北キプロス・トルコ共和国
- 北キプロス・トルコ共和国
- Kuzey Kıbrıs Türk Cumhuriyeti
-
北キプロスの国旗 北キプロスの国章 (国旗) (国章) - 国の標語:なし
- 国歌:独立行進曲
- 北キプロスの位置
公用語 トルコ語 首都 レフコシャ 最大の都市 レフコシャ - 政府
-
大統領 デルヴィシュ・エロール 首相 エズカン・ヨルガンジュオール - 面積
-
総計 3,355km2(???位)[基礎情報 1] 水面積率 1.1% - 人口
-
総計(2014年) 298,000人(???位)[基礎情報 2] 人口密度 88.82人/km2 - GDP(自国通貨表示)
-
合計(2006年) 41億0139万トルコリラ(TRY)(GNP/公式統計) - GDP(MER)
-
合計(2006年) 28億4520万ドル(???位)(GNP/公式統計) - GDP(PPP)
-
合計(2006年) 18億6500万ドル(???位)CIA推計 1人あたり 11,800ドル
通貨 トルコリラ(TRY)(TRY) 時間帯 UTC +2(DST:+3) ISO 3166-1 なし ccTLD .nc.tr[基礎情報 3] 国際電話番号 597[基礎情報 4] </dd>
北キプロス・トルコ共和国(きたキプロス・トルコきょうわこく、テンプレート:Lang-tr; KKTC)、通称北キプロスは、キプロス島の北部の国である。1983年に軍事的な後ろ盾となっている隣国トルコの影響下で、キプロス共和国からの独立を宣言した。トルコ以外からの国家承認は受けていないが、キプロス共和国の実効支配は及んでいない。
歴史
テンプレート:See also 1974年7月15日のキプロス共和国のギリシャ併合賛成派によるクーデターに際し、トルコ系住民の保護を目的に派兵したトルコ共和国がキプロス島北部を占領。キプロス全島からこの地域にトルコ系住民が移住し、ギリシャ系住民が南に逃れた結果、トルコ系住民が圧倒的多数派を占める北キプロスの版図が確立された。
トルコ系住民は、トルコの庇護のもと翌1975年にキプロス連邦トルコ人共和国を結成し、キプロス共和国の連邦国家としての再編成を要求した。これに対して、1970年代以来、国際連合の仲介により断続的に統合交渉がもたれているが、南キプロスがクーデター以前の体制の復活、北キプロスが南北キプロスによる対等な連邦国家樹立を要求しているため、決裂を繰り返している。進まない再統合を受けて、北キプロスは1983年11月15日に独立を宣言した。このため再統合は一層難航している状態にある。
2004年には国連が連邦制による再統合案を示して交渉を仲介し、南北同時住民投票を行ったが南側の反対多数により否決された。するとヨーロッパ連合 (EU) が北キプロスの経済支援を開始し、直接通商の解禁を表明して、北キプロスの実質上の国際社会復帰に向けた動きが起こった。
政治
国家元首は大統領で、キプロス分割以前にキプロス共和国副大統領だったトルコ系の有力政治家、ラウフ・デンクタシュが独立宣言以来務めていたが、2005年4月24日に共和トルコ党のメフメト・アリ・タラート党首に交代した。2010年11月現在の大統領は国民統一党(NUP)党首のデルヴィシュ・エロールである。1985年に定められた憲法により、大統領の任期は5年と定められている。
立法は一院制の共和国議会(定員50名、任期5年)で、議院内閣制にもとづいて首相が置かれる。司法は長官と7名の判事を擁する最高裁判所が司る。国防はトルコに依存しており、現在も支配領域には数万人規模のトルコ軍が駐留する。
国際関係
テンプレート:See also 北キプロスを国家承認する国はトルコ共和国以外に存在しない。(一方のキプロス共和国は国際連合加盟国の193ヶ国中、トルコ以外の192ヶ国から国家承認を得ている)キプロス共和国からの分離に至る経緯から、建前としては独立国家という形をとっているが、独立後も実際にはトルコの強い影響下に置かれているとみられている。首都レフコシャ(ニコシアのトルコ語名)において、国会の建物よりもトルコ大使館の方が大きい。そのため、トルコ軍の支援なしに独立できなかったのだから国家の要件たる実効的支配をなしうる政府が欠けているとして、北キプロスは国家として国際法上成立していないとする学説もある(小寺他「講義国際法」より)。日本政府は北キプロス地域を「トルコ軍実効支配地域」と呼んでいる。
元々、キプロス共和国の独立(1960年)以前から、トルコ系住民の間にはキプロス島をトルコ系とギリシャ系の領域に分割してトルコに帰属させるべきとの主張があり、トルコはキプロス問題の行方によっては北キプロスを併合することもありえるとしてきたほどである。近年のトルコ共和国は、国際連合案による統合住民投票に賛成するなど、EU加盟交渉をにらんでキプロス問題に対する態度を柔軟化させているが、一方で依然として南のキプロス共和国の承認を拒み、北キプロスから手を引かない姿勢も見せている。
ヨーロッパ諸国は、1974年のトルコによる北キプロス占領以来、北キプロスに対して経済制裁を加え、通航、通商などを厳しく制限してきた。2004年にはキプロス共和国のヨーロッパ連合(EU)加盟に先立って行われた住民投票で北キプロスの住民の大多数が再統合に賛成したことが評価され、EUは経済制裁の解除、経済支援の実施を表明したが、加盟国キプロス共和国の反対等により規模を制限された。
また、トルコも参加するイスラム諸国会議機構 (OIC) は以前から北キプロスをオブザーバーとして参加させてきたが、2004年に参加体の名目を「キプロス・ムスリム・トルコ共同体」から「トルコ系キプロス政府」に改めた。ただし、この措置はOICがキプロスを国家として承認したわけではなく、先の住民投票で用いられた北キプロス政府に対する呼称を尊重したものであると説明されている。
地方行政区分
テンプレート:Main 北キプロスは5つの地区に分かれている。
経済
トルコのみが承認する独立国家であるという事情から、貿易相手がトルコのみに限られ、外国からの資本導入も難しいという事情のために、欧州連合加盟を果たした南キプロスに対して、大きな経済格差を起こしている。北キプロス独自の通貨はなく、トルコの通貨を用いている。2005年の新トルコリラ導入を経て、現在の通貨はトルコリラ(TRY)である。トルコに経済的に依存しているため、1990年代以降、旧トルコリラ(TRL)のインフレーションの影響を受けて苦しんだ。
観光客の誘致を進めるために、トルコでは禁止になったカジノがあるが、後述する交通の問題と入国上の不利もあり、観光産業は南キプロスと比べると好調とは言えない。
近年では、国際社会からの孤立を避ける為の国策事業として、大学産業が発展を遂げている。欧州・アフリカ・中東のいずれからも近く、治安がよく、欧州よりも生活費が安く、英語で授業を受けることができる。また、政治学や国際関係学が盛んで、分断国家を目の当たりに出来る事から、政治家や外交官を目指す学生に魅力的な環境という。目立った産業のない北キプロスでは、2009年の歳入の1割以上が大学関連収入と、ビジネスの上でも重要となっている[1]。
2008年の推定GDPは39億ドル。一人当たりGDPはキプロス共和国の約2/3と推計されている。
住民
キプロス全域に住むトルコ系住民の98.7%が居住しているといわれ、トルコ共和国から移住してきたトルコ人とあわせてトルコ語を母語とするトルコ系住民が全人口の99%を占める。これに対し、北キプロスに居住するギリシャ系住民はごくわずかである。
宗教は99%がムスリム(イスラム教徒)で、ごく少数のギリシャ系の正教会信徒のほか、マロン派キリスト教徒、バハーイー教徒などがいる。
観光
国営のキプロス・トルコ航空 (Kıbrıs Türk Hava Yolları) がレフコシャのエルジャン (Ercan) 空港とトルコのイスタンブル、アンカラ、イズミル、アダナの各都市の間を結ぶ便のほか、トルコ本土経由ロンドンへの便も運航していたが、2010年6月21日にトルコ政府により運航停止となった[1]。なお、キプロス・トルコ航空の航空機は、国籍記号にトルコのTCを用いていた。
北キプロスは独立国として国際的に承認されていないため、パスポートに北キプロス入国印が押されていると、キプロス共和国に不法入国したとみなされ、南キプロスとギリシャへの入国ができなくなる。ただ、この問題は入国審査の際、北キプロス入国印を別紙に押してもらうことで回避することができる。
首都レフコシャ(Lefkoşa 英語名ニコシア)は、円形の城壁を持つが、町の中心に国連の設定した緩衝地帯(グリーンライン)がひかれ、北キプロスと南キプロスに分断されている。レフコシャやギルネを始め、東ローマ帝国、オスマン帝国の残したモスク、修道院、城などの遺跡が多い。東部のガーズィマウサ(Gazimağusa 英語名ファマグスタ)の海岸沿いには、放棄されたおびただしい数のホテル群とギリシャ人地区が今も残る。
南北間の往来に関しては、これまでは外国人のみレフコシャのレドラパレスホテルにある検問所を通過する形での、南から北への1日訪問のみが可能であったが、2005年よりキプロス共和国、北キプロス・トルコ共和国間の往来に関する規制が大幅に緩和され、南北キプロス国民の往来も可能となった。現在では、従来のレドラパレスホテルの南側の検問所に加え、レフコシャ繁華街のレドラ通りなど島内7か所のチェックポイントにてキプロス共和国側の係官にパスポートを提示した上で、北側の検問所において別紙に入国証印を捺印する形式となっている。南側から入国した場合の南北越境は自由だが、北側に最初に入国した場合の越境はEU市民に限られている。
なお、キプロス共和国側は、合法的な往来に際しても、北キプロス国内において占領当時ギリシャ系キプロス人が所有していたホテルへの宿泊を行うことは訴訟のリスクを負うものだとする公式見解を発し、注意を呼びかけている。
脚注
- ↑ 北キプロス:国際社会、未承認 孤立解消、留学生頼み 毎日新聞 2010年12月3日閲覧テンプレート:リンク切れ
関連項目
外部リンク
総合的な情報
- Zypern Times
- North Cyprus Home Pageテンプレート:En icon
- Turkish Republic of Northern Cyprus(北キプロス・ワシントン代表部のサイト)テンプレート:En icon
政府
- 北キプロス・トルコ共和国政府テンプレート:En icon
- President's Officeテンプレート:En icon
- Legislative Assembryテンプレート:En iconテンプレート:Tr icon
その他