葛城育郎
テンプレート:統合文字 テンプレート:Infobox baseball player 葛城 育郎(かつらぎ いくろう、1977年9月28日 - )は、元プロ野球選手(外野手、内野手)。妻は松竹芸能所属のタレント中山知紗。
目次
経歴
プロ入り前
大分県大分市出身。倉敷商業高校では3年時に県大会ベスト4まで進出した。関西学生野球連盟所属の立命館大学に進学後は、2年時に監督と部員が指導方法をめぐってぶつかった際に監督へ2年生の気持ちを説明し、一方で部員たちをまとめ上げた[1]。4年時のテンプレート:Byにはリーグ戦春夏連続優勝し、大学通算でベストナイン3回、MVP1回を獲得した。当時を知る関係者からは「伝説のキャプテン」と呼ばれたという。同年秋のドラフト会議でオリックス・ブルーウェーブを逆指名しての2位指名で入団。
オリックス時代
2年目のテンプレート:Byに長打力を発揮してレギュラーに定着、打率.268、 14本塁打を記録した。
テンプレート:Byには石毛宏典新監督の下で主軸として期待されたが、新ストライクゾーンの影響もあり打率.221、1本塁打に終わった。テンプレート:Byは9本塁打を記録したが下位打線を打つことが多かった。同年11月、投手力の強化を図るチーム方針により斉藤秀光・谷中真二との交換トレードで牧野塁と共に阪神へ移籍した。
阪神時代
移籍初年度のテンプレート:Byは代打を中心に77試合に出場したが、打率は2割前半で出塁率も3割に届かず、オリックスではほとんど経験のなかった代打での打率は1割台と全く活躍できなかった。チームが優勝したテンプレート:Byには一軍で1打席、テンプレート:Byにはケガも重なり一軍出場なしに終わり、一時は引退を覚悟した[1]。
しかしテンプレート:Byは若手の喜田剛、桜井広大らを押しのけて開幕一軍を勝ち取り、左の代打として出場した。その後、5月に赤星憲広が椎間板ヘルニアで、8月に林威助が右肩痛で離脱した際にはスタメンでも起用され、林の離脱時には高橋光信と共に穴を埋めた。打率は高くないものの勝負強く、9月にチームが10連勝した時には5番を打つこともあり、最も出場数の多かった9月には3割を超える月間打率を記録した。外野守備も以前は送球に難があり、落下点に入りながら落球というプレーもあったが向上している所を見せた。
テンプレート:By、アンダーグラフの真戸原直人が前年秋のツアーで「葛城の応援をしている」と語ったのをきっかけに、テーマソングをアンダーグラフの「9」にした。同じ左打ちの外野手である林が肩を手術した影響で開幕に間に合わなかったこともあり、前年に引き続き開幕一軍入り。シーズン当初はFAで加入した新井貴浩が一塁手、新外国人のルー・フォードが右翼手としてスタメン起用されて葛城はベンチスタートだったが、フォードの不振により5番右翼手として林が復帰するまで積極的にスタメン起用された。林の復帰以降は再び控えに戻ったが、夏場に新井が怪我や五輪で離脱した際には前年同様に高橋との併用で一塁を守った。代打での打率は.368を記録し、守備面でも準レギュラーとして外野手と一塁手を兼任して1失策と安定したプレーが見られた。
テンプレート:Byは、代打として、または新外国人のケビン・メンチの不振などでスタメン出場することもあったため99試合に出場。
テンプレート:By4月18日、金本知憲の連続試合フルイニング出場がストップした試合で金本の代わりに左翼手の守備に就いた。阪神において金本以外の選手が一軍の公式戦で左翼を守るのは2002年以来8年ぶりであった。ただ、20打数10安打というオープン戦の好調さは影を潜め、開幕から不振に苦しみ、6月6日に一軍登録を抹消されると、残りのシーズンを二軍で過ごした。
テンプレート:Byは、一軍での出場はなく、二軍で74試合に出場したものの打率.161、本塁打0本、打点2と精彩を欠き、10月9日に戦力外通告を受けた[2]。12月2日に自由契約を公示されたことを機に、現役を引退した。
引退後
現役引退後は、焼鳥店での修業を経て、2013年8月8日に西宮市内で「酒美鶏 葛城」を開店した[3]。
人物
2008年1月23日にタレントの中山知紗と入籍。2005年春に知人を介して知り合い、2007年12月からは同棲生活を始めていた。プロポーズは入籍の2日前だった。[1]
葛城は熱狂的阪神ファンのアンダーグラフのメンバーと懇意である。登場曲の「9(ナイン)」もボーカルの真戸原が用意した数曲の中からサビが気に入った葛城が自ら選んだ。[1]
勝利の雄たけび
阪神時代の2008年7月2日に、阪神甲子園球場の対中日ドラゴンズ戦で、プロ入り後初のサヨナラ安打を放った。試合後のヒーローインタビューで、インタビュアーの清水次郎(朝日放送アナウンサー)から「勝利の雄叫びを」と言われたところ、両手を挙げて「ウォー!」と絶叫。同年8月26日に自身のプロデュースによる「ウォー」Tシャツが阪神球団の公式グッズとして発売されるなど、この雄叫びは、現役を引退するまで葛城の代名詞の一つとなった。
2008年には、7月13日の対広島東洋カープ戦、9月10日の対東京ヤクルトスワローズ戦(いずれも甲子園)で清水からヒーローインタビューを受けた際にも雄叫びを披露した。いずれも、清水から「育郎さん、お願いしますよ!」と言われたことをきっかけに、マイクを預かってファンと共に「1・2・3、ウォー!!」と絶叫。その絶叫を合図に、ファンが一斉にジェット風船が飛ばした。出場機会がなかった9月29日の広島戦では、ヒーローインタビューを受けていた金本知憲の計らい(葛城の帽子をベンチから持ち出し、お立ち台でその帽子を取り出して誘い込むという演出)によって、飛び入りでヒーローインタビューに参加。4度目の雄叫びを披露した。もっとも、妻の中山知紗は、最初の雄叫びについて取材を受けた際に「あれはないわ~。(昔のドラマ『もう誰も愛さない』の)吉田栄作かっ!」との突っ込みを入れていた[4]。
詳細情報
年度別打撃成績
テンプレート:By2 | オリックス | 12 | 30 | 26 | 4 | 5 | 2 | 0 | 2 | 13 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 1 | 10 | 0 | .192 | .300 | .500 | .800 |
テンプレート:By2 | 130 | 469 | 418 | 67 | 112 | 24 | 2 | 14 | 182 | 53 | 1 | 4 | 0 | 2 | 43 | 0 | 6 | 91 | 8 | .268 | .343 | .435 | .779 | |
テンプレート:By2 | 74 | 246 | 222 | 18 | 49 | 8 | 2 | 1 | 64 | 12 | 0 | 1 | 8 | 0 | 15 | 0 | 1 | 68 | 3 | .221 | .273 | .288 | .561 | |
テンプレート:By2 | 114 | 325 | 283 | 46 | 71 | 19 | 0 | 9 | 117 | 30 | 3 | 2 | 4 | 3 | 34 | 1 | 1 | 83 | 6 | .251 | .330 | .413 | .744 | |
テンプレート:By2 | 阪神 | 77 | 99 | 90 | 12 | 20 | 1 | 1 | 3 | 32 | 14 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 0 | 2 | 26 | 0 | .222 | .273 | .356 | .628 |
テンプレート:By2 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
テンプレート:By2 | 89 | 178 | 160 | 10 | 40 | 6 | 1 | 2 | 54 | 14 | 0 | 0 | 3 | 0 | 13 | 0 | 2 | 31 | 2 | .250 | .314 | .338 | .652 | |
テンプレート:By2 | 112 | 263 | 238 | 24 | 62 | 12 | 3 | 1 | 83 | 29 | 0 | 1 | 2 | 3 | 16 | 0 | 3 | 48 | 1 | .261 | .312 | .349 | .660 | |
テンプレート:By2 | 99 | 204 | 184 | 19 | 46 | 14 | 0 | 2 | 66 | 13 | 0 | 0 | 2 | 0 | 16 | 0 | 2 | 42 | 5 | .250 | .317 | .359 | .676 | |
テンプレート:By2 | 42 | 66 | 58 | 5 | 12 | 2 | 0 | 1 | 17 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 7 | 0 | 0 | 12 | 3 | .207 | .292 | .293 | .585 | |
通算:10年 | 750 | 1881 | 1680 | 205 | 417 | 88 | 9 | 35 | 628 | 171 | 5 | 8 | 20 | 10 | 152 | 1 | 18 | 411 | 28 | .248 | .316 | .374 | .690 |
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年度別守備成績
年度 | 外野 | 一塁 | ||||||||||
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試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備 | |
2000 | 8 | 14 | 1 | 0 | 1 | 1.000 | - | |||||
2001 | 124 | 186 | 3 | 4 | 1 | .979 | 8 | 25 | 0 | 0 | 4 | 1.000 |
2002 | 74 | 134 | 1 | 2 | 1 | .985 | - | |||||
2003 | 100 | 142 | 3 | 4 | 0 | .973 | 5 | 20 | 1 | 1 | 2 | .955 |
2004 | 14 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 19 | 84 | 8 | 2 | 6 | .979 |
2007 | 23 | 21 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 31 | 198 | 18 | 0 | 14 | 1.000 |
2008 | 52 | 61 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | 34 | 217 | 12 | 1 | 23 | .996 |
2009 | 47 | 56 | 2 | 2 | 0 | .967 | 29 | 117 | 7 | 0 | 4 | 1.000 |
2010 | 19 | 21 | 1 | 2 | 0 | .917 | 18 | 25 | 3 | 0 | 1 | 1.000 |
通算 | 461 | 639 | 15 | 14 | 3 | .979 | 144 | 686 | 49 | 4 | 54 | .995 |
記録
- 初出場:2000年8月27日、対千葉ロッテマリーンズ22回戦(グリーンスタジアム神戸)、11回裏に三輪隆の代打で出場
- 初打席:同上、11回裏に小林雅英の前に三振
- 初先発出場:2000年9月9日、対日本ハムファイターズ23回戦(グリーンスタジアム神戸)、8番・右翼手で先発出場
- 初安打・初本塁打・初打点:2000年9月10日、対日本ハムファイターズ24回戦(グリーンスタジアム神戸)、2回裏に立石尚行から右越ソロ
- 初盗塁:2000年10月11日、対福岡ダイエーホークス27回戦(グリーンスタジアム神戸)、5回裏に二盗(投手:倉野信次、捕手:坊西浩嗣)
- 開幕戦代打本塁打:2003年3月28日、対大阪近鉄バファローズ1回戦(大阪ドーム)、9回表に塩谷和彦の代打で出場、赤堀元之から右越ソロ ※史上17人目(パ・リーグ11人目)
背番号
- 3 (2000年 - 2003年)
- 33 (2004年 - 2011年)
脚注
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 葛城育郎 - 日本野球機構オフィシャルサイト
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 雑誌『週刊ベースボール』2008年8月11日号 「白球入魂 何とかなる 葛城育郎」43-47
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 日刊スポーツ〜葛城に妻からツッコミ「あれはないわ」