棋聖戦 (将棋)
棋聖戦(きせいせん)は、プロ将棋の7つのタイトル戦のうちの一つである。産経新聞社主催。「棋聖戦五番勝負」の勝者は棋聖と呼ばれ、タイトル保持者となる。五番勝負は、毎年6~7月に行われる。
前身の棋戦は早指し王位決定戦である。
「棋聖」は、本来は将棋・囲碁に抜群の才能を示す者への尊称であった。将棋では、特に、江戸時代末期に現れた、不世出の天才棋士・天野宗歩を指すことが多い。
目次
しくみ
1962年の創設当初から1994年度までは、タイトル戦の中では唯一、1年に2期行われていた(五番勝負は6~7月と12月~2月)。現行の年1期制となったのは1995年度である(ちょうど羽生善治が七冠独占を果たした年度に当たる)。
第81期より挑戦者決定のシステムが変更され、一次予選・二次予選・挑戦者決定トーナメントの3段階で挑戦者を決定する。
一次予選
シード者以外の順位戦C級1組以下の棋士と、女流棋士2人によりトーナメント形式で行われる。8人が二次予選に進む。なお、シード者以外の順位戦C級1組以下の棋士であっても、前期の戦績によっては二次予選からの出場となる場合がある。
第81期より持ち時間が3時間から1時間(チェスクロック使用)に短縮され、1日に2局指す場合もある(7つのタイトル戦の中で、2010年現在唯一。テレビ棋戦以外の一般棋戦では朝日杯将棋オープン戦、女流タイトル戦では女流王将戦がある)。
二次予選
一次予選の勝ち抜き者8人と、シード者以外の棋士によりトーナメント形式で行われる。棋聖戦五番勝負出場経験者、前期決勝トーナメント進出者は、C級1組以下であっても二次予選からの出場となる。81期よりシード人数が変動することになり、勝ち抜け枠は毎年変動するようになった。
持ち時間は各3時間。
挑戦者決定トーナメント
二次予選の勝ち抜き者とシード者の計16人が参加する。持ち時間は各4時間。トーナメントの勝者が棋聖と五番勝負を戦う。
前期挑戦者決定トーナメントベスト4以上(前期棋聖が敗れた場合を含む)、タイトル保持者、永世棋聖資格者はシードされる。
棋聖戦五番勝負
棋聖と挑戦者が五番勝負を戦う。他のタイトル戦と同様、五番勝負は、全国各地の旅館・ホテルや料亭などで実施される。
持ち時間は各4時間で、1日制である。
過去の予選形式
- 年2期制時代は一次予選の通過枠が4人。二次予選勝ち上がり8人とシード8人の計16人で挑戦者決定トーナメントを行う、という形式だった。
- 年1期制となった第66期から第71期までは「三次予選」が行われ、二次予選勝ち上がり8人とシード8人を4人ずつ4組に分けてリーグ戦を行い、各組上位2人が挑戦者決定トーナメントに進む形式をとっていた。
- 第72期から第80期までは三次予選が「最終予選」と改められた。参加する16人の棋士が4人ずつ4組に分かれて対戦する。各組で1回戦2対局を行い、2回戦は1回戦の勝者同士、敗者同士が対戦する。2連勝したものは挑戦者決定トーナメントに進み、2連敗したものはこの時点で敗退となる。1勝1敗の各組2人、合計8人が再度抽選を行って3回戦4対局を行い、その勝者も挑戦者決定トーナメントに進むという形式をとっていた。(→ダブルイリミネーション方式)
永世棋聖
永世称号である永世棋聖は、棋聖位を通算5期以上保持した棋士に与えられる。2013年7月現在、永世棋聖は大山康晴・中原誠・米長邦雄、永世棋聖の資格を持つ棋士は羽生善治・佐藤康光。
エピソード
- 創設当時のタイトル戦は名人戦・十段戦・王将戦・王位戦とすべて2日~3日制のものであったが、初めての1日制のタイトル戦となった。体調にすぐれなかった升田幸三のために、1日制のタイトルとしてつくられた棋戦といわれた[1]。しかし、升田は2回挑戦するも、ついに一度も獲得することはなかった。一方、大山康晴は創設当初から連覇を重ね(7連覇 = 最多連覇記録)、早々に永世棋聖の資格を獲得した。
- 第18期(1971年)で中原誠は大山康晴を相手に防衛に成功。これで通算5期獲得となり、史上最年少の永世称号獲得者となる。
- 第45期(1984年)の五番勝負は、勝てば通算5期で永世棋聖の資格獲得となる米長邦雄に対して、タイトル戦初登場となる中村修が挑んだが、フルセットの末に米長が防衛。永世棋聖の資格を獲得した。なお、この五番勝負はすべての対局で後手番が勝利するという珍しい結果に終わっている(すべてのタイトル戦を見ても、後手番全勝での決着は現時点ではこの五番勝負と第35期棋王戦五番勝負のみ)。
- 第46期(1985年)の五番勝負第2局はアメリカ・ロサンゼルスで行われた。1975年の第1期棋王戦以来、将棋界2度目の日本国外での対局となる。
- 第55期(1989年)に挑戦した屋敷伸之は当時17歳で全タイトル戦の最年少挑戦記録を樹立。翌56期で18歳でタイトル奪取とこれも全タイトル戦最年少記録。この記録は2012年現在破られていない。
- 2009年7月から10月の間に、日本将棋連盟の公式サイトで7つのタイトル戦名の並び順が変更され、棋聖戦は3番目(二大タイトルのすぐ後ろ)から6番目に下がった[2]。さらに2010年9月から10月の間には7番目(一番下)に下がった[3]。テンプレート:要出典範囲各棋士の紹介ページ(棋聖と他のタイトルの両方の経験者)も同様に変更された。これは時期的には、第80期の五番勝負が終了し、第81期(新システムに移行したばかり)が先行して始まっていた頃に当たる。
- 第84期(2013年)は棋聖・王位・王座の羽生善治に、竜王・棋王・王将の渡辺明が挑戦した。将棋のタイトル戦史上、三冠を保持する者同士が対戦するのは初のケースであった[4](結果は3勝1敗で羽生が防衛)。なお同年11月28日に第63期(2014年)王将戦の挑戦権を羽生が獲得し、竜王戦の最中だった渡辺が防衛すれば棋聖戦に続く三冠対決が実現していたが、翌日渡辺が竜王を失冠したため幻となった。
- 第85期(2014年)は、高級洋菓子店のブールミッシュが協賛に入ったため、全局で同社の菓子類が対局者に提供されるほか[5]、将棋ファン向けに棋聖戦限定のパッケージも発売された[6]。
歴代五番勝負
○●は棋聖から見た勝敗、千は千日手、持は持将棋。網掛けの対局者が勝者。
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記録
関連項目
出典
- ↑ 米長邦雄「将棋の天才たち」講談社、2013年、P172
- ↑ 棋戦情報:日本将棋連盟(2009年7月25日のアーカイブ)および棋戦情報:日本将棋連盟(2009年10月25日のアーカイブ)を参照。
- ↑ 棋戦情報:日本将棋連盟(2010年9月19日のアーカイブ)および棋戦情報:日本将棋連盟(2010年10月20日のアーカイブ)を参照。
- ↑ 渡辺明王将 羽生善治3冠と史上初の3冠対決 スポーツニッポン 2013年5月8日
- ↑ 前夜祭(5) - 棋聖戦中継Plus・2014年6月1日
- ↑ 将棋と洋菓子――インタビュー - 棋聖戦中継Plus・2014年6月21日