津軽海峡
津軽海峡(つがるかいきょう、テンプレート:Lang-en-short)は、北海道南端(道南)と本州北端(青森県)との間にあって、日本海と太平洋とを結ぶ海峡。東西は約130km、最大水深は約450m。
本来は日本の領海に編入することができるが、中央部は公海(ただし排他的経済水域)のまま残されており、外国船舶の通航に利用される(いわゆる)国際海峡である。
交通
最も幅が狭いのは海峡東側、亀田半島の汐首岬と下北半島の大間崎の間で、約18.7kmある。これに対し西側の松前半島白神岬と津軽半島竜飛崎間は19.5kmとやや長いが、水深が約140mと浅くなっていることもあり、鉄道専用の青函トンネル(海峡線)が1988年(昭和63年)3月13日に開通し運用されている。2005年(平成17年)5月22日には同トンネルを通る北海道新幹線が着工した。
道路トンネルや道路橋はないが、名目上は国道279号、国道280号、国道338号が海峡を横断している。古くから津軽海峡大橋構想が議論されているが、技術的にも資金的にも課題が多く、海底道路トンネルに関しても排気ガスの換気やトンネル内の交通事故や火災防止対策など課題が多いため実現のめどは立っていない。
海上交通は、函館港と青森港の間(青函航路)、及び函館港と大間港の間に航路が開設されており、旅客船・貨客船・貨物船・フェリーなどが運航されてきた。1988年(昭和63年)までは青函連絡船が運航された。2010年(平成22年)現在、函館港と青森港の間に津軽海峡フェリーと青函フェリーの2社が1日あたりフェリーを17~18往復、函館港と大間港の間に津軽海峡フェリーが1日あたり2~3往復運行している。外ヶ浜町と福島町を結ぶ三福航路(「三」は旧三厩村(現・外ヶ浜町)、「福」は福島町)もあったが、1998年(平成10年)以来休航が続いている。
軍事上の要衝でありチョークポイントのひとつに数えられる。領海法に基づく領海の幅が通常の12海里(約22.2km)から3海里(5.556km)にとどめられた特定海域の一つであり、公海部分は核兵器を搭載した外国の軍艦を含め自由に通過することができる[1]。同海峡の防衛は海上自衛隊・大湊地方隊が中心であるが、航空自衛隊とアメリカ空軍の三沢基地が後ろに控えている。沿岸警備は同海峡の中心線を境界に北海道側が海上保安庁・第一管区海上保安本部、東北地方側が同第二管区海上保安本部の管轄となっている。
地形
動植物の分布境界線の一つであるブラキストン線が津軽海峡に設定されている。最終氷期(約7万年~1万年前)の海面低下は最大で約130mであり、最大水深でも70mほどである宗谷海峡は完全に陸続きになった。これに対し、最も浅い所で140mの水深がある津軽海峡は、中央に大河のような水路部が残ったために両岸の生物相が異なる結果となった。津軽海峡中央部の海底には峡谷のような地形が東西に伸びているが、これはこの時期に水路部を流れた潮流が海底を削ったためと考えられている。
また海峡の日本海側は暖流である対馬海流の分岐点であり、津軽海峡内には西から東へ流れる津軽暖流が存在する。この津軽暖流は海峡の太平洋側にて親潮と合流する。
横断泳
津軽海峡横断泳は世界オープンウォーター協会が提唱する世界七大海峡(オーシャンズセブン)横断泳の一つに数えられる。
最初の挑戦者は福島町出身で当時国士舘大学三年生であった中島正一[2]。1966年(昭和41年)夏、途中で船につかまって休憩したが横断に成功した。中島は後に世界の21海峡を泳破して遠泳への認識を世間に広げた。女性初の単独横断者は青森市出身のピアノ教師尾迫千恵子[3]。1994年(平成6年)8月6日、小泊村(現・中泊町)の権現崎から出発し、12時間28分かけて福島町松浦に到着した。1990年7月に米国のDavid Yudovinも米国のSteven Munatonesも単独で横断した。
2008年(平成20年)からは「24時間テレビ」のチャレンジ[4]で、2009年(平成21年)は「24時間テレビ」のチャレンジとは別の2グループも海峡横断にチャレンジした。
2012年7月14日から15日にかけて、アイルランド人のスティーヴン・レッドモンド(テンプレート:Lang-en)が青森県中泊町の権現崎から北海道の白神岬付近まで泳いで渡った。この成功により、レッドモンドは世界七大海峡をすべて泳いで渡った世界初の人間となった。7つの海峡のうち、ハワイのモロカイ海峡とニュージーランドのクック海峡の横断は2回目に成功したが、津軽海峡の横断は4回目の挑戦でようやく成功したという[5]。レッドモンドは読売新聞の取材に「津軽海峡は流れが速くて最も過酷だった」と語った[6]。
津軽海峡を題材にした作品
- 『津軽海峡・冬景色』(歌:石川さゆり、作詞:阿久悠、作曲:三木たかし)
- 『津軽海峡の女』(歌:ソニン、作詞・作曲:つんく♂)
- 『津軽海峡・大間崎』(歌:神島悠介、作詞:秋山博紀、作曲:野村豊収)
- 『津軽海峡冬元気』(歌:さいたまんぞう、作詞:Dr.南雲 作曲:野村豊 編曲:西崎進)
脚注
関連項目
外部リンク
- Tsugaru Channel Swimming Association (TCSA) 津軽海峡遠泳協会テンプレート:En icon
- Tsugaru Strait - Openwaterpediaテンプレート:En icon
- ↑ 海峡内の公海または排他的経済水域に航路が確保されているため、国連海洋法条約における通過通航権の規定は適用されない。
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 2008年はゴール前で断念
- ↑ Tsugaru Channel Swimming Association (TCSA) 津軽海峡遠泳協会
- ↑ 世界7海峡横断の男性「津軽は最も過酷だった」テンプレート:リンク切れ 読売新聞 2012年7月18日閲覧