浦和区
テンプレート:日本の行政区 浦和区(うらわく)は、埼玉県さいたま市を構成する10区の1つである。さいたま市の中央よりやや南、旧浦和市の中心部・北部にあたり、浦和駅周辺は、埼玉県及びさいたま市の行政・経済の中枢となっている。年収1000万円以上の世帯割合が2割以上と、首都圏でも最高水準となっている。また、中心街を取り囲むエリアは首都圏屈指の高級住宅街としても知られる。
目次
沿革
江戸時代には中山道の宿場町・浦和宿がおかれており、近代に入ると埼玉県の県庁所在地となった。1923年(大正12年)に関東大震災が発生すると、直前にすでに耕地整理事業が行われ市街中心部の整備が行われていた当地区では比較的震災の被害が少なかったことや首都東京近傍でかつ大宮台地(北足立台地)上にあるという立地条件もあって東京都などから人口が流入し、後の発展の礎となった。また当時「鎌倉文士に浦和画家」と言われたように数多くの文化人が移り住んだことでも有名であり、国内屈指の公立進学校である埼玉県立浦和高等学校などの教育機関が集積していたこともあって浦和は「文教都市」のイメージを持たれるようになる(これは今でも特に旧浦和市内における不動産広告などにおいてよく見られる)。
2001年(平成13年)に3つの市の合併によりさいたま市が発足、2003年(平成15年)には政令指定都市への移行に伴い市を構成する9区(現在は岩槻区を加え10区)のうちの1つとして浦和区が発足し、現在に至る。浦和区は市役所や県庁の置かれる行政の中枢であり、近年では浦和駅周辺地区を中心に超高層マンションや商業施設などの再開発や道路整備が相次ぎ中心部の街並みが大きく変わりつつある。2007年(平成19年)には浦和駅東口にパルコが開店した。また浦和駅西口南地区では27階建ての再開発も計画されており2018年(平成30年)に完成予定である。高級住宅地や文教都市としての浦和のイメージを崩さないために、県庁所在地であるが、駅周辺に風俗店はなく、大型娯楽施設や、家電量販店は少ない。そのため治安が良く、駅前であっても落ち着いた雰囲気を維持している。
富裕層の多い浦和地区の購買力は高く、商都の大宮地区をはるかに凌ぐ勢いをみせている。売上高をみても、西口の伊勢丹は本店に次ぐ二位、東口のパルコは東京を除く東日本で一位(全国では五位)の売上を誇っている。今後も売上高100億円を想定する駅ビルの浦和アトレ、駅西口南地区の低層階の商業施設などの建設が予定されており、さらなる集客が見込まれている。
浦和区の世帯平均年収は2014年時点で693万円となっており、首都圏では港区(759万円)や中央区(705万円)に次ぐ最高水準となっている。また、市内の公示地価の上位1位から4位までが浦和区である。
区の色は浦和をホームタウンとするJリーグのクラブ・浦和レッドダイヤモンズのチームカラーに因んだ[1]赤。
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2007年、浦和レッズがAFCチャンピオンズリーグで優勝した際に真っ赤なイルミネーションで飾られた浦和駅西口。
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同じく東口。
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浦和駅と官庁街とを結ぶ県庁通り(2013年3月)。
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旧中山道沿いの街並み(2013年3月)。
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仲町平和通り(2013年3月)。
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裏門通り(2013年3月)。
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調神社(2005年5月20日)。
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玉蔵院(2008年10月)。
歴史
- 1889年(明治22年) - 町村制施行、浦和町発足。
- 1934年(昭和9年) - 旧浦和市が市制施行。
- 2001年(平成13年) - 浦和市・大宮市・与野市の3市が合併し、さいたま市発足。
- 2003年(平成15年) - 政令指定都市移行に伴い、浦和区発足。
詳細は浦和市を参照
地域
以下は区内の住所である。
北浦和、高砂、常盤、針ヶ谷、前地、本太は区画整理前にはすべて「町」がついた。
旧町名
中山道浦和宿時代には北から「上町」、「仲町」、「下町」といった。 明治に入ってから岸村も合併により浦和宿となり、上町、仲町、下町、岸村はそれぞれ「常盤区」、「仲区」、「高砂区」、「岸区」と改称された。地区内部にはこのような町名が存在した。
テンプレート:Col-begin テンプレート:Col-break 常盤区(→常盤町→現常盤1~10丁目)
- 本石町
- 林町
- 矢頭町
- 桜町
- 清ヶ谷町
本石町は丁目で細分化された。
仲区(→現仲町1~4丁目、東仲町)
- 仲町
- 春日町
- 初音町
- 有楽町
- 弥生町
- 久保町
- 永住町
- 見晴町
仲町は丁目で細分化された。 テンプレート:Col-break 高砂区(→高砂町→現高砂1~4丁目、東高砂町)
- 日出町
- 本町
- 行幸町
- 鹿島町
- 富士見町
日出町、本町、鹿島町は丁目で細分化された。
岸区(→現岸町1~7丁目、東岸町) テンプレート:Col-end
これらの町名は昭和初期の地図には確認できるが現在ではほとんど使われることはない。 NTTの電信柱に設置された管理プレートには「林町」、「弥生」、「本町」、「旭町」といった表示があり、電線の名称としては現在も残っているようである。また「日の出通り」という道路名としても旧町名が確認できる。 同様に現存しないが、稲荷丸や鯛ヶ窪といった小字も存在した。仲町や高砂の西部の住宅街は通称鹿島台と呼ばれた。
住宅団地
- UR北浦和団地 (北浦和 市街地住宅, 1959年11月 現存 譲渡返還 旧日本住宅公団関東支所
- UR領家立野団地 (領家, 1958年12月 現存 全面建て替え 旧日本住宅公団関東支所
- UR浦和仲町団地 (仲町 市街地住宅, 1961年8月 現存 譲渡返還 旧日本住宅公団関東支所
- UR浦和領家団地 (領家 市街地住宅, 1962年10月 現存 譲渡返還 旧日本住宅公団関東支所
- 浦和高層住宅 (針ヶ谷)
- 浦和常盤住宅 (常盤)
- 浦和瀬ヶ崎住宅 (瀬ヶ崎)
- 浦和北浦和住宅 (北浦和)
- 浦和領家立野住宅 (領家)
主要施設
- 埼玉県国際交流協会
- 埼玉りそな銀行本部、さいたま営業部(旧埼玉銀行本店)
- NHKさいたま放送局
- テレビ埼玉
- エフエム浦和(レッズウェーブ)
- 埼玉会館
- さいたま市民会館うらわ(旧浦和市民会館)
- 浦和岸町コミュニティセンター
- 浦和ふれあい館
- 浦和おもちゃの病院
- うらわ美術館
- 埼玉県立近代美術館
- 伊勢丹浦和店
- コルソ
- 浦和PARCO
- 須原屋書店(本店・コルソ店)
- レッドボルテージ(浦和レッズのオフィシャルショップ)
- ホテルメッツ浦和
- 浦和ロイヤルパインズホテル
- 浦和ワシントンホテル
- 調神社
- 埼玉県立浦和図書館
- さいたま市立中央図書館 / 北浦和図書館
- 埼玉県立文書館
- さいたま市青少年宇宙科学館
体育施設
公園
- 埼玉県立北浦和公園
- さいたま市立浦和北公園
- 常盤公園
- 駒場運動公園
行政・司法等
- ハローワーク浦和(浦和公共職業安定所)
- 浦和税務署
日本年金機構
- 北関東・信越ブロック本部
- 浦和年金事務所
学校
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- ウィッツ青山学園高等学校埼玉LETSキャンパス
- 小松原女子高等学校(2015年3月浦和麗明高等学校に校名変更予定)
- 浦和ルーテル学院高等学校
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- さいたま市立高砂小学校
- さいたま市立常盤小学校
- さいたま市立常盤北小学校
- さいたま市立木崎小学校
- さいたま市立仲本小学校
- さいたま市立本太小学校
- さいたま市立仲町小学校
- さいたま市立上木崎小学校
- さいたま市立岸町小学校
- さいたま市立針ヶ谷小学校
- さいたま市立大東小学校
- さいたま市立北浦和小学校
交通
鉄道
バス
- 東急系の中仙道乗合自動車が中山道を中心に運行。一方、京王電軌系の鳩ヶ谷自動車が鳩ヶ谷~浦和~志木間を中心に運行していたが、1944年に京王電軌から東急系になった東都乗合自動車が統合。
- 1946年東都乗合自動車は国際興業に買収され、1951年に国際興業に吸収合併。区内の大部分を運行する。
- 大宮からの乗り入れ路線。東武鉄道から承継。
道路
- 国道17号
- 国道463号
- 埼玉県道35号川口上尾線(産業道路)
- 埼玉県道40号さいたま東村山線(県庁通り)
- 埼玉県道57号さいたま鴻巣線(新六間道路)
- 埼玉県道65号さいたま幸手線(旧中山道・浦高通り)
- 埼玉県道164号鴻巣桶川さいたま線(旧中山道)
名物
鰻の蒲焼が古くから名物で老舗が多い。旧浦和市はウナギ消費量が日本一といわれていた。そして鰻の蒲焼の発祥の地。
出身者
脚注
外部リンク