酒井ゆきえ

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テンプレート:基礎情報 アナウンサー 酒井 ゆきえ(さかい ゆきえ、本名:酒井 幸江〈読み同じ〉、1954年7月24日 - )は、フリーアナウンサータレントである。日本国際青年文化協会理事。東京都世田谷区梅丘出身。区立山崎小、山崎中、東京都立明正高山脇学園短期大学英文科卒業。血液型A型エフロード(フルハウスグループ)所属。

来歴・人物

幼稚園の時、銀行員だった父親の転勤で三年ほど帯広で暮らした。高校卒業後は共学の四年制大学に行きたかったが、母親の希望で山脇短大へ進学。同校は最後まで本人の肌に合わず、在学中は勉強もせず、サークルにも入らず、ただ学校へ行って帰ってくるだけの空白の二年間だったという[1]。学校推薦で大正海上火災に入社が内定したが、就職前にちゃんとした日本語を身につけようと、フジテレビのアナウンサー試験を受けたら、あっさり合格してしまった[2]

ママとあそぼう!!ピンポンパン』の司会(3代目おねえさん、1975年 - 1979年)を務め(イメージ)、歴代の「おねえさん」の中でも首位を争う人気を集めた。当時、フジテレビの女性アナウンサーは契約制であり番組担当終了後に退社・フリーとなる。なお契約社員制が解除されたのは1981年からだった。

エピソード

  • 酒井を3代目おねえさんに抜擢したのは、当時『ママとあそぼう!!ピンポンパン』のプロデューサーだった横澤彪だという[3]
  • フジテレビで人気アナウンサーとなった際、休みがなかなか取れないほどであった。ある日、風邪をひいたと言ってずる休みし、ゴルフに出かけたら、前述の横澤彪と出くわしてしまい、気まずかったと本人が語っている。
  • フジ退社当初は女優業に挑戦し、「銭形平次」などに出演した。
  • フリーアナ中心の活動となってからは、「ピンポンパンのおねえさん」の代名詞のような存在になり、その後はなぜか上方落語家[4]と司会を組んだ番組が多かった。またそれらが軒並み長寿番組となったこともあってか彼らからの信頼は厚いようである。
  • 2005年3月『ウェークアップ!』終了後は司会業、インタビュアーの仕事が多い。また本業以外に日本国際青年文化協会の理事を務め、ボランティアで外国人に日本語を教えている。
  • 趣味は「ひなたぼっこ」、「鼻煙壷」鑑賞、バレエゴルフ陶芸。また、「利き酒師」の資格を持つ。
  • 家族は亡父と母、八つ年上、七つ年上、三つ年上の三人の兄の末娘。
  • 結婚歴はなく独身。

主な出演作品

テレビ番組

CM

著書

  • 笑福亭鶴瓶・酒井ゆきえ(1988年)女と男 聞けば聞くほど… ロングセラーズ
  • 酒井ゆきえ(2001年)大切な人とうまくいく63のレッスン 大和出版

関連項目

外部リンク

脚注

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テンプレート:ママとあそぼう!ピンポンパン歴代お姉さん
  1. 泉麻人「けっこう凄い人」新潮社
  2. 元アナウンス室長の堺正幸ニュースキャスター田丸美寿々、同局解説委員の和田圭が同期
  3. 横澤彪「テレビの笑いを変えた男 横澤彪かく語りき」、扶桑社、2009年、102-103頁。
  4. レギュラー番組での共演者は桂文珍桂ざこば、笑福亭鶴瓶。