なるほど!ザ・ワールド
テンプレート:基礎情報 テレビ番組 『なるほど!ザ・ワールド』(Naruhodo! The World) は、フジテレビで1981年10月6日から1996年3月26日まで放送された紀行・情報クイズ番組である。レギュラー番組終了後、特番枠で年に1 - 2回ほど放送されている。2008年4月29日放送の特番からハイビジョン制作。
目次
概要
基本内容
現代の世界において意外に知られていない話題を、現地取材によるレポートとクイズ形式で紹介し、「うーん!!なるほど!!」と驚かせるという趣旨の番組である。
1981年10月6日から1996年3月26日まで、毎週火曜日 21:00 - 21:54 (JST) に放送されていた[1]。前記の通りスポンサーは、フジテレビ開局以来の長寿番組だった『スター千一夜』の後を継いで、旭化成と同グループ各社の一社提供だった。協賛は日本航空(VTR冒頭で日航ジャンボ機の映像が映る)。エンディングではBGMに乗せながら旭化成グループ各社名をロールテロップで表示し、最終的に「旭化成グループ」を大きく映し出したところでロールテロップが止まるという演出だった。
1981年10月、フジテレビの秋の大改編で「楽しくなければテレビじゃない!」というキャッチ・フレーズのもと、同局の大改編の新番組の目玉の1つとして登場、『スター千一夜』の後を受け、スポンサーである旭化成への受け皿として用意された番組である。そのため失敗が許されないので、初代プロデューサーとなる王東順に白羽の矢が立ち、立ち上げたクイズ番組である。
フジテレビアナウンサーの益田由美をリポーターに引っ張りだしたのも、王である。当初は旭化成が番組構成に難色を示したが、最終的に王の熱意に押された。
CS放送・フジテレビ721(現・フジテレビTWO)でも再放送された。1985年には『なるほど!ザ・ワールドの本』を出版。1994年にはタカラトミーからスーパーファミコンのゲームソフトを発売。2004年にDVDビデオソフトとして商品化(フジテレビアナウンサーのリポート映像が主な内容で、愛川・楠田らは出演していない)、クイズ番組では異例のDVD化がなされた。
司会は俳優の愛川欽也と、当時日本テレビを退社し、フリーになりたてだった楠田枝里子。2人の身長差がありすぎてカメラでの収まりが悪いため、司会者席では愛川は起立、楠田は椅子に着席していた。1991年4月からは、トランプマンもレギュラーに加わる。番組は海外特集、国内特集の大きく2本柱で構成されレポーターの紀行の中からクイズを出題し、4組(2名1組。1995年4月以降は6名の個人戦になった)の解答者(パネラー)が順番に口述で答えるというものだった(1990年頃から、書き問題や早押し問題も登場)。最高視聴率は1983年12月27日放送の回で36.4%[2]、全731回の平均視聴率は21.3%だった。
番組開始当初から荒井注・藤村俊二、小野ヤスシ・松原千明、谷啓・アグネス・チャンなどといったコンビのレギュラー解答者がいたが、この中には坂本九・柏木由紀子夫妻もいた。特に1985年8月12日に起きた、日航ジャンボ機墜落事故の翌日8月13日の放送分の「200回記念」の収録には坂本夫妻も参加していたが、番組開始冒頭から事前収録であることを示すテロップを入れてそのまま放送された。そして番組の最後に、敢えて放送に踏み切った経緯を文章で説明するとともに、締めくくりとしてブラックバックに「坂本九さんの無事をお祈りします」というコメントを寄せた。しかし、オンエア翌日の8月14日に死亡が確認され、この願いは叶うことはなかった。なお、葬儀には司会の愛川と楠田も参列している。ちなみに毎年12月には、特別番組『FNS歌謡祭』(1986年以降)の放送に伴い放送休止となる場合があり、他に1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災による報道特別番組の放送により放送休止となった事例もあった。
番組開始当初はエンドカードを使用していた回もあったが、後に先々週放送分の視聴者プレゼント当選者発表と一体化する形で廃止された。
番組改編期には『春秋の祭典なるほど!ザ・ワールドスペシャル』(1983年春・秋、1984年春)、『FNS番組対抗!なるほど!ザ・春秋の祭典スペシャル』(1984年の秋から1995年の春まで)、『FNS番組対抗!ザ・秋の祭典スペシャル』(1995年秋。「なるほど」は決勝戦にだけ出題した)が放送され、新番組の出演者とフジテレビの人気番組の出演者、フジテレビアナウンサー陣が出演した。なお、これは旭化成提供ではなかった。また、お正月には『新春特番なるほど!ザ・ワールドスペシャル』(1993年まで)または『なるほど!ザ・新春の祭典スペシャル』(1994年、1995年)として放送された(1996年は放送されなかった)。
番組の終了とその後
1996年春改編における番組枠見直しにより、同年3月26日に「なるほど!ザ・ワールド15年ありがとう!グランドフィナーレ」という3時間半の豪華版をもって、14年半の放送に幕を閉じた。その後、旭化成の一社提供は水曜21時からの『メトロポリタンジャーニー』(1996年4月 - 1997年3月)に引き継がれた。
番組終了から1年後、フジテレビ社屋がお台場に移転した1997年の4月と12月に『大復活祭』として放送された。1997年4月の放送では特に、山形県地方では開局したばかりのさくらんぼテレビで放送され、1993年3月末の山形テレビのANN系列変更に伴っての打ち切り以来の放送となった。その後も、2004年末より不定期特番という形で復活することになった。
- 2004年12月28日 18:30 - 20:54に「復活の祭典スペシャル」と称し、7年ぶりに復活した。この特番以降、司会は愛川と楠田から爆笑問題へとバトンタッチされた。また字幕放送を実施。
- 2005年5月4日 19:00 - 21:24に「黄金の祭典スペシャル」が放送された。
- 2005年12月28日に「年末の祭典スペシャル」が放送された。解答者の1人の琴欧洲が出場した大相撲九州場所に異例の懸賞で番組宣伝を行った(この試合琴欧州は勝ち、懸賞幕は視聴者にプレゼントされた)。番組のラストは生放送で最初に収録スタジオで爆笑問題の2人がドアをくぐり、新宿アルタの屋上にいる2人へ接続した(この時2人がアルタにいたのは、次に放送される番組が『笑っていいとも!年忘れ特大号!』の生放送がよる9時からのため)。ドアから出てきた時、太田光は「森尾由美の家に来ちゃったよ」とボケた(同日に森尾は、空き巣被害にあっていたことが報道されたため)。
- 2006年5月2日に『カスペ!』枠で放送。
- 2007年4月1日に3時間スペシャルを放送。
- 2008年4月29日に『カスペ!』枠で放送。スタジオ収録および一部の出題VTRでハイビジョン制作を実施。
なお、爆笑問題司会のスペシャル版では過去の海外特集のVTRを流すことはあっても、スタジオの様子を映す事はまったくない。
特別版
2009年2月28日放送の特別番組『バラエティルーツの旅・あなたがいたから僕がいる 半世紀大感謝祭!!』で当番組が取り上げられ、愛川がゲストとして登場。愛川の「一度解答者をやってみたい」という意向により、「恋人選び」が企画された。出題VTRでは楠田が出題者として登場した。
司会進行は、かつて解答者として出演していた明石家さんまが担当し、愛川は急遽スタジオ内に居た当番組プロデューサーの王とペアを組み1番席に、2番席:オードリー、3番席:アラジン(つるの剛士・野久保直樹・スザンヌ)、4番席:今田耕司と岡村隆史がそれぞれ座ることになった。これは愛川の希望で解答者としての参加が実現したと共に、それで優勝したいという熱望もあったために、他の解答者はわざと誤答をし、愛川・王のペアを優勝に導く流れであった。
こちらでは2004年以降のスペシャル版のことに対して、放送上触れられることはなかった。
クイズルール
基本ルール
- まず「オープニングクイズ」として数字にまつわるクイズ(「数の問題」などと呼称されたりした)を行い、最初の席順を決める。正解の数字もしくは内輪の近似値(正解の値より下且つ最も近い数字)を当てた解答者から順に、階段状のセットに設置された1 - 4番席(1番席に近いほど上段にある)に着席する。
- 正解の数字よりオーバーした場合、それがどんなに正解に近くても、内輪の数字を挙げたチームよりも下位になる。複数組がオーバーした場合は、正解に近い方が上位となる。
- 正解とかなり近い数字を回答した場合、若しくは丁度当てた場合は、愛川の独断でフジテレビ内のそば八の食事券や、番組特製のノート等が貰える場合もあった。
- 後期では、席順はトランプマンによるカードや、おもちゃのカエルレースゲーム、1チームずつに出題されるクイズで正解するまでにかかったタイムの早い順と、時期によっていろんな方法で決められていた。しかし、末期(1995年4月以降)の席順は簡単なジャンケンで決めていた。
- その後のクイズでの正解に応じて、解答枠のアップダウンがある。通常の正解は1段階、最終問題である「ジャンピングチャンス」(後述)では2段階上がることができた。
- 末期(1995年4月以降)では、解答席が6枠まで増えたため、ジャンピングチャンスでの正解は1段階増えた3段階になった。また、最終問題で1枠に行けないことが確定した5、6番席の解答者には解答権が与えられなかった。しかし、1997年の大復活祭では再び2段階に戻した。
- 2004年12月の「復活の祭典スペシャル」以降は、書き問題以外すべて正解すると無条件で1枠に上がることができる。そのため、最後の恋人選びは、ジャンピングチャンス名義ではない、単なる最終問題となった。しかし、それでは最終問題の恋人選びのみでほとんど優勝が左右されるため、2006年5月の「びっくり映像SP」以降の最終問題では、5枠からスタートし、1巡目で正解しても2段階しか上がれず、2巡目の正解で1枠に上がるというルールに変更された。
- 解答形式は、基本的には1番席より口頭での解答である。正解が出ないと次の枠に解答権が移る。この折、司会(愛川)は各枠へ解答を聞きに向かうが、制限時間が近くなると警報音[3]が鳴り、時間がなくなると「ダメ」などのコメントを言いながら、解答席のテーブルを叩く。すると解答席に「×」印が表示される。特に最終問題では、解答の選択肢が無くなった意味で「はい、消えたー!」(番組の中でも有名なセリフであった)[4]と叫びながら、解答席を叩いた。これは、解答テーブルに×印を出したり、ブザー音を鳴らすスイッチがあったわけではなく、演出およびスタッフへの合図である。
- 最下位の席まで回っても正解が出ない場合は、再度1番席に解答権が与えられる(ジャンピングチャンスでは1番席まで回った後、最下位席に戻る)。2 - 3巡しても正解が出なかった場合、愛川がテーブルを叩いて解答テーブルに×印を出し、ブザー音が鳴って時間切れ・全チーム不正解となった。
- 正解・不正解の判断や、解答の制限時間は厳格に決められているわけではなく、愛川の裁量でなされた。例えば、警報音が鳴っていても、正解に肉薄している(正解に近い)場合は猶予を与えたり、問題によっては1度の解答権で1つしか解答を許さなかったりするなど、広い裁量権を持っていた。
- 全チーム不正解・時間切れの際は、ブザーが鳴る。その時は愛川はたまに観客に「お客様の中で答えが分かる方はいらっしゃいますか?」と聞く場合があった。その観客が正解した場合は図書券1万円分が贈られた。
- 筆記問題(書き問題)は海外特集(国内特集)で稀に出題され、全解答席に解答権がある。正解者は一気に最上位の席へ移動できる。ただし正解チームが複数居た場合、出題前の順位が上位の者から優先的に上位の席に移れる。
- 例…1位席Aチーム、2位席Bチーム、3位席Cチーム、4位席Dチームの時にBチームとDチームが正解した場合は1位席Bチーム、2位席Dチーム、3位席Aチーム、4位席Cチームになる。
- 早押しクイズは海外特集(国内特集)とは別の独立コーナーで、席の順番に関らず早押しで解答権を得られる。正解すると1段上の席に上がれる。解答権は1組につき1回のみで、不正解(お手つき)すると解答席に「×」印が表示される。
- 番組中期の一時期4番席にわかったカード(「わかった!」と書かれた大きなプレート)があり、プレートを上げると、1番席より先に解答することができる。ただし、わかったカードが使えるのは番組中1回だけで、解答権についても1つのみ。
- 1番席が正解しても席を上がることができないので、その代わりに1万円分の図書券(後に商品券)がプレゼントされる。これは各問題共通である。
- 番組の大まかな流れは「オープニングクイズ(または席決めゲーム)」→(番組中期からは「早押しクイズ」→)「海外特集(国内特集)」→「ジャンピングチャンス」→「優勝賞品を賭けたゲーム」というものだった。
- 後期では八者択一やワンフレクイズ(視聴者参加型)など、一種類のクイズだけで出題される回もあった。
早押しクイズ
VTR問題で(祭典スペシャルではイントロクイズもあり)、答えが分かった時点でボタンを押す。押した後、7セグのデジタルで順番が表示され(早押し1位のみ赤ランプが点滅)、その順番で答えを聞いていった。押した人がいなければ問題は続行される。
- ワンフレクイズ
- 映像の中に一瞬だけ、その映像に関連するあるものの一部が写る。その写った物は何かを当てる。
- 胃ガメラ
- 内視鏡である物を接写している映像から、何を映しているのかを当てる。
- クイズ いただきマンモス
- レポーターが日本を取材しクイズを出題。ヒントVTRを参考に早押しで解答する。
- 早押し ミクロマン
- ある物を顕微鏡カメラで撮影し時間が経つごとにレンズの倍率が下がる映像から、何を映しているのかを当てる。
- なお、後期は4番席に表示される画面が1 - 3番席画面に表示される画面より3秒早い時間差ミクロマンと言う形式に変わった。これにより、4番席の回答者が有利になり3番席と4番席の入れ替わりが目立った。テレビ画面ではメインで4番席に表示される画面が写ったが、小窓で1 - 3番席の画面も表示もしていた。問題を流れをヒントに正解したケースもあった。
その他のクイズ
- なるほど!ザ・太田遺産
- 復活の祭典から登場。
- 過去の傑作VTRを用いた選択問題。選択肢の中から実際には存在しないVTRを当てる問題や、過去の番組を知らない子供達にVTRを見せて、一番支持されたのはどれかを当てる問題があった。
- 10秒クイズ
- 復活の祭典から登場。
- 5枠から順番に、1問ずつ挑戦。
- VTR中に問題が出題されるので、口頭で答える。10秒以内であれば、何回答えても良い。
- 一巡した後、5組の正解・不正解の結果に応じて、書き問題と同様のルールで席を入れ替わる。
ジャンピングチャンス
最終の逆転可能なクイズ。CM明け(出題前)には「ジャンピングチャンス」の字幕が出るとともに「ピンポンピンポンピンポン」とのチャイムが鳴る。4番席から解答権があり、正解すると2段階アップする。そのため、最終問題で4番の席に座っている解答者は優勝の可能性がなくなる。末期は優勝の可能性の無い5番席(後期は6番席も含む)チームは解答権を与えられなかった。
- 恋人選び(復活特番ではなるほど!ザ・恋人選び)
- 8名の日本の有名人の写真が載っているパネルを日本国外の人物に持ってもらい、その人物が恋人にしたいと選んだ有名人は誰なのかを当てる。海外の人が男性の場合は女性を、女性の場合は男性を選ぶ。
- 大抵はラスト1問だが、稀に「今日はエープリルフールです」等と理由つけて2問行う事があった。
- 八者択一
- 「恋人選び」以外にも、さまざまな8つの選択肢から正解を選ぶ問題が出題されるようになった。基本的にテーマに沿った問題を出題。稀に前述の「恋人選び」と同様に2問出題することもある。
- 当初は筆記問題の「二者択一」(2つの選択肢から正解を選ぶ)とセットで出題されていたが、後に「八者択一」のみ出題されるようになった。
- クイズ 8合わせ
- 2つの群(例:アニメのキャラクターとその声優)にそれぞれ8個の項目があるので、正しいと思う組み合わせを当てる。なお正解したら続けて解答する事が出来て、全部の組み合わせが完成するまで出題された。
- 残り2つで前のチームが間違った答えを次のチームも同じように間違った事があり、祭典スペシャルでは愛川が前例があると注意した事がある。
- また、「クイズ 8合わせ」のみを出題し続けた回もあった。
- ババ抜き5・6合わせ
- 基本的なルールは「クイズ 8合わせ」と同じだが、1つの群には6個の項目、もう一方の群には5個しか項目がない。つまり6個ある群には、1個だけどの項目とも結びつかない「ババ」が含まれており、難易度が上がっている。さらに、ババを選んでしまった解答者は失格となり、その後の解答権を失う。ババが出た後1番席が誤答の場合、次に3番席からの解答となる。
- また、1994年10月の『秋の祭典』では“ババ抜き8合わせ”(8個中7個が直接正解に繋がる項目)として同様のルールで行われた。
- 魔女っ子名言ちゃん
- 偉人の発した名言の一部が伏せられているので、そこに当てはまる言葉は何かを答える。
- ひみつのカッコちゃん
- ランキングの指定された順位の項目を当てる。
- 味の親善大使 さすらいの料理人
- どーんとやっちゃいました!!
- クイズ 言葉のカベ
優勝賞品を賭けたゲーム
最終問題終了時点で、1番席にいた解答者が優勝(「拡大スペシャル」と改編期に放送される『なるほど!ザ・春又は秋の祭典』では優勝チームが決定すると、くす玉が割れ紙吹雪と風船が降り、さらに紙テープが舞う)となり、ゲームの結果によって賞品が授与された。
- なるほどボックス
- 初期はザ・ワールドボックス。それぞれに「ザ・」「ワー」「ル」「ド」(初期)、「な」「る」「ほ」「ど」(後期)と書かれたボックスから1つ選ぶ。良い賞品もあればハズレのような賞品もあった。
- 愛川欽也の声が出るゲーム
- ボックス時代とは違い、顔人形を選ぶ前に商品が紹介される。赤・青・黄・緑の台の上ある愛川欽也を模した4つの顔人形(ナムコ・ワギャナイザー)のうち1つ選び、後頭部を引っ張るとあらかじめ録音した愛川欽也の声で賞品が発表される。
- トランプマンのマジックをからめたゲーム勝負
- 3枚のカードから当たりを選ぶ
- 3つの伏せられたカップから、ボールの入ったものを選ぶ
- 金のコインと銀のコインがそれぞれ左右どちらの手に入っているかを当てる
- 開始当初は大当たりとハズレの賞品が共に取材した国のお土産だったが、途中から大当たりが旅行券10万円分、ハズレは宝くじ券10枚に変更した。もし外れた場合は、賞品は翌週へ持ち越される(ただし最大50万円)。翌週以降で大当たりを出したチームがいれば、その週の賞品に加えそれまでの持ち越しの賞品も獲得できた。次回はリセットされ旅行券の場合は再び10万円分に戻る。
- トランプマンはマジックのテクニックを使って錯誤を誘うため、実質的にトランプマンと優勝チームの心理戦というようなものであった。なお、トランプマンがコインを取り落とすなどの失敗をした場合は、大当たりとして扱われた。(このケースは1994年の「秋の祭典」でも同様に見られた。)
- 「春秋の祭典」では、? - 1993年春に敗者復活戦で行われ、サドンデス形式で勝ち残った1チームを決めた。1994年春 - 1995年春の3回、優勝決定時でのゲームに使われた。
- ボウリング
- 代表者1人がキャスターイスに座り、後方の席の人と一緒に協力して何本倒れるかを競うゲーム。倒れた本数×1万円分の旅行券がもらえ10本倒れればさらに10万円分、計20万円分の旅行券を獲得となる。さらに後方の席にも10本倒れれば10万円分の旅行券がもらえた(個人戦時代は一度だけ優勝者のみだったり、また重い人が優勝者のときはその後方席の前の席の人も協力した回もあった。ストライクは1度だけで逆にガターも1度だけあった)。1995年の「春の祭典」では敗者復活戦で使われた。
- ぶらさがり
- 優勝チーム全員があるテーマに関することを1分以内にどれだけ答えるかを競うゲーム。時間内に10個正解もしくは耐えるか、途中で落下した時点で終了。正答数×1万円分の旅行券がもらえ正答が10個行けばさらに10万円分、計20万円分の旅行券を獲得となる。
- 1995年の「秋の祭典」での敗者復活戦では「ぶらさがりフリースロー」として行われ、途中で落下に加え投げるボールを使い切った時点で終了。全チームが挑戦した時点で多くゴールが入ったチームが決勝に進んだ。
優勝チームへの賞品とは別に、初期は優勝チームを予想した観客、中期は優勝チーム以外のチームを予想した観客(中身は優勝チームと異なる)、後期には(優勝チーム予想が廃止され)観客全員に、旭化成グループの関連商品が贈呈された。
2004年以降の特番のルール
- 司会は爆笑問題の2人が担当。
- 新しく撮影されたVTRからの問題だけでなく、過去のVTRを基にした問題も出題される。
- 通常の問題では、どの席で正解しても一気に1番席へ行けるようになった。ただし、1番席で正解しても何ももらえない。
- 最終問題は、「なるほど!ザ・恋人選び」で一貫。
2004年12月28日放送「復活の祭典スペシャル」
- 解答者席は全部で5つ。オープニングゲームに、トランプマンがシャッフルした、Aから5のトランプを選び席順を決定。もちろん、Aが1番席となる。
- 過去のVTRの中からウソを当てる「太田遺産」のコーナー(筆記問題)があり、正解すると上位の席へ移動。不正解は下位の席へ。
- タイの「空飛ぶ野菜炒め」の達人が16年振りに登場し、田中裕二が野菜炒めをキャッチできるかどうか予想するコーナーがあった。予想的中すれば上位の席へ移動できる上に、達人のタイ料理を食べることができる。さらに田中がどんな状態になるかを的中すれば、爆笑問題人形を獲得。
- 最終問題の「恋人選び」に正解で優勝となり優勝チームはなるほどボックスに挑戦。ロンドン往復航空券、番組DVDとプレイヤーのセット、食器洗い機などが入っていた。
- 森公美子が中華人民共和国の長角ミャオ族に、風見しんごがタイ王国のカレン・コーヤオ族に再会する企画もあった。
2005年5月4日放送「黄金の祭典スペシャル」
- 最初の席順は予め抽選で決定されていた。
- 前回同様、達人と田中の対決を予想するコーナーが登場。今回は、巨大相撲の達人が登場し、田中がハンデをもらった上で達人と対決して勝つかどうかの予想を行った。
- 優勝チームはトランプマンとのカード勝負(ジョーカーと白紙のカードのうち、ジョーカーを当てる)に挑戦。勝てば往復航空券を獲得。
2005年12月28日のルール
- 基本的に2005年5月4日の放送と同様、最初の席順はオープニングゲームではなく事前に決められていた。
- 書き問題以外に、ジェスチャーで解答する問題があった。
2006年5月2日のルール
- 最初の席順は事前に、トランプマンからトランプを引いてそれに書かれてある数字と同じ席で決められた
- まずは通常の口答問題を数問実施(今回は、書き問題はなし)。2004年以降の特番同様、どの席で正解しても1番席へ進む。さらに今回だけのルールとして、爆笑問題のどちらかの人形を1体獲得した。
- 最終問題前に、過去のVTR30本の中から海外のテレビ局員が最も衝撃的だと選んだVTRはどれかを当てる問題が出題された。初めに1番席から順番に1本ずつ選択していった後(選択できる本数は、先の通常問題で獲得した人形の数+1本)、30位から順番に発表。選んだVTRがすべて出てしまったチームから順番に5番席、4番席…と確定、最後まで残ったチームが1番席となった。
- 最終問題の「なるほど!ザ・恋人選び」はこの回から、1巡目で4・5番席で正解しても2段階しか行けず、2巡目ではどの席からでも正解すれば1番席へ行けて優勝できるというルールになっていた。つまり4・5番席は、1巡目でわざと不正解の選択肢を選んだ後、2巡目で正解を選ばないといけない(だが1巡目で1 - 3番席のチームが正解して優勝が決まる可能性もあり、2巡目がある保証はない)というハンデを背負う形になった。
2007年4月1日のルール
- この回の太田遺産は、滝川クリステルがレポーターとなって出題。キッザニアに来た過去のなるほどを知らない子供達に、過去に放送された10本のVTRを見せて、どれが一番子供達に支持されたかを当てる問題であった。
2008年4月29日のルール
- 最初の席順は、VTRで出題される2択問題7問の成績によって決定。
- 1問だけ、びっくり人間ご本人が登場しての書き問題があった。しかし余りにもヒントを出しすぎたため、4組が正解。そのびっくり人間にまつわる問題がもう1問出題され、挙手で解答権を争い、その問題で正解した1組だけが1番席に上がることができた。
- 復活の祭典以降恒例だった太田遺産は、今回は出題されず。
- 優勝チームへのゲームはなく、自動的に海外旅行が贈られた。
歴代スタジオセット
- レギュラー放送時代
- 初代(1981年10月 - 1990年3月) - 大きなタイトルロゴと世界地図。
- 2代目(1990年4月 - 1992年3月) - トランプマンの登場に伴い一新。解答席全体が、ワールドフィッシュをモチーフにしたものになっていて、「×」印が目の部分になっていた。これ以降、「×」印の形は3代目までワールドフィッシュの目の点が取られた形となって残り、番組終了の5代目のセットまで横にヒレの部分が残った解答者席となった。
- 3代目(1992年4月 - 1993年9月) - 解答席がワールドザウルスの顔になる。2代目のアレンジ。
- 4代目(1993年10月 - 1995年3月) - 解答席がタクシーフィッシュのデザインになり、司会者席がクジラの親子になった。この時に限り、タクシーフィッシュも解答席の数字の色に合わせたものになっていた。3代目まで司会者席の後方にあったモニターが解答席の後方部に移動し、大きくなったモニターが設置された。そして、「×」印が目の部分から四角い形に変更された。3代目のアレンジ。
- 5代目(1995年4月 - 1996年3月) - 解答席が6枠まで増える。今まで1番席は左上で2番席以降は右下にあった位置が、この時1番席が右上に、2番席以降は左下に変わった。解答者席と司会者席、モニター以外は4代目のセットのほとんどをモノトーンにしたような感じになっていた。
- 初代のセットで正解した時に光るネオンの色の名残りか、4代目までのセットは解答席の数字がそのネオンの色を継承している。
- 初代から4代目まで - 1番席:赤色、2番席:黄色、3番席:緑色、4番席:青色
- 5代目 - 1番席はそのまま赤色であったが、2番席を新たにオレンジ色とした解答者席を新設する。3番席が黄色、4番席が緑色、5番席が青色、6番席は紫色(のちに撤廃される)、7番席は濃い紫色(1995年秋の『ザ・秋の祭典』のみで使用)となった(3番席以降は4代目までの解答者席の2 - 4番席の色を、1段階ずつずらしたものになっていた)。
- また、「なるほど!ザ・春秋の祭典」では通常の4番席形式に5番席、さらに段になっていないが1番席の左下に6番席、7番席が存在した(2 - 4代目時代)。
- 5代目の1-5番席と、4代目から使われた司会者席は、視聴者プレゼントされている。
- 特番用セット
- 初代(1997年4月・12月)
- 2代目(2004年12月・2005年5月・12月・2006年5月) - デザインは初代と一緒であるが、電飾などに変化あり。
歴代タイトルロゴ
1993年10月に番組のスタート以来、初めて番組タイトルロゴを変更したが、1997年4月と12月の「大復活祭」、2004年12月の「復活の祭典スペシャル」以降は初代のロゴを使用。初代のタイトルロゴデザインは『FNNスーパータイム』のタイトルを手がけた山形憲一。
- 初代(1981年10月 - 1993年9月)
- 2代目(1993年10月 - 1996年3月) - !が正面になる
ナレーター
- 野沢雅子
- 南こうせつ
- 益田由美(フジテレビアナウンサー。第2期・特番時)
- 平野義和(第2期・特番時)
- 滝口順平(特番時)
- レニー・ハート(特番時)
- 根岸朗(特番時 / 2007年4月1日)
- 坂上みき(特番時)
ただし、特番時の「春の祭典・秋の祭典」での「海外特集」では、『ドラゴンボール』の孫悟空役の野沢と『サザエさん』のサザエ役加藤みどりが交互に担当し、それ以外は野沢が担当している。
主な解答者
五十音順に並べる。
- 明石家さんま
- アグネス・チャン
- 東ちづる
- 荒井注
- 新珠三千代
- 生田悦子
- 池内淳子
- 市毛良枝
- 宇津井健
- 大島さと子
- 大塚範一
- 大仁田厚
- 岡本夏生
- 沖雅也
- 小野ヤスシ
- 柏木由紀子
- 加藤茶
- 神田うの
- 神田正輝
- 木の実ナナ
- 木村理恵
- KinKi Kids
- 工藤夕貴
- 熊谷真実
- 研ナオコ
- 小堺一機
- 小松政夫
- 堺正章
- 坂本九
- 佐久間良子
- 篠原勝之
- 杉田かおる
- 鈴木杏樹
- 鈴木ヒロミツ
- そのまんま東
- 高田みづえ
- 高峰三枝子
- 多岐川裕美
- 田代まさし
- 谷啓
- 田村英里子
- チェリッシュ
- 十朱幸代
- 中野浩一
- 錦織一清
- 西田ひかる
- 根上淳
- 羽賀研二
- 久本雅美
- ピンクの電話
- 藤村俊二
- ブルック・シールズ - 来日時に出演
- 古谷一行
- ペギー葉山
- 松あきら
- 松岡昌宏(TOKIO)
- 松原千明
- マルシア
- 美川憲一
- 水野久美
- 三田村邦彦
- 三田寛子
- 森口博子
- 森下洋子
- 森脇健児
- 薬丸裕英
- 矢崎滋
- 柳沢慎吾
- 山田邦子
- 吉村明宏
- ラサール石井
- 和田アキ子
主な海外(国内)レポーター
五十音順。一部、番組オリジナルの名義の者もいる。
- 青木美枝
- 安達祐実
- 阿部知代
- 安奈淳
- 新珠三千代
- いかりや長介
- 石野真子
- 池上季実子
- 大空眞弓
- 泉ピン子
- 井上順
- 大東めぐみ
- 帯淳子
- 岡崎友紀
- 岡本夏生
- 片平なぎさ
- 金沢碧
- 川端けんじ
- 木の実ナナ
- 栗原小巻
- 斉藤満喜子
- 斉藤由貴
- 堺正章
- 坂口良子
- 迫文代
- 清水アキラ
- 城ヶ崎祐子
- 高橋彩夏
- 田中好子
- TARAKO
- 筒井櫻子
- デーモン小暮
- 橋本志穂
- 星野知子
- 益田由美
- 松あきら
- 松坂慶子
- 水沢アキ
- みのもんた(レポーターの他、番組ナレーターを担当)
- 宮崎美子
- 森公美子
- 薬丸裕英
- 八代亜紀
- 山田邦子
- 山本陽子
- 雪野智世
- よしざわたか
- 渡辺真知子
歴代番組キャラクター
- 1990年4月 - 1992年3月:ワールドフィッシュ
- 1992年4月 - 1993年9月:ワールドザウルス
- 1993年10月 - 1995年3月:タクシーフィッシュ
番組キャラクターは1995年4月に消滅するが、解答者席やセットなどでは1996年3月の番組終了まで用いられていた。キャラクターのデザインはスチュワート・マスコウィッツが手がけた。
レギュラー放送時代のネット局
- 系列はレギュラー放送終了時点(打ち切りの場合はその時点)のもの。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | ネット形態 | 備考 |
---|---|---|---|---|
関東広域圏 | フジテレビ | フジテレビ系列 | 制作局 | |
北海道 | 北海道文化放送 | 同時ネット | ||
青森県 | 青森放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
遅れネット | 途中打ち切り |
岩手県 | 岩手めんこいテレビ | フジテレビ系列 | 同時ネット | 1991年4月開局から |
宮城県 | 仙台放送 | |||
秋田県 | 秋田テレビ | |||
山形県 | 山形テレビ | 同時ネット →遅れネット |
1993年3月打ち切り[5] | |
福島県 | 福島テレビ | 同時ネット | 1983年10月から | |
山梨県 | テレビ山梨 | TBS系列 | 遅れネット | |
新潟県 | 新潟総合テレビ | フジテレビ系列 | 同時ネット | 1983年9月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局 |
長野県 | 長野放送 | |||
静岡県 | テレビ静岡 | |||
富山県 | 富山テレビ | |||
石川県 | 石川テレビ | |||
福井県 | 福井テレビ | |||
中京広域圏 | 東海テレビ | |||
近畿広域圏 | 関西テレビ | |||
島根県・鳥取県 | 山陰中央テレビ | |||
岡山県・香川県 | 岡山放送 | |||
広島県 | テレビ新広島 | |||
山口県 | テレビ山口 | TBS系列 | 同時ネット →遅れネット |
1985年4月から 1987年9月まではフジテレビ系列とのクロスネット局[6] |
徳島県 | 四国放送 | 日本テレビ系列 | 遅れネット | |
愛媛県 | テレビ愛媛 | フジテレビ系列 | 同時ネット | |
高知県 | 高知放送 | 日本テレビ系列 | 遅れネット | |
福岡県 | テレビ西日本 | フジテレビ系列 | 同時ネット | |
佐賀県 | サガテレビ | |||
長崎県 | テレビ長崎 | 1990年9月までは日本テレビ系列とのクロスネット局 | ||
熊本県 | テレビくまもと | 1982年3月までは日本テレビ系列とのトリプルネット局 1989年9月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局 | ||
大分県 | テレビ大分 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 |
1993年9月までテレビ朝日系列とのトリプルネット局 | |
宮崎県 | テレビ宮崎 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
||
鹿児島県 | 鹿児島テレビ | フジテレビ系列 | 1994年3月まで日本テレビ系列とのクロスネット局 | |
沖縄県 | 沖縄テレビ |
スタッフ
レギュラー時代
- 構成 - 奥山伸、玉井貴代志 / 鵜沢茂郎、望月敏、轟ワタル、澤井康成
- キャラクターデザイン - スチュワート・マスコウィッツ
- 取材担当
- オン・エアー - 石戸康雄、宮澤博、伊秩実、浜田弘、奥村浩、浅野曜子、岡本勝、堀井栄一、ルイゼッラ・パラディーノ、谷則安、保坂秀司、石原孝仁、藤岡次人、木谷浩之、柴田明廣、森崎武志、松坂一彦、折田俊一郎、小高徹、丑山彰、小林正、玉川芳裕、原島雅之、飯島喜和、安藤茂克、二木徹、小牧敏哉、大楽玲子、林秀美
- TV BOX - 北尾泰博、岡村泰雄、鈴木寿一、井上光紀、桐生司、進藤義孝、根岸ちひろ、星利也、白川雄二、齋藤直史、山口千里、庄司孝
- D'z - 望月聡、唐津谷徹、細谷ナナ、横川博子
- J Associates - 高橋純一、根津伸行、吉田雅司、河本和美、豊村暢也、伊藤和美、佐伯稔、田中深恵、林幹太、河村一政、白木紋子、上下真三
- イースト - 角井英之、中山高嘉、安井健、藤保修一
- 才 - 玉川善秀、明吉加代子、廣田潤、住本慶一郎、大久保邦智、棟方大介、長浜英臣、山田久恵、松井一恵
- D-PROJECT - 浜崎裕二、村田英子、小倉宣勇、川島裕子
- ディレクター - 加茂裕治、水口昌彦、石田英史、坪田譲治、天野晃宏、内藤和明
- 総合演出 - 加藤友和
- プロデューサー - 王東順
- 技術協力 - 共同テレビジョン、八峯テレビ、FLT、ダブルビジョン、明光セレクト、インターナショナルクリエイティブ / サニーサイド、ジーピーエー
- 協力 - 日本航空
- 制作協力 - オン・エアー、オフィス・トゥー・ワン、ティーヴィボックス、D'z、J Associates、イースト、才、ディープロジェクト
- 制作著作 - フジテレビ
2004年以降スペシャル時代
現在
- 企画 - 坪田譲治(以前はプロデューサー)
- スーパーバイザー - 王東順(ドリームワン)
- 構成 - 天野慎也、秋葉高彰、横山雄一郎、今村クニト、宮川慶太、吉橋広宣、なかじまはじめ、今井とおる / 鈴木おさむ
- 海外リサーチ - 喜多あおい(ジーワン)、後藤美穂(コラボレーション)、何貞子
- テクニカルプロデューサー - 江花佳恵
- スタジオ技術 - 共同テレビジョン
- 照明 - FLT
- 海外ロケ技術 - スウィッシュ・ジャパン、J-crew
- 音響効果 - 星裕介(4-Legs)
- 編集 - 掛川高志(麻布プラザ)
- MA - 飯田太志(麻布プラザ)
- 美術プロデューサー - 井上明裕
- セットデザイン - 木陽次
- 美術進行 - 伊藤則緒
- タイトル - 山形憲一
- CG - 岡本英士、徳永晶子
- 編成 - 情野誠人
- 広報 - 為永佐知男
- PCコンテンツ - 清水美幸
- モバイルコンテンツ - 野々川緑
- 連絡デスク - 古賀美由紀
- フロアディレクター - 青木達生
- 制作進行 - 稲村隆(コラボレーション)
- 海外プロデューサー - 伊藤和美(コラボレーション)
- ディレクター - 佐々木繁雄・木伏智也(コラボレーション)、赤松康太、飯村徹郎、須田基之、浅野克己、根本章人、竹前光昭
- 制作プロデューサー - 浜田弘(コラボレーション)、松本明美
- 演出 - 清水泰貴(2008年以降)
- 総合演出 - 藤井悟(2008年以降、以前は制作プロデューサーを担当)
- プロデューサー - 濱野貴敏(2008年以降、以前は編成担当) / 鈴木寿一(コラボレーション)
- チーフプロデューサー - 石井浩二(2007年はP、2008年以降はCP担当)
- 協力 - 日本航空、ジャルパック
- 制作協力 - コラボレーション
- 制作 - フジテレビバラエティ制作センター
- 制作著作 - フジテレビ
過去
- 構成 - 田中直人、池田一之、樋口卓治、白川ゆうじ、高橋マツピロ
- 編成 - 金田耕司
- ディレクター - 折田俊一郎(TVBOX)
- フロアディレクター - 杉原裕一
- 制作進行 - 塩田宮子(コラボレーション)
- 海外ロケ技術 - コスモ・スペース
- 音響効果 - 古屋ノブマサ(4-Legs)
- MA - 中尾和博(麻布プラザ)
- 制作協力 - TVBOX
番組テーマ曲
オープニング
- 1981.10 - 1990.3、2004年以降のスペシャル(アレンジ版):「トランプス・ディスコのテーマ」(なるほど!ザ・ワールドのテーマ) トランプス(トランプスのオリジナル・アルバムは現在アメリカでも廃盤だが、日本独自編集のオムニバス盤で現在も音源は入手可)
- 復活版およびとんねるずのみなさんのおかげでした内のパロディ版「このあと!ザ・ワールド」でもこの曲がテーマ曲として使用。「なるほど!ザ・ワールド」で使用される以前では、ニッポン放送で夕方に放送されていたワイド番組「夕空晴れて!ひがのぼるです」(1977年10月 - 1984年3月)の内包番組「ひがのぼるの三菱ダイヤモンドハイウェイ」のオープニング曲として長く使用されていた。その後2006年10月にANAのCMソング(成田-シカゴ線就航告知CM)に、2011年11月にはENEOSのエネファームのCM、2013年8月にはホンダ・フィット(3代目)のCMにそれぞれ使用された。CS放送のファミリー劇場でも2014年6月に「ファミ劇!ザ・ワールド」という特集の予告として同曲が使用された。
- 1990.4 - 1992.3:「NEW YORK, CLOUD 9」 村松健
- ファーストアルバム『STILL LIFE DONUTS』に収録。現在廃盤のため入手は困難である。これより後も番組内のコーナーで使用された。
- 1992.4 - 1994.3:「天国と地獄のテーマ」 ジャック・オッフェンバック作曲
- 1994.4 - 1994.6:「Hey Hey おおきに毎度あり」 SMAP
- 1994.7 - 1995.3:「がんばりましょう」 SMAP
- 1995.4 - 1996.3:「JUST MY FRIEND」 米米CLUB
エンディング
- 「もしもタヌキが世界にいたら」 ユミ
- 「もっと近くに as close as possible」 オフコース
- 「NO END SUMMER」 角松敏生
- 「愛のハーモニー」 アグネス・チャン
- 「冬のオペラグラス」 新田恵利
- 「時代」 薬師丸ひろ子
- 「少年の瞳に…」 荻野目洋子
- 「恋してムーチョ」 TUBE
- 「オゾンのダンス」 たま
- 「SWEET SILENCE」 access
- 「ふりむかないで」 Wink(ザ・ピーナッツのカバー)
- 「Happy Birthday」 電気グルーヴ
- 「おいでよSMILE WORLD」 永井真理子
- 「ちょっとどこ行くの」 ヨッちゃん&ケンちゃん(吉沢孝明・川端健嗣)
- 「シェリーに口づけ」 LONG VACATION
- 「旅立ちはフリージア」 松田聖子
- 「午後のパドドゥ」 河合その子
- 「VENUSの憂鬱」 PERSONZ
- 「君に逢いたい午後」稲垣潤一
挿入歌
備考
- 1980年代に、冒頭で「番組の途中ですが、予定を変更してお送りします。」とお断りテロップを出した回があった。
- 1995年頃には、特別企画としてトランプマンとMr.マリックとのマジック対決が幾度か放送された。
- この番組ルールの源流は『クイズウルトラドボン』。司会はみのもんたと酒井ゆきえで、一般視聴者2人1組4チームの対抗戦だった。
- ジャピングチャンス・国内特集コーナーでは、スポンサーである旭化成の企業歴史にまつわるクイズ問題や、みのもんたが旭化成グループの事業所へリポートに伺いながら商品の特徴をクイズにする回もあった。
- 1980年代には番組とスポンサーがコラボした旭化成「なるほど!○○○○(商品名)」CMシリーズ(60秒)が放送された。ナレーターはなべおさみ。番組同様に、VTR映像で分かりやすく商品説明するCMであった。CMの最後にはコーラス風に商品名が歌われる。「サランラップ」や「パワーボード」などテンポに乗せて歌っていたが、中には「旭化成の冷凍食品」や「レオナ66カーペット」など語呂合わせが合わず強引にテンポに乗せたケースもある。
- 1990年代に入ると旭化成「なるほど!ファイル」CMシリーズ(60秒)が始まる。1980年代の「なるほど!」シリーズの続編。特に環境を意識した商品が主に紹介される。
- 番組初期の頃(1981年)には、『スター千一夜』で流れていた旭化成グループ企業CMが継続して使用されていた時期もあった。
- 2004年にフジテレビからDVD『なるほど!ザ・ワールド〜世界のおもしろレポート集』が発売された。VTR集であり当時のクイズ部分は収録されていないが、クイズ形式に再構成されている。
- 番組のボードゲームをバンダイが2度発売され、初回は司会の愛川・楠田が大きく描かれたもので、2回目はトランプマン登場していた頃に発売されたものである。
パロディ番組
- 1989年の特番で「『なるほど!ザ・ワールド』に似たクイズ!!」をセットをそのままに実施。司会に島田紳助・逸見政孝、解答者にダウンタウン・森口博子・ウッチャンナンチャン・野沢直子・B21スペシャルで3人1組3チームの対抗戦だった。
- とんねるずのみなさんのおかげでした「このあと!ザ・ワールド」- タイトルロゴは初代のものを踏襲。オープニングテーマ曲も本家と同じものを使用している。
- クイズ☆タレント名鑑「トランプマンチャンス」
再現番組
- NHK衛星第2テレビジョンで2009年1月3日に放送された『週刊お宝TV 正月特集 名番組に名司会者あり』で当番組が取り上げられた際には、当時のフジテレビの番組スタッフがVTR出演するとともに、番組にゲストとして招かれた愛川欽也を司会者に番組の再現が行われた。
脚注・出典
- ↑ 長きにわたってこの枠は3本立てや2本立てが多く、1時間枠になるのは開局22年目にして初である。
- ↑ http://www.videor.co.jp/data/ratedata/junre/06quiz.htm
- ↑ 正解に近づいた場合でも鳴る場合があった(時間切れのブザー音でも同様)。開始初期(1990年半ばまで)と1997年の復活特番では3回「ピブ」音が鳴ったが、その後、ふわふわしたような音となった。
- ↑ これは恋人選びで8名の日本の有名人の写真が載っているパネル自体、電球が内蔵されており不正解であれば消灯する仕組みになっていたため。
- ↑ 1985年3月までは同時ネットだったが、1985年4月に『水曜ロードショー』→『金曜ロードショー』(日本テレビ)が火曜に変更されたと同時に『火曜ロードショー』に改題並びに遅れネット化されたのに伴い、本番組も遅れネット(日曜10時)に変更された。しかし1993年3月にテレビ朝日系列へのネットチェンジに伴い打ち切りになった。なお最終回にあたる制作局3月30日放送分「ベスト・オブ・ザ12年」のみ、翌31日午前10時からと13時間遅れで放送され、かろうじて3月分がすべて放送された。
- ↑ FNS加盟期間中は同時ネット。
関連項目
- FNS番組対抗!なるほど!ザ・春秋の祭典スペシャル
- FNS超テレビの祭典
- シュールストレミング - 収録時、屋内で開缶してしまったためにその際使用していたスタジオから長期間匂いが抜けなかったという。
- クイズ!ヘキサゴン - ゴールデン昇格後、クイズVTRとして過去の番組映像がしばしば使用された。