00閉園
- 入園券および機種限定1日券のみの販売、のりもの1日券とキッズのりもの1日券の販売は終日発売せず。
- 乗り物は「サイクロン」「コークスクリュー」「フライングパイレーツ」「フリュームライド」「イーグル」を除き、運営を行った。
- 2011年3月21日
- この日は営業予定だったが、大雨のため終日休園となった。
- 2011年3月22日 - 通常営業に戻るまで
- 2011年夏季の平日
- 電力使用制限令に伴い、乗り物は「サイクロン」「コークスクリュー」「フライングパイレーツ」「フリュームライド」「イーグル」の営業を終日取りやめた。
古い洋館の都市伝説
としまえん内のアトラクション「オートスクーター」横にある古い洋館には都市伝説が存在する。ここは古くはアトラクションとして使われていたが、あるときそこに勤めていた事務職員が惨殺される殺人事件が発生した。その後捜査が終了するとともに、洋館はアトラクションとして再び使用され始めた。
アトラクションとして復帰後、殺人現場となった部屋の血をふき取ることができなかったり、後任の事務職員が相次いで変死したり、客が建物内で幽霊のようなものを目撃したりなど、奇妙な出来事が相次ぐようになる。このためアトラクションとしての継続使用を中止し、洋館は永久に封印されることになったという。
封印されたのち幾度も解体が計画されるが、そのたびに作業員の事故死などがおき、計画は頓挫している。そのため現在も入口に南京錠をかけたままという状態で、封印されながらも解体されず存在している。
話の出所は不明であるが、1990年代に関東限定ながら小学生の間で特に流行したことから、その当時としまえんに遊びにいったことのある世代にとっては、非常に良く知られた話ではあるものの、同園敷地内での殺人事件は記録されていないため、事実無根の都市伝説である。また建物は以前、西洋おばけ館と言うウォークスルータイプのアトラクションであり、現在は事業用施設として利用されている。係員の出入りなど近くにいれば見かけることもあり、封印されている訳ではない。
この他にも死亡事故が発生したことから、1989年に観覧車が撤去されたなどの噂がある。実際にそのような記録はない。
東京都による敷地買収・公園整備に関する一連の動き
2011年9月9日、東京都がとしまえんの敷地を買収し、公園として整備する方針であることが明らかになったと一部マスコミが報じた。これらの報道では東京都は西武グループと近く買収交渉に入るというが[16]、西武ホールディングスはとしまえんを売却する予定はなく、今まで通り営業を続けるとコメントした[17]。
なお、その1年前の2010年9月には、練馬区がとしまえんの敷地内にサッカースタジアムを建設し、Jリーグの東京ヴェルディとなでしこリーグの日テレ・ベレーザがホームスタジアムとすると報じられており[18]、東京都による買収報道を受けて、これら2つの機能を統合した形となるのではという報道もされている[19]。
2011年12月に東京都の都市計画公園・緑地の整備方針が改定され、としまえんの敷地は「練馬城址公園」として優先整備地区に新規設定された[20]。2012年9月に公表された『「練馬城址公園」の整備にかかる考え方』では、既存の遊具施設を一部残しつつも、アニメ・漫画関連施設、防災拠点としての機能を併設したサッカー場などを新設する基本方針が示されている[21]。
脚注
関連項目
- ユナイテッド・シネマ
- コクド
- 西武園ゆうえんち - 同じく西武鉄道系の遊園地。
外部リンク
- としまえん - 公式ホームページ
- 開業時のとしまえん
- 豊島園ホテル
- 1955年ころの様子 - 練馬区役所
- 1990年4月1日新聞広告
- 1993年新聞広告
- としまえんREVIEW(乗物の簡単な解説、写真、ビデオ等)
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 内山正雄、蓑茂寿太郎『東京の遊園地』財団法人東京都公園協会発行、1981年
- ↑ 歴史雑学探偵団『発見!意外に知らない昭和史:誰かに話したくなるあの日の出来事194』64および65ページ、東京書店、2007年、ISBN 9784885740510
- ↑ 同年2月7日、官報第7221号にて公告
- ↑ 5.0 5.1 5.2 テンプレート:Cite web
- ↑ 一時期、「東京スカイツリー」の建設現場案や、ナデシコミュージアムなどの建設も検討されたが、両者とも計画は白紙になっている テンプレート:Cite web
- ↑ 7.0 7.1 7.2 広告ギャラリー - としまえん
- ↑ 広告にはAKB48と無関係である旨が記されていたが、AKB48の卒業生でSDN48メンバーの野呂佳代が参加していたため、秋元康公認グループである。
- ↑ デーブがよく駄洒落を発することから、駄洒落が受けない(滑る)こととスケートとを掛けている。
- ↑ 広告にはサブフレーズとして「今年の夏は、としまえんプール(練馬区向山三丁目)で涼みましょう。」と記されている。
- ↑ 夏と同じ衣装だが今回は全身に電飾付き。
- ↑ 『大貫卓也全仕事』マドラ出版、1992年、ISBN 978-4944079063
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 3月19日(土)〜21日(月・祝)の営業について
- ↑ テンプレート:Cite newsテンプレート:リンク切れ
- ↑ テンプレート:Cite newsテンプレート:リンク切れ
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite newsテンプレート:リンク切れ
- ↑ テンプレート:PDFLink - 東京都都市整備局
- ↑ テンプレート:PDFLink - 練馬区