十字屋 (百貨店)
テンプレート:Infobox 株式会社十字屋(じゅうじや、英文表記:JUJIYA Co.,Ltd)は、かつて商業施設展開などを行っていた日本の企業。2007年(平成19年)1月16日に株式会社ダイエーに吸収合併された[1]。
現在十字屋山形店のみが同じダイエーの子会社・株式会社中合(福島県福島市)により店舗名もそのまま維持して営業を続けている日本の百貨店である[2]。
同じく東京を拠点とする楽器店銀座十字屋ならびにそれを発祥とする京都市に拠点を置くレコード店のJEUGIA(十字屋)や鹿児島市に拠点を置くレコード店・ヤマハ特約店の「十字屋」や東京都の証券会社「十字屋証券」、それに神奈川県の食品スーパー「(JRC)十字屋」とは一切関連がない。
概要
1923年(大正12年)12月に神奈川県平塚市に十字屋呉服店として創業して1935年(昭和10年)2月に株式会社十字屋呉服店として法人化した[3]。
1954年(昭和29年)6月には商号を株式会社十字屋に変更して本店を東京都中央区日本橋橘町に移転し、翌年1955年(昭和30年)2月に株式会社十字屋洋装店など関連企業20社と合併して1961年(昭和36年)3月に本店を東京都台東区柳橋に移転した[3]。
1961年(昭和36年)10月に東京証券取引所市場第二部に上場し、1968年(昭和43年)1月には同市場第一部に上場した[3]。
仙台店(宮城県仙台市)や山形店(山形県山形市)、銚子店(千葉県銚子市)、館山店(館山市)等の百貨店も経営し[5]、1971年(昭和46年)6月に大丸と業務提携して百貨店事業の強化を図った[3]。 大規模の衣料品スーパーも経営[6]する様になり、1982年(昭和57年)からはダイエーグループに参入。バブル期には首都圏を中心に70店近い店舗を構えたが、経営が行き詰まり、店舗を全て閉鎖、撤退させ、事業のスリム化を図ってきた(店舗の一部は後述のクロスティとなっていたが、これも百貨店事業と同じ2005年11月30日に営業終了し、撤退した)。
1976年(昭和51年)11月10日付の新聞でダイエーが当時筆頭株主だった丸紅から1,000万株を取得したことが明らかになり[7]、1982年(昭和57年)3月に株式会社ダイエーと業務提携してその傘下に入り[3]、1996年(平成8年)9月1日にはダイエー系デベロッパーの株式会社ダイエー・アゴラと合併して業績改善のため大型商業施設「OPA」事業を譲受して、主力事業の一つとした[8]。
2004年(平成16年)12月28日に親会社のダイエーと共に、産業再生機構の支援決定を受けて[3]再建手続きに入り、2005年(平成17年)11月30日をもって仙台店[9][5]・銚子店[5][10]・館山店[5]を閉店し、残る山形店については同じダイエーの子会社・株式会社中合(福島県福島市)に12月1日に経営権を譲渡して十字屋は事実上百貨店事業から撤退した[2]。
更に、2006年(平成18年)3月1日には、施設運営部門(OPAやステーションパーク)とHIPIN事業部門に関する営業を分割し、新設の株式会社OPAに承継させている。
その結果、従業員の居ない企業となり事実上休眠化した十字屋を、親会社のダイエーが簡易合併手続で吸収合併する事になり、2006年(平成18年)12月14日に合併契約書が締結、2007年(平成19年)1月16日に創業から80余年の歴史に幕を閉じた[1]。
この吸収合併により、十字屋の子会社であった(ダイエーにとっては孫会社であった)OPAがダイエーの直接の完全子会社となった。
沿革
- 1923年(大正12年)12月 - 神奈川県平塚市に十字屋呉服店を創業[3]。
- 1935年(昭和10年)2月 - 商号を株式会社十字屋呉服店に変更[11][3]。(資本金8万円[12])
- 1951年(昭和26年) - 商品の共同仕入を行う十字屋協同組合を設立[11]。
- 1954年(昭和29年)6月 - 商号を株式会社十字屋に変更し、本店を東京都中央区日本橋橘町に移転する[3]。
- 1961年(昭和36年)
- 1967年(昭和42年) - 百貨店に業態変更した[4]。
- 1968年(昭和43年)1月 - 東京証券取引所市場第一部に上場[3]。
- 1971年(昭和46年)6月 - 大丸と業務提携[11][3]。大丸松坂屋CBSグループ(共同仕入れ機構)に 山形店、仙台店、足利店、藤沢店、千葉店、木更津店、銚子店、館山店が加盟し、大丸商品券の取り扱いや共同配送等を行った。
- 1982年(昭和57年)3月 - 株式会社ダイエーと業務提携[3]。
- 1996年(平成8年)9月 - 株式会社ダイエー・アゴラ(OPA事業)と合併、株式会社キャナルシティ・オーパを設立[3]。
- 1999年(平成11年)8月 - 大丸と業務提携解消[3]。
- 2004年(平成16年)12月28日 - 親会社のダイエーとともに、産業再生機構の支援が決定[3]。
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)3月1日 - 会社分割によりOPAやステーションパークの施設運営部門とHIPIN事業部門を「株式会社OPA」として分社化。
- 2007年(平成19年)1月16日 - ダイエーに吸収合併され消滅。
店舗
現在営業している十字屋の店舗
十字屋山形店
ダイエー及び株式会社十字屋が産業再生機構の支援を受けて策定した再建策の一環として、ダイエー系の百貨店事業が同じダイエーの子会社・株式会社中合に集約されることになり、2005年(平成17年)11月30日で株式会社十字屋による営業を終了し、同社に翌日12月1日に同じダイエーの子会社・株式会社中合に経営権を譲渡され、その後も店舗名や百貨店という業態はそのままで十字屋山形店として営業を継続する事になった[2]。
株式会社十字屋時代の末期の2004年(平成16年)度の売上高は約65億円だった[2]
2007年(平成19年)10月6日に地下1階の食品売り場を10年振りに改装して地元特産の天元豚や庄内鶏、地元の野菜等の地場の農産物の取り扱い、焼き魚の販売開始や寿司コーナーでのおこわの品目数増強等々総菜販売等を強化した他、有名洋菓子店や焼き立てパンの店なども導入した[13]。
OPA(オーパ)
1996年(平成8年)9月1日にダイエー系デベロッパーの株式会社ダイエー・アゴラと合併して譲受された大型商業施設で[8]、聖蹟桜ヶ丘(東京都多摩市)、新百合丘(川崎市麻生区)、藤沢(神奈川県藤沢市)、河原町(京都市)、心斎橋、三宮、岡山、キャナルシティ博多、那覇の各店は現在も営業を継続している。
ステーションパーク
郊外の近隣型ショッピングセンターとして展開した店舗[14]。
十字エス・シー ポポ
過去に存在した十字屋の店舗
百貨店
ダイエー及び株式会社十字屋が産業再生機構の支援を受けて策定した再建策の一環として、2005年(平成17年)11月30日をもって仙台店[9]・銚子店[5][10]・館山店[5]を閉店し、翌日の12月1日に残る山形店については同じダイエーの子会社・株式会社中合に経営権を譲渡して百貨店全店の経営を終了した[2]。
- 足利店 (旧さくら屋開店:1967年(昭和42年)11月27日[23] → 買収:1969年(昭和44年)12月[23]→1993年(平成5年)閉店・解体[24]
- 足利市の中心商店街の一角の通3丁目にあった[24]鉄筋コンクリート造り地上7階建ての店舗[23]。
- 両毛地方初の百貨店法による認可を受けた店舗で当時同地区最大の百貨店として商店街の中核をなしていた地場資本の百貨店'さくら屋の営業権を従業員なども含めて買収し、建物はさくら屋側から賃借する形で出店した[23]。
- 跡地を利用して足利まちづくりがパサージュ形式のイべント店舗スペースとイベントスペース (足利ドーム) を設置したビューティフル アシカガ・スクエアが2000年(平成12年)11月から2001年(平成13年)1月に開設されて足利商工会議所が中小企業庁の商店街活性化対策事業補助金を受けて各種イベントを行った[24]。
- 2003年(平成15年)5月にフレッセイ通町店が開店した[24]。
- 銚子店 開店:1976年(昭和51年)10月[29][30]1日→増床:1990年(平成2年)11月→閉店:2005年(平成17年)11月30日[30][5][10] 売場面積12,668m²[17]
- 銚子市の表玄関である銚子駅前通りに位置した銚子市内唯一の百貨店で1991年(平成3年)に売上高約107億円を上げたが[29]、郊外型店との競合や不況の影響などで2004年(平成16年)に売上高約47.5億円に落ち込み[29]、産業再生機構の支援を受けて経営再建する一環として2005年(平成17年)11月30日に閉店した[30]。
- 当初、ジャパンレジャーサービスグループの松屋百貨店[31](注・東京銀座などで百貨店を運営する松屋とは別企業)による商業施設「リズム」が地下1階が食品で地上1階は婦人服など全館を使って2008年(平成20年)11月14日に開店する予定だった[32]がテナントが集まらず断念し[29]、2008年(平成20年)11月下旬から[29]2009年(平成21年)1月頃にかけて解体された。しばらくは更地であったが、ジャパンレジャーサービスグループの松屋百貨店が運営会社「てうし横丁」設立して2011年(平成23年)7月から木造平屋建ての銚子漁港市場「てうし横丁」を建設して2011年(平成23年)12月オープン予定していた[33]が、テナントが集まらず延期。
- 藤沢店 百貨店としての開店(移転拡張):1973年(昭和48年)9月28日[34]→藤沢十字屋(1986年(昭和61年)2月11日閉店[35])→業態転換:1986年(昭和61年)3月13日 COSTA(コスタ)[35] →1995年(平成7年)ダイエー・アゴラと合併に際し 藤沢OPAに改称
十字エス・シー ポポ
百貨店店舗に準じて展開されていた店舗である。
中小型店舗
衣料品主体の中小型店舗を関東地方や東北地方を中心に展開していた。
末期には後期までの存続した6-7店舗程度が手芸専門店「クロスティ」と称した。○印。
山形県
- 山形七日町店
- 山形市七日町にあった店舗で、山形駅前の現在の山形店が開業した後も並行して営業を継続した[40]。
- 米沢店
- 寒河江店(1982年(昭和57年)9月 - 1994年(平成6年)1月16日[27])
- 1982年9月 「寒河江ショッピングセンター・チェリーモール」の核テナントとして開店。売り場面積は6,400m²。1986年5月「ダイエーFC十字屋寒河江店」に店名変更。1994年1月16日閉店。
- 同ビルは同年7月には「山形ウェルマート」を核とする「パオ2丁目店」としてリニューアルするが、1999年8月ウェルマートも撤退。永らく核テナントが見つからない状況が続いたため寒河江市がビルと敷地を買い取り、2000年に3階以上を公共施設を入居させた複合ビル「フローラ・SAGAE」として再開発を行った。
福島県
茨城県
栃木県
- 佐野店 佐野市
群馬県
- 前橋店(1961年(昭和36年)[47] - ?)
- 前橋松竹跡を改装して出店した[47]。
- 高崎店(1964年(昭和39年)[47] - 1976年(昭和51年)2月[4])
- 桐生店(1963年(昭和38年)[48] - 1992年(平成4年)[48])
- 太田店(1950年(昭和25年)10月[49] - 1996年(平成8年)8月閉店[50])
埼玉県
- (初代)浦和店(1950年(昭和25年)9月[51] - 1962年(昭和37年)11月[51])
- 浦和市仲町に出店していた[51]。
- (2代目)浦和店(1962年(昭和37年)11月[51] - 1984年(昭和59年)2月19日[52])
- 浦和西口の浦和市高砂町、県庁通りに出店していた[16]。
- ○大宮店(大宮市宮町1-83[53]、1955年(昭和30年)2月[53] - )店舗面積約2,448m²[53]
- ○大宮中央デパート店2005年(平成17年)2月閉店[3]
- 与野店
千葉県
- ○本八幡店
- 浦安店
- 船橋店(ショッカーに業態転換)
東京都
神奈川県
- ○平塚店(1996年(平成8年)7月14日閉店[54])[55]
- 1923年(大正12年)に十字屋呉服店として創業した地。売り場面積969m²[54]。
- 横浜店
- ○新百合丘オーパ店(2005年(平成17年)2月閉店[3])
- ○小田原店
静岡県
十字屋ショッカー
ディスカウントストアとして営業していた店舗である[58]。
- 千葉店
- 木更津店
- 船橋店[58]、
十字屋ドアイ
- 看板にはダックスフントをイメージしたキャラクターを使用。
ジューエル
- 浦和店
- 新小岩店
十字マート
- 戸塚店(1969年(昭和44年)[59] - ?)
十字ストア
- 大船店
- 逗子店
- 飯能店
OPA(オーパ)
1996年(平成8年)9月1日にダイエー系デベロッパーの株式会社ダイエー・アゴラと合併して譲受された大型商業施設[8]。
- 浜大津OPA
- 新神戸OPA
子会社
- 株式会社OPA(施設運営事業、2006年(平成18年)3月1日に会社分割で新設された完全子会社)
- 株式会社キャナルシティ・オーパ(施設運営事業、80%出資)[3]
- 株式会社りんくうパーク(商業施設開発事業、りんくうパパラ関連、100%出資)[3]
- 株式会社十字屋友の会(前払い式特定取引業)[3]中合友の会に営業譲渡
- 十字興業株式会社(不動産賃貸業)[3]
- 2006年(平成18年)3月30日より商号をダイエースペースクリエイトに変更した。現在はダイエーの100%子会社。
- 十字エス・シー開発株式会社(不動産賃貸業、間接50%を含め100%出資)[3]
- りんくうパーク、十字エス・シー開発については、2007年(平成19年)に清算
脚注
- ↑ 1.0 1.1 引用エラー: 無効な
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」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 テンプレート:Cite news
- ↑ 3.00 3.01 3.02 3.03 3.04 3.05 3.06 3.07 3.08 3.09 3.10 3.11 3.12 3.13 3.14 3.15 3.16 3.17 3.18 3.19 3.20 3.21 3.22 3.23 3.24 3.25 3.26 引用エラー: 無効な
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- ↑ 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 5.5 5.6 5.7 5.8 5.9 テンプレート:Cite news
- ↑ 昭和40年代始めにはJOAK(J-十字屋、O-扇屋、A-赤札堂、K-キンカ堂)としてスーパー業界4強の一角に挙げられていた。
- ↑ 貴島操子 『ジャスコ急成長の秘密 連邦経営がもたらしたもの』 評言社 、1977年5月。ISBN 978-4828200057
- ↑ 8.0 8.1 8.2 テンプレート:Cite news
- ↑ 9.0 9.1 9.2 9.3 テンプレート:Cite news
- ↑ 10.0 10.1 10.2 10.3 テンプレート:Cite news
- ↑ 11.0 11.1 11.2 11.3 引用エラー: 無効な
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タグです。 「company-history-list-japan-1991
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 12.0 12.1 12.2 『会社年鑑 上場会社版 下巻 1997年版』 日本経済新聞社、1997年。
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 15.0 15.1 テンプレート:Cite report
- ↑ 16.0 16.1 16.2 『日本商業年鑑 1972年版』 商業界、1972年。
- ↑ 17.0 17.1 テンプレート:Cite report
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- ↑ 現在は、自社ビルだった東棟と、第5日本オフィスビルの西棟を一体として、東急レクリエーション運営となっている。核テナントは、西棟1Fと東西2-5Fに入居するヤマダ電機LABI仙台店である。
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- ↑ 日経流通新聞 1996年7月18日付「店舗閉鎖が来月完了 十字屋」より
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