山陽放送
テンプレート:Infobox テンプレート:日本のラテ兼営局 山陽放送株式会社(さんようほうそう、Sanyo Broadcasting Co., Ltd.)は、岡山県を放送対象地域として中波放送(AM放送)を、岡山県と香川県を放送対象地域としてテレビジョン放送をする特定地上基幹放送事業者である。 略称はRSK(Radio Sanyo K.K.、旧愛称「ラジオ山陽」(1953年-1961年の間使用)[1]に由来する。) 本社は岡山県岡山市。
テレビは、準広域放送と呼ばれることもあるが、総務省令放送法施行規則別表第5号(注)11にあるとおり、法令上は県域放送である。 また、地上波Gガイドの岡山・香川地区のホスト局である。
ラジオ'については山陽放送ラジオ、テレビについては山陽放送テレビをそれぞれ参照。
目次
会社概要
筆頭株主は岡山県で、山陽新聞社・クラレ・岡山市・天満屋・倉敷紡績などが主要株主。系列新聞は山陽新聞[2]。ニュース名称はテレビが「山陽TVニュース」、ラジオが「山陽新聞ニュース」。新聞のラテ欄の局名クレジットはこれまで「山陽テレビ」と記載されていたが、2012年9月12日に改称され、同日より「RSKテレビ」と記載されている。
TBS系列(JNN)の系列局の中では、東北放送(TBC)、静岡放送(SBS)、中国放送(RCC)とならびJNN基幹局(五社連盟)に次ぐ有力な局(準基幹局)とされている。かつては、本放送局からJNNカイロ支局(現在は閉鎖)へ記者が派遣されていた[3]。
長期取材による調査報道やドキュメンタリー制作では、香川県豊島の産廃不法投棄事件をスクープした実績を持つ。また毎年6月に全国放送のネット番組を放送している。
創立50周年を迎えた2003年から、毎年10月-翌年3月の間、テロや災害で苦しむ世界のこどもたちを救済するとともに、学校や職場、家庭や地域で、「命の尊さ」「平和」について考えるテレビ・ラジオ統一キャンペーン「救え!戦場のこどもたち」を実施している。2006年度からは、これまでの国際貢献に加えて、こどもたちを地域の人たちで守るためのシステム作り、安全・安心のまち作りを呼びかける内容にし、キャンペーンタイトルも「Peace For The Children 〜地域、そして戦場の〜」に変更した。
讃岐うどんブーム火付け役の一人「I原D(=ディレクター)」は、香川県出身の山陽放送社員。自社制作番組「VOICE21」で讃岐うどんを幾度となく紹介し、ブームを盛り上げた。自らも番組によく出演している。
キャッチフレーズとキャラクター
イメージキャラクターは、1998年6月から「RSK」の各文字をキャラクター化した3匹の妖精「プルルン」が使用されていたが、2006年4月をもって使用を取り止め、2006年6月から新キャラクター「アレすけ」(名前の「アレすけ」はRSKをもじった名前)と「ろくたん」(2006年12月までは名前が明かされていなかった。テレビ型のサブキャラクターで耳が山陽放送の地上デジタル放送のリモコンキーIDである「6」の形になっている。名前の方もここから命名)が登場した。また、同局のメールマガジンのキャラクターに「アットちゃん」がいる。 またラジオでは2008年10月から「ラジオ戦隊キクンジャー」なるキャラクターが登場。五人組で全員アナウンサーが声を担当している。
2008年がRSKのラジオ開局55周年とテレビ開局50周年にあたるため、「(岡山・香川の)地元のテレビ、地元のラジオ」を意味する記念キャッチフレーズ「ジモTV、ジモRa。RSK」(ジモティービー、ジモラ。アールエスケイ:コピーライター/松本考史)を、テレビの開局記念日である2008年6月から11月頃まで使用した。
2011年10月1日からは2013年3月31日までは「もっと、ずっとRSK」が使用され、2013年4月1日からは、「ありがとう60年 もっと、ずっとRSK」のキャッチフレーズ(RSK創立60周年記念キャッチフレーズ)が使用されている。
かつては岡山市の旭川沿い、山陽新幹線の鉄橋近くにある、関連会社「山陽映画」のビルの屋上に、「Refined Program・Speedy News・Key of Okayama」と、「RSK」の頭文字が記された同社の広告が設置されていた。
本社・支社所在地
- 本社
- RSKメディアコム
- 岡山県岡山市中区浜三丁目7番15号
- ※同施設の1 - 3階に岡山市中区役所が置かれている。
- 四国支社
- 倉敷支社
- 岡山県倉敷市白楽町538番地の2 RSKくらしきビル1階
- 津山支社
- 岡山県津山市大手町6番3号
- 東京支社
- 大阪支社
- 広島支社
- RSK MEDIA-COM.JPG
RSKメディアコム
- Tohmay Building.jpg
四国支社
- RSK Olive Studio, Takamatsu.jpg
RSKおりーぶスタジオ
四国支社
香川県における活動拠点として高松市中心部の中央通り沿いに四国支社を設けている。 東明ビルの1階と2階に入居していて、1階には中央通りに面したオープンスタジオ「RSKおりーぶスタジオ」があり、『イブニングDonDonさぬき(月曜→月曜・火曜→火曜→水曜→金曜→水曜)』、現在は『RSKイブニング5時(水曜)』の生放送などが行われている。
四国支社は1964年6月1日高松支局として開設、その後高松支社を経て四国支社となる。2007年5月28日にはそれまで入居していた高松市番町一丁目にある日本生命高松ビルの建て替えにより古新町の東明ビルへ移転し、オープンスタジオが設置された[5]。
この移転によりスタジオも16:9HD対応となったが、本社までの伝送回線がハイビジョンに対応していなかったため[6]四国支社制作の番組は2008年10月まで16:9SDによる放送であった。また移転作業のため、2006年度より毎週1回高松から放送されていたイブニングDonDonさぬきは移転前1ヶ月間、スタジオではなく琴平町やゆめタウン高松などからの公開生放送を実施した。
カイロ支局
後述にもあるとおり、エジプト・カイロに支局を設けており、エジプトを中心に周辺の中近東諸国も取材対象である。当初はレバノンのベイルートに設けていたが情勢悪化で閉鎖、カイロに移した。
自局のニュース、特に『RSKイブニングニュース』で中近東からのリポートが放送されることがある。『RSKイブニング5時』のニュースコーナーで昼前の『JNNニュース』で放送された映像を使う際に必ず「カイロからRSK、○○記者の報告です」と付け加えている。
現在の代表取締役社長である原憲一は湾岸戦争当時のカイロ支局長だった。
JNN海外支局再編の為、2012年3月をもって閉鎖された。
歴史
- 1953年
- 1954年9月1日 - 浜野ラジオ送信所が、ラジオ送信所としては全国初の完全無人化[9]。本社からの遠隔操作に。
- 1955年10月1日 - 津山ラジオ放送局(コールサインJOYO、周波数800kc)開局。
- 1957年8月12日 - 新見ラジオ放送局(コールサインJOYE、周波数1060kc)開局。
- 1958年6月1日 - アナログテレビジョン放送の本放送開始(全国7番目。東京・大阪などの大都市圏以外では初の民放テレビジョン放送)。
- 1959年
- 8月1日 - この日発足したJNNに加盟、正式にKRT(現在のTBS)系列となる。
- 10月1日 - 岡山ラジオ放送局の増力(出力1kW→3kW)と周波数の変更(1280kc→1260kc)が行われる。
- 10月29日 - この日をもって、NTV制作のネット番組が全て終了する。
- 前年8月中旬にNTVからネット番組の終了通告が行われて、順次番組が終了していた。
ただし、香川県へのエリア拡大まで、広島テレビ(HTV)制作のブロックネット番組については一部放送された。
- 前年8月中旬にNTVからネット番組の終了通告が行われて、順次番組が終了していた。
- 1960年4月5日 - 岡山ラジオ放送局の周波数が1260kc→1420kcに再度変更。
- 1961年
- 1962年
- 1963年12月4日 - 津山ラジオ放送局の周波数が800kc→1060kcに変更。岡山県北部のラジオ放送局の周波数が統一。
- 1964年6月1日 - 香川県での活動拠点として高松市に高松支局(その後高松支社→現在の四国支社)を開設。
- 1965年
- 1966年4月1日 - 電電公社の高規格マイクロ回線(カラー回線)運用開始に合わせて、テレビジョンカラー放送開始。
- 1968年
- 4月1日 - ラジオの岡山局・笠岡局、周波数を1420kc→1490kcに変更。
- 9月30日 - ローカルニュースのカラー放送開始。
- 1970年3月1日 - 岡山ラジオ放送局を都窪郡吉備町撫川(現在の岡山市北区撫川)の吉備ラジオ送信所(現在地)に移転。この日から新しい送信所からの放送を開始。
- 1973年
- 1974年5月18日 - RSKバラ園が開園(子会社のアールエスケイランドが経営)
- 1976年11月1日 - レバノン内戦の激化でベイルート支局を閉鎖して、エジプトのカイロへ支局を開設。
- 1977年1月31日 - ラジオ24時間放送開始。
- 1978年11月23日 - ラジオの岡山局・笠岡局・備前局の周波数を1490kHz→1494kHzに、津山局・新見局の周波数を1060kHz→1062kHzにそれぞれ変更。
- 1979年4月1日 - 岡山県と香川県のテレビジョン放送の相互乗り入れ(岡山・香川両県の民放相互乗り入れ放送)開始。
- 1980年7月7日 - この日開局した真庭ラジオ放送局(現在の落合ラジオ放送局)と既存の津山局・新見局の周波数を1494kHzに統一。これによってラジオ全局同一周波数で放送開始(全国初)。
- 1982年10月1日 - 高梁ラジオ放送局(周波数1494kHz)開局。
- 1983年
- 1985年3月27日 - 高松テレビ中継局開局。香川県に設置した最初のテレビ中継局。
- 1987年10月1日 - 岡山ラジオ放送局の出力を5kW→10kWに増力。
- 1992年10月5日 - ラジオ岡山局・高梁局でAMステレオ放送スタート(全国で11局目)。
- 1997年
- 2001年4月9日 - アナログ・データ多重放送(ビットキャスト方式)「RSKデータパレード」サービス開始。
- アナログ・データ多重放送は中四国以西の放送局では初。
- 2002年3月31日 - 1973年から続いた日曜夜の長寿洋楽番組「サンデーベスト」がこの日の放送をもって終了。
- 2004年4月 - RSK放送ライブラリーセンターをRSKメディアコム3階に設置。
- 2005年
- 3月28日 - 長年にわたり放送してきた山陽TVイブニングニュースをRSKイブニングニュースに改題[14]。
- 11月15日 - 総務省より、地上デジタル放送の予備免許が交付される。
- 12月31日 -「RSKデータパレード」サービス終了。
- 2006年
- 2007年
- 2008年6月2日 - 岡山・香川地区のテレビ局で初の、地上デジタル放送のワンセグ独立放送[18]を実施。
- 2009年
- 2011年
- 3月21日 - 高梁ラジオ放送局でのAMステレオ放送を終了。
- 3月28日 - 岡山ラジオ放送局でのAMステレオ放送を終了。これによりラジオのAMステレオ放送を全て終了。
- 7月24日 - 正午をもってアナログテレビジョン放送を終了ののちに停波する。
- 2012年
- 3月 - JNNの海外支局再編に伴い、カイロ支局を閉鎖。
- 9月12日 - テレビ放送における新聞・テレビ情報誌の表記が「山陽放送テレビ」から「RSKテレビ」に変更される。
- 2013年
- 6月1日 - テレビ放送開始55周年。
- 10月1日 - 開局60周年。
社史・記念誌関連
- 1956年 『伸びゆくRSK』を発行(山陽放送株式会社・編、20ページ)。
- 1963年10月1日 『RSK十年小史』を発行(山陽放送株式会社・編、60ページ)。
- 1978年4月 『山陽放送二十五年史』を発行(山陽放送株式会社・編、484ページ)。
- 1993年4月 『山陽放送40年の歩み』を発行(134ページ)。
- 2003年4月 『山陽放送の50年 1953-2003』を発行(山陽放送50年史編集委員会・編集、185ページ)。
山陽放送の全国初
山陽放送は、地方局ながら開局当初から主に技術面で全国初が多いのが特徴となっている。
- ラジオ送信所の完全無人化とラジオマスター(本社)からの遠隔操作化(1954年9月1日)
- 現在では当たり前となっている、現用と予備[20]の2台の送信機を設置することと、緊急時に本社から予備機に即座に切り替える遠隔操作を行うことで送信所の無人化を実現した。
- 民間放送局初の社宅。(1955年7月30日落成)
- FM放送の開設免許申請(1956年4月1日、民間放送では初の申請)[21]
- 放送波中継(再送信)方式による番組のネット(1958年のテレビ開局当初、OTV(現在の朝日放送)との間)
- ラジオの親局との精密同一周波数放送(1961年7月1日開局の笠岡局(開局当初は実用化試験局))
- ラジオの全局同一周波数放送(1980年7月7日。1982年12月6日には全局完全同期放送に)
- 親局との精密同一周波数によるAMステレオ放送(1992年10月5日高梁局。世界初)
ラジオ
テレビ
アナウンサー・パーソナリティ
- 山陽放送のアナウンサーは岡山・香川地区の放送局で最も人数が多いのが特徴である。また、局アナとしての在籍年数も長いのも特徴(特に男性アナ)である。
- 最近は、定年を迎えた元アナウンサー(男性の場合)や、関連会社の山陽放送サービスが主催する「RSKアナウンス塾」(現在は中止)出身者(女性の場合)が番組のパーソナリティとして活躍している。
- 前述の通り、山陽放送の局アナの在籍年数は長いが、中堅クラスのアナウンサーが退職してフリーアナウンサー等に転向する人は比較的多い(鍋島昭茂、篠田和之、早田和泰など)。
- 春・秋を中心に「RSK夢フェスタ」と題した自社主催イベントでアナウンサーが集合してのイベントが開催されている。
- 他にもほぼ岡山県内で開催される祭り・イベントにも登場している。なお報道部所属のアナウンサーは定時ニュースや取材で参加できなかったり、途中参加・途中退席するので全員集合とまではいかない。2003年春の夢フェスタでは開局時からも含め歴代在籍していたアナウンサーが全員とまでは行かないながらも出演した。現在はラジオのみ会場から生中継されるが、かつてはテレビ・ラジオ同時放送を行なったこともある。
(2012年6月現在、50音順)
アナウンサー
本社
アナウンス部
男性
女性
- 奥富亮子(おくとみ りょうこ)
- 田中愛(たなか あい)
- 守口香織(もりぐち かおり)
- 大寺かおり(おおてら かおり、岡山・香川地区地上デジタル放送推進大使)
報道部
いずれも報道記者兼務
男性
女性
ラジオセンター
四国支社
報道部所属で、報道記者兼務。
- 近藤季樹(こんどう すえき)
その他
本社報道部の川崎祐一記者もスポーツ実況[23]をすることがある[24]。このときは便宜上アナウンサーの肩書きとなる。
過去在籍したアナウンサー
- 新井和子
- 石川治子
- 伊藤奈美(フリーアナウンサー)
- 井上凱文(本名は「凱文」と書いて「いつのり」と読む、RSKパーソナリティを経てフリーアナウンサー)
- 今脇聡子(2005-2009)
- 岩根宏行(RSKパーソナリティを経てフリーアナウンサー)
- 江種久志(現在は業務局メディア開発部所属)
- 榎崎朱子(報道記者を経て、現在は営業局営業部所属、2012年4月から「新感覚お仕事バラエティー よいしょ!」(ラジオ)パーソナリティ)
- 太田雅仁(現在は人事部人事部長)
- 大橋里美(1993-2003)
- 上山美佐子
- 川上由香
- 木島京子(フリーアナウンサー、圭三プロダクション所属)
- 黒川博子
- 坤徳ひとみ(1996-2005)
- 阪上彰子
- 笹岡ありさ(1995-2003、渡邊ありさ名義で2013年10月から「おかやま朝まるステーション昼またぎ」(ラジオ)金曜パートナー)
- 篠田和之(フリーアナウンサー、とちぎテレビ「ニュースワイド21」月-金担当、J SPORTSなどで野球実況を担当。現在はとちぎテレビ・スカパーで栃木SCの実況を担当。退社後も都道府県対抗全日本女子柔道大会の実況で登場することもある)
- 柴床伴子
- 島田博(現在は技術局長代理兼システム管理部長)
- 末田倫子
- 竹中聡美
- 田淵泰子
- 辻文香(2006-2011)
- 銅谷志朗(1968-1971。テレビ朝日に移籍後、現在は東京相撲記者クラブ会友)
- 内藤智美
- 中山美穂
- 鍋島昭茂(1988-、フリーアナウンサー、J SPORTS・GAORAなどでプロ野球実況を担当)
- 沼田靖子(フリーアナウンサー)
- 羽川英樹(1976-1977。よみうりテレビに移籍後、現在はビッグフェイス代表取締役、フリーアナウンサー)
- 畑嶋恵理奈(2005年9月-2008年9月、フリーアナウンサー)
- 花村恭子(1995-?)
- 早田和泰(1988-2006。フリーアナウンサー)
- 坂俊介(現在は営業局営業部所属、2012年4月から「新感覚お仕事バラエティー よいしょ!」「モモっと!DKJKトーク」(ラジオ)パーソナリティ)
- 東川都
- 藤本典子
- 淵本文枝
- 本田祐美
- 竹井由美(MRTでフリーアナウンサー)
- 森くに江
- 森下真由美(1996-2001)
- 森脇瀅司(もりわき えいじ 現在、福山大学人間文化学部人間文化学科メディアコミュニケーションコース非常勤講師)
- 安田敬一郎(1989-1996。WOWOWアナウンサー)
- 安田了三
- 山下真規恵
- 山田和男
- 横須賀伸一
- 横山陽子
- 流王満美子(退社以降はテレビ朝日系「ジャングルブック」海外プロデューサー、MBS「世界ウルルン滞在記」他の海外プロデューサー)
- 石田芳恵(2001-2004フリーアナウンサー、圭三プロダクション所属)
- 荻田幸稔
パーソナリティ
● … 元RSKアナウンサー
- 相田翔吾(あいだ しょうご)
- 遠藤寛子(えんどう ひろこ)● … 2008年4月1日より早朝ラジオ番組に石田アナと月曜日-水曜日担当
- 河原祥子(かわはら しょうこ、元テレビ高知アナウンサー)●
- 伊久彩乃(これひさ あやの)
- 中村恵美(なかむら えみ)●
- 楢崎房江(ならさき ふさえ、元テレビせとうちアナウンサー)
- 難波恵(なんば めぐみ)
- 橋本昌子(はしもと まさこ、元テレビ山口アナウンサー)
- 畠山洋子(はたけやま ようこ)
- 浜家輝雄(はまいえ てるお)●
- 松嶋信之(まつしま のぶゆき)●
- 三宅麻衣子(みやけ まいこ)
- 三宅八重子(みやけ やえこ)●
- 安井優子(やすい ゆうこ)
- 山県章宏(やまがた あきひろ)● … 1972年3月12日の山陽新幹線岡山開業時に一番列車発車のリポートをしたアナウンサー。回顧特番等でたびたび聞くことができる。
関連会社
- 山陽映画[25]
- アール・エス・ケイ・ランド(RSKバラ園およびRSKハウジングプラザを管理)
- 山陽放送サービス
脚注
外部リンク
テンプレート:Sister テンプレート:Navbox テンプレート:Navbox テンプレート:Navbox テンプレート:Tv-chushikoku
テンプレート:Radio-Chugoku- ↑ 会社設立時の設立趣意書の社名はラジオ山陽株式会社だったが、同年2月にNHKがアナログテレビジョン放送を開始したのに伴い、将来のテレビジョン放送をにらんで山陽放送株式会社で会社設立登記を行った逸話がある。
- ↑ 近年はテレビせとうちと大口出資で関係を強化しており、山陽新聞とTSCの本社屋を共有している。なお、岡山県はテレビせとうちの第4位株主でもある。
- ↑ 因みに、現社長の原憲一は、1990年に起きた湾岸戦争勃発時のJNNカイロ支局長で、翌年2月のクウェート開放時には、日本人記者で初めて解放後のクウェートへ入国した。
- ↑ 同ビルにはRSKのほかOHKとKSBの各広島支社も同ビルに所在する。
- ↑ 移転後の東明ビルがある周辺は公示地価として香川県内最高値を示している一帯であり、入居する東明ビルも2006年に調査地点が変更されるまでは調査地点として実際に地価が公表されており、香川県内最高値点としてメディアなどでビル名が採り上げられていた。なお、同ビルは東京海上日動火災保険と明治安田生命保険が共有していることから、両社の頭文字を取っている。
- ↑ 高松にある四国支社で制作された番組を香川県でテレビ視聴していても、映像は一旦岡山にある本社に送られ、その後最寄の送信所や中継局を経由して視聴しているため
- ↑ 現在天満屋バスステーションがある位置。
- ↑ 4階部分は開局時に増築。
- ↑ 当送信所は当初から無人化を前提とした施設となっていた。
- ↑ 当初は本社にテレビマスター・テレビスタジオのスペースがなく、現本社落成まで金甲山送信所内にテレビマスターと仮設スタジオ(送信所内のロビーを使用)を設置した。
- ↑ ラジオ東京テレビ局(KRT)50%、日本テレビ(NTV)20%、大阪テレビ放送(OTV、現在の朝日放送)10%。
- ↑ 4月20日に実施。ラジオはテレビに先駆けて4月1日から現本社からの放送をスタートした。
- ↑ 同時に西日本放送ラジオはJRNに加盟した。
- ↑ なお、このときTBS発の全国ネットニュース番組も「イブニングニュース」に変更されている。
- ↑ この日、岡山にある他のテレビ局3局(NHK岡山放送局、OHK岡山放送、TSCテレビせとうち)も同時に同放送の本免許が交付された。
- ↑ 他のTBS系列各局でも同時にサービス開始。
- ↑ 日本生命高松ビルが建て替えられるために移転を行った。新しい支社1階にあるTVスタジオはスタジオ東側が中央通りに面しており、外からスタジオの様子が見えるオープンスタジオ(一般公募で「RSKおりーぶスタジオ」と命名)となっている。
- ↑ アナログテレビ放送・地上デジタル放送では「オールナイトウェザー」、ワンセグ放送では「こんな遅くまで起きてもワンセグ独立放送を見てくれてありがとうスペシャル「VOICE21」(仮)」を放送。
- ↑ RSKラジオ以外の岡山・香川地区の民放ラジオは2009年4月1日に運用を開始した。因みに、中国地方の民放AMラジオでは最後の運用開始である。
- ↑ 予備機は送信機の予備品を使用して社内で独自に製作
- ↑ FM放送の将来性を見据えての免許申請であった。43年後のこの日にFM岡山が開局しており、RSKは先見の明があったということになる。
- ↑ 岡山市内にはRSKやNHK岡山局がテレビ放送を開始する前から、大型のVHFテレビアンテナでOTVやNHK大阪テレビジョンを受信する世帯があった。
- ↑ 高校ラグビー香川県大会決勝やスカパー!Jリーグ中継(ファジアーノ岡山ホームゲーム)、山陽女子ロードレースなど
- ↑ 川崎記者はアナウンサーではないが、かつて本社ラジオ局制作部(当時)在籍時代は、ラジオ番組のディレクターの傍らラジオニュースの担当をしていた事がある。
- ↑ 山陽放送のテレビ開局にあわせ1957年11月創業(法人としては1958年3月設立)。当初は山陽新聞・岡山県との共同出資による第3セクターだったが、その後山陽放送全額出資子会社となった。