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テンプレート:基礎情報 アナウンサー 大沢 悠里(おおさわ ゆうり、1941年(昭和16年)2月11日 - )は、フリーアナウンサー。東京府東京市浅草区(現:東京都台東区)出身。元TBSアナウンサー。局アナ時代からラジオでの活動が主で、テレビでの顔出しをほとんどしない。
目次
経歴
- 1959年(昭和34年)3月 - 獨協高等学校卒業
- 1964年(昭和39年)3月 - 早稲田大学法学部卒業。
- 1964年(昭和39年)4月 - TBSへ入社。当初の5年間は主にテレビ・ラジオの報道番組を担当[1]。
- 1966年(昭和41年)11月 - テレビ『ヤング720』に出演(これが顔出しでのテレビデビューである)。
- 1969年(昭和44年)4月 - この年からラジオ番組を中心に受け持つ。夕方の音楽番組や『土曜日です おはよう大沢悠里です』などに出演。
- 1974年(昭和49年)10月 - JRN『ゴールデンワイド』木曜日の『ラジオ寄席』司会者として、東北各地をまわる。
- 1979年(昭和54年)4月 - 平日午後のワイド番組『大沢悠里ののんびりワイド』(後に『大沢悠里のがんばってますかー!昼はまるごと歌謡曲』)放送開始。
- 1984年(昭和59年)4月 - テレビ『ゆうYOUサンデー!』に出演(唯一の顔出しテレビ冠番組)。
- 1985年(昭和60年)4月 - 午後のワイド番組終了に伴い、長期休暇でアフリカ旅行。帰国後『スーパーワイドぴいぷる』の担当に。
- 1986年(昭和61年)4月 - 『大沢悠里のゆうゆうワイド』(平日 8:30 - 12:00、1996年4月より8:30 - 13:00)放送開始。
- 1991年(平成3年)2月 - アナウンス部専門職部長を経て退職。個人事務所「有限会社大沢企画」設立。
- 1994年(平成6年)10月 - 脳梗塞で倒れ、一時休養
- 2011年(平成23年)12月 - 狭心症の疑いで、検査入院[2]。
出演番組
現在の出演番組
- 大沢悠里のゆうゆうワイド(TBSラジオ)
- 土曜スペシャル(テレビ東京、不定期) - ナレーション
- 日曜ビッグバラエティ(テレビ東京、不定期) - ナレーション
過去の出演番組
- ヤング720(TBSテレビ) - 東京製作分でグループ・サウンズへのインタビュアーとして出演。
- ゆうYOUサンデー!(TBSテレビ) ※フリー時代を通じて唯一の顔出しでのテレビ冠番組。
- クイズところ変れば!?(テレビ東京) - ナレーション(1990年度後半まで)
- 新装開店!SHOW by ショーバイ2(日本テレビ) - ナレーション(末期に1回のみ)
- そこが知りたい(TBSテレビ) - ナレーション
- ハマラジ音楽館(FMヨコハマ)
- 大沢悠里ののんびりワイド(1979年4月9日 - 1983年、TBSラジオ) - パーソナリティ
- 大沢悠里のがんばってますかー!昼はまるごと歌謡曲(TBSラジオ、1983年10月3日 - 1985年4月4日) - パーソナリティ
- スーパーワイドぴいぷる(1985年4月8日 - 1986年4月4日、TBSラジオ) - 水曜日パーソナリティ
- ラジオ寄席(TBSラジオ)
- 悠悠素敵話(TBSラジオ、2006年10月3日 - 2007年3月27日)
- かつ江と悠里の朝風呂問答(TBSラジオ)※1970年代後半に平日早朝放送の帯番組。群馬県伊香保温泉観光協会提供。
- 悠里とみちよの朝風呂問答(TBSラジオ)上記の後継番組で、のちに「伊香保温泉・朝風呂一番!」に改称し1分番組となった。
- 大沢悠里のゆうゆうサンデー(TBSラジオ、日曜 7:15 - 7:25頃『プレシャスサンデー』内)
- 大沢悠里のにっぽん元気カンパニー(TBSラジオ) ※JRN系列局での放送タイトル。TBSラジオは『ゆうゆうワイド』内「ゆうゆうお昼のスーパートーク」として放送。
- ラジオデー 広げようラジオの魅力(2009年5月6日、NHKラジオ第1) ※「ラジオ・トークセッション」にゲスト出演。
- ラジオ深夜便(2010年1月3日、NHKラジオ第1) - ゲスト ※「新春インタビュー・ラジオだから素敵なの」と題して宇田川清江アナウンサーと対談。宇田川は2009年4月22日に『ゆうゆうワイド』にゲスト出演している。
- 歸國(2010年8月14日、TBSテレビ) - 深夜ラジオでお便りを読むパーソナリティ 役(声のみ)
コマーシャル
ラジオ
TBSラジオでのCMをメインに担当している。
- 味の素(ハート・オブ・ポップス内で不定期にかけられていた)
- タジマヤ(食品の仕入問屋)※ ニッポン放送でも放送
- 大澤屋(群馬県・水沢うどん)
- 伊香保温泉(かつては番組形態のCMもあった)
- 武州養蜂園(埼玉県・養蜂業者)
- シーケーホーム(重量鉄骨の家)
- 群馬県のCM(小寺弘之前知事と一緒に出演していた)
- 丸橋全人歯科(群馬県高崎市)
- ムカサのピスタチオ
- スターフライヤー(福岡線就航)
テレビ
- ヒゲタ醤油 本膳(ナレーションのみ)※ 2005年(平成17年)ぐらいまでのCMで現在とは異なる。
- JAつまごい村「嬬恋高原キャベツ」(ナレーションのみ)
- 日本香堂ご進物用お線香(2010年、声のみ、西村知江子と共に)
音楽
- 麻雀・風呂つき・お酒ルンバ(小鳩くるみとのデュエット、コーヒールンバのパロディ)
- 空に星があるように(さこみちよとのデュエット)
- 夫婦のれん(作曲を担当。歌:さこみちよ)
- HIFANA Presents 南風ケーブル2(intro & outroに参加)
映画
- 白蛇抄(1983年、東映) - 劇中小道具のラジオから流れる番組パーソナリティー 役
- 真夜中の弥次さん喜多さん(2005年、アスミック・エース) - 本人 役
エピソード
ラジオ人として
- ラジオで裏番組を担当している高田文夫からは、その風貌を「下駄にモミアゲ」と揶揄されたこともある。
- TBSのアナウンサーでありながらテレビにほとんど出演しない大沢を、彼のラジオ番組を聞き面白いと感じたテレビ朝日『題名のない音楽会』の関係者が同番組に出演させたことがあった(1986年(昭和61年)9月14日放送)。局アナが他局の番組に出演するのも、テレビでラジオ風の番組を放送するのも異例の事だった。
- フリーに転じてからも、顔出しでのテレビ出演を一切やらないという方針で仕事をし続けている。
- TBSラジオでは、放送中に同局のコールサインである“JOKR”をコールすることが(放送開始・終了時を除いて)ほとんどないが、大沢は『ゆうゆうワイド』の番組内の時報の直前に「まもなく時報になります。ちょっとお手元の時計をお合わせ下さい。10時です。J・O・K・R」と、唯一コールサインを読み上げる(尺により言わない時もあるが)ことで知られる。大沢は元TBS社員とはいえ現在はフリーであり、放送局に属さない出演者がコールサインを読み上げることも異例であるといえる。また、このときにTBSラジオの周波数や出力の案内もすることがある。
- フリー転向後、文化放送の「吉田照美のやる気MANMAN!」に出演した際に「コールサインを読ませてください」と前置きした上で、文化放送の「J・O・Q・R」と読み上げ、「夢だったんだよー」と興奮した声でコメントした。
- 『ゆうゆうワイド』では、聴取者のお年寄りに対する心遣いがとてもきめ細かく、問い合わせ先の電話番号などを読み上げるときは、とてもゆっくり、2度3度と繰り返す。これは自分自身のポリシーとのこと。
- 毒蝮三太夫からは「悠里ちゃん」、中山秀征からは「大沢悠里大先生」と呼ばれている。ちなみに中山がパーソナリティを務めた『四番なかやま』にゲスト出演した際、大沢はエロに対する極意として「ストレートにではなく、想像させなければダメ」と述べている。
- 昔、スポーツ新聞のインタビューの“毎日欠かさずしていることは?”の問いに「茶碗一杯のせんぶりを飲んでいる」と答えたが、実際の記事では「茶碗一杯のとんぶり」となっており本人を苦笑させた。せんぶりとは胃に良いとされるとても苦い漢方薬で、煎じて用いる。
- ラジオ界において「顔と声が一致しない」というパーソナリティは少なくないが、「喋り声は極めてハト派だが、顔は思いっきりタカ派の大沢悠里」と言われている。
- 上記の通り半世紀にわたってTBSラジオ番組をメインに活動してきたが、担当番組の殆どが関東ローカルだった事もあり、全国的な知名度はあまり高くない(2010年(平成22年)の1月3日・4日に出演した「ラジオ深夜便」(NHKラジオ第1)でも、本人が全国的な知名度が欠如している点を語っていた)。
その他
- 出身地が東京都台東区浅草という事から、幼い頃から寄席通いを続け、寄席でやる事すらも憚られる艶笑噺を含むいわゆる本物の笑芸に触れており、学生時代はアルバイトとして文化放送の演芸番組のスタッフでもあった[3]。そのためか、こと笑芸に関しては非常に厳しい考えを持っており、冠番組で「最近の芸人はモテる」という話題が取り上げられていた際「そんなの取り上げるべき話題じゃないよ」と、吉本興業に代表される最近の芸人が持て囃されることに苦言を呈していた。
- 大沢自身、批評だけで実行力が無い評論家に対しては軽蔑し、一線を画しているとのこと。また、冠番組で日本社会党の支持者であったという発言をしているほか、福島瑞穂に対して寄付をしている。
- 早大放送研究会では、露木茂、鈴木史朗らが先輩にあたる。
脚注
関連項目・人物
外部リンク
- ↑ 当時、大半のテレビニュースはキャスターの顔出しがなく、字幕とニュース映像のみで構成されていた。
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 『ゆうゆうワイド』2009年6月19日放送より