平川健太郎
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テンプレート:基礎情報 アナウンサー 平川 健太郎(ひらかわ けんたろう、1969年12月21日 - )は、日本テレビアナウンサー。
略歴
現在の担当番組
過去の担当番組
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- 北京オリンピック女子レスリング 実況
- news every.サタデー(菅谷大介アナの出張に伴う代理)
エピソード
- 元来のプロレスファンで、全日本プロレス中継の実況を希望し日テレに入社。現在、日テレプロレス班チーフを務める。
- プロ野球中継でも活躍しており、日本シリーズでは2008年の第7戦(読売ジャイアンツ対埼玉西武ライオンズ[1])と2009年の第5戦[2]と2012年の第1戦[3](ともに読売ジャイアンツ対北海道日本ハムファイターズ)、2013年の第3戦(読売ジャイアンツ対東北楽天ゴールデンイーグルス)[4]、オールスターゲームは2009年の第1戦を担当した。また、2009年の読売ジャイアンツのセ・リーグ優勝決定戦(9月23日、対中日ドラゴンズ戦)も実況した[5]。2011年3月25日の対横浜戦で入社以来初めてとなる巨人のシーズン開幕戦(開催が東京ドームの場合のみ)実況を担当する予定だったが、同11日に発生した東北地方太平洋沖地震による計画停電により、ナイターが自粛となったため行なわれなかった。その後、開幕戦が同年4月12日の対ヤクルト戦(ユーピーアールスタジアム宇部[6])に延期となったが、その試合の中継で実況を担当した[7]。2012年3月30日の巨人対ヤクルト戦で東京ドームでの巨人のシーズン開幕戦の実況を担当[8]。前年は震災の影響で実現できなかったため、自身にとって初の本拠地での巨人開幕戦実況だった。
- 2000年の日本シリーズで巨人がダイエーを破り日本一を決めた後のビールかけではレポーターを担当。そこで後藤孝志に「俺と同級生なんだよね」と問われた際に「(自分も)昭和44年生まれです…」と恥ずかしそうに返していた。ちなみに後藤の話によるとこのときに着用したスーツは1式6万円もしたという。
- また箱根駅伝中継でも第80回大会と第85回大会から第89回大会まで5年連続(通算6回)で往路ゴール、復路スタートおよびゴールの実況を担当。第85回大会と第86回大会では東洋大学の柏原竜二(現・富士通)を『山の神童(第86回大会では『山の竜神』)』とコメント。第87回大会の復路ゴールでは、早稲田大学の18年ぶりの総合優勝の瞬間を実況した。第90回大会からはその役割を後輩の蛯原哲に譲り、自身は事前番組の進行役(往路、復路ともに水卜麻美アナと)及び往路優勝校のインタビュー[9]を担当するようになった。
- 同期入社アナウンサーは、野口敦史(現・報道局外報部)、大神いずみ(現・フリー。元巨人・元木大介夫人)、松本志のぶ(現・フリー。作曲家・岩代太郎夫人)。
平川とプロレス
上記の通り、大変なプロレスファンで、プロレスの実況をやりたいがために日テレに入社している。学生時代にレスリングを経験しているが、それもプロレス熱が高じてのことで、同僚にジャーマン・スープレックスを仕掛けたりしていた。その経験もあって、レスリング実況においても、日本テレビでは平川が主力となっている。
入社後は希望通りにプロレス班に配属され、全日本プロレス中継では先輩の金子茂、同期の野口敦史らが異動となってからメインアナウンサーとなり、金子の異動後にチーフに就任した。
プロレスリング・ノア中継開始後も引き続きチーフとなり、後輩アナウンサーで、絶叫を売り物にしていた矢島学[10]とは正反対の、堅実で落ち着いた実況を売り物としている。また、非常に間をとった絶妙な実況は視聴者の受けもよく、解説者である百田光雄や高山善廣の話も生きている。
名言も多く、特に2005年7月18日に行われた、ノア東京ドーム大会・三沢光晴vs川田利明の「最終決戦」の中で発した下記参照の一節は、ファンの心に残っている。また、終盤のエルボー乱打の際には一切言葉を発さず、一区切りした瞬間に口を開くという緩急も見せつけた。
もちろん厚いマットを敷いた上での話だが、三沢のエメラルド・フロウジョンを受けたことがある。
名言
- タッグパートナーのデストロイヤーが今、馬場とガッチリと握手を交わしました。(1999年5月2日、東京ドーム大会・ジャイアント馬場引退記念・追悼試合。テンカウントが終わり、リング上に置かれた馬場のリングシューズにデストロイヤーが手をかけた瞬間)
- 存在そのものがプロレス、闘いそのものが王道でした。プロ野球・巨人軍のエースを夢見たかつての少年が、レスラーとして選んだ最後のリングは東京ドームでした。(同上)
- 雨の東京北の丸、日本武道館は涙に濡れました。武道館が泣いている!395日ぶり、小橋建太が帰ってきました!!(2002年2月17日、日本武道館大会・小橋建太復帰戦入場シーン)
- 職業欄に「プロレスラー」と書きたいから、高山は今日このリング、そして小橋建太を選びました!!(2004年4月25日、日本武道館大会・小橋建太vs高山善廣。高山がPRIDEのオファーを蹴ってまでノアを選んだことに触れて)
- やめろ、やめろー!(2004年7月10日、東京ドーム大会・小橋建太vs秋山準。秋山がコーナーポスト上の小橋に対しエクスプロイダーの体勢に入った瞬間)
- 見ているのが辛い。ここまでやらなくてはならないのか。ここまでしなければ、小橋と秋山は語れないのか!(同上)
- 意識があればそれは奇跡的なことです。そして、このまま試合が続けられれば、それは人類として考えられないことです!!(同上)
- 巨人戦でも、ここまで東京ドームは揺れません!!(同上)
- 馬場さんのプロレスを守るためにノアを立ち上げた三沢、そして馬場さんの築いた城を守るために全日本に残った川田。どちらが偉いとか、尊いとか、かっこいいとか、そんなことは問題ではありません。これは、二人の男の生き様です!(2005年7月18日、東京ドーム大会・三沢vs川田)
- 吉田沙保里の顔になっています。大丈夫です!(2008年8月16日、北京オリンピック女子レスリングフリースタイル55kg級決勝)
- 負ける怖さを知った上での、世界の頂点です!(同上)
- 三沢光晴はプロレスの宝、そして俺たちの誇りです!(2009年6月22日、後楽園ホール大会終了時)
脚注
- ↑ 坂本勇人のシリーズ初本塁打などで巨人が2-0とリードするも、先発・内海哲也をリリーフした越智大祐が西武打線につかまり2-3の逆転負けで日本一を逃す。
- ↑ 1-2と巨人がリードされて迎えた9回裏に日本ハムの守護神、武田久から亀井義行と阿部慎之助の本塁打で逆転サヨナラ勝ち。この勝利で巨人が日本一に王手をかけた。
- ↑ 巨人先発の内海が7回2安打無失点の好投と、打線もジョン・ボウカーのシリーズ初本塁打などで8-1で勝利した。
- ↑ 巨人・杉内俊哉、楽天・美馬学の先発で始まった試合は3回表に楽天が藤田一也と銀次の連続タイムリー二塁打で4点を先制。美馬は巨人を6回途中まで阿部慎之助の内野安打1本で無失点に抑える好投を見せ、チームも7回の矢野謙次のソロ本塁打(矢野自身はシリーズ初本塁打)のみに抑え、5-1で快勝し、対戦成績を2勝1敗と勝ち越した。
- ↑ 日テレG+およびBS日テレでの前半部分の実況は河村亮が担当(14:00-14:53(日テレG+は13:30-))。
- ↑ 地方開催であるが、巨人の主管試合。
- ↑ 中継の解説は江川卓と中畑清。また、中継のイメージ・キャラクターでもある亀梨和也がゲスト出演。試合は開幕投手の東野峻が6回までノーヒット(最終的には7回途中4安打2失点で降板)の好投、打線も坂本の2本のタイムリーと長野久義のシーズン初本塁打で9-2と快勝した。
- ↑ 試合は開幕投手の内海がヤクルト打線に打ち込まれ6回3失点で降板。打線もヤクルトの開幕投手、石川雅規に9回1死までノーヒットに抑えられたが、坂本とボウカーの連続ヒットで阻止したものの、0-4で敗戦した。このときの解説は山本浩二と吉村禎章。
- ↑ 総合優勝校のインタビューは徳島えりかが担当。
- ↑ 2013年8月をもって、プロレス班を卒業した。
関連項目
外部リンク
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