パソコンサンデー
テンプレート:出典の明記 テンプレート:基礎情報 テレビ番組 『パソコンサンデー』は、テレビ東京系列局(メガTONネットワーク、後のTXN)ほかで放送されたテレビ大阪制作のパーソナルコンピュータ関連の情報番組である。シャープの一社提供。
テレビ東京系列局では1982年3月7日から1989年6月25日まで、毎週日曜 9:30 - 10:00 (JST)(但し、1982年4月4日以降) に放送されていた。
概要
当時パソコンは高価ではありながらも、メーカー各社から最新機種がこぞって登場し、NHK教育テレビの『趣味講座 マイコン入門』においてメーカー名などが伏せられてはいたものの、NEC の PC-8001 が採用されてパソコンブームの火付け役となる等、一大ブームとなっていた。
そのような背景から開始されたこの番組は、パソコンソフトの様々な利用法を判りやすく説明するとともに、その他のパソコン関連の情報も提供していた。放送開始当初は、MZ-80B や MZ-2000 といったシャープの当時の最新機種を使って基本操作や BASIC を使ったプログラミングの基礎を解説していた。
また、当時としては画期的なアイデアとして、副音声でパソコンのプログラムデータを音声により配信する試みも行われていた[1]。視聴者はその音声をカセットテープに一旦録音し、当時パソコンの外部記憶装置として一般的だったデータレコーダでそのテープを読み込むことでプログラムを利用できるという仕組みだったが、実際には録音時の受信状態や位相の問題などでプログラムをうまく読み込めないケースが多かったようである。なお、副音声はこの部分以外は無音で放送されていた。
司会は、当時系列キー局・テレビ東京のアナウンサーからフリーキャスターに転向した小倉智昭。一時降板したが、大和田獏、下條アトム、三波豊和と変遷した後、中期には小倉が復帰しその後は番組終了まで担当した。歴代の女性アシスタントとして萩尾みどり、斉藤とも子、白石まるみなども出演している。
また宮永好道[2]がプログラムの専門家として最初期よりレギュラー出演していたが番組末期に降板した。
中期以降は山下章やパソコン評論家として高橋雄一などもレギュラー及びゲストで出演。当時、発売前のX68000を詳しく紹介したこともあった。
後期のリニューアルまでは、姫神せんせいしょんのファースト・アルバム『奥の細道』に収録されている「Gun-Do」がテーマ曲に使われていた。
番組内容の変遷
初期
NEC搭載の N88-BASIC と微妙に異なる MZ やX1シリーズのBASICプログラミングや使い方の各種情報を提供。これは NEC に対抗する意味もあった[3]。そのため、最初期は宮永好道を講師としたMZシリーズ用BASICプログラム講座番組の色合いが非常に強く、プログラム講座用の番組テキストも販売されていた。
また司会の小倉はエラーを出しては講師の宮永の指導によりプログラムを修正するといった役どころから、番組内で「エラーマン」の異名が付けられ、小倉本人も司会再登板後の番組中期頃までは頻繁に自称していた。
後に視聴者から投稿プログラムを募集、紹介し、出演者で採点評価したり、上述の副音声によるプログラム配信も行われた。
オープニングアニメーションは MZ-2000 で作られ、プログラミングはキャリーラボの平野洋一郎が担当した。
中期
パソコンの普及に従って、プログラミングよりも市販ソフトウェアの使用を中心とするユーザーが一般化していったことや、この頃発表された X68000 が、とりわけゲームユーザーやハイエンドPCユーザーに高い支持を得て、他メーカーPCとの住み分けが明確化されていったことなどから、プログラミング講座よりも、山下章や高橋雄一によるすぐに使えるパソコン・ゲームの小技、裏ワザや新商品情報など、パソコン情報紹介が番組の中心となっていった。
プログラミング特集では X-BASIC から X68000 のコンパイラを用いたC言語プログラミング等も紹介されるようになる。
ゲーム紹介ではPCエンジンを内蔵した X1 Twin の登場によりPCエンジンソフトが紹介されることもあったが、番組内ではPCエンジンの名前は使われず、X1 Twin用ゲームソフト、HEシステム用ソフトなどと呼称された。また稀にシャープ製のツインファミコンを使ってファミコンソフトが紹介されることもあった。
末期
番組のオープニングテーマがテレビ朝日系朝まで生テレビ!でも採用されている Jeff Newmann And His Orchestra の「Positive Force」になる。最末期にはさらに別の曲に変更された。司会の小倉以外のレギュラー出演者は全て変更となり、番組最初期から出演していた宮永好道も降板。副音声によるプログラムの配信や視聴者プログラム投稿コーナーも終了し、一般ビジネスマン向けのコンピュータ情報レポート等のビジネスユースを対象した特集が増えるなど大幅にリニューアルされる。ただしパソコン紹介やゲーム特集などホビー寄りの特集ではその後も山下章や高橋雄一はゲストとして出演し、最末期にはレギュラーに復帰した。
番組スポンサーであるシャープの意向により、1989年6月25日放送分をもって7年4か月間の歴史に幕を下ろした。
スタッフ
- 構成:
- 【第1期】越山一生、纐纈幸博
- 【第2期】関秀章
- 【第3期】儀賀保秀
- 技術:島方春樹、中吉正、岡本隆嗣
- カメラ:関口健行、須藤康夫
- VE:平田稔、中村宏
- 音声:吉田勉
- 照明:小松武久、佐藤浩栄
- 美術:児仁井朝子
- 音響効果:金丸孝彦
- 編集:渡辺良典(三友VTC)、佐藤仁(テレビテクニカ(現:オムニバス・ジャパン))
- MA:今関幸一(三友VTC)、山下裕康(テレビテクニカ(現:オムニバス・ジャパン))
- オープニングタイトル:倉嶋正彦(中期 - 末期)
- ディレクター:高木慎一
- 演出:田淵盛之
- プロデューサー:大原詔久 (TVO)
- 【第1期】水原位顕
- 【第2期】柴田安規、岩谷昇市朗
- 技術協力:ビデオスタッフ、DENOB
- 美術協力:NHK美術センター(現:NHKアート)
- 収録スタジオ:渋谷ビデオスタジオ
- 制作協力:ティー・ユー・シー → テレコム・ジャパン(現:テレコムスタッフ)
- 製作著作:テレビ大阪
ネット局
太字はTXN系
- テレビ大阪 - 制作局
- テレビ東京
- 東海テレビ(モノラル) → テレビ愛知(開局時から)
- 北海道放送→札幌テレビ
- 西日本放送 → テレビせとうち
- テレビ西日本(初期のみ) → RKB毎日放送(放送曜日が表題と異なることから、改題した上で放送)
- 東北放送
- 秋田テレビ
- 福島テレビ → 福島放送
- 新潟放送
- 石川テレビ(同時ネットの時期あり)
- KBS京都(同時ネット)
- 奈良テレビ
- びわ湖放送
- テレビ和歌山
- 広島テレビ
- 熊本県民テレビ
- 琉球放送 → 沖縄テレビ
※一部の放送局では日曜の深夜帯(実際の日付は月曜に変わっている)に放送されていたが、辛うじて「サンデー」であった。
※中京地方では、東海テレビからテレビ愛知に放映権が移った事で見られなくなった地域も少なくなかった。
脚注
- ↑ 番組開始後約15分過ぎの5分間程度。ビリー・ジョエルの「マイ・ライフ」のアレンジに乗せた予告が流れ、30秒程無音の後スタートしていた
- ↑ シャープ顧問、番組内では「Dr.パソコン」と紹介されていた
- ↑ 富士通がFMシリーズの PR を兼ねて全国のモニター家庭から専用端末と電話回線で集計したデータを FM-8 でグラフ表示していた富士通単独提供番組『ザ・コンピニオン』(テレビ朝日系)、後の『コンピュートないと』、『なんでもコンピュート』(共にテレビ東京系)も同じ傾向である
関連項目
- サンデーネット
- 渋谷ビデオスタジオ - 番組収録に使われた。ちなみに司会の小倉は、同スタジオで収録された『世界まるごとHOWマッチ』のナレーションを担当していた。