「大塚康生」の版間の差分
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2014年8月12日 (火) 22:16時点における最新版
テンプレート:ActorActress 大塚 康生(おおつか やすお、1931年7月11日 - )は、島根県出身のアニメーター、キャラクターデザイナー。英語や中国語にも堪能であり[1]、東映動画では、直属の上司として新入社員・宮崎駿の指導育成に当った。他にも杉井ギサブローや月岡貞夫、芝山努、椛島義夫、近藤喜文、田中敦子、うつのみや理、貞本義行、田中達之、板垣伸など多くのアニメ業界人に影響を与えた。
概説
東映動画アニメーター第一期生。日本におけるアニメの創成期から第一線で活躍。宮崎駿、高畑勲と組み『太陽の王子 ホルスの大冒険』『ルパン三世』『パンダコパンダ』『未来少年コナン』『じゃりン子チエ』などを手がける。演出担当時に鈴木一というペンネームを用いたことがある。元麻薬取締官事務所勤務という異色の経歴を持つ[2]。英語や中国語にも堪能であるらしい[3]。東映動画では、直属の上司として新入社員・宮崎駿の指導育成に当った。他にも指導を受けた人材は多数にのぼる(著名な人物として、杉井ギサブロー、月岡貞夫、芝山努、椛島義夫、近藤喜文、田中敦子、うつのみや理、貞本義行、田中達之、板垣伸など)。
軍用車両に造詣が深く、ジープマニアとしても有名である。田宮模型初代社長である田宮義雄の息子の一人が東映動画に勤務しており[4]、その縁で田宮模型のジープ型ラジコンカー『ワイルドウィリス』のデザインを手がけたり、ミリタリーミニチュアシリーズで、兵士フィギュアのポーズ監修を担当したり、ミニ四駆のボディを実車をデフォルメしたものにするようにアドバイスを与えたりもしている。一時はアニメーターを廃業する決意をして、プラモデルメーカーのMAX模型に勤務したこともあった[5]。MVJ(Military Vehicle Journal)という軍用自動車研究誌を1989年から2000年にかけて私費で13冊発行した。これは印刷された部数が極めて少なく書店での販売はされなかった。編集は大塚が全て行い内容は資料性が高く各国のアーカイブからの写真とオリジナル・イラストも多く掲載されている。
現在は、一線を離れ、スタジオジブリや東映アニメーション研究所などで後進の指導に当たっている。その一方、『無敵看板娘』で、(エンディングとはいえ)久々にTVアニメーションの原画を担当したりもしている。また、近年の『ルパン三世』作品について、「絵や内容が保守的。いっその事一から作り直した方が良い」と苦言を呈している。
「アニメーターは演技者である」とつねづね公言し[6]、動かしてナンボのアニメであり最近の止め絵ばかりのアニメに苦言を呈することが多い。そのダイナミック&コミカルなアニメートは「大塚アクション」と呼ばれ、宮崎駿と組んだ『未来少年コナン』『ルパン三世 カリオストロの城』では、その能力を遺憾なく発揮している。
日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員。テレコム・アニメーションフィルム顧問。
略歴
- 1931年 島根県鹿足郡津和野町で生まれる。
- 1939年 山口県山口市に転居。
- 1946年 山口県立山口工業学校土木科に入学。
- 1951年 山口県庁総務部統計課に就職。
- 1952年 上京し、厚生省麻薬取締官事務所に転職[7]。
- 1956年 日本動画社(以下、日動)の練習生になる。8月に日動は東映に吸収され、新発足した東映動画に臨時採用として入社。
- 1961年 同僚の橋本文枝と結婚。
- 1962年 東映動画労働組合の書記長に就任。
- 1968年 Aプロダクションに移籍。シンエイ動画に改組された後も役員待遇で在籍するが、1977年に退社。
- 1979年 東京ムービー新社の子会社テレコム・アニメーションフィルムに移籍。
- 1991年 代々木アニメーション学院アニメーター科講師を兼任。
- 1998年 第3回アニメーション神戸特別賞を受賞。
- 2002年 文化庁長官賞受賞。
- 2008年 東京国際アニメフェア2008 第4回功労賞表彰受賞。
主な作品
- 白蛇伝(1958年) 動画
- 少年猿飛佐助(1959年) 原画
- 西遊記(1960年) 原画
- 安寿と厨子王丸(1961年) 原画
- わんぱく王子の大蛇退治(1963年) 原画
- W3(1965年)OP原画
- 太陽の王子 ホルスの大冒険(1968年) 作画監督
- 長靴をはいた猫(1969年) 原画
- ムーミン(1969年) 作画監督
- ルパン三世 パイロットフィルム(1969年) 原画・アクションシーン作画監督
- ルパン三世 (TV第1シリーズ)(1971年) 作画監督
- パンダコパンダ(1972年) 作画監督
- パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻 (1973年) 作画監督、原画
- 侍ジャイアンツ(1973年) 作画監督
- ガンバの冒険(1975年) 原画
- 元祖天才バカボン(1975年)原画
- 草原の子テングリ(1977年)監督・原画・レイアウト
- ルパン三世 (TV第2シリーズ)(1977年) テレコム作画の回に一部参加(ただし表記なし)
- おれは鉄兵(1977年) レイアウト
- 未来少年コナン(1978年) 作画監督
- ルパン三世 ルパンVS複製人間(1978年) スーパーバイザー
- ルパン三世 カリオストロの城(1979年) 作画監督
- じゃりン子チエ(1981年) 作画監督
- 花王名人劇場 東海道四谷怪談(1981年) 監督(名義:鈴木一)
- ルパン三世 風魔一族の陰謀(1987年)監修
- NEMO/ニモ(1989年)ストーリーボード
- 緊急発進セイバーキッズ(1991年)メカニカルデザイン監修
- ルパン三世 ナポレオンの辞書を奪え(1991年)メカニック作画
- おざなりダンジョン 風の塔(1991年)レイアウト・エンディングアニメーション
- デジモンアドベンチャー02 デジモンハリケーン上陸!!/超絶進化!!黄金のデジメンタル(2000年)エンディングイラスト
- 無敵看板娘(2006年) エンディングアニメーション
- ルパン三世 霧のエリューシヴ(2007年) CMアイキャッチの作画監督・原画
エピソード
- 2006年8月16日から20日に入間市博物館で開催された「JEEPの機能美展」には、大塚所有のFIAT500が展示されていた。[1]
- 鉄道写真家の南正時はAプロダクション在籍時、大塚が描いた蒸気機関車のスケッチや写真を見たことが、鉄道写真家への転向のきっかけとなった。
- 『ルパン三世 カリオストロの城』で有名なカーチェイスが生まれたのは、自家用車(実は中古だった)に乗った途端、運転をしている最中にものすごい勢いでタイヤごと車体が吹き飛んだから(ちなみに車は相当痛んでいた)。
- 高畑勲がAプロダクションから日本アニメーションに移籍する際に、給与や待遇などの交渉を行なったのが大塚である。大塚本人は、「日本アニメーションに対し、最高の待遇を出してくれるならという条件で高畑に移籍を説得すると言った」と語っている。
- 押井守監督の実写映画『紅い眼鏡』にタクシー運転手役で出演している(台詞は永井一郎が担当)。
著書
- 作画汗まみれ アニメージュ文庫:徳間書店、1982年
- 宮崎駿・大塚康生の世界(宮崎駿と共著):オフィスアクション、1982年
- JEEP JEEP JEEP(編集・執筆):徳間書店、1983年
- 大塚康生16歳の車の画帖:徳間書店、1987年
- 軍用ジープ(編訳):徳間書店、1987年
- イラストレーターの仕事・アニメーターの仕事(わたせせいぞうと共著):ダイヤモンド社、1992年
- ジープ太平洋の旅:ホビージャパン、1994年
- 大塚康生のおもちゃ箱:自費出版、1996年
- 作画汗まみれ 増補改訂版:徳間書店、2001年
- ジープが町にやってきた:平凡社ライブラリー、2002年
- ディズニーアニメーション 生命を吹き込む魔法(日本語版監修 共同):徳間書店、2002年
- リトル・ニモの野望:徳間書店、2004年
- 大塚康生インタビュー アニメーション縦横無尽(森遊机と共著):実業之日本社、2006年
- 王と鳥 スタジオジブリの原点(共著):大月書店、2006年
- 作画汗まみれ 改訂最新版:文藝春秋〈文春ジブリ文庫〉、2013年
画集
- ミリタリー 4×4 グラフティ(1998年)
DVD
- 大塚康生の動かす喜び(2004年)
関連項目
脚注
- ↑ ジブリの仕事のやりかた。宮崎駿・高畑勲・大塚康生の好奇心。(2004年7月)
- ↑ 大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』(文藝春秋〈文春ジブリ文庫〉、2013年)p.20。ただし取締官ではなく、補助職員であった。
- ↑ ジブリの仕事のやりかた。宮崎駿・高畑勲・大塚康生の好奇心。(2004年7月)
- ↑ 田宮俊作田宮模型の仕事 (文春文庫)
- ↑ 大塚康生『大塚康生インタビュー』(実業之日本社、2006年)p.154
- ↑ キャラクターも演技者であれ 大塚康生×上田文人対談 ~もっと上手くなりたい!動かす力~(2010年9月)
- ↑ これは当時東京には定職のない転入者が規制されていたことから、上京するために厚生省の試験を受けて合格したという経緯による(大塚、2013年、p.21)。