ライムギ
項目 | 分量 |
---|---|
炭水化物 | 70.7 g |
食物繊維総量 | 13.3 g |
水溶性食物繊維 | 3.2 g |
不溶性食物繊維 | 10.1 g |
ライムギ(ライ麦、学名Secale cereale)はイネ科の栽培植物で、穎果を穀物として利用する。別名はクロムギ(黒麦)。単に「ライ」とも。日本でのライムギという名称は、英語名称のryeに麦をつけたものである。食用や飼料用としてヨーロッパや北アメリカを中心に広く栽培される穀物である。寒冷な気候や痩せた土壌などの劣悪な環境に耐性がある。
歴史
原産は小アジアあたりと考えられている。小麦や大麦の原産地よりはやや北の地域である。
栽培化の起源は次のように考えられている。もともとコムギ畑の雑草であったものが、コムギに似た姿の個体が除草を免れ、そこから繁殖した個体の中から、さらにコムギに似た個体が除草を逃れ[2]。といったことが繰り返され、よりコムギに似た姿へと進化(意図しない人為選択)した[2]。さらに環境の劣悪な畑ではコムギが絶えてライムギが残り、穀物として利用されるようになったというものである[2]。同じような経緯で栽培作物となったエンバクとともに、本来の作物の栽培の過程で栽培化されるようになった植物として二次作物と呼ばれる[2][3]。現在でもコムギ畑における強勢雑草であり、コムギの生育条件の悪い畑ではコムギを押しのけてライムギのほうが主となっている畑がみられる。
ローマ帝国では、貧困者が食べるものとしていたため、一時期栽培が激減した。しかし、ローマ帝国の北部では小麦の生育条件が悪く、しばしば小麦畑をライ麦が覆うようになり、2世紀ごろにはライ麦を主目的として栽培されるようになった[4]。コムギより酸性土壌に強く、乾燥や寒冷な気候に耐えるため、スカンジナビア半島やドイツ、東ヨーロッパなどでは主要な穀物として栽培されていった。中世にはオオムギに代わってコムギに次ぐ第2の穀物としての地位を確立した[5]。16世紀末からは海運の改善や都市人口の増大に伴い、バルト海沿岸のライムギが輸出用作物として盛んに栽培されるようになり、とくにポーランド王国の大穀倉地帯を後背地に持つダンツィヒのライムギ交易が急増した。総輸出の約70%を占めたダンツィヒをはじめ、リガやケーニヒスベルクなどのバルト海諸港から盛んにライムギが輸出され、1562年から1657年までの106年間の年間平均輸出量は8.6万トンに上った[6]。また、このライムギ交易の活況はポーランド王国の経済を活性化し、ポーランドの黄金時代を経済面から支えることとなった。その後も、19世紀ごろまではパン用穀物としてはコムギより使用量が多かったものの、食味などの点からコムギのパンのほうが常に高級とされ、コムギの収穫量増大とともに重要性は低下していった。一方で、麦角菌中毒(下で詳述)が中世には大流行し、591年から1789年の間に132回の流行を見た。
現在ではライ麦粉は小麦粉よりビタミンB群や食物繊維が多いことを認められて蔑まれることはなくなり、健康的な食物としてヨーロッパ全土で栽培されている。しかし19世紀以後、コムギの作付面積が拡大するとともにライムギは栽培面積、栽培量ともに激減し、現代においてもなお栽培は減少の一途をたどっている。生産量が少ないため、僅かな不作でも価格が急騰する事があり、昔とは逆に小麦のパンよりライ麦パンの方が高値で取引されることも珍しくない。
形態
ライムギの近縁種としては、S. montanum、S. africanum、S. vavilovii 及び S. silvestreがある[7][8]。
根がよく発達し、地上面の高さは1.5mから1.8m、3mに及ぶこともある。ライムギはコムギやオオムギと違って他家受精植物であり、自家受精する場合は著しく収穫量が劣る。
コムギとは近縁であり、交配も可能である。ただし、ライムギの花粉をコムギのめしべに受粉させる場合に限り、この逆では実が稔らない。コムギとの交配種をライコムギといい、一時交配では優良な品種が生まれにくいものの、交配種どうしからさらに交配させた品種からは優良種が現れることがあり、選抜して栽培される。
栽培
主に秋に蒔き、夏に収穫するが、春蒔きの品種もある。ライ麦は発芽温度が1℃から2℃と低く、低温に強いため冬作物として栽培される。秋に蒔かれたライ麦は冬を越し、春になると急速に成長する。ライ麦はほかのほとんどの穀物よりも貧しい土壌で生育することができる。そのため、特に砂地や泥炭地などでは特に貴重な作物である。また。ライ麦はほかの穀物よりも耐寒性が強いため、小麦が生育できない寒冷地においてもライ麦は成長できる。一方で、粘土質の土地では生育しにくい。丈が高いため、成長しすぎると倒伏しやすくなる。
病害
子嚢菌の一種麦角菌が子房に寄生すると、菌核を形成し[9]、一群の麦角アルカロイドと呼ばれる様々な生理活性を示すアルカロイドを含むマイコトキシンが発生する。これが麦角である。麦角菌に寄生されたライムギは黒い角状のものを実の間から生やしたため、これが麦角の名の由来となった。これが発生した畑からの収穫物には種子にまぎれて麦角が混入し、これを粉に挽いてパンなどに調理すると、麦角アルカロイドの毒性によって流産や末梢血管の収縮による四肢の組織の壊死、幻覚などの中毒症状を引き起こすので、食用に適さない。この麦角菌中毒は中世に大流行し、多くの人の命を奪った。
生産
2005年の10大ライ麦生産国 (単位は百万トン) | |
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テンプレート:Flagicon ロシア | 3.6 |
テンプレート:Flagicon ポーランド | 3.4 |
テンプレート:GER | 2.8 |
テンプレート:Flagicon ベラルーシ | 1.2 |
テンプレート:Flagicon ウクライナ | 1.1 |
テンプレート:Flagicon 中国 | 0.6 |
テンプレート:Flagicon カナダ | 0.4 |
テンプレート:Flagicon トルコ | 0.3 |
テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国 | 0.2 |
テンプレート:Flagicon オーストリア | 0.2 |
世界総計 | 13.3 |
Source: FAO [10] |
寒冷を好みやせた土壌でも生育するため、東部、中部、北部ヨーロッパやロシアなど高緯度地帯で広く栽培される。主要なライ麦生産地帯はドイツからポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、リトアニア、ラトビア、及び北部ロシアへと続く。また、カナダ、アメリカ、アルゼンチン、ブラジル、中国北部でも栽培される。2005年の最大生産国はロシアで、以後ポーランド、ドイツ、ベラルーシ、ウクライナと続く。しかし、需要の減退によってライ麦の生産量は減り続けている。ロシアでは、ライ麦生産量は1992年の1390万トンから2005年には360万トンにまで減少した。同じ時期、ポーランドでは590万トンから340万トン、ドイツでは330万トンから280万トン、ベラルーシでは310万トンから120万トン、中国では170万トンから60万トン、カザフスタンでは60万トンからわずか2万トンにまで減少している。ライムギ自体の反収は農法の改善などにより増加傾向にあるため、栽培面積がそれを上回る勢いで減少していることになる。世界の総栽培面積も、1930年代の4200万ヘクタールから1977年には1400万ヘクタールにまで減少している。[11]
ライ麦は生産国内でほぼ消費される。近隣諸国へ輸出されることはあるものの、世界市場は成立していない。
ミネラル | ||
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カルシウム | 33 mg | |
鉄分 | 2.67 mg | |
マンガン | 121 mg | |
リン | 374 mg | |
カリウム | 264 mg | |
ナトリウム | 6 mg | |
亜鉛 | 3.73 mg | |
銅 | 0.450 mg | |
マグネシウム | 2.680 mg | |
セレン | 0.035 mg |
利用
ライムギはオオムギやエンバクとは違い、人間の食用としての利用が中心である。古来よりヨーロッパではコムギに次ぐ食用穀物として扱われており、主に種子を粉にしてパンの原料とされてきた。21世紀の現在でも、ドイツや北欧諸国など小麦の生育が悪い国を中心に多くのライ麦パンが作られ、文化の一部となっている。ライ麦パンは色が黒っぽいことから黒パンとも呼ばれる。ライ麦は小麦よりグルテンが少ないため生地の伸びが悪く、また小麦粉のパンよりも焼きあがったのちに密度が高いため、目は詰まっているが水分の抜けが少ないので日持ちする[12]。パンの発酵にはイースト菌ではなくサワー種と呼ばれる何種類もの微生物が共存した伝統的なパン種を用いることが多い。これらの発酵法では乳酸を用いて発酵するうえ、ライムギ粉の生地は酸化されるとふくらみがよくなるため、できあがった黒パンには酸味がある[13]。また、ライムギだけでは生地が膨らみにくいため、ライムギとコムギを混ぜてパンを作ることも多く行われている[14]。ライムギ粉は食物繊維やミネラルが豊富に含まれており、健康に良いとされている[15]。
また、パンとしての利用のほかに、種子は醸造用としてウイスキー(ライ・ウイスキーなど)やウォッカの原料ともなる。ロシアやウクライナ、ベラルーシにおいては、ライムギと麦芽を発酵させたクワスという発酵飲料が盛んに作られ、ジュースとして好まれている。また茎葉と共に家畜の飼料とする。
日本での現況
日本にライムギが導入されたのは明治時代であり、北海道や東北北部などの寒冷地において栽培された。しかし戦前の栽培面積は数百ヘクタールに過ぎず、第二次世界大戦後すぐに一時急増して1950年には6500ヘクタールまで栽培面積が広がったものの、すぐに急減した。現在では青刈りして飼料や緑肥とするための生産を除きほとんど栽培されていない。緑肥としては、耐寒性が強い上成長が非常に早いため、早く大量の草を得ることができるため利用されることがある[16]。また、同じく成長の速さと丈の高さから、主に日本海側の風の強い地方や砂丘地域で防風・防砂用植物として畑の周囲での栽培もされる[17]。食用としては北海道でわずかながら栽培があり、ライムギ粉が作られる程度である。
現在、日本で使用されるライムギはほぼ全量輸入であり、2008年には59,281トンが輸入された。輸入先としてはカナダが最大で、輸入量は53,241トンと9割以上を占める。ついで、ドイツ(4,911トン)、アメリカ(1,087トン)と続く[18]。
ライムギに関する逸話
漢字の「来(來)」はムギをかたどってできたとされる(來+夂=麥(麦))。一説にライムギの形からできたという説もあるが、中国にライムギが伝来したのは19世紀と推定されており、來の字の成立時期には中国にライムギは存在しなかった。そのうえ、中国でのライムギの名称は裸麥、黒麦、洋麦であり、來と呼ばれたことはない。洋麦という名称自体が、近代に入ってヨーロッパから導入されたことを示している[19]。このため、この説の信憑性は極めて低く、英語のrye(ライムギ)と同じ語源である可能性も極めて低い。
関連項目
脚注
- ↑ 五訂増補日本食品標準成分表
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 辻本 (2010)、pp.181-182,184-186
- ↑ 森川 (2010)、p.203
- ↑ 『ケンブリッジ世界の食物史大百科事典2 主要食物:栽培作物と飼養動物』 三輪睿太郎監訳 朝倉書店 2004年9月10日 第2版第1刷 p.104-105
- ↑ 「中世ヨーロッパ 食の生活史」p58 ブリュノ・ロリウー著 吉田春美訳 原書房 2003年10月4日第1刷
- ↑ 「商業史」p122 石坂昭雄、壽永欣三郎、諸田實、山下幸夫著 有斐閣 1980年11月20日初版第1刷
- ↑ 辻本 (2010)、pp183-184
- ↑ 阪本 (1996)、p.33 では S. montanum、S. sylvestre、及び S. cereale の3種を挙げ、S. cereale に従来独立種とされていた S. vavilovii、S. ancestrale、S. segetale、S. afghanicum 及び S. cereale が含まれると紹介している。
- ↑ 地面に落下すると一定期間の休眠後、子実体(キノコ)を生じて胞子を飛ばす
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 『新編 食用作物』 星川清親 養賢堂 昭和60年5月10日訂正第5版 p279
- ↑ ジェフリーハメルマン『BREAD』p44~46
- ↑ 「地域食材大百科第1巻 穀類・いも・豆類・種実」p118 社団法人 農山漁村文化協会 2010年3月10日第1刷
- ↑ 「パンの事典」p116 成美堂出版編集部編 成美堂出版 2006年10月20日発行
- ↑ 「パンシェルジュ検定3級公式テキスト」p65 実業之日本社 2009年8月20日初版第1刷
- ↑ 『新編 食用作物』 星川清親 養賢堂 昭和60年5月10日訂正第5版 p288
- ↑ 森川利信 「第10章 エンバクの来た道」『麦の自然史 : 人と自然が育んだムギ農耕』 佐藤洋一郎、加藤鎌司編著、北海道大学出版会、2010年、p190 ISBN 978-4-8329-8190-4
- ↑ 農林水産省 ライ麦の輸入量とその用途について教えてください。
- ↑ 森川利信 「第10章 エンバクの来た道」『麦の自然史 : 人と自然が育んだムギ農耕』 佐藤洋一郎、加藤鎌司編著、北海道大学出版会、2010年、pp.189-190 ISBN 978-4-8329-8190-4
参考文献
- ジェフリーハメルマン『BREAD』旭屋出版2009年
- 辻本壽 「第9章 コムギ畑の随伴雑草ライムギの進化」『麦の自然史 : 人と自然が育んだムギ農耕』 佐藤洋一郎、加藤鎌司編著、北海道大学出版会、2010年、pp.179-195 ISBN 978-4-8329-8190-4
- 森川利信 「第10章 エンバクの来た道」『麦の自然史 : 人と自然が育んだムギ農耕』 佐藤洋一郎、加藤鎌司編著、北海道大学出版会、2010年、pp.197-219 ISBN 978-4-8329-8190-4
- テンプレート:Cite book