海峡 (列車)

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ファイル:JRhokkaido ED79 19 kaikyo.jpg
ヘッドマークを掲出したED79形が牽引する「海峡」

海峡(かいきょう)とは、青森駅 - 函館駅間を津軽線海峡線江差線函館本線津軽海峡線)を経由して運転されていた快速列車である。

概要

1988年3月13日に海峡線が開業したことにより、青函連絡船の代替および津軽海峡線内の地域輸送列車として運転を開始した。

1995年から運転本数の減少が続き、津軽海峡線の開業当初にあった「青函トンネルブーム」は数年で終息したこともあって、以後の利用者は年々減少傾向にあった。2002年12月に「海峡」を廃止したことで、JRにおける客車を使用した定期普通列車は消滅した。

運行概況

青函連絡船と同様に、「はつかり」と「北斗」との接続が行われていた、上野駅 - 青森駅間の寝台特急はくつる」に接続して運転される列車もあった。

停車駅

青森駅 - (油川駅) - (奥内駅) - 蟹田駅 - (津軽今別駅) - 〔竜飛海底駅〕 - 〔吉岡海底駅〕 - (知内駅) - 木古内駅 - (上磯駅) - 五稜郭駅 - 函館駅

  • ( )は一部の列車のみ停車。なお油川駅停車は上り1本のみで、これは駅近くに所在する青森県立青森北高等学校の通学生を輸送するためであった。
  • 〔 〕は海底駅見学コースに指定された列車のみ停車(海底駅見学整理券「ゾーン539きっぷ」を所持している乗客のみ乗降可能)。
  • 多客臨扱いの80号台は五稜郭駅を通過していた。

使用車両

専用車両として北海道旅客鉄道(JR北海道)函館運転所に配置されていた50・51系客車冷房化・固定窓に改造した車両(5000番台)を使用し、普通車自由席のみで7 - 8両編成が基本となっていた。

なお、2往復(下り3・9号、上り6・12号)には札幌駅 - 青森駅間の急行「はまなす」の間合い運用としてJR北海道札幌運転所配置の14系客車(500番台)も充当され、同編成の増結車として函館運転所の14系客車も運用された。また、夏の「MOTOトレイン」運行時などの繁忙期には、上野駅 - 青森駅間の急行「八甲田」の編成(東日本旅客鉄道(JR東日本)尾久客車区配置)もそのまま「海峡」83・84号として運行していたこともあった。このほか「青函トンネルブーム」の頃には車両不足が日常的に発生していたため、JR東日本の12系客車も定期「海峡」に使用されていた。

沿革

  • 1988年昭和63年)3月13日:海峡線が開業。青函連絡船代替および津軽海峡線内の地域輸送列車として青森駅 - 函館駅間を運転する客車快速列車「海峡」が運転開始。
  • 1989年平成元年)3月11日:全列車7両化。それまでは4両または5両だった。
  • 1991年(平成3年)11月1日:全列車6両化。以後、両数削減の道をたどる。
  • 1995年(平成7年)3月1日:「海峡」1往復を毎日運行ながら季節列車化。また、このころまでに、5両編成での運転が主体となる。
  • 1997年(平成9年)3月22日:ダイヤ改正により、「海峡」の1往復(旧13・4号)を「はつかり」に格上げし、「海峡」は季節列車を含めて7往復に減少。この改正で1・14号の1往復が臨時列車に格下げ。
    • これ以降「海峡」は青函間連絡列車となる。てこ入れの一環として、50系客車「海峡」の一部列車にカラオケ個室を設けた車両を設置(末期は非連結)。
  • 1998年(平成10年)3月:津軽海峡線開業10年を記念して映画ドラえもん のび太の南海大冒険』とのタイアップを行い「ドラえもん海底列車」の運行を開始し、以後2002年まで毎年継続。運行中は牽引する機関車にも毎年さまざまなペイントが施された。
  • 2001年(平成13年)7月12日:7往復に減便。全列車が4両または5両となる。
  • 2002年(平成14年)12月1日:東北新幹線八戸開業により設定された特急「白鳥」・「スーパー白鳥」の運転開始にともない、「海峡」を廃止[1][2]

関連項目

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  • 白鳥 - 青森県対北海道連絡列車沿革
  • 一本列島 - 本列車が設定されたダイヤ改正

脚注

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  1. ■平成14年12月ダイヤ改正についてインターネット・アーカイブ) - 北海道旅客鉄道プレスリリース 2002年9月20日
  2. テンプレート:Cite journal