笠松競馬場
テンプレート:競馬場 笠松競馬場(かさまつけいばじょう)は岐阜県羽島郡笠松町(一部施設は岐南町にまたがる)にある地方競馬のための競馬場である。
1931年、恵那郡中津町(現・中津川市)に存在した中津競馬場を笠松町に移転したのが前身である。戦前、岐阜県には各務原競馬場、養老競馬場が存在していたが1938年に笠松競馬場に統合されている。
目次
概要
競馬の主催者は岐阜県地方競馬組合(岐阜県、笠松町、岐南町で構成される一部事務組合)。オッズパーク、D-Net加盟競馬場。名古屋競馬と交互に開催され名古屋競馬開催時は場外発売を行う。2004年に「名馬・名手の里 ドリームスタジアム」の愛称がつけられ、各種PRに用いられている。
最寄駅は名鉄名古屋本線の笠松駅。かつての最寄りの駅は東笠松駅であり競馬開催日には優等列車が停車することもあったが、2005年1月29日をもって廃止になった。木曽川のほとりに位置する。コースは1周1100メートルの右回り。厩舎は離れた所にあり調教の際は馬を延々と歩かせて競馬場まで移動させる。笠松競馬から強い馬がよく出てくるのはこの移動で足腰が鍛えられているからだと言われている。なお、移動の際には公道を一度横断しなければならないが、その横断歩道にある信号機の押ボタンは馬から降りずにボタンを押せるように高い位置にも設置されている。馬から降りてしまうと馬が暴れて危険な場合もあるためである。また、馬横断注意の標識も設置されている[1]。
地方競馬から中央競馬への移籍第1号騎手である安藤勝己騎手が在籍していた競馬場として知られ、また昭和から平成にかけては「怪物」フェートノーザン、「名馬」オグリキャップや「女傑」マックスフリート、その後もオグリローマン・ライデンリーダー・レジェンドハンター・ラブミーチャンなどを輩出しており中央地方の枠を超えて注目を集めることが多い競馬場の一つである。
全国でも珍しい滞在型交流を実施している。冬季期間中、金沢競馬場所属の競走馬が所属変更することなく笠松競馬場・名古屋競馬場の両方の馬房に滞在してレースに出走する。馬だけでなく調教師などの関係者も滞在をする。また、騎手も毎年10名前後滞在してレースに参加する。
2006年3月7日からインターネットストリーミングライブ放送が開始された。
トータリゼータシステムは日本ベンダーネットである。発売締切前に流れる曲はフランク・ミルズの『愛のオルゴール(Music Box Dancer)』であったが、2011年10月3日に曲を変更した。
- Kasamatsu Race Course02.jpg
スタンド - Kasamatsu Race Course Paddock.jpg
パドック - Kasamatsu Race Course R.jpg
競馬場のそばにある馬道 - オグリキャップの銅像.jpg
オグリキャップの銅像 - Kasamatsu Race Course01.jpg
電光掲示板
現状
笠松競馬は上述の通り数々の名騎手や名馬を輩出し、全国地方競馬でも確かな存在感を持ってきた競馬場である。しかし1990年代後半から単年度赤字が続いていたことや売り上げ好転の見通しも暗いことなどから、2004年に将来的な廃止も含めた検討が行なわれるなど中長期的な見通しが不透明な状態になっている。
2005年度は黒字売り上げが見込めない場合は廃止を検討するという案が岐阜県議会に上程されたが、関係者の賃金や競走賞金を減らしたり(オグリキャップ記念・全日本サラブレッドカップのダートグレード競走からの撤退もその一環である)3連単馬券の発売を開始し、2005年度は8,000万円の黒字となり今後も黒字売り上げが見込めると判断されたため2006年度も開催が継続することとなった。しかしその後も売上不振は続き、2010年度は赤字が最大で3億1500万円と試算されたことから、組合は賞金と出走手当の最大4割削減などのコストカットを提案。反発した馬主や厩舎サイドとの交渉の結果、15%の削減と基金の取り崩しで合意がなされ、当面の存続が決定した。また、財源確保のため、競馬場に募金箱を設置するなどで寄付金を募るという、全国初の試みもなされることとなった。
しかし県議会に廃止案が出され大幅な賞金カットが実施されるなどしたこともあり、競馬場の先行きや自身の生活に現在も不安を抱いたままの厩舎関係者は非常に多い。かつては全国有数の水準の高さで知られた騎手陣も、安藤勝己以後も川原正一・柴山雄一・安藤光彰とトップ・中堅クラスの人材の流出が止まらず続いている。実際、安藤光彰などは中央競馬の騎手免許試験合格の際のマスコミのインタビューの際、中央競馬への移籍の最大の動機として笠松競馬の先行きが不透明なことを挙げており、岐阜県や笠松競馬側が中長期的な経営展望を打ち出せなかったことが流出を招いた一因になったといえる。
現在では、これら移籍していった者たちの他にも将来的な中央競馬の騎手試験の受験希望を明言する者もいる。このこともあり、競馬場運営の早急な安定は騎手の確保やファンの維持にとって早急に解決すべき課題としてさまざまな競馬マスコミからも指摘を受けるところとなっている。
土地施設賃貸借問題
笠松競馬場は建設時に地主との交渉がうまくいかなかったことから競馬場の敷地の98%が全国では珍しく私有地になっており、コース内側には畑や水田に墓地まで存在する。この為に多額の土地施設賃貸料が発生しており、赤字が続くようになった笠松競馬場の経営にとって大きな足枷となった。黒字が見込めなければ廃止という条件が課された2005年度には地主らが笠松競馬存続に協力する形で賃貸料を固定資産税相当額に引き下げたが、笠松競馬が単年度黒字を計上した2006年度以降の賃貸料を巡って増額を求める地主らの一部と低く抑えたい競馬組合が対立[2]。賃貸借契約が合意に達しないまま笠松競馬が開催を続けたため、敷地の約30%を占める一部の地主らが賃貸借契約終了の確認とこれまでの賃貸料支払い並びに原状回復を求めて競馬組合を提訴するに至った。2008年5月の岐阜地裁一審判決では地主側が勝訴[3]。競馬組合側は控訴した。第2審の名古屋高裁では和解協議が持たれ、2010年度まで坪当たり賃料1200円とすることで合意した。しかしながら2011年度以降は固定資産税評価額など客観的基準に基づき賃料を算出することになっており、笠松競馬場の存続見通しが不透明なのは変わりがない[4]。
発売する馬券の種類
○…発売 ×…発売なし
単勝 | 複勝 | 枠番連複 | 枠番連単 | 馬番連複 | 馬番連単 | ワイド | 3連複 | 3連単 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
○ | ○ | ○ | × | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ |
※2012年6月8日をもって枠単を廃止し、6月10日(金沢競馬場外発売)からワイドの発売を開始した。
主な競走
- 2歳
- 秋風ジュニア(P)
- ジュニアクラウン(P)
- ラブミーチャン記念(牝馬限定・SPI) - 地方競馬全国交流
- ライデンリーダー記念(牝馬限定・SPI) - 以前はジュニアグランプリの競走名で実施
- 3歳
- 新緑賞(SPII)
- クイーンカップ(牝馬限定・SPIII) - 東海・北陸・近畿地区交流
- 岐阜金賞(SPI) - 東海・北陸・近畿地区交流
- ゴールドジュニア(SPIII) - 弥生賞、スプリングステークス、若葉ステークスの東海・北陸・近畿地区トライアル
- 3歳(4歳)以上
- オグリキャップ記念(SPI) - 地方競馬全国交流
- サマーカップ(SPIII) - キーンランドカップ、セントウルステークスの東海・北陸・近畿地区トライアル
- くろゆり賞(SPI) - 東海・北陸・近畿地区交流
- オータムカップ(SPII) - 東海・北陸・近畿地区交流
- 笠松グランプリ(SPI) - 地方競馬全国交流、以前は全日本サラブレッドカップの競走名で実施
- 東海ゴールドカップ(SPI)
- 白銀争覇(SPIII) - 阪急杯、オーシャンステークスの東海・北陸・近畿地区トライアル
※P=プレステージ競走、SP=スーパープレステージ(Super Prestige)の略
なお、2008年までフローラステークスの東海・北陸・近畿・中国地区トライアルとして行われてきた若草賞は2009年より福山競馬場、2014年より名古屋競馬場で実施されている。
所属騎手
- 岐阜県地方競馬組合を参照。
場外馬券売場
以下の施設でも場外発売が行なわれている。
2007年4月より、「TRIPLE DREAMS」として今までの笠松競馬場・名古屋競馬場に金沢競馬場も加えた相互発売体制になった。現在は、基本として日・火は金沢競馬場のレースを笠松競馬場・名古屋競馬場にて、月・水・木・金は笠松競馬場・名古屋競馬場のレースを金沢競馬場にてそれぞれ場外発売する。なお、シアター恵那でも金沢競馬場のレースを発売する。
2007年6月より、他地区のナイター競走で行われるダートグレード競走の日を中心にリレーナイターを実施。実施当日には笠松・名古屋競馬のレース終了後に大井競馬場や川崎競馬場などのレースを発売する。なお、シアター恵那でも発売をする。
レース予想・実況
- 馬がパドック(下見所)周回中に予想紙記者による解説が行われている。
- 予想紙は『競馬エース』と『競馬東海』の2紙で価格はいずれも500円である(以前は穴予想で有名だった『ケイシン』もあった)。
- 近鉄の運転士から転じた予想屋が存在し、テレビ、雑誌等への出演歴も多数ある[5]。また、2006年から2009年まで活動していた女性予想屋の師匠(指南役)も務めていた[6]。
- 実況は以前、主に弘報館の畑野謙二や河村憲広、岸和田競輪場の岸和田BBスタジオでキャスターをしていた岸根正朋、藤原健一が担当していた。2013年4月8日からは耳目社所属の実況アナウンサーや[7]、西田茂弘(元福山競馬場実況アナウンサー)が担当している。
テレビ中継
2011年4月〜2013年3月の間、スカパー!のエキサイティング・グランプリ(709ch)で、開催日に無料放送(ノースクランブル放送)の『笠松競馬中継』(13:00 - 17:00)を放送していた。2013年4月からは中継を行っていなかったが、2014年度からは地方競馬ナイン(701chか702ch)でオグリキャップ記念と笠松グランプリの開催日に限り中継を行う。
グリーンチャンネルでは2012年、2013年に笠松グランプリを中継した(詳細はグリーンチャンネル地方競馬中継を参照)。
主な出身馬
- オグリキャップ - 引退式が行われた際は笠松競馬場が超満員となり入場できなかったファンは土手などで引退式を見物していた。オグリキャップの子の活躍を描いたテレビドラマ『オグリの子』(ドラマ愛の詩、1998年8月3・4日放送)が同競馬場とその周辺で撮影された。
- ワカオライデン(日本中央競馬会から移籍)
- ライデンリーダー
- フェートノーザン(日本中央競馬会から移籍)
- レジェンドハンター
- マックスフリート
- トミシノポルンガ
- タイプスワロー
- オグリローマン
- ハカタビッグワン(船橋競馬場から移籍)
- ミツアキタービン
- ミツアキサイレンス
- マルヨフェニックス
- ラブミーチャン(日本中央競馬会(登録のみで未出走)から移籍)
- エレーヌ(ホッカイドウ競馬から移籍)
- コロニアルペガサス
- ブレーブボーイ(名古屋競馬場 → 日本中央競馬会 → 当地)
- リユウアラナス
- ダイタクチカラ
- キンカイチフジ(アングロアラブ)
- スズノキャスター(アングロアラブ)
- オグリオー(アングロアラブ)
- ツルギベンサー(アングロアラブ)
出来事
- 2011年1月7日第3レース(若竹特別A2 ダート1800m 5頭立て)にてハロー車(馬場を馴らすための専用車)がレース中に侵入し、競走を妨害したとして競走が不成立となる事故が発生した。向正面からスタートし、コースを1周半する1800mの距離で行われたレースだったが、馬場整備の受託業者が800m(スタート地点は1800mと同じ向正面)で行われるレースと勘違いし、競走中にもかかわらずコースにハロー車を入れ整備を始めた。最後の直線に差し掛かったところで、競走中の5頭は2台のハロー車の間を縫うようにしてゴールインしたが、競走全般に重大な影響を与えたものと見なされ、競走は不成立となり、当レースに関する勝馬投票券は全て返還(無条件払い戻し)となった。払戻総額は786万2000円。当然ながら不成立とならなければ的中していた勝馬投票券を持っていた者も数多くおり、抗議も相次ぐ事態となった。なお、笠松競馬では午前中に1800mのレースが行われることは少なく(1800mのレース自体も開催期間中に僅かしか行われない)、それも業者の勘違いに繋がったと言われる。
- 2013年4月26日、第5レースに出走予定だったミッキーオスカー(オス4歳)が脱走し、約10km走り抜け各務原市内の公園で保護された[8]。第5レースは2番人気だったミッキーオスカーを除いた8頭で行われた[8]。
- 2013年10月26日、ダートコースでマラソン大会が行われ、約900人が参加した。 [9]
- 2013年10月28日午前3時5分頃、2歳牝馬のコスモビジョンが場内コースで調教されていた際、突然暴れだし逃走し走行中の軽乗用車に衝突し運転手と馬が死亡した。今年4回目の脱走であり、開催を自粛し名古屋競馬は開催日程を変更することになった。[10] [11]
- 2013年11月18日から4週間ぶりに開催されたのに伴い、警備員の増員や非常サイレン増設に当面は月に一度、馬の逃走を想定した訓練を実施するなど再発防止策が行われた。[12]
その他
- 一時期、2500mスタート地点(第3コーナー付近ポケット)に「ジョッキーマックル君の快走にご期待を!!」なる横断幕が掲げられていた。
脚注
- ↑ [1]
- ↑ 『笠松競馬場に明け渡し命令』 CBC NEWS i 2008年5月29日。
- ↑ 『笠松競馬場土地明け渡し訴訟、岐阜地裁が地主側の請求認める』 YOMIURI ONLINE(読売新聞) 2008年5月29日。
- ↑ 笠松競馬訴訟和解へ 地主側と組合が合意 中日新聞 2009年2月5日
- ↑ [2]
- ↑ 車いすのパティシエ☆ - 場立ちの予想屋「大黒社」です! 2010年12月6日付記事
- ↑ 笠松競馬実況を担当します - ミツオーのセカンド・ボイス 2013年3月30日
- ↑ 8.0 8.1 「笠松競馬発→国道、住宅地怪走→公園でゴール 大逃げ10キロ」 2013年4月27日付中日新聞朝刊、社会面*10版広域35ページ
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